凡愚(一)
「やはり凡愚……。凡愚はすべてを台無しにする!」
フェデリコさんはすぐに帰ってきた。
げっそりした顔で。
まだ若さは感じられるものの、それよりも雰囲気が荒み切っていた。以前は才気あふれる若き天才という感じだったのだが、なかば世捨て人になってしまったような。
「王都でなにかあったのですか?」
俺は荷物を預かった。といってもかなりの軽装だったが。あまり準備もせず戻ってきたのかもしれない。
「連中め、私の才能は必要としているくせに……。私自身は必要なかったらしい」
「どういうことです?」
「科学というものは、誰でも再現できるものなのだ。技術さえ共有してしまえば、それを操作するのはもはや私でなくていい」
「そんな……」
母さんは笑みを浮かべている。
「機関は愚かなことをしましたね」
「ええ、まったく。彼らは、私の用意した技術は扱えるでしょう。しかし未知の技術を開発するのは不可能です。えーと。ところで、そちらの女性は?」
不審そうに目を細めるフェデリコさん。
ピチョーネは俺の後ろに隠れた。
「ピチョーネ。緑の魔女。マルコの眷属だよ」
「眷属? マルコくんの?」
天才にも理解できないだろう。
きっと言ってる本人も理解していない。
もちろん俺も。
カエデさんが水を持ってきた。
「マルコが拾ってきた子供だよ」
「戦災孤児か?」
「正確には、戦争が起きる前だにゃ」
「では、ただの孤児というわけか」
その認識が一番正しいかもしれない。
母さんは笑顔のまま告げた。
「ピチョーネ、隠れていないで前へ出なさい。あなたはあの虹の魔女が認めた魔法使いなのですから」
「はい……」
前へ出たはいいが……。
ニンジャの格好をしていた。
カエデさんが「絶対に着ねーにゃ」と言ったので、ピチョーネが着ることになったのだ。
水を飲み干したフェデリコさんは、また不審そうな視線。
「虹の魔女? いまそう言ったのですか? つまり、虹の魔女は実在すると?」
「ええ、実在しますよ。あなたが留守の間に会ってきました」
「なんてことだ……。そこの娘は、その魔女に認められた天才だと?」
「すでに私の代わりに緑の魔女を襲名しました。私の体がこうでなければ、きっと虹の魔女の後継者としてあそこに残ったことでしょうね」
「……」
フェデリコさんは立ち上がり、ピチョーネの前に立った。
「失礼した、緑の魔女。私はフェデリコ。天才と言って差し支えない。ただし、人類側のね。君の魔法の才を見込んで頼みがある。よければ私の研究に手を貸してもらえないだろうか?」
「研究?」
「現在の関心は、エネルギーの伝達について。通常、魔力もそうだが、エネルギーというものは、発動した現場でしか作用しない。たとえば火だ。その影響は、モノが燃焼している現場でしか確認できない。しかしエネルギーは伝達可能なのだ。光や音声のようにね。それを魔法にも応用できると信じている」
「分かんない」
ピチョーネは困惑顔だ。
だが、安心していい。俺にも分からない。
フェデリコさんは肩をすくめた。
「大丈夫。複雑な事象は私の頭脳が引き受ける。君は魔法さえ提供してくれればいい」
「そうなの? なら、大丈夫かも……」
ピチョーネは首をかしげながらも、受け入れることにしたらしい。
理解したのか?
