人類の限界
詩人の歌は、ラ・ヴェルデにも届いていた。
「国王が兵を募っているらしいぞ」
「ラ・ネロは許せない。王に刃向かう逆賊だ」
街ではそんな声が聞かれた。
少し前まで、一連の戦争で疲弊していた人々は、王の統治へ不信感を抱いていた。しかし歌が繰り返されるうち、盛り返してしまった。
自発的に集まった義勇兵が、ラ・ヴェルデからも旅立っていった。
*
「アルトゥーロさん、いいんですか、このままで?」
俺は執務室で、痩せこけたアルトゥーロさんに尋ねた。
何日もロクに寝ていないようだった。
言うべきでなかったかもしれない。
「マルコよ、お前もか? 状況は把握してるよ。けどな、人間ってのはそう簡単に変わらねぇんだ。少し前まで、人類は神の名のもとに、王の名のもとに戦った。それがずっと続いてるだけの話だ」
「不毛ですよ。死ぬ必要のない人間が死ぬんですよ?」
するとアルトゥーロさんは、魂の抜けそうなほど盛大な溜め息をついた。
「ならお前が止めてこい。ご自慢の機械装甲でな」
「それは……それでも死にます……」
「いいか、マルコ。お前は全体像を把握してるから、簡単に不毛だなんだと言えるんだ。市民の立場になって考えてみろよ。お前と違って、情報をくれる親切な魔女もいねぇんだ。その代わり、毎日毎日、吟遊詩人がデマを吹き込みやがる。こうなるのは必然なんだよ」
「じゃあ詩人の歌を禁止すれば」
「分かってくれ、マルコ。俺もできるならそうしてぇんだよ。けど、自由都市では、市民の活動を制限するには理由が要るんだ。あと評議会の賛成もな」
ああ言えばこう言う。
口ぶりからすると、アルトゥーロさんだって俺と同じ意見のはずなのに。
「じゃあ、このまま放っておくんですか?」
「放ってねぇよ。ちゃんと張り紙を出してる。国王軍は、単に自分たちの権益のために戦ってるだけだってな」
「でも、誰も読んでませんよ……」
「まあそりゃ……。だが、もっといいアイデアがあるなら出してくれよ。俺には、ほかにもやらなきゃならねぇことが山ほどあんだよ」
「……」
もっといいアイデア……。
ない。
俺には、アルトゥーロさんを責める資格はない。いや、責めているわけではなくて、一緒に状況を改善したいだけなんだけど。
「ごめんなさい。お仕事大変なのに、ムリ言って」
「ああ、理解してくれて嬉しいよ。これでも、ソフィアのおかげでだいぶ楽になったしな。本来ならフェデリコの野郎がやるべき仕事なんだが……」
デスクに突っ伏してしまった。
フェデリコさんが王都から持ってきたコーヒーが、カップの中でさめている。
当のフェデリコさんは、いったいどういうつもりなんだろうか?
装置のプロトタイプは完成した。
今度、どこかの山で試験するという話だったが。
そのあとの展望が見えない。
シャツとズボンで正装したソフィアさんが入ってきた。
「副総統、先ほどの書類はすべて適切な部署に振り分けておきました。まだありますか?」
いつものエプロン姿ではない。
いっぱしの役人みたいだ。
「あるけど、明日でいいぜ」
「なによ、明日って。そうやって後回しにするから仕事が溜まるんでしょ?」
「俺はなぁ、気づいたんだよ。必死に仕事をするから、次から次へと陳情が来るんだ。こっちがダラダラやってたら、誰も期待しなくなるぜ。たぶんな」
「頭がバカになってるわね。一回帰って寝たら? それとも私の回復魔法が必要?」
回復魔法――。
ソフィアさんは自分の邪法を、まだそう呼んでいるのか。それに、彼女の魔法は、ただ人を癒すものではない。誰かの生命力を、他者へ移動させるものだ。たとえば俺とか……。
「あ、俺、ちょっと用事を思い出しました。いったん帰りますね」
「……」
するりと脱出。
アルトゥーロさんには恩があるし、返したいとも思うけど、血を抜かれるのはやっぱり怖い。ソフィアさんは加減を知らないし。
*
街へ出たが、特にすることはなかった。
通行人は相変わらず張り紙など読まず、戦争での活躍を夢見ている。誰しも英雄になりたいのだ。無双の活躍をし、荘厳な異名とともに歴史に名を残す。実際は、虫けらみらいに殺されるだけだと思うけど。
戦場において、リスクとなるのは戦闘だけではない。
