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ペルソナ・ノングラータ  作者: 不覚たん
第一章 嵐の前(プリマ・デラ・テンペスタ)
6/82

学者先生

 ギルドでは、掲示板を素通りし、カウンターへ向かった。

「仕事はありますか?」

「なんだい、急に……」

 受付のおばさんは渋い顔だが、きちんと座りなおして俺と向き合ってくれた。

「仕事です。なんでもいいので、稼げるヤツ」

 おばさんはしばらくこっちを見てから、溜め息をついた。

「ないよ」

「なくはないですよね、掲示板にいっぱい貼られてますし」

「ないんだよ。しょぼくれた顔してる子にはね。そういう危なっかしいワケアリ人間には、仕事を回さない主義なんだ」

「ワケなんてありませんよ、なにも……」


 そうだ。

 なにも、なくなってしまった。

 母さんも、過去も、全部魔女の作った物語でしかなかった。


 おばさんは眉をひそめた。

「いいかい。こっちは慈善事業でやってんじゃないんだ。そう思うことにしてる。してるけどね、ときどき心が痛むんだよ。あたしの回した仕事で人が死ぬんだからね。昨日だってそうだったろ。二人も帰ってこなかった。あんたら、生きるために稼ぐんだろ? だったら、いちいち金のために死ぬんじゃないよ。そういう基本的なことも分かってないバカには、仕事はやれないね。だいたい、その斧はなんだい? ちょっと小銭を稼いだと思ったら、バカデカい武器なんか買っちゃって。死ぬヤツの典型だよ」

「斧じゃなくて、ハルバードです」

「いいんだよ。どっちも似たようなモンだろ」

「似てます……」

 俺もついさっき知った。

 実際、斧としか思えない。

「とにかく、いまのあんたには仕事はやれない。ここじゃあたしがルールなんだ。分かったかい? 分かったらとっとと出ていきな。そんで、冷静になってから戻っておいで。初心者向けの簡単な仕事を用意しといてやるよ。あんたみたいなアマちゃん向けの簡単な仕事をね」

「はい……」


 母さんより厳しい。

 いや、俺には母さんなんていないんだった。

 あれは魔女だ……。

 けどあの魔女は、このおばさんより優しかった気がする……。


 *


 ギルドの外に出たけれど、かといってアテもなかった。

 アルトゥーロさんは、いまどこでなにをしているんだろう。


 誰でもいいから、生きるヒントを与えて欲しい。

 なにをどうすればいいのか分からない。


 ぼうっとしていると、路地でケンカする子供たちが見えた。

 子供といっても小さくない。働いていてもおかしくない歳の若者たちだ。

 しかもケンカじゃないような。

「おい、マラーノ。まだこの辺をうろついてんのか? 目ざわりだって言ってんだろ。歩きたいなら、通行料払えよ」

「やめてよ、レオ。お金なら昨日払ったばっかりだろ」

「それは昨日の通行料だ。今日の通行料じゃない」

 気の弱そうな太った少年を、別の少年たちが取り囲んでいる。


「通行料、払わないといけないんですか?」

 俺がそう尋ねると、少年たちはぎょっとした顔でこちらを見た。

「な、なんだお前は……。ホントになんなんだよ。なんだその斧……」

「さっき買ったんです」

「買った? もしかしてお前、冒険者か? だったら街の最底辺だな。言っておくが、俺には逆らわないほうがいいぞ。俺の親父はここらの有力者なんだ」

「有力者?」

「いくつものキャラバン隊を束ねる商人さ。領主さまともつながりがある。ここらの貴族ともな」


 だからなんなのだろうか?

 商人は偉いのか?


「商人って、祈る人でも、戦う人でも、耕す人でもないですよね」

 俺がそう尋ねると、少年は不審そうな顔になった。

「だから?」

「俺もそうなんです。そのどれでもないって言われて」

「当然だろ! 冒険者なんて、社会の最底辺なんだから」

「商人もそうですよね」

「違う! その三つに含まれてないだけで、れっきとした職業だ! お前たちみたいな怪しい連中と一緒にするな!」

「なにが違うんですか?」

「金だよ、バカ! こっちは金持ちなんだよ! 金さえあればなんでもできるんだ! 分かれよ!」

「なんでも……?」


 それは嘘だ。

 どれだけ金があっても、きっと母親は手に入らない。


 俺がぼうっとしていると、少年たちは「もういい! 行くぞ!」と去ってしまった。

 なにもよくないのに。


「あの、ありがとうございます。僕、ジョヴァンニって言います」

 小太りの少年が、なんとも言えない顔でそう告げた。

「えっ? ああ、はい。俺はマルコです。ところで、通行料って誰にいくら払えば……」

「あれはレオたちが勝手に言ってるだけですよ」

「勝手に……?」

 それはルール違反では?


