別荘
フェデリコさんの自宅がどこにあるかは知っている。
「すみません。マルコです。いま大丈夫ですか」
「入りたまえ」
狭い路地裏にある、狭い家だ。家の中は本だらけ。
フェデリコさんはデスクについていた。
「どうした?」
「ギルドで仕事を引き受けてきました。遺跡調査するんですよね?」
「……」
するとフェデリコさんは、すっと息を吸い込んだまま、黙り込んでしまった。
そのまま溜め息をついて、長テーブルへ。
「かけたまえ。するとなにか? 君が? 遺跡調査の随行員というわけか?」
「はい」
「まったく。依頼を出したのは何ヶ月も前だぞ。やっと応じてきたと思えば、現れたのは新人の君か。ふん。おおかた、その参加者とやらも君だけなんだろう? 凡愚が天才を恐れるのもムリはないが、恐れすぎるのも困ったものだ」
「フェデリコさん、かなり嫌われてるみたいですね」
「それは逆だな。私が彼らを嫌っているのだ。無知なのは別に構わん。私より賢い人間がそうそういるとは思えんしな。だが、連中は己の無知を改めようとしない」
やはり魔女より厳しい。
「そんな言い方、やめたほうがいいですよ。俺だって傷つきます」
「君が傷つく必要はない。君は少なくとも学ぼうとしているだろう。連中とは違う」
「でも、俺も頭はよくないから……」
「ふん。頭がよくない? 勝手に結論を出すな。君はモノを知らないだけだ。知れば、比較ができるようになる。比較ができれば、未来を予想できる。これは魔法じゃない。論理だ。君はその入り口に立っている」
未来を予想?
この俺に、できるのか?
フェデリコさんはかすかに呼吸をした。
「まあいい。遺跡の調査に行くぞ」
「え、いまから?」
「準備するようなことでもあるまい」
「あ、その前に、ひとつだけ相談が……」
*
「なんだね、この珍妙な異邦人は? 調査の役に立つのか?」
「あぁん? なんだぁてめぇ? ケンカ売ってんのかにゃ?」
なぜこうなってしまうのか。
仕事を手伝ってくれる人がいるから紹介するといっただけなのに。
天気はいい。
だが、いいのは天気だけだ。
いつもいつも……。
「ま、待ってください! なんでケンカするんですか! これから一緒に遺跡調査に行く仲間なのに!」
するとカエデさんは、いつもの困ったネコみたいな顔になった。
「お断りだにゃ。あたしは自分のしたいことしかしないって決めたんだ。こんな偉そうなヤツの下で働くなんて、死んでもごめんだにゃ」
「ならば勝手にするがいい。行くぞ、マルコくん」
フェデリコさんも大人げない対応だ。
「待ってください! 三人で行きましょう!」
「本人が行きたくないと言っているのだ。これ以上、私の時間のムダにしないでもらおう」
フェデリコさんは頑固だし、カエデさんもぷいと顔を背けている。
これじゃあまるで子供じゃないか。
子供だ、みんな……。
*
「遺跡まではそう遠くない。途中に私の別荘がある。いちどそこへ寄り、荷物を整理する」
「それはいいんですが……」
「気づかないフリをしろ」
「はい」
俺たちのあとを、カエデさんがついてくる。
かなり堂々とついてきているから、きっとバレても構わないのだろう。
麦畑を抜けて、荒野に出た。
広くもない道を、馬車が我が物顔で追い抜いていく。
「まったく、どこの田舎貴族だ? 馬車に乗ったくらいで、人より偉くなったつもりでいるのか?」
「ホント、ひどいですよね」
「連中、借り物のエネルギーを、すぐに自分の力と勘違いするからな。つまり、起きたまま夢を見ているようなものだ。愚かものは、馬車に乗ろうが降りようが、愚かなままだということがよく分かる」
まあマナーが悪いのは事実だが……。
フェデリコさんはその倍以上の悪口を言う。
ぽつんと廃墟が見えてきた。
これを越えたら、そろそろ別荘だろうか。
「ふむ。見えてきたな。あれが例の別荘だ」
「えっ?」
周囲を壁に囲まれた石の要塞だ。
