母との再会
川に沿って進めばいいだけだから、道に迷うことはない。
石斧は短くなってしまったし、もう石の部分も外れそうだけど、それでも不安はない。
日の暮れかけたころ、小屋を見つけた。
もっと早く着く予定だったのに、意外と時間がかかってしまった。完全に日が落ちる前でよかったけど。
「ただいま戻りました」
部屋に入る。
けど、まっくらだった。
しんとしている。
母さんは?
獣の血のにおいはするから、たぶん食事はしたんだと思う。
けど、母さんの気配がなかった。
出かけてる?
こんな時間に?
どこに?
俺は手探りで棚をあさり、火打ち石をつかんだ。どこになにがあるかは、感覚でわかる。暖炉で火を起こし、部屋に光を入れる。
無人のテーブル。
椅子は二つ。
少し離れたところにベッドが二つ。
景色は以前と同じ。けど、母さんだけがいない。
「母さん? どこ? いないの?」
この小屋には二階も地下もない。
だからこの部屋にいなければ、どこにもいないことになる。
どこに行ったんだろう。
もしかして、母さんは俺のことが邪魔になったんだろうか。だから俺を追い出して、自分もどこかへ……。
もちろん母さんにも母さんの人生がある。
ずっとここに住んでなきゃいけないわけでもない。
それでも……。
会話も相手もないまま、俺は椅子に腰をおろした。
不安ばかりがつのる。
嫌な予想ばかり。
俺は母さんの本当の子供じゃない。土から生まれたところを、気まぐれで拾われただけ。
邪魔だったとしても、おかしくない。
ここまで育ててくれただけでも感謝しないといけない。
そうは分かっていても……。
「ふわあっ! マルコ! なぜここにいるのですか? 驚くではありませんか!」
急に母さんが帰ってきた。
手ぶらだから、木の実を集めていたわけではないらしい。
「母さん! どこに行っていたのですか?」
「どこって……。どこでもいいでしょう。それよりマルコ、なんですか? まだ一日しか経っていませんよ? なぜ帰ってきたのです?」
「うっ……」
こっちは母さんに会いたくて帰ってきたのに。
なんでそんな冷たいことを言うんだ。
母さんはドアを閉めて、なんとも言えない表情で椅子に腰をおろした。
「ああ、火を起こしてくれたのですね。助かりますよ」
「はい……」
「でもなぜ……。街でなにかイヤなことでもあったのですか?」
心配してくれる。
いつもの優しい母さんだ。
「いえ、100リラ稼いだので、母さんに渡そうと思って」
「100リラ……」
「足りませんか?」
「いえ、まあ……。一日の稼ぎとしては悪くないと思いますが……。私が言いたかったのは、独立して生活できるくらいは稼ぎなさいという意味であって……」
ああ、母さんが困っている。
俺のせいだ。
俺がちゃんと理解していないから。
「あと、斧も折れてしまって……」
「折れましたか……。まあ杖代わりに渡しただけですから、そのうち折れるだろうとは思ってましたが……」
「一回で折れました」
「まあ杖なので……」
杖だったのか。
でも、そんなことは最初に言ってくれなきゃわからない。斧がついているんだから、振り回すに決まっている。
「合法的に五人殺しました」
「そうですか……。マルコは怪我をしていませんか?」
「大丈夫です」
正直、大人の人間と戦うのは不安があった。
だが、予想外に……余裕だった。奇襲だったというのもあるけど。相手が武器を持っていても、たぶんそんなに変わらなかったと思う。
会話が途切れると、またしんと静まり返ってしまった。
「マルコ、この際だからハッキリ言っておきますよ」
「ダメです」
なにかイヤなことを言われそうだった。
母さんは不快そうに目を細めている。
「ダメではありません。言います。もう二度とここへは帰ってこないでください」
「えっ……?」
「そのほうがいいのです」
「……」
涙が出そうだ。
薄々そんな気はしてたけど、それだけは絶対に行って欲しくなかったのに。
「マルコ、違うのです。あなたのことを嫌いで言っているのではないのですよ」
「じゃあなんなんですか……」
「それは世界が……」
「世界がなんですか……」
「世界が、そのように動き出してしまったので」
まったく意味が分からない。
世界が動き出した?
