学者先生
ギルドでは、掲示板を素通りし、カウンターへ向かった。
「仕事はありますか?」
「なんだい、急に……」
受付のおばさんは渋い顔だが、きちんと座りなおして俺と向き合ってくれた。
「仕事です。なんでもいいので、稼げるヤツ」
おばさんはしばらくこっちを見てから、溜め息をついた。
「ないよ」
「なくはないですよね、掲示板にいっぱい貼られてますし」
「ないんだよ。しょぼくれた顔してる子にはね。そういう危なっかしいワケアリ人間には、仕事を回さない主義なんだ」
「ワケなんてありませんよ、なにも……」
そうだ。
なにも、なくなってしまった。
母さんも、過去も、全部魔女の作った物語でしかなかった。
おばさんは眉をひそめた。
「いいかい。こっちは慈善事業でやってんじゃないんだ。そう思うことにしてる。してるけどね、ときどき心が痛むんだよ。あたしの回した仕事で人が死ぬんだからね。昨日だってそうだったろ。二人も帰ってこなかった。あんたら、生きるために稼ぐんだろ? だったら、いちいち金のために死ぬんじゃないよ。そういう基本的なことも分かってないバカには、仕事はやれないね。だいたい、その斧はなんだい? ちょっと小銭を稼いだと思ったら、バカデカい武器なんか買っちゃって。死ぬヤツの典型だよ」
「斧じゃなくて、ハルバードです」
「いいんだよ。どっちも似たようなモンだろ」
「似てます……」
俺もついさっき知った。
実際、斧としか思えない。
「とにかく、いまのあんたには仕事はやれない。ここじゃあたしがルールなんだ。分かったかい? 分かったらとっとと出ていきな。そんで、冷静になってから戻っておいで。初心者向けの簡単な仕事を用意しといてやるよ。あんたみたいなアマちゃん向けの簡単な仕事をね」
「はい……」
母さんより厳しい。
いや、俺には母さんなんていないんだった。
あれは魔女だ……。
けどあの魔女は、このおばさんより優しかった気がする……。
*
ギルドの外に出たけれど、かといってアテもなかった。
アルトゥーロさんは、いまどこでなにをしているんだろう。
誰でもいいから、生きるヒントを与えて欲しい。
なにをどうすればいいのか分からない。
ぼうっとしていると、路地でケンカする子供たちが見えた。
子供といっても小さくない。働いていてもおかしくない歳の若者たちだ。
しかもケンカじゃないような。
「おい、豚。まだこの辺をうろついてんのか? 目ざわりだって言ってんだろ。歩きたいなら、通行料払えよ」
「やめてよ、レオ。お金なら昨日払ったばっかりだろ」
「それは昨日の通行料だ。今日の通行料じゃない」
気の弱そうな太った少年を、別の少年たちが取り囲んでいる。
「通行料、払わないといけないんですか?」
俺がそう尋ねると、少年たちはぎょっとした顔でこちらを見た。
「な、なんだお前は……。ホントになんなんだよ。なんだその斧……」
「さっき買ったんです」
「買った? もしかしてお前、冒険者か? だったら街の最底辺だな。言っておくが、俺には逆らわないほうがいいぞ。俺の親父はここらの有力者なんだ」
「有力者?」
「いくつものキャラバン隊を束ねる商人さ。領主さまともつながりがある。ここらの貴族ともな」
だからなんなのだろうか?
商人は偉いのか?
「商人って、祈る人でも、戦う人でも、耕す人でもないですよね」
俺がそう尋ねると、少年は不審そうな顔になった。
「だから?」
「俺もそうなんです。そのどれでもないって言われて」
「当然だろ! 冒険者なんて、社会の最底辺なんだから」
「商人もそうですよね」
「違う! その三つに含まれてないだけで、れっきとした職業だ! お前たちみたいな怪しい連中と一緒にするな!」
「なにが違うんですか?」
「金だよ、バカ! こっちは金持ちなんだよ! 金さえあればなんでもできるんだ! 分かれよ!」
「なんでも……?」
それは嘘だ。
どれだけ金があっても、きっと母親は手に入らない。
俺がぼうっとしていると、少年たちは「もういい! 行くぞ!」と去ってしまった。
なにもよくないのに。
「あの、ありがとうございます。僕、ジョヴァンニって言います」
小太りの少年が、なんとも言えない顔でそう告げた。
「えっ? ああ、はい。俺はマルコです。ところで、通行料って誰にいくら払えば……」
「あれはレオたちが勝手に言ってるだけですよ」
「勝手に……?」
それはルール違反では?