「マルコさんは、冒険者なんですか?」

「はい。街では最底辺みたいですね。商人は違うんですか?」

「祈る人とか、戦う人とかいうのは、権力者が勝手に決めてるだけなんで。実際は、もっと多様ですよ。鍛冶屋とか、芸術家とかもいますし」


 そして山賊もいる。

 山賊は戦う人だろうか?

 関係ないのか。


 魔女はどうだろう……。

 どう考えても、その三つに当てはまる存在じゃない。


「ジョヴァンニさん、頭いいんですね」

「そんなことないです。僕、本ばっかり読んでて。太ってるから、みんなにバカにされてて」

「バカにするのはルール違反なのでは?」

「まあ、人のルールには反してると思いますけど、法律に反してるわけではありませんから」

「へえ」

 人のルールと、法律とは、また違うものなのか。

 ルールが二つもあるのは面倒だな。

 忘れないようにしないと。


「あの、急にこんなこと言うのもなんですけど、俺、一般常識がないって言われてて……。もしよかったら、少し教えてもらえませんか?」

「えっ?」

 ジョヴァンニさんは困惑してしまった。

 非常識なお願いだったのかもしれない。

 けど、だったら誰に常識を聞けばいいんだ?

「俺、きっとなんかしなくちゃいけないんですけど、どうしたらいいのか分からなくて……」

「ああ、人生の目的を見失っている……と?」

「そう……なのかな? そうかも」


 間違いなく大きなものを失ってはいる。

 ぽっかりと穴が開いている。

 俺のすべてだった存在が、急になくなってしまった。


 少年はぽりぽりと頬をかいた。

「普通だったら、寺院にご案内するところですけど……」

「寺院?」

「いえ、ご希望でしたら寺院にもご案内します。けど、いまちょうど街に……なんというか……学者先生が来ていて」

「学者先生?」

 じつに頭のよさそうな肩書だ。

 俺の悩みなどポンと解決してくれるのでは?


「ああ、でも少し変わった方でして……」

「会いたいです! 会わせてください!」

「あと少々……取っつきにくい性格というか……」

「慎重に接するので大丈夫です」

「いいですか? じゃあ、こちらへ……」


 *


 道すがら少年が教えてくれた。

 その人物は、まだ若く、俺たちとさほど変わらない年齢らしい。もとは王都で研究をしていたが、最近、この辺境へ派遣されてきたのだという。

 最初は寺院で住民の悩みに答えていた。しかしその住民たちとトラブルになり、寺院を追い出され、いまは一人で私塾を開いているという。

 生徒は……ジョヴァンニさんと、あともう一人の若者だけ。


「ここです」

 路地裏の、かなりひっそりとした場所だ。

 少年がノックすると、中から男の声がした。

「誰だ?」

「ジョヴァンニです。いまお時間大丈夫ですか?」

「入りたまえ」


 部屋は本まみれだった。

 本棚だけでなく、デスクにも山と積まれている。

 部屋の主は金髪の男。

 顔立ちが整っていて、修道院で見た絵画の登場人物みたいだ。自信に満ちた表情をしている。

「ふん。向学心を抑えきれず、私のもとを訪れたのかと思いきや。そちらのデカブツはなんだ?」

「マルコさんです。悩みを抱えているみたいで」

「ジョヴァンニくん、悪いがここはお悩み相談所ではない。いや、かつてはそういう仕事をしていたが、私は罷免ひめんされたのだ。あの凡愚どもめ、この天才の価値を理解できんとはな……」

 寺院をクビになったというのは事実らしい。


「本当に悩んでて……」

 俺がそう告げると、彼はやれやれとばかりに溜め息をついた。

「いいかな? 率直に言って、私はいまかなり資金に困っている。天才にあるまじきことだがな。もし生徒になるというなら話を聞こう。だが、そうでないなら……寺院へ行ってくれたまえ」

 寺院は無料なのか?

 ならそっちへ行こうかな。


 ところが、ジョヴァンニさんが食い下がった。

「いい機会ですよ! マルコさん、生徒になりましょう!」

「えっ?」

「先生の授業、とってもためになりますから。きっと一般常識も学べますよ」

「なります!」

 一般常識を学べるというのなら、願ってもないことだ。

 なにせ、それを知っていないとダメだというのに、誰も教えてくれないのだから。


「フェデリコだ。毎月50リラだが、払えるかな?」

「たぶんあります」

「たぶんとはなんだ」

「さっき40リラ使ってしまいました」

 おかげで中古のハルバードが手に入った。

 これでもっと稼げるようになるはずだけど。


 フェデリコさんは眉をひそめた。

「もとはいくらあったのだ?」

「100リラです」

「よかろう。入塾を許可する。なんでも質問してくれ。なんでも答える。ただし、正解は期待するな。天才にも分からないことはある」

「はい!」

 やった!