俺にはまだサッパリだが。
フェデリコさんはこちらを見た。
「マルコくん、研究は続けているか?」
「えっ?」
「神と戦う計画だよ。少しは進めたんだろうな?」
「でもあれは……」
急になにを言い出すかと思えば。
無学な俺の妄想を書き連ねただけの、現実味のない計画書だ。いちおう続けてはいるが……。
「まさか、放棄したのか?」
どういうつもりなのか、フェデリコさんの表情は真剣だった。
「いえ、ありますけど」
「持ってきたまえ。いますぐに」
「はい……」
*
自室からメモを持ってきた。
紙は貴重だから、無尽蔵に使えるわけじゃない。一枚の紙を細切れにして、板の上で何度も配置しなおしたものだ。もちろん完成していない。
「これです」
「なるほど……」
一瞬見ただけで、フェデリコさんは無価値であることを見抜いたのだろう。
「使えそうですか?」
「その質問は難しいな。言える範囲で言えば、この作戦を実行した場合、目的を果たすことはできず、我々は全滅する」
「だと思いました」
使えないなら使えないと言えばいいのに。
フェデリコさんは顔をあげ、まっすぐにこちらを見た。
「短慮するんじゃない。私はこのプランを批判しているわけではないぞ。どんな天才が作戦を立てようと、現状の戦力では神に勝てんのだ。この図もそれを証明しているに過ぎん」
ピチョーネも同じようなことを言っていた。
「天才が考えてもムリなら、俺でもムリです」
「そうだろう。人類の有する技術では、な。だが、それはあくまで私が新技術を開発しなかった場合の話だ。マルコくん、ここには天才が二人もいるのだぞ? それでも技術が発展しないと思うのか?」
「それは分かりません……」
するとフェデリコさんは、少し笑った。
「分からない、か。その態度は正しい。科学的にはな。私はいまなんらのエビデンスも提供していないのだから。だが、もっと遠慮なく想像してみたまえ。変わるぞ、世界が」
この人は天才だ。
変わるというのなら、変わるんだろう。
もう驚かない。
その通りになる。
「分かりました。変わると信じます。俺はなにをすれば?」
「君は助手なのだ。私の研究のすべてに付き合ってもらう」
「俺、難しいこと分かりませんよ?」
「大丈夫だ。君のレベルに合わせた仕事を任せる」
「はぁ」
褒められていないことは分かる。
*
その日のうちに仕事を依頼された。
それは、ラ・ヴェルデの街へ行き、酒場で情報収集しろという内容だった。すべてが破壊された街に酒場があるかは不安だったが、あった。街の連中はあらゆる施設の復旧を後回しにして、まずは酒場を復旧させたらしい。
みんなそんなにお酒が好きなのか……。
街には昼過ぎについた。
死体とも負傷者ともつかない人間が転がっていた。
兵隊が我が物顔で闊歩し、市民たちは道をあけた。俺も面倒だから道をあけた。
兵隊というのは、そんなに偉いのだろうか?
命がけで街を守ったのは分かる。
それは偉いと思う。
だけど今は、よその街に乗り込んでいって、略奪するだけの山賊みたいなものだ。なにも偉くない。
酒場は賑わっていた。
みんなべろべろに酔っ払っていた。
吟遊詩人が必死で歌を歌っていたが、周りがやかましすぎてなにも聞き取れなかった。
「ったく、自由都市め。ザマぁないぜ。俺たちが必死で領地を守ってる間、のうのうと暮らしやがって」
「人が命がけで戦ってる間、たんまり貯め込んでやがったわけだからな」
「神さまは見てるってわけよ」
「違ぇねぇ」
その神さまのせいで戦争が始まったのに、人々はすっかり忘れているようだった。
いや、そもそも理解していないのか。
別の男が「でもよ」と口を開いた。
「あの機械人形を送り込んできたの、神さまって話じゃねーか。神さまは、本当はどっちの味方なんだ?」
「バカ野郎、俺たちの味方に決まってんだろ! あの機械人形は、悪魔が神の名をかたって仕掛けてきたんだ! そんなことも分かんねーのか?」
「すまねぇ。俺、難しいこと考えられなくって」
「そもそもこの世界は、人間と神とが協力して作り上げてきたものなんだぞ? 人間を攻撃するわけねーだろーが!」
これに周囲の客も「そうだそうだ!」と賛同した。
人は、自分にとって都合のいい解釈を好む。
フェデリコさんはそう言っていた。
今日の俺の仕事は、この酒場で酔っ払いの話を盗み聞きすること。
もし誰かに絡まれても反論しないこと。
絶対にケンカしないこと。
なにがあってもおとなしく帰ってくること。
なぜフェデリコさんが俺にこんなことをさせるのかは分からない。
とにかく、やれというから来た。
でももう帰りたい。
「マルコ? 一人か? ずいぶん久しぶりだな」
テーブルでレモネードを飲んでいると、声をかけられた。
「アルトゥーロさん……」
だいぶ痩せこけて、目は落ちくぼんでいた。
初めて会ったときからおじさんに見えたが、いまはさらに老け込んだように感じた。それでもまだ老人というほどではないが。
彼は対面の席に腰をおろした。
「またどこかの隊に参加してるのか?」
「いえ、街の様子を見に来ただけです」
「そうか。それを飲んだらすぐ帰れ。ここにまともなものはひとつもない」
アルトゥーロさんが俺を心配してくれているのは分かる。
だけど、なぜ俺だけ?