なにがどう動いていると?
「母さん、ハッキリ言ってください。俺が本当の子供じゃないから……」
しゃくりあげてしまった。
あまりにもつらすぎる。
「マルコ、分かってください。そもそも私は、あなたの母になる資格もない存在なのです」
「そんなことありません! 母さんは母さんです! 誰がなんと言おうと、母さんは俺の母さんです!」
まるで駄々っ子だ。
自分でも分かってる。
本当にみっともない。
母を困らせている。
外では、夜の鳥たちが鳴き始めている。
もう夜だ。
母さんは目を細め、深く呼吸をした。
子供のころからずっと姿の変わらない母さん。
俺の意見なんてほとんど聞いてくれなかった。でも、優しかった。いまもそう。俺の意見なんて聞いてくれないのに、優しい。
「マルコ。では言います。あなたの本当の母を殺したのは、私です」
「えっ?」
なんて?
本当の母?
母さんは、完全に表情を消している。有無を言わせないときの態度。
「あなたは土から生まれた。そして偶然通りがかった私に拾われた。そう信じていますね」
「はい……。えっ? はい。そうですよね?」
「形式的にはそうです。ただ、あなたを生んだのは人間の女性です。私が殺して埋めました。だというのに、子供を産み、あろうことか地面から這い出してきました。それがあなたです」
「……」
意味が分からない。
なんでそんなウソをつくのか。
「その女は、死の間際に言ったのです。腹の中の子を頼む、と。私はその契約に応じました。引き受けたところで、どうせ母体と一緒に死ぬと予想していたから。なのに、その子はまんまと生まれ、土の中から出てきてオギャオギャと泣きわめき……」
「信じません」
「普通、子供は、生まれたときのことを覚えていないものです。しかし私は、魔法で記憶を定着させました。私に従順になるように。私が命を助けたということになれば、恩を感じるだろうと」
「そんなの嘘です。作り話です」
心臓がドキドキする。
なにを信じていいのか分からない。目の前の母さんが、母さんじゃないなんて。ぜんぜん分からない。受け入れられない。
「作り話? では、あなたはどうやって生まれたのです? ただの人間が、土の中から生まれると本気で思っているのですか? 仮にそうだとして、なぜ私が拾うのです? 生まれた瞬間の記憶だけはあるのに、その後の記憶が曖昧なのはなぜです? すべて矛盾なく説明なさい」
「……」
母さんは立ち上がった。
「ついて来なさい。あなたの母が埋まっている場所に案内します」
「えっ?」
「そこが、あなたの生まれた場所でもあります」
*
石が置かれているだけの、小さな墓地だった。
墓には小さな花が添えられている。
「ここは、私が殺した人間たちの墓です」
「……」
「そこですよ。その石の下に、あなたの母がいます。嘘だと思うなら掘り返してみなさい。骨が埋まっていますから」
「……」
「明日になったら、上をごらんなさい。生まれたときの景色と一致するはずですから」
「……」
もう言わなくていい。
すべて記憶の通りだ。
俺はここで生まれた。
立っているのもつらくなって、地べたに崩れ落ちた。
「なぜ……殺したのですか……?」
「その女は、力を欲してここへ来ました。力のために、魔族である私と契約したのです。しかし、支払うべきものを持っていませんでしたから、代わりに命を奪いました。すべては契約通りに」
「だったら母さんは悪くありませんよ。契約に違反しているわけでもありませんし」
だが、母さんは……。
表情のない顔で、俺に告げた。
「もう私を母と呼ぶのはおやめなさい。少なくとも大人になるまで育てました。契約は終了です」
「イヤだ……」
「この森は、もともと魔族の領域です。次にここへ来たならば、侵入者として対応します。いいですね?」
「イヤだ……」
「イヤでもそうします。今日は泊まっていきなさい。ただし、それが最後です」
*
もう、言葉もなかった。
俺は捨てられたのだ。
