新しい魔女
それからは、死んだように生きた。
神を殺す方法だけを、虚しく一人で考え続けた。
気づけば五年が経っていた。
世界は、よくなっていない。
*
夏――。
食べ物はないのに、雑草だけが伸びていた。
俺は水ばかり飲んでいるせいで、逆に体調がよくない。
「ったく腰が痛ぇにゃ。あたしも歳かにゃあ……」
草むしりを終えたカエデさんが廃墟に戻ってきた。
そんな歳には見えないが……。初めて出会ったとき、カエデさんは三十代だったらしい。あれから十年は経っている。
俺も三十近くなった。
ちゃんと数えていないから、じつは三十を超えているかも。分からない。
母さんは帰ってこない。
「マルコ、味噌汁作ってくれたの?」
「はい」
「なんだかデカい息子みてーだにゃ」
「母さんって呼びましょうか?」
「怒るよ?」
よっこいしょと椅子に腰をおろし、カエデさんは味噌汁をすすった。
「山菜のパスタもありますよ」
「マルコ、意外と料理の才能もあったんだにゃ」
「切ったり焼いたりするのは昔から得意なんです」
ジョークを言ったつもりだったが、カエデさんは気まずそうな顔になってしまった。
どうやら