お金の計算
城門を出たところで、俺は立ち尽くした。
つらい。
100リラあったはずなのに、もう10リラしか残ってない。
分かってはいたが、お金は使うと減る。
想像以上のスピードで。
10リラあれば宿に泊まることはできる。
できるけど、泊った瞬間に無一文になる。
野宿ならお金はかからないけど、街の中で野宿すると犯罪になるらしい。だからいったん街の外に出ないといけない。
子供が楽器を弾いていたので、なんとなく近づいてみた。
奇妙なリズムだ。
音も乱高下している。
しばらく聞いていると、子供は急に演奏をやめた。
「聴きたいならおひねりよこせにゃ」
「にゃ?」
俺が繰り返すと、子供は……いや、小柄だが、子供というほどの歳ではないのかもしれない。その女性は、とても渋い顔になった。マズいものを口にした直後のネコみたいだ。
「語尾のことは気にするにゃ。それより、おひねりのほうに反応して欲しかったんだけど」
「おひねり?」
「お金だよ! お金! そこの箱に! お金を入れるの!」
小さな箱があった。
中身は空っぽだ。
俺は銀貨を一枚入れた。
「こうですか?」
「もっと欲しいにゃ」
「じゃあもう一枚」
「うーん」
「もう一枚?」
「ううーん」
3リラも払ってしまった。
あと7リラしか残ってない。
このままだと、全財産を失う。
「俺、あと7リラしかなくて」
「は? 貧乏人じゃん! そんな状態で、人にお金あげてる場合? 立派なモノ背負ってるから、てっきり羽振りがいいのかと思ったのに」
「さっき買ったんです。これ一式で40リラ使っちゃいました」
「うわあ……」
なぜか引いている。
意味が分からない。
今後このハルバードでいっぱい稼ぐ予定なのに。
「街には入らないんですか? お金が欲しいなら、中で演奏したほうがいいと思いますよ」
俺がそう勧めると、彼女はまた顔をしかめた。
「あのにゃあ……。入れるならとっくに入ってるの。入っちゃダメって言われたから、ここで弾いてるの。分かるかにゃ?」
「そうですか」
俺もいちどは止められた。
街はいま、大きな事件のせいでピリピリしている。
頭から布をかぶっているような、怪しい風貌の女性は入ることができない。
「あたしはねぇ、海の向こうから来たの」
「海……」
その言葉は知っている。
水だらけのエリアだ。船というものを浮かべて移動する。そこの水を飲み続けると死ぬらしい。
「あたしの故郷は、クソみたいだったところだったのにゃ。だからわざわざ海を越えてこっちきたの。でも、こっちも結局は同じだにゃあ。結論、人間はクソ! クソ以外のなにものでもないにゃ」
「人間はクソ……」
「さっきからあたしの言葉を繰り返してないで、なんか言いなよ。感情ないの?」
「感情……」
感情は、あるのだ。
あるから苦しんでる。
「ほらまた繰り返した! なんなの! そんなの、人間以下だよ!」
「はい。たぶん俺、人間以下なんです……」
「は?」
「一般常識も分からない、ダメな人間なんです。だから大事な人にも嫌われてしまって……」
すると彼女は、かなり残念そうな顔になった。
「わー、めんどくせー。なんだこいつ。話しかけるんじゃなかったにゃあ……」
「ごめんなさい」
俺はなぜか人を怒らせてしまうようだ。
理由も分からないまま。
もしかすると、人から嫌われるために生まれてきたのかもしれない。
女性は荷物をまとめ始めた。
「はぁ。今日はこの辺にしとくにゃ」
「帰るんですか?」
「あんたについてく」
「はい?」
「見たところ、あんたも街の人間じゃないみたいだし。よそ者同士、仲良くできると思って」
俺は街に入っても大丈夫だけど、この人はそうじゃない。
一緒にされたくない。
「これから野宿しますけど?」
「あたしもそう」
「泥棒とかじゃないですよね?」
「失礼にゃ。ちゃんとした演奏家だよ」
なぜか得意顔で胸を張った。
実際、演奏はしていたけど……。
「俺のこと、嫌いなんですよね?」
「別に嫌ってねーにゃ。ただ、めんどくせーって思ってるだけ。それに、野宿するなら一人より二人のほうが安全でしょ? 喜びにゃよ。あたしがサバイバルのコツ教えてあげるから」
「いえ、サバイバルなら慣れてるんで」
「はぁ? あたしのほうが慣れてますけど?」
「……」
なぜ?