見張り用の石塔まで備わっている。
しかし大部分は崩れ落ちている。
「ボロボロですよ?」
「やむをえんな。かつての戦争に使われた要塞だ。おかげで安く売られていてな」
「住めるんですか?」
「野宿するよりマシだろう」
そうかも。
「え、これが古代遺跡にゃの?」
当然のようについてきたカエデさんが、しかめっつらで周囲を見回した。
フェデリコさんも渋い表情で咳払いだ。
「私のセカンドハウスだが?」
「へえ、あんたお金持ちだったんだにゃあ? え、でもなんでこんな廃墟を?」
「研究に集中するための場所が欲しかったのだ。遺跡にも頻繁に行く予定だったしな」
「遺跡に行ってなにするにゃ? まさかお宝でも眠ってるのかにゃ?」
カエデさんの質問に、フェデリコさんは肩をすくめた。
「お宝など、とっくに盗掘されている。私の専門は機械人形でな。それは魔法で動くはずなのだが……。いまだ人類は、それを動かすことに成功していない。王都の研究者でさえ、な。魔法以外のキーが必要なのだ」
「ほへー」
カエデさんは分かっていない顔だ。
もちろん俺も分かっていない。
フェデリコさんは溜め息だ。
「もういい。荷物の整理をする。中に入るぞ」
*
外から見ても廃墟だったが、中に入っても廃墟だった。
ただ、意外と崩落していない。造りが簡素だからだろうか。兵士の詰め所だったのだろう。つまり食事をし、寝泊りするだけの場所だ。ベッドなどは焼け落ちて、完全に朽ちているが。
「ふーん、暖炉は無事みたい。これなら生活できるじゃん」
「当然だ。生活のための場所だからな」
いまさら追い返す気もないのか、フェデリコさんはカエデさんを受け入れているようだった。
フェデリコさんからすれば、追加料金を払うことなく作業員がついてきたのだから、追い払うだけマイナスなのかもしれない。
「あたし、ここに住もうかにゃ」
「拒否する」
「なんで?」
「ここは私の研究所にするからだ。やかましくされたらかなわん」
「ケチ! ドケチ!」
またケンカが始まりそうだ。
「俺、ちょっと片付けますね」
この二人の言い合いに巻き込まれるのは疲れる。
体を動かしていたほうがいい。
*
結局、あれこれ片付けているうちに日が暮れてしまった。
倉庫で兵士たちの装備も見つかったけど、腐食していて使い物になりそうもなかった。売ってもお金にならないレベルだ。
「すまんな、給与外労働をさせてしまった」
「ホントだにゃ! 追加料金払えにゃ!」
口を開けばケンカばかり。
だが、暖炉の火を起こしたのもカエデさんだし、料理を用意してくれたのもカエデさんだった。なにをするのも手際がいい。
フェデリコさんは皮肉めいた笑みを浮かべた。
「なるほど。では君のことは使用人として雇ってやってもいい」
「月500リラを要求するにゃ」
「そこから宿代などの諸経費を差し引いて、50リラなら契約しよう」
「なんだそれ! 搾取だにゃ!」
「不満かな? ではクビだ。出て行っていいぞ」
「ぐぬぅ! マルコ! こいつ人間のクズだにゃ! お前もなんか言ってやれにゃ!」
なにか言ったら、事態を悪化させる。
頭のよくない俺にも、それくらいのことは分かる。
それにしても、また味噌汁だ。
疲れた体によく染みる。
味も好きになってきた。
「それにしても、海の向こうの人間は、こんな奇妙なスープを好んで飲むのか?」
フェデリコさんの皮肉に、またカエデさんは言い返すのかと思ったが、意外とそんなこともなく、かすかに溜め息をついただけだった。
「ま、どこ行っても同じこと言われるんだから、きっとそうなんだろうにゃ……。けど長持ちするし、栄養満点なんだよ。毎日飲めば健康にもいいにゃ」
「いや、悪く言うつもりはなかった。食文化というものは多様だからな。これも君の故郷の知恵が詰まっているのだろう」
「なんだ急に。黙って飲めにゃ」
「ふん」
カエデさんの故郷というのは、ネコ族なんだろうか?