もっとも戦うべき相手は、空腹だ。ちっとも足りない。寝てもさめても食事のことしか考えられなくなる。他人の食料に手が伸びそうになる。実際、それで争う兵もいた。
医者も足りないから、負傷者は怪我をしたまま寝起きすることになる。負傷した箇所から病気になる人もいた。そうして床を転がっているうち、いつしか死体になっている。死体に物資は必要ないから、すべてむしり取られる。
指揮官は、ムリなことでもやれと命じてくる。反論は許されない。やらないと暴力。または食事を減らされる。
自分の時間などない。暑さも寒さもしのげない。風呂もない。虫に食われる。かゆくなる。物を盗まれる。生きるためにできることは、なんでもやらないといけなくなる。
戦場に味方はいない。自分以外のすべてが敵になる。
人間が嫌いになる。
世界が嫌いになる。
*
「いらっしゃい。ん? あんた、マルコか? おいおい、ずいぶん久しぶりじゃねーか」
ふらりと店に入ったら、なつかしい顔に出くわした。
「ペテロさん。街に戻ってたんですね?」
雑貨屋のペテロさんだ。
安かろう悪かろうがウリの店。
あまりお金がなかったころ、ずいぶんお世話になった。
「街に活気が戻ってきたからな。副総統はあのアルトゥーロだって? あいつ、冒険者より役人のほうが向いてるみたいだな」
「そうかも」
いや、俺は冒険者としても尊敬している。
だけど世間では、すぐ逃げる冒険者という印象なのだろう。特に、この街に長くいた人にとっては。
「どうした、浮かない顔して。ハルバード要るか? あんたのおかげで売れ行きが好調でな」
「そうなんですか?」
「あんた、王都で決闘やっただろ? 貴族サマに勝ったらしいじゃねーか。けっこう有名だぜ」
「有名……」
そういえば、通行人にじろじろ見られていた気がする。
いまはハルバードを担いでいないから、声をかけられたりはしていないが。
「集団でハルバードを買ってな、東へ向かうんだ。逆賊と戦うぞ、ってな」
「うわぁ……」
「なんだよ、うわぁって。こいつはチャンスだぜ? 国王軍が勝利したら、ラ・ロッサとラ・ネロに新しい領主が誕生するんだからな。いまのうち活躍しておけば、いいポストにありつけるかもしれねぇ」
本気でそう思っているのだろうか?
悪い人ではないと思うけど……。
でも、情報がないなら仕方がない。
「そ、そうかもしれませんね」
「あんたも一本どうだい? 100リラにしとくぜ」
「いえ、まだ使えるのがあるので」
「そうか。もし必要ならいつでも言ってくれ。在庫は山ほどあるからな」
*
たいして手持ちもないのに、タマゴのパンを五つも買って食べてしまった。
25リラ消えた。
母さんのお酒も買おうと思ったけど、それは次にしよう。
*
「ただいま戻りました」
「マルコ! なんで私を誘わないの! どうせ一人で楽しんで来たんでしょ!」
帰宅するなりピチョーネに詰め寄られた。
「べつに楽しんでませんよ。アルトゥーロさんの様子を見に行っただけで」
タマゴのパンは娯楽ではない。生命維持のための最低限の支出だ。
「マルコ、寒かったでしょう。暖炉にあたりなさい」
「はい、母さん」
俺に優しいのは母さんだけだ。
「先生! マルコはもう大人なの! そんなに干渉しなくて大丈夫だから!」
ピチョーネは母さんにまで苦情を……。
「でも、いくつになっても私の息子ですから」
「そんなだからいつまでもマンモーニなんだよ!」
「ピチョーネ、乱暴な言葉づかいはいけませんよ」
「はぁい」
母さんは、ピチョーネにもそんなことを言うのか。
まるで娘みたいに。
俺はコップの水を飲んでからテーブルについた。
「母さん、人間って、昔からこうなのですか?」
「なんですか、急に」
「ちゃんと正しい情報があるのに、そっちを選ばないで、間違ったほうを選ぶんです。フェデリコさんの言う通り、凡愚なんでしょうか?」
母さんは微笑を浮かべた。
「ええ、その通り。凡愚ですよ。人間だけでなく、魔族も同じです」
「どうすれば……」
「どうにかしようと思わないことです。人類とは、そもそもそういう生き物なのですから。むしろ、どうこうしようと思うほうがおこがましいのです。あなたはむしろ、彼らになじめるよう努力する必要がありますよ」
「……」
凡愚になれと?