なぜ断言した?
森で暮らしていた俺よりも、サバイバルに詳しいと?
なんの根拠があって……。
*
どこまでもついてきたので、俺は適当なところで腰をおろした。
「ふぅん。森の入口でキャンプかぁ。んー。でもキャンプ道具は? まさか、そのまま地面で寝るのかにゃ?」
「草の上で寝ます」
「ほとんどケモノだにゃ」
さっきからずっとひどいことばかり言ってくる。
ただ、言いながらも、手慣れた様子で焚火の準備をしていた。しかも、いつの間にか火まで起こした。一瞬で。
「え、どうやって……」
「秘密」
満面の笑みだ。
この女性、ただの不審者ではないのかもしれない。
焚火を囲みながら、干し肉を食った。
じっと眺めてきたので、彼女にも干し肉をあげた。サバイバルのコツを教えてくれるはずじゃなかったのか。
「かてぇにゃあ……」
「何回も噛んで食べるんです」
「あたしは繊細なんだよぉ」
こんなよく分からない人、一緒にいる義理もないのだが……。なぜだか追い払えなかった。
肉と格闘しながら、彼女は言った。
「あたし、カエデっていうの。あんたは?」
「マルコです」
「ふぅーん。ところでさ、ギルドで働いてる冒険者だよね?」
「はい」
きっと誰が見てもそう思うんだろう。
大きなハルバードを担いでいるのは、どうやら冒険者しかいないらしい。
女性はぐっと顔を近づけてきた。
「ね、取引しない?」
「取引って? お金ならほとんど持ってませんよ」
「そーじゃねーにゃ。あたし、街に入れないでしょ? だから仕事をもらうこともできないの。で、あんたが街で仕事を受けたら、あたしと一緒に仕事して、もらったお金を半分こにすんの。どう? よくない?」
「お金を半分にしたら、損じゃないですか」
「そんかわし二倍働けるでしょ? 同じじゃん。なんも損しないよ。あたし、いろんなことできるから。鍵開けたり。ちょっとした術使ったり」
術?
魔族……ではなさそうだが。
いったいどんな術を?
「魔法が使えるんですか?」
「んー。魔法ではないけど、魔法みたいな感じにはなるかにゃあ。焚火を起こすのも得意だよ。いま見たでしょ?」
「はぁ、そうですか……。まあ、じゃあ、なにかあったら、そのときはお願いしますね」
「おいぃ? それやんないときの返事だろぉ? やるんだよ! やるの!」
手をぶんぶん振ってまるで駄々っ子だ。
いや……。
もしかすると俺も、そんなふうに思われてたのかな?
大人になりたい。
一般常識を身に着けたい。
「もう寝ます」
「えっ?」
「疲れたんで」
俺は焚火に背を向け、横になった。
本当は一人で寝たかった。
でも、一人だったらめそめそ泣いていたかもしれない。
*
つらい夢を見た。
家に帰ったのに、誰もいない夢。
いや、こんなのは夢なんかじゃなく、ただの現実のリピートだ。
*
朝、妙なにおいで目を覚ました。
カエデさんが、鍋でなにかを煮ていたのだ。
「おはよう、少年。いま芋がらの味噌汁作ってるにゃ。あんたのぶんもあるよ」
「え、なんですか? 味噌汁?」
「豆のスープだよ」
「豆……」
「いいから黙って食うにゃ。食ったら納得するから」
「はい……」
カエデさんはカップにそそいでこちらへ寄越してきた。
なんかくさい。ガサついたにおいというのか。
気が進まない。
毎朝食べていた鳥のミンチくらい気が進まない。
「カーッ、染みるにゃあ。朝はやっぱ味噌汁が一番にゃ」
カエデさんは大袈裟に味わっている。
俺もためしに、少しすすってみた。
「あっつ」
「おや、少年。猫舌かにゃ?」
「少年じゃないです。マルコです」
「おこちゃまは、ふーふーしながら飲んでにゃ」
「……」
子供じゃない。
もう大人だ。
もし子供のままだったら、俺はずっとあの家にいられたんだ。
あらためてすすってみると、粉砕された豆の、ガサガサしたスープだった。
かすかな酸味。
そして強めの塩味。
なのにどこか優しい味。