「マルコさんは、冒険者なんですか?」
「はい。街では最底辺みたいですね。商人は違うんですか?」
「祈る人とか、戦う人とかいうのは、権力者が勝手に決めてるだけなんで。実際は、もっと多様ですよ。鍛冶屋とか、芸術家とかもいますし」
そして山賊もいる。
山賊は戦う人だろうか?
関係ないのか。
魔女はどうだろう……。
どう考えても、その三つに当てはまる存在じゃない。
「ジョヴァンニさん、頭いいんですね」
「そんなことないです。僕、本ばっかり読んでて。太ってるから、みんなにバカにされてて」
「バカにするのはルール違反なのでは?」
「まあ、人のルールには反してると思いますけど、法律に反してるわけではありませんから」
「へえ」
人のルールと、法律とは、また違うものなのか。
ルールが二つもあるのは面倒だな。
忘れないようにしないと。
「あの、急にこんなこと言うのもなんですけど、俺、一般常識がないって言われてて……。もしよかったら、少し教えてもらえませんか?」
「えっ?」
ジョヴァンニさんは困惑してしまった。
非常識なお願いだったのかもしれない。
けど、だったら誰に常識を聞けばいいんだ?
「俺、きっとなんかしなくちゃいけないんですけど、どうしたらいいのか分からなくて……」
「ああ、人生の目的を見失っている……と?」
「そう……なのかな? そうかも」
間違いなく大きなものを失ってはいる。
ぽっかりと穴が開いている。
俺のすべてだった存在が、急になくなってしまった。
少年はぽりぽりと頬をかいた。
「普通だったら、寺院にご案内するところですけど……」
「寺院?」
「いえ、ご希望でしたら寺院にもご案内します。けど、いまちょうど街に……なんというか……学者先生が来ていて」
「学者先生?」
じつに頭のよさそうな肩書だ。
俺の悩みなどポンと解決してくれるのでは?
「ああ、でも少し変わった方でして……」
「会いたいです! 会わせてください!」
「あと少々……取っつきにくい性格というか……」
「慎重に接するので大丈夫です」
「いいですか? じゃあ、こちらへ……」
*
道すがら少年が教えてくれた。
その人物は、まだ若く、俺たちとさほど変わらない年齢らしい。もとは王都で研究をしていたが、最近、この辺境へ派遣されてきたのだという。
最初は寺院で住民の悩みに答えていた。しかしその住民たちとトラブルになり、寺院を追い出され、いまは一人で私塾を開いているという。
生徒は……ジョヴァンニさんと、あともう一人の若者だけ。
「ここです」
路地裏の、かなりひっそりとした場所だ。
少年がノックすると、中から男の声がした。
「誰だ?」
「ジョヴァンニです。いまお時間大丈夫ですか?」
「入りたまえ」
部屋は本まみれだった。
本棚だけでなく、デスクにも山と積まれている。
部屋の主は金髪の男。
顔立ちが整っていて、修道院で見た絵画の登場人物みたいだ。自信に満ちた表情をしている。
「ふん。向学心を抑えきれず、私のもとを訪れたのかと思いきや。そちらのデカブツはなんだ?」
「マルコさんです。悩みを抱えているみたいで」
「ジョヴァンニくん、悪いがここはお悩み相談所ではない。いや、かつてはそういう仕事をしていたが、私は罷免されたのだ。あの凡愚どもめ、この天才の価値を理解できんとはな……」
寺院をクビになったというのは事実らしい。
「本当に悩んでて……」
俺がそう告げると、彼はやれやれとばかりに溜め息をついた。
「いいかな? 率直に言って、私はいまかなり資金に困っている。天才にあるまじきことだがな。もし生徒になるというなら話を聞こう。だが、そうでないなら……寺院へ行ってくれたまえ」
寺院は無料なのか?
ならそっちへ行こうかな。
ところが、ジョヴァンニさんが食い下がった。
「いい機会ですよ! マルコさん、生徒になりましょう!」
「えっ?」
「先生の授業、とってもためになりますから。きっと一般常識も学べますよ」
「なります!」
一般常識を学べるというのなら、願ってもないことだ。
なにせ、それを知っていないとダメだというのに、誰も教えてくれないのだから。
「フェデリコだ。毎月50リラだが、払えるかな?」
「たぶんあります」
「たぶんとはなんだ」
「さっき40リラ使ってしまいました」
おかげで中古のハルバードが手に入った。
これでもっと稼げるようになるはずだけど。
フェデリコさんは眉をひそめた。
「もとはいくらあったのだ?」
「100リラです」
「よかろう。入塾を許可する。なんでも質問してくれ。なんでも答える。ただし、正解は期待するな。天才にも分からないことはある」
「はい!」
やった!