「アルトゥーロさんは、いつまで続けるつもりなんですか?」
「なんだよそれ……」
不快そうな顔。
「どこかで手を引いたほうがいいですよ。こんなこと続けてたら……」
「言うな。俺とお前とでは住む世界が違うんだ。帰るべき場所のあるお前とはな。とにかく、早く帰れ。ここに、お前の望むものはなにもない」
「でも……」
溜め息とともに、アルトゥーロさんは行ってしまった。
*
本当はもう少し居座るつもりだったけど、とてもそんな気分ではなくなってしまった。
屋台で売られていたタマゴのパンは15リラ。
とても買う気になれる金額じゃなかった。
「ちょっと待ちなさい」
街を出ようとしたところで、また呼び止められた。
「え、ソフィアさん……」
「なに驚いてんのよ。まだ生きてるわ」
血まみれだった。
いや、自分の血ではないのだろう。きっと負傷者を治療して回っているのだ。
「会えてよかったです。じつはこないだジョヴァンニさんが来て、ソフィアさんのこと心配してて……」
「うるさい」
「はい……」
「あんたいまどこに住んでるの?」
「フェデリコさんの研究所です」
「研究所? なにそれ? 私も連れて行きなさいよ」
「えぇっ……」
困る。
もし母さんの姿を見られたら、いろいろ説明しないといけなくなる。
「なに? イヤなの? 私たち、フェデリコ先生に学んだ同門よね? 同じ戦場を生き延びた同胞よね? 連れて行きなさいよ。それともなに? 私が行ったら困るようなことでもあるわけ?」
「あの、でも、ソフィアさん。お仕事は?」
ソフィアさんはすっと息を吸い込み、ゆっくりと吐きだした。
「クビになったけど?」
大きな声を出そうとしたのを我慢したようだ。
「クビ?」
「そうよ。クビよ。私が立ち上げたチームなのに! 私のやり方は過激過ぎるって。救ってる命よりも、奪ってる命のほうが多いって。なにそれ? 私のやり方が間違ってるっていうの?」
「それは……」
俺には分からない。
聞かないで欲しい。
ソフィアさんは腐ったような笑みを浮かべた。
「ねえ、私たち似たもの同士じゃない? 社会になじめないダメ人間よね? 仲間よね?」
「やめてくださいよ、そんなこと言うの。もし事実でもつらいですから」
初めて会ったとき、利発そうな少女だと思った。明るい未来を信じて、前向きに勉強していた。なのにいまは……。血にまみれて、人の世を呪う魔女みたいになってしまった。
「ま、いいわ。案内する気がなくても、後ろからついていくから」
「ダメですよ、そういうの」
「ダメだったらなんなの? そのムキムキの体で私をぶっ飛ばすわけ? 言っておくけど、生きたままあんたの血を抜き取ることもできるのよ? 私をナメないことね」
怖い。
こんなだから医師団をクビになったのでは。
「もー。じゃあついてきていいですけど、絶対に問題は起こさないでくださいね?」
「は? 問題が起きるような家なの? 私は医者よ?」
「医者でもなんでも、そうなんです……」
俺の予想では、ソフィアさんはまず母さんとモメるだろう。
それからピチョーネとモメる。
なんならフェデリコさんともモメる。
トラブルの種でしかない。
なのに俺にはどうにもできない。
もうなにも考えたくない。
(続く)




