家(一)
翌朝――。
俺は顔を洗ったあと、できるだけ冷静に食事を済ませた。母さんに不安を悟られないように。
だけどピチョーネがキョロキョロしてしまった。この子は魔法の天才かもしれないが、精神年齢はまだ年相応だ。
「なんか落ち着かねーにゃ」
カエデさんが空気も読まずそんなことを言った。
いや、空気を読んだうえで、あえてぶち壊しにかかったのかも。彼女はそういうことをする。
ピチョーネは吹けもしない口笛を吹いた。
「な、なにかしら? なんなの? なにが落ち着かないの?」
「ネコとしての第六感があたしにそう告げてるのにゃ」
「人間でしょ?」
「人間はやめたのにゃ」
余計な混乱を生んでいる。
ソフィアさんが「ごちそうさま」と行ってしまった。彼女はこの廃墟の一室を自分の研究室にしていて、最近ではそこにこもっている。研究を続けていないと不安なのだとか。
フェデリコさんは、朝から食事もせずに鎧の改造。
それが済んだら、すぐにでも自由都市の解放へ向かうことになる。
「やっぱ落ち着かねーにゃ!」
「うるさいのよ! 落ち着かないのはあなたのせいでしょ!」
「心頭滅却」
「なに?」
「心頭滅却にゃ」
「なんなの? 東洋の魔法?」
会話が噛み合っていない。
本当になんなんだこの会話は。
俺は二人を無視してこう切り出した。
「母さん、このあと少し出かけませんか?」
「あら。珍しいですね、マルコ。どこへお出かけするのです?」
「前に住んでいた森の様子を見ようかと……」
街の人間は、自分たちの戦争に必死だ。
森に戻ったところで誰も気にしない。
あとは母さんの判断次第。
「ええ、いいですね。行ってみましょうか」
「やった!」
断られるかと思った。
母さんは最近、ピチョーネのことばかり気にかけていたから。
ピチョーネもこちらを見た。
「あ、ええと……。森に行くの?」
「うん」
一緒に来たいのだろうか?
俺としても、母さんと二人きりで話したいような、でもピチョーネもいたほうがいいような。なんとも言えない気分だ。どっちでもいい。
ピチョーネはムリに笑みを浮かべた。
「そうなんだ。分かった。気を付けて行ってきてね」
「ありがとう」
珍しく気をつかってくれた、か。
まだ子供に見えるけど、大人になりかけている。いや、でも俺もこのくらいの歳で家を出たような気がする。ピチョーネのことも、大人として扱ったほうがいいのかもしれない。
*
母さんのことは箱に収納して背負った。
さすがに生首をそのまま持ち歩く勇気はない。誰かに見られたらマズい。
だけど、誰かに見とがめられた場合の言い訳は用意している。死んだ母の頭部を、防腐処理して持ち歩いていることにするのだ。母さんは死んだフリをする。怪しまれはするだろうけど。誰だって死んでいるとしか思わないだろう。
日差しは容赦なく大地を炙っている。
ただでさえ乾燥した街道が、ヒビ割れるほどに。
「母さん、暑くありませんか?」
「ええ、とんでもなく暑いですよ。お出かけを承諾したことを、さっそく後悔しています」
「少しだけ我慢してください」
何度も背負いなおす。
そのたび箱の中でガコガコ音がする。
また斜めにしてしまったかもしれない。
兵がたむろしていた。
彼らはニヤニヤしながらこちらを見ている。
「おい、止まれ。ここを通りたければ、通行料を払え」
始まった。
世が乱れているのをいいことに、兵が勝手な暴走をしている。
「お金なんてありませんよ」
俺がそう告げると、兵たちはゲラゲラ笑った。
「見え透いたウソを言うんじゃねーよ。大事そうに背負ってるそいつを見せてみろ。きっと金目のモンが入ってんだろ?」
愚かな。
本当に、愚かな。
彼らの武装は剣。
戦えばハルバードで一掃できる。
その前に、どちらにせよ箱をおろす必要はあるけど。
俺は箱をおろし、中を見せた。
「母さんです」
「あ? なんだこれ、人の髪……? うわあっ!」
母さんは美しくて長い髪をしている。
最初にそれが見えたのだろう。
覗き込んだ兵が尻もちをつくと、他の兵も覗き込んで不快そうに顔をしかめた。
「なんだお前……。邪教徒か?」
「違います。母さんです。母さんの頭部を腐らないように処理して、一緒に旅しているんです」
「気味の悪い野郎だな……」
「もういいですか?」
「きっと生きてりゃいい女だったろうに。さすがにこれじゃあな。行けよ。二度と戻ってくるなよ」
「失礼します」
全員ハルバードで切り殺してやりたかったが、我慢した。
できるだけ問題は起こさないほうがいい。
*
森に入ると、母さんの頭を出して水を飲ませた。
「まったく。死ぬかと思いましたよ。帰りは交代しなさい」
「できればそうしたいんですが、ちょっとムリでは」
俺の体では、小さな箱に入れそうにない。
「けど、母さん、美人だって褒められてましたね」
「あんな連中に褒められても嬉しくありませんよ」
いや、嬉しそうだ。
露骨に眉があがっている。
そこからは、母さんを手で抱えて移動した。
なつかしい道。
川に沿って歩けば、小屋が見えるはず。
草が深い。
緑のにおいがする。
木々がときおり風にゆれて、涼しげな音をたてる。
*
小屋はまだ残っていた。
想像よりも一回り小さくなっている気がするが。俺が成長したせいかもしれない。
中は埃まみれ。
クモの巣も張られていた。
俺は丹念に埃を拭ってから、母さんをテーブルに乗せた。
「どうですか、母さん? 懐かしいですよね」
「そうですね」
窓から差し込んでくる光に、目を細めている。
思い出す。
晴れの日も、雨の日も、俺たちはこの家にいた。
起きるのも、寝るのも、食事をとるのも、二人一緒。
母さんはずっと変わらない。
俺だけが大きくなった。
「マルコ、未来を見ましたね?」
「えっ?」
なぜバレた?