「故郷はクソだったけど、この味噌汁だけは格別だにゃあ。ああ、食事中にクソとか言ってごめんにゃ。次からクソとか言わねーよう気を付けるにゃ」
「いえ……」
悪いと思うなら繰り返さないで欲しい。
味噌汁は、また飲みたいかと言われれば困る味だが……。記憶に残る味ではあった。
でも、それとは別に、他人が俺のために作ってくれたということのほうが妙な感じだった。
*
「仕事決まったらおせーてにゃ。あたし、いつもそこで弾いてるから」
「はい」
カエデさんとは街の外で別れた。
いまは天気も穏やかだからいいけど、雨が降ったらどうするんだろう。
街では、また男が大声で宣伝していた。
領主の令嬢を殺した犯人は、まだ見つかっていないらしい。
ギルドはちょうど開いたばかりだった。
準備していたおばさんは苦い表情だ。
「また来たのかい? なら、きっと冷静になったんだろうね?」
「はい。昨日よりは」
「入りな」
信じてくれたのだろうか。
おばさんはカウンターにつくと、ドンと冊子を置いた。
「じつはね、仕事だけならいっぱいあるんだよ。このところ、真偽不明の怪しい事件が増えててねぇ。どっかで魔女が出たとか、遺跡の機械人形が動き出したとか……。ただ、あんたに依頼できる仕事は少ないよ。実績がないからね」
「山賊でもなんでも、殺します」
俺はもう、すでに人の命を奪っている。
このあと何人殺そうと同じだ。
そんな気がする。
おばさんは溜め息だ。
「この仕事をしてるとね、いるんだよ、たまに。とにかく殺すことが目的になるのが。あんたはそう見えないんだけどねぇ」
「使命ですから」
「軽々しくそんなこと言うんじゃないよ。邪教徒だと思われるよ」
「ごめんなさい」
そうだった。
言わないほうがいい。
「あんた、遺跡調査に興味は?」
「調査? 俺、戦いしか……」
「いや、調査って言っても難しいことじゃないんだ。専門家が一緒に行くから、あんたの役目はボディーガードだよ。ほら、さっき言っただろ。機械人形が動き出したって。それが本当なのか調査したいんだと」
「機械人形って?」
「あー、なんか……勝手に動く人形だよ。あたしも見たことはないけどね」
勝手に動く?
魔法だろうか。
「ただねぇ、一緒に行く専門家ってのが……ちょっといわくつきでね。王都から左遷されてきた若いので、顔はいいんだが、性格に難があって……」
該当する人物が、一人しか思い浮かばない。
「フェデリコさんですか?」
「ああ、知ってたかい。そう。そのフェデリコって男だよ。少し前まで、寺院でみんなの悩みを聞く仕事をしてたんだが、そりゃもう評判が悪くてね。賢いつもりだかなんだか知らないけど、相手の悩みなんて関係なく、勝手に答えを出しちまうんだ。で、クビさ。王都から来たエリートったって、アレじゃあねぇ。ともあれ、おかげで誰も仕事を引き受けたがらなくてね。こっちも困ってんだ」
フェデリコさん、みんなから嫌われているのか。
そんな悪い人には思えなかったけど。
「やりますよ」
俺がそう告げると、おばさんはほっとした表情を見せた。
「ホントに? 引き受けてくれるのかい? ま、この仕事じゃ100リラしか出せないけど……。危険はないはずだよ。だいたい、機械人形が動くなんて、実際に起こりっこないんだから。きっと酔っ払いが見間違えたんだろうさ」
「仕事はいつですか? 俺はいつでも行けます」
「どうせほかに参加者もいないだろうから、とっとと始めておくれ。依頼主の自宅を教えておくよ」
「はい」
けど、100リラか。
昨日、フェデリコさんには50リラ支払った。なのに、今回は100リラも返ってくることになってしまう。
俺のほうが儲けてしまうことになるけど、いいんだろうか?
カエデさんを一緒に連れて行ったら、報酬は半分の50リラになるから……。きっとそうしたほうがいいんだろう。
そうだ。
こうして徐々に算術も得意になっていかないといけない。
俺はもう、一人で生きていくしかないんだから……。
(続く)