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ペルソナ・ノングラータ  作者: 不覚たん
第四章 神曲(ディヴィナ・コメディア)

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人類の限界

 詩人の歌は、ラ・ヴェルデにも届いていた。


「国王が兵を募っているらしいぞ」

「ラ・ネロは許せない。王に刃向かう逆賊だ」


 街ではそんな声が聞かれた。

 少し前まで、一連の戦争で疲弊していた人々は、王の統治へ不信感を抱いていた。しかし歌が繰り返されるうち、盛り返してしまった。

 自発的に集まった義勇兵が、ラ・ヴェルデからも旅立っていった。


 *


「アルトゥーロさん、いいんですか、このままで?」

 俺は執務室で、痩せこけたアルトゥーロさんに尋ねた。

 何日もロクに寝ていないようだった。

 言うべきでなかったかもしれない。

「マルコよ、お前もか? 状況は把握してるよ。けどな、人間ってのはそう簡単に変わらねぇんだ。少し前まで、人類は神の名のもとに、王の名のもとに戦った。それがずっと続いてるだけの話だ」

「不毛ですよ。死ぬ必要のない人間が死ぬんですよ?」

 するとアルトゥーロさんは、魂の抜けそうなほど盛大な溜め息をついた。

「ならお前が止めてこい。ご自慢の機械装甲でな」

「それは……それでも死にます……」

「いいか、マルコ。お前は全体像を把握してるから、簡単に不毛だなんだと言えるんだ。市民の立場になって考えてみろよ。お前と違って、情報をくれる親切な魔女もいねぇんだ。その代わり、毎日毎日、吟遊詩人がデマを吹き込みやがる。こうなるのは必然なんだよ」

「じゃあ詩人の歌を禁止すれば」

「分かってくれ、マルコ。俺もできるならそうしてぇんだよ。けど、自由都市では、市民の活動を制限するには理由が要るんだ。あと評議会の賛成もな」

 ああ言えばこう言う。

 口ぶりからすると、アルトゥーロさんだって俺と同じ意見のはずなのに。


「じゃあ、このまま放っておくんですか?」

「放ってねぇよ。ちゃんと張り紙を出してる。国王軍は、単に自分たちの権益のために戦ってるだけだってな」

「でも、誰も読んでませんよ……」

「まあそりゃ……。だが、もっといいアイデアがあるなら出してくれよ。俺には、ほかにもやらなきゃならねぇことが山ほどあんだよ」

「……」


 もっといいアイデア……。

 ない。

 俺には、アルトゥーロさんを責める資格はない。いや、責めているわけではなくて、一緒に状況を改善したいだけなんだけど。


「ごめんなさい。お仕事大変なのに、ムリ言って」

「ああ、理解してくれて嬉しいよ。これでも、ソフィアのおかげでだいぶ楽になったしな。本来ならフェデリコの野郎がやるべき仕事なんだが……」

 デスクに突っ伏してしまった。

 フェデリコさんが王都から持ってきたコーヒーが、カップの中でさめている。


 当のフェデリコさんは、いったいどういうつもりなんだろうか?

 装置のプロトタイプは完成した。

 今度、どこかの山で試験するという話だったが。

 そのあとの展望が見えない。


 シャツとズボンで正装したソフィアさんが入ってきた。

「副総統、先ほどの書類はすべて適切な部署に振り分けておきました。まだありますか?」

 いつものエプロン姿ではない。

 いっぱしの役人みたいだ。


「あるけど、明日でいいぜ」

「なによ、明日って。そうやって後回しにするから仕事が溜まるんでしょ?」

「俺はなぁ、気づいたんだよ。必死に仕事をするから、次から次へと陳情が来るんだ。こっちがダラダラやってたら、誰も期待しなくなるぜ。たぶんな」

「頭がバカになってるわね。一回帰って寝たら? それとも私の回復魔法が必要?」

 回復魔法――。

 ソフィアさんは自分の邪法を、まだそう呼んでいるのか。それに、彼女の魔法は、ただ人を癒すものではない。誰かの生命力を、他者へ移動させるものだ。たとえば俺とか……。


「あ、俺、ちょっと用事を思い出しました。いったん帰りますね」

「……」

 するりと脱出。

 アルトゥーロさんには恩があるし、返したいとも思うけど、血を抜かれるのはやっぱり怖い。ソフィアさんは加減を知らないし。


 *


 街へ出たが、特にすることはなかった。

 通行人は相変わらず張り紙など読まず、戦争での活躍を夢見ている。誰しも英雄になりたいのだ。無双の活躍をし、荘厳な異名とともに歴史に名を残す。実際は、虫けらみらいに殺されるだけだと思うけど。