ピチョーネが言ったのか?
いや、最初から分かっていたのかも。
「あの首飾りを最初に受け取ったのは私です。そのときに未来を見ました。ピチョーネも見たでしょう。そしてそれを、あなたに相談したはずです」
「はい、母さん。その通りです。黙っていてごめんなさい」
だけど母さんは怒らなかった。
優しい表情でこちらを見ている。
「そんな顔をしないで。未来は変えられますよ、マルコ」
「えっ? 本当に?」
「ええ。私は魔女ですよ? 魔力の大半は失いましたが、知識までは失っていません」
やっぱり母さんはすごい!
なんでもできるんだ!
「どうすればいいんですか!? 教えてください!」
「あなたは未来を見たから、私をここへ連れ出した。それだけで、未来は少し変化したはずです。せっかくですから、もっと変化させましょう」
「はい!」
やった!
未来は変えられるんだ!
母さんは静かに告げた。
「まずは家の裏手へ回りましょう」
「裏手? でもそこには……」
「墓をあばくのです。ひとつはあなたの生みの親の墓を。そしてもうひとつは、私の墓を」
「な、なんで?」
なんでいまそれをしないといけないんだ?
「未来を変えるためですよ、マルコ。本当だったらやるはずのないことを、あえてするのです。そうすることで、未来は大きく変化します」
「分かりました! やりましょう!」
*
母さんを抱えて裏手へ回った。
墓地も雑草まみれだった。
小さな墓石がうずもれるほど。
「ハルバードで掘ります」
「いえ、スコップがありますから、それを使いなさい」
「分かりました」
脇に小さなスコップがあった。
だいぶ錆びついているが、まあ、ハルバードでやるよりは効率がよさそうだ。
雑草の根に苦慮しながら、俺は土を掘った。
力いっぱい突き込んで、土を持ち上げて脇へ。突き込んで、脇へ。ひたすら繰り返す。
人骨が出てきた。
「母さん、これ……」
「あなたの本当の母、ベアトリーチェです」
「俺の、母さん……」
何度考えても不思議だ。
母が二人もいるなんて。
「その骨に触れれば、記憶魔法が反応するはずです。母親の記憶を受け継ぐことができますよ」
「はい……」
その話は以前にも聞いた。
いつか触れようと思っていた。
だけどいま目の前に、土に埋まった母の骨があるのを見ると……。どうしても触れがたい気持ちになってしまう。手を伸ばそうとする気さえ起きない。
でも、未来は変えたい。
「母さん、俺……」
「そうですね。簡単なことではありません。あなたは、じつの母の最期を見届けることになるのですから」
「はい……」
ベアトリーチェという人は、魔女となんらかの契約をして、命を差し出した。
逆を言えば、命に替えてでも成し遂げたいことがあった、ということだ。
俺は手を伸ばした。
怖かった。
骨に触れる前に、手を引っ込めたくなる。
でも、それじゃダメだ。
俺は未来を変えるんだ。
*
「え、あんた魔族なの?」
「ええ。これがその証拠」
ある夜、宿の一室で、二人の母さんが会話していた。
ベアトリーチェという人は、想像よりも若かった。十代だろうか? いや、二十代か。だいたいそのあたり。愛嬌があって、活発そうな人だ。
魔女は、いまと変わらない風貌。若々しくて、美人で、自信に満ちている。いまはスペード型の尻尾をひらひらさせて、ベアトリーチェに見せつけている。
「うわー、魔族って初めて見た」
「誰にも言わないように。バレたら火あぶりにされてしまうから」
「言わない言わない。わー、でもすごいね。普通の子じゃないとは思ってたけど」
「普通でしょ?」
「普通じゃない。普通の子は、そんな……変な感じじゃないもの」
やたら鮮明な記憶。
ベアトリーチェにとって、かなり衝撃的な事実だったことが分かる。
ベアトリーチェは酒場で働いていた。
それだけでなく……お金をもらって、男の客をとっていた。
俺にとっては吐き気のする内容だ。
特に、チェーザレという酒癖の悪い常連客。酒に強くないくせに、弱いと思われたくないからたくさん飲んで、それで問題ばかり起こしていた。
ベアトリーチェと魔女は飲み友達の関係だった。
いろんな悩みを相談していた。
ところがある日、魔女は街を去った。
魔族であることがバレて、兵に目をつけられたからだ。
観測所の人間が、街で魔力を検出したらしい。そして魔女の存在を突き止めたのだという。
仲良くしていたベアトリーチェも尋問を受けた。どういう関係だったのかを厳しく問い詰められた。だが一貫して、魔族だとは知りませんでしたと主張した。
見た目で魔女を見抜けなかったのは、ベアトリーチェだけではない。酒場の常連客もみんな同じだ。だからベアトリーチェの主張は、そのまま受け入れらた。
ある日、ベアトリーチェの腹に命が宿った。
それが俺、だろうか……。
いや、違う。
その子供は、生まれなかった。
チェーザレの暴力が原因で、流れてしまったのだ。
ベアトリーチェは街を出た。
だけど行くアテもなかった。
そんな彼女を、神は救わなかった
山賊が、ベアトリーチェに目を付けたのだ。
地獄のような毎日。
ベアトリーチェは隙を突いて砦を抜け出して、森へ入った。
歌声のするほうへ。
世界を呪う魔女の歌だ。
(続く)