 解決しそうだ!


 彼は勉強用のデスクから、長テーブルに移動した。

「それで? この天才に相談したい悩みとはなんだ? よもやくだらん悩みではあるまいな」

「くだらないかもしれません」

「それは聞いてから判断する」

 言っていいんだろうか?

 本当に?

 でも、魔女の名前を出すのはマズいだろう。危ないところは伏せながら相談しなければ。

「じつは俺、母親のことが大好きだったんです」

「は?」

「でもその母親は、本当の母親ではなくて。本当の母親は、その人に殺されて埋められていたことが分かって」

「……待て待て待て待て。重たいヤツか?」

 フェデリコさんは露骨に引いてしまった。

 悩みを聞くと言ったのに。

「分かりません。自分では重たいと思いますけど。他人から見てどうなのかまでは」

「他人から見ても重たい。だがまあ……。そうだな。続けてくれ」

「はい。俺、本当の母親のことはちっとも知らなくて。偽物の母親の記憶しかないんです。でも偽物の母親が……俺、本当に好きで……。でも昨日、もう親子じゃないから、帰ってくるなって言われて」

「昨日……」

「どうしていいか分からなくなっているのが、いまです」

「そ、そうか……」


 フェデリコさんだけでなく、ジョヴァンニさんまで引いていた。

 こっちは本気で悩んでいるのに。


 フェデリコさんはかすかに溜め息をついた。

「いいか。経験は浅いが、寺院で人々の相談を受けていた身として言う。たいていの場合、人々は悩んでなどいない。すでに答えを持っている。ただ都合よく後押しして欲しいだけなのだ。だがまれに、本当に助けを欲しているものもいる。君もそうだろう。しかし残念だが、その悩みには、正解がない。寺院としての模範解答はあるかもしれないが、科学的に正しいとは限らない。分かるかね? 科学だ」

「分かりません。なんですか? 科学?」

「面倒だから細部を省くぞ。人の感情は、そもそも科学的ではない。ゆえに科学では答えを出せない」

「あのぅ……」

「悩みを持ちたくなければ、人の心を捨てろ」


 人の心を……捨てる?

 この人は、悪魔なのか?

 魔女でさえもっと優しかった。


 ジョヴァンニさんも慌てている。

「先生、それは……」

「まあ待ちたまえ、ジョヴァンニくん。私も理解している。そんなことができるくらいなら、人はそもそも悩まない。そして我々が人である以上、悩むべきである。いいかな、マルコくん。人の心は科学的ではない。ゆえに正解もない。だから正解を求めてはいけない。我々が求めるべきは、正解ではなく、どうしたいかという動機のほうだ。頭に思い浮かべてみてくれ。いまなにかしたいことはあるか?」


 したいこと?

 できることなら、うちに帰りたい。

 そしてぜんぶウソだったと言って欲しい。

 母さんが、本当の母さんだったと。誰も殺していないと。

 けど、そんなこと、ムリだ。かなうわけない。


 フェデリコさんは「ふん」と鼻を鳴らした。

「どうした? なぜ黙っている? 当ててやろうか? いま君はこう思ったはずだ。『でも、そんなことムリだ』と」

「え、なぜ……」

 人の心が読めるのか?


「誰もがそうだ。自分で勝手に答えを出す。ムリだ、できるわけがない、と。だが本当か? 君は世界のすべてを理解しているのか? 理解した上でロジックを組んだのか? できるわけがないと科学的に証明できるのか?」

「そもそも科学ってなんですか?」

「言わせるな。長くなる。とにかく、それは誰にも証明できないことだ。なぜなら人の心は科学的ではないからな」

「あの、だから科学とは……」

 そもそも科学がなんなのか説明して欲しい。


 フェデリコさんはまた無視だ。

「分かった。じゃあ私が答えを出してやろう。いまは金を稼ぐのだ。見たところ、君は冒険者だろう? そんな巨大な斧を持っているのは、冒険者くらいだからな」

「ハルバードです」

「くだらない労働に精を出せ。やりたいことは、そのうち見つかる。いいか、なにをしたいか、したくないか、心の整理がつこうがつくまいが、メシを食わねば人は死ぬ。まずは食事代を稼げ。死んでしまったら悩むこともできない」

「ところで科学って……」

「まだ早い。いずれ説明する」

 勝手に答えを出してしまった。

 悩みは解決していないのに。


 ん?

 でも?

 なんだか?


 しばらく働けと言われたら、自分でもそうしたほうがいいような気がしてきた。

 いますぐ答えを出さなくていいのだ。

 焦らなくていい。

 それに、食べないと死んでしまうのも事実だし。


 あとはギルドのおばさんが仕事さえくれれば……。


(続く)

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