 戦場において、リスクとなるのは戦闘だけではない。

 もっとも戦うべき相手は、空腹だ。ちっとも足りない。寝てもさめても食事のことしか考えられなくなる。他人の食料に手が伸びそうになる。実際、それで争う兵もいた。

 医者も足りないから、負傷者は怪我をしたまま寝起きすることになる。負傷した箇所から病気になる人もいた。そうして床を転がっているうち、いつしか死体になっている。死体に物資は必要ないから、すべてむしり取られる。

 指揮官は、ムリなことでもやれと命じてくる。反論は許されない。やらないと暴力。または食事を減らされる。

 自分の時間などない。暑さも寒さもしのげない。風呂もない。虫に食われる。かゆくなる。物を盗まれる。生きるためにできることは、なんでもやらないといけなくなる。

 戦場に味方はいない。自分以外のすべてが敵になる。

 人間が嫌いになる。

 世界が嫌いになる。


 *


「いらっしゃい。ん? あんた、マルコか? おいおい、ずいぶん久しぶりじゃねーか」

 ふらりと店に入ったら、なつかしい顔に出くわした。

「ペテロさん。街に戻ってたんですね?」


 雑貨屋のペテロさんだ。

 安かろう悪かろうがウリの店。

 あまりお金がなかったころ、ずいぶんお世話になった。


「街に活気が戻ってきたからな。副総統はあのアルトゥーロだって? あいつ、冒険者より役人のほうが向いてるみたいだな」

「そうかも」

 いや、俺は冒険者としても尊敬している。

 だけど世間では、すぐ逃げる冒険者という印象なのだろう。特に、この街に長くいた人にとっては。

「どうした、浮かない顔して。ハルバード要るか? あんたのおかげで売れ行きが好調でな」

「そうなんですか?」

「あんた、王都で決闘やっただろ? 貴族サマに勝ったらしいじゃねーか。けっこう有名だぜ」

「有名……」

 そういえば、通行人にじろじろ見られていた気がする。

 いまはハルバードを担いでいないから、声をかけられたりはしていないが。


「集団でハルバードを買ってな、東へ向かうんだ。逆賊と戦うぞ、ってな」

「うわぁ……」

「なんだよ、うわぁって。こいつはチャンスだぜ? 国王軍が勝利したら、ラ・ロッサとラ・ネロに新しい領主が誕生するんだからな。いまのうち活躍しておけば、いいポストにありつけるかもしれねぇ」

 本気でそう思っているのだろうか?

 悪い人ではないと思うけど……。

 でも、情報がないなら仕方がない。

「そ、そうかもしれませんね」

「あんたも一本どうだい? 100リラにしとくぜ」

「いえ、まだ使えるのがあるので」

「そうか。もし必要ならいつでも言ってくれ。在庫は山ほどあるからな」


 *


 たいして手持ちもないのに、タマゴのパンを五つも買って食べてしまった。

 25リラ消えた。

 母さんのお酒も買おうと思ったけど、それは次にしよう。


 *


「ただいま戻りました」

「マルコ! なんで私を誘わないの! どうせ一人で楽しんで来たんでしょ!」

 帰宅するなりピチョーネに詰め寄られた。

「べつに楽しんでませんよ。アルトゥーロさんの様子を見に行っただけで」

 タマゴのパンは娯楽ではない。生命維持のための最低限の支出だ。


「マルコ、寒かったでしょう。暖炉にあたりなさい」

「はい、母さん」

 俺に優しいのは母さんだけだ。


「先生! マルコはもう大人なの! そんなに干渉しなくて大丈夫だから!」

 ピチョーネは母さんにまで苦情を……。

「でも、いくつになっても私の息子ですから」

「そんなだからいつまでもマンモーニなんだよ!」

「ピチョーネ、乱暴な言葉づかいはいけませんよ」

「はぁい」

 母さんは、ピチョーネにもそんなことを言うのか。

 まるで娘みたいに。


 俺はコップの水を飲んでからテーブルについた。

「母さん、人間って、昔からこうなのですか?」

「なんですか、急に」

「ちゃんと正しい情報があるのに、そっちを選ばないで、間違ったほうを選ぶんです。フェデリコさんの言う通り、凡愚なんでしょうか?」


 母さんは微笑を浮かべた。

「ええ、その通り。凡愚ですよ。人間だけでなく、魔族も同じです」

「どうすれば……」

「どうにかしようと思わないことです。人類とは、そもそもそういう生き物なのですから。むしろ、どうこうしようと思うほうがおこがましいのです。あなたはむしろ、彼らになじめるよう努力する必要がありますよ」

「……」

 凡愚になれと?