いや、捨てられたなんて感傷的なことは言いたくない。母さんは……あの魔女は、契約に従って俺を育てた。契約は終わった。それだけだ。
翌朝、魔女の姿はなかった。
その代わり、テーブルには書き置きがあった。
稼いだお金は、自分のために使いなさい、と。
俺は麻袋だけつかんで家を出た。
壊れた石斧も置いていく。
できるだけ、魔女のものを持ち歩きたくなかった。
*
山をおりて、街へ目指した。
途中、野良犬をつかまえて食った。生のままかじりついて、ハーブと一緒に飲み込んだ。
門の外では子供が楽器を弾いていた。
ただ音が鳴っているのは分かるのだが、音楽という感じがしなかった。少しも楽しい気持ちにならない。
見上げれば、どこまでも広がる青い空。
深呼吸をすると、同じだけ溜め息が出た。
太陽は……なるべく見たくない。
「偉大なる我らが緑の辺境伯の御令嬢が、おそれを知らぬ暴漢の手にかかり、はかなくも未来を潰された。犯人を見つけたものには最大3000リラ。有力な情報には最大500リラを用意している。事情を知るものは役所までこられたし。繰り返す、偉大なる我らが……」
広場では、相変わらず男が声を張り上げていた。
領主が、自分の娘のために莫大なお金をかけている。
3000リラ。
山賊討伐を30回繰り返すのと同じだけのお金。
俺は路地に入り、雑貨屋を探した。
人に道を尋ねたら、すぐに場所を教えてくれた。
「よう、いらっしゃい。誰かと思えば、ギルドの新人じゃねーか」
「こんにちは」
ペテロさんの店だ。
安いと言っていたから、100リラでも装備を整えられるはずだ。たぶん。
「ご用は? といっても、ギルドの仕事をするなら、武器か防具をご所望ってところかな。うちは中古しか扱ってねぇが。おいおい、なんだよ。ずいぶん暗い顔して。なんかヤなことでもあったのかい?」
「いえ、大丈夫です。いま100リラしかなくて」
「安心しなよ、兄ちゃん。うちはそんな高額な商品は扱ってねぇから。折れた石斧の代わりが欲しいんだろ?」
「そうです。なんで分かるんですか?」
「そりゃ分かるさ。使ってる道具が壊れたら、似たようなもんを探しに来るんだ。うちは特にリピーターが多いからな」
それは……買ってもすぐ壊れるという意味だろうか?
ペテロさんはケタケタ笑った。
「おいおい、そんな顔すんなよな。どんなモノだっていつかは壊れるんだ。うちはただ……そのサイクルが少しばかり早いだけで……。えーと、斧だったよな? そこに立てかけてあるのはどうだ? ちょっと重たいが、あんたの体格なら振り回せるだろ」
「俺、やっぱりちょっと大きいんでしょうか」
「まあ、普通よりはな。けど、そんな気にするほどじゃねぇよ」
鋼鉄の斧だ。
だいぶ錆びている。
しかし俺は、その隣の、妙な形の武器が気になった。
「これは?」
「ハルバードだな。先端に槍のついた斧……みたいなモンだ。斧の反対側には、フックもついてる。なんでもついてたらお得だよな」
「フックなんて、なにに使うんです?」
「そりゃまあ……ウマに乗ってるヤツを引きずり落としたり……かな。ま、よく分かんねぇなら斧にしときなよ。30リラでいいぜ」
オススメされた戦斧は、左右に斧がついている。
対するハルバードは片側のみ。
どうしてもあの石斧と比べてしまう。
「ハルバードはいくらですか?」
「普通なら40で売るところだが、35でいいぜ。おっと不満そうだな。なら30で売ってやる。正直、ずっと売れ残っててな。場所もとるし、早く処分しちまいてぇんだ」
「いいんですか、30で?」
「ああ。ただし、壊れても苦情は受けつけないぜ。うちは安かろう悪かろうがウリだからな」
*
結局、携帯用ベルトなんかも含めて40リラになった。
それでも、やっとまともな武器が手に入ったと思う。
もう俺の人生に目的はない。
なにもない。
思いつくのは、合法的に人を殺して、お金を稼ぐことくらい。
なんの根拠もないのに、それを続けていれば、いつか報われる気がしている。
誰かが褒めてくれる気がする……。
(続く)