解決しそうだ!
彼は勉強用のデスクから、長テーブルに移動した。
「それで? この天才に相談したい悩みとはなんだ? よもやくだらん悩みではあるまいな」
「くだらないかもしれません」
「それは聞いてから判断する」
言っていいんだろうか?
本当に?
でも、魔女の名前を出すのはマズいだろう。危ないところは伏せながら相談しなければ。
「じつは俺、母親のことが大好きだったんです」
「は?」
「でもその母親は、本当の母親ではなくて。本当の母親は、その人に殺されて埋められていたことが分かって」
「……待て待て待て待て。重たいヤツか?」
フェデリコさんは露骨に引いてしまった。
悩みを聞くと言ったのに。
「分かりません。自分では重たいと思いますけど。他人から見てどうなのかまでは」
「他人から見ても重たい。だがまあ……。そうだな。続けてくれ」
「はい。俺、本当の母親のことはちっとも知らなくて。偽物の母親の記憶しかないんです。でも偽物の母親が……俺、本当に好きで……。でも昨日、もう親子じゃないから、帰ってくるなって言われて」
「昨日……」
「どうしていいか分からなくなっているのが、いまです」
「そ、そうか……」
フェデリコさんだけでなく、ジョヴァンニさんまで引いていた。
こっちは本気で悩んでいるのに。
フェデリコさんはかすかに溜め息をついた。
「いいか。経験は浅いが、寺院で人々の相談を受けていた身として言う。たいていの場合、人々は悩んでなどいない。すでに答えを持っている。ただ都合よく後押しして欲しいだけなのだ。だがまれに、本当に助けを欲しているものもいる。君もそうだろう。しかし残念だが、その悩みには、正解がない。寺院としての模範解答はあるかもしれないが、科学的に正しいとは限らない。分かるかね? 科学だ」
「分かりません。なんですか? 科学?」
「面倒だから細部を省くぞ。人の感情は、そもそも科学的ではない。ゆえに科学では答えを出せない」
「あのぅ……」
「悩みを持ちたくなければ、人の心を捨てろ」
人の心を……捨てる?
この人は、悪魔なのか?
魔女でさえもっと優しかった。
ジョヴァンニさんも慌てている。
「先生、それは……」
「まあ待ちたまえ、ジョヴァンニくん。私も理解している。そんなことができるくらいなら、人はそもそも悩まない。そして我々が人である以上、悩むべきである。いいかな、マルコくん。人の心は科学的ではない。ゆえに正解もない。だから正解を求めてはいけない。我々が求めるべきは、正解ではなく、どうしたいかという動機のほうだ。頭に思い浮かべてみてくれ。いまなにかしたいことはあるか?」
したいこと?
できることなら、うちに帰りたい。
そしてぜんぶウソだったと言って欲しい。
母さんが、本当の母さんだったと。誰も殺していないと。
けど、そんなこと、ムリだ。かなうわけない。
フェデリコさんは「ふん」と鼻を鳴らした。
「どうした? なぜ黙っている? 当ててやろうか? いま君はこう思ったはずだ。『でも、そんなことムリだ』と」
「え、なぜ……」
人の心が読めるのか?
「誰もがそうだ。自分で勝手に答えを出す。ムリだ、できるわけがない、と。だが本当か? 君は世界のすべてを理解しているのか? 理解した上でロジックを組んだのか? できるわけがないと科学的に証明できるのか?」
「そもそも科学ってなんですか?」
「言わせるな。長くなる。とにかく、それは誰にも証明できないことだ。なぜなら人の心は科学的ではないからな」
「あの、だから科学とは……」
そもそも科学がなんなのか説明して欲しい。
フェデリコさんはまた無視だ。
「分かった。じゃあ私が答えを出してやろう。いまは金を稼ぐのだ。見たところ、君は冒険者だろう? そんな巨大な斧を持っているのは、冒険者くらいだからな」
「ハルバードです」
「くだらない労働に精を出せ。やりたいことは、そのうち見つかる。いいか、なにをしたいか、したくないか、心の整理がつこうがつくまいが、メシを食わねば人は死ぬ。まずは食事代を稼げ。死んでしまったら悩むこともできない」
「ところで科学って……」
「まだ早い。いずれ説明する」
勝手に答えを出してしまった。
悩みは解決していないのに。
ん?
でも?
なんだか?
しばらく働けと言われたら、自分でもそうしたほうがいいような気がしてきた。
いますぐ答えを出さなくていいのだ。
焦らなくていい。
それに、食べないと死んでしまうのも事実だし。
あとはギルドのおばさんが仕事さえくれれば……。
(続く)