 本気で言っているのだろうか?


 機嫌が悪いのか、ピチョーネは皮肉っぽい顔で言った。

「先生、私知ってますよ。そういうの、厭世主義って言うんです」

「あら、ピチョーネ。難しい言葉を知っていますね」

「大人ですから。でも、なんでもかんでも諦めたフリをしたところで、なにも解決しないってことも知ってます」

「ええ、その通りですね」

 ケンカというよりは、子犬がオオカミにじゃれついているみたいだ。

 ピチョーネも次第に不安そうになってきた。

「せ、先生はそれでいいの? なんだか、この世のすべてをあきらめてしまっているみたいで……」

「まあ、すべてではありませんが、大半はあきらめていますね」

「なんでそんなこと言うの! 先生、才能もあって頭もいいのに! 私、納得いかない!」

 ピチョーネの言う通りだ。

 才能もあって頭もいいのに、なんでこんな考えになってしまうのか。


 母さんはそれでも微笑を作っていたが、どこか困惑気味でもあった。

「なんですか、ピチョーネ。今日はずいぶんと落ち着きがありませんね」

「我慢の限界なの! 先生がそんなだから、マルコが苦しんでるのに!」

「あなたは未来を見ましたね? その上で言っているのですか?」

「言ってるの!」

 完全に駄々っ子だ。


 話をこじれさせないために、俺も口を挟んだほうがいいかもしれない。

「母さん、俺も……あまり強く言いたくはありませんが、ピチョーネと同じ気持ちです。なんで暗いことばかり言うんです?」

「なるほど。ではマルコ、少し考えてみてください。あなたは言葉で人類を善導できますか? できるというのなら、してご覧なさい。この世界は、明日にでも素晴らしい場所になりますよ」

「それは意地悪ですよ……」

 俺も泣きそうだ。


「意地悪ではありません。事実です。鳥には鳥の限界があり、魚には魚の限界があります。それは人も魔族も同じこと。あなたの要求は、その限界をはるかに超えています。可哀相ではありませんか」

「可哀相って……」

「正解を見せられても、間違ったほうを選ぶ。それは命をもつもののさがです。あらゆる生命は、複数の情報から、自分が気持ちよくなる情報を優先して選択するものです。もし他者を動かしたいのなら、限界を超えて動かそうとするのではなく、限界があることを認識し、限界の中で動かすしかありません」

「それでは動物と同じではありませんか?」

 俺の問いに、母さんは短く息を吐いた。

「同じですよ。限界を超えた要求を通したければ、あとは力を使うしかありません」

「そんな……」

「他の方法は思いつきません。だから私は考えるのをやめたのです。言っておきますが、過去のどんな偉人も、それに成功していませんよ。マルコ、あなたにはできるのですか? できるというのなら、それは大変誇らしいことですが」


 どうしてそんな結論になるんだ?

 フェデリコさんみたいなことを言って。


 母さんは目を細め、じっとこちらを見つめてきた。

「マルコ、あえて指摘しませんでしたが、あなたが間違っていて、他の人間が正しい選択をしている可能性もあるのですよ?」

「そ……その可能性はありますけど……でも間違ってないです! 少なくともこの件に関しては!」

「そうですか。では、その言葉を信じましょう。あなたは、そういうところはしっかりしていますから」


 ただ、アルトゥーロさんの指摘も正しいのだ。

 俺は、魔女やフェデリコさんからあらゆる情報をもらっている。

 自分で調べたわけじゃない。

 自分の頭で考えたわけじゃない。

 その上で答えを出して、他人を間違っていると言っている。こんなの、みんなに通じるわけがない。


 母さんはまた笑顔を見せてくれた。

「さ、お話はここまでにしておきましょう。あんまり大きな声で話していると、使用人に怒られてしまいますからね」

「はい、母さん」


 いいのだ。

 言葉で説得できないなら、力で救う。

 母さんだって、力を使うしかないと認めたのだ。

 否定させない。


(続く)

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