本気で言っているのだろうか?
機嫌が悪いのか、ピチョーネは皮肉っぽい顔で言った。
「先生、私知ってますよ。そういうの、厭世主義って言うんです」
「あら、ピチョーネ。難しい言葉を知っていますね」
「大人ですから。でも、なんでもかんでも諦めたフリをしたところで、なにも解決しないってことも知ってます」
「ええ、その通りですね」
ケンカというよりは、子犬がオオカミにじゃれついているみたいだ。
ピチョーネも次第に不安そうになってきた。
「せ、先生はそれでいいの? なんだか、この世のすべてをあきらめてしまっているみたいで……」
「まあ、すべてではありませんが、大半はあきらめていますね」
「なんでそんなこと言うの! 先生、才能もあって頭もいいのに! 私、納得いかない!」
ピチョーネの言う通りだ。
才能もあって頭もいいのに、なんでこんな考えになってしまうのか。
母さんはそれでも微笑を作っていたが、どこか困惑気味でもあった。
「なんですか、ピチョーネ。今日はずいぶんと落ち着きがありませんね」
「我慢の限界なの! 先生がそんなだから、マルコが苦しんでるのに!」
「あなたは未来を見ましたね? その上で言っているのですか?」
「言ってるの!」
完全に駄々っ子だ。
話をこじれさせないために、俺も口を挟んだほうがいいかもしれない。
「母さん、俺も……あまり強く言いたくはありませんが、ピチョーネと同じ気持ちです。なんで暗いことばかり言うんです?」
「なるほど。ではマルコ、少し考えてみてください。あなたは言葉で人類を善導できますか? できるというのなら、してご覧なさい。この世界は、明日にでも素晴らしい場所になりますよ」
「それは意地悪ですよ……」
俺も泣きそうだ。
「意地悪ではありません。事実です。鳥には鳥の限界があり、魚には魚の限界があります。それは人も魔族も同じこと。あなたの要求は、その限界をはるかに超えています。可哀相ではありませんか」
「可哀相って……」
「正解を見せられても、間違ったほうを選ぶ。それは命をもつものの性です。あらゆる生命は、複数の情報から、自分が気持ちよくなる情報を優先して選択するものです。もし他者を動かしたいのなら、限界を超えて動かそうとするのではなく、限界があることを認識し、限界の中で動かすしかありません」
「それでは動物と同じではありませんか?」
俺の問いに、母さんは短く息を吐いた。
「同じですよ。限界を超えた要求を通したければ、あとは力を使うしかありません」
「そんな……」
「他の方法は思いつきません。だから私は考えるのをやめたのです。言っておきますが、過去のどんな偉人も、それに成功していませんよ。マルコ、あなたにはできるのですか? できるというのなら、それは大変誇らしいことですが」
どうしてそんな結論になるんだ?
フェデリコさんみたいなことを言って。
母さんは目を細め、じっとこちらを見つめてきた。
「マルコ、あえて指摘しませんでしたが、あなたが間違っていて、他の人間が正しい選択をしている可能性もあるのですよ?」
「そ……その可能性はありますけど……でも間違ってないです! 少なくともこの件に関しては!」
「そうですか。では、その言葉を信じましょう。あなたは、そういうところはしっかりしていますから」
ただ、アルトゥーロさんの指摘も正しいのだ。
俺は、魔女やフェデリコさんからあらゆる情報をもらっている。
自分で調べたわけじゃない。
自分の頭で考えたわけじゃない。
その上で答えを出して、他人を間違っていると言っている。こんなの、みんなに通じるわけがない。
母さんはまた笑顔を見せてくれた。
「さ、お話はここまでにしておきましょう。あんまり大きな声で話していると、使用人に怒られてしまいますからね」
「はい、母さん」
いいのだ。
言葉で説得できないなら、力で救う。
母さんだって、力を使うしかないと認めたのだ。
否定させない。
(続く)