人間にしか見えないが。
味噌汁だけでなく、干し肉もある。
山賊たちの砦から大量に巻き上げたものだ。これを味噌汁と一緒に食うとうまい。
フェデリコさんは、ふと、食事の手を止めた。
「で、遺跡のことなんだが……。じつは悪い予感があってな」
「悪い予感?」
俺も不安になって聞き返した。
機械人形のことだろうか? ギルドのおばさんは、機械人形が動くなんてことはないと言っていた。酔っ払いの見間違えだろうとも。
「おそらく、機械人形が駆動している」
「えっ?」
「そもそも私が王都から左遷……派遣されたのも、名目上は、世界の異変を調査するためなのだ」
「左遷?」
「マルコくん、そういうところだぞ。気にすべきは『異変』のほうだ。いいか? 君たちは知らないかもしれないが、いま、世界各地で魔力のバランスが崩れつつある」
「魔力のバランス?」
というか、そういうところって?
俺、やっぱりダメなのか?
フェデリコさんは咳払いだ。
「専門の研究機関が、世界各地で魔力の総量を観測していてな。まあ観測の精度もそう高くないし、普段からムラのある数字しか出てこないんだが。ただ、ここ数年、一貫して上昇傾向にあってな。上昇の顕著な地域では、魔力の暴走が原因とおぼしき異変も起き始めている。遺跡の調査員が、機械人形に殺されたという報告もある」
「え、機械人形に?」
「さだかな情報ではない。遺体の位置や返り血など、現場の状況だけ見れば、機械人形に殺害されたとしか思えないのだが……。肝心の機械人形が静止していてな。専門家が動かそうとしても、まったく動かない。だから、機械人形の仕業と見せかけて、誰か別の誰かが調査員を殺害したということになった」
なら、機械人形じゃないかもしれない。
けど、フェデリコさんの表情は冴えなかった。
「こんな事件が一件限りなら、機関も無視したかもしれない。だが、一件どころではなかったのだ。同様の事件が各所から報告されている。それも、決まって魔力の総量の高い地域でな」
「なるほど」
八割くらい分からないけど……。
とにかく、機械人形が動くかもしれないのだ。
カエデさんが味噌汁をずずずとすすって、カップを置いた。
「んで? 魔力の総量とやらは、ここでも上昇してるのかにゃ?」
「……」
フェデリコさん、なぜか無視。
いや、返事に困っているのか。
「えっ? 上昇してるの? してないの? どっちにゃの?」
「ふん。言いたくないが、ここは辺境の地だぞ。観測に必要な機材も老朽化している。その上、領主どのは根っからの魔法嫌いと来ている。信用に値するデータは存在しないと思って欲しい」
「はぁ? じゃあ、なんの根拠もねーのと同じにゃ」
「黙れ。データがない、という客観的事実を受け入れた上で、我々は調査する必要があるのだ。もし現場で命を落としても、私にはなんの保証もできない。そのことをあらかじめ理解しておいてくれ」
死ぬかもしれない、ということだ。
俺は別に構わない。
もっとも大事なものを失ったのだ。
いや、失ったどころか、拒絶されたのだ。
生きる意味がない。
「俺は行きますよ。契約したんで」
「ジョヴァンニくんが君を連れてきたときは、正直、頼りなさそうに見えたが……」
まあそうなんだろう。
俺には、人として大事ななにかが決定的に足りていないのだ。
どう言われても反論できない。
フェデリコさんはふっと笑った。
「だが、勘違いしないで欲しい。俺は、今回の調査で誰にも死んで欲しくないのだ。君たちを捨て駒にするつもりはない。だからこそ事前にこうして説明している。意味は分かるな?」
「危なくなったら逃げろと?」
「ああ。依頼主である俺の命を守った上でな」
「了解」
契約は守る。
契約さえ守れなくなったら、そのときは、もう最低限のなにかさえ失うことになる。
(続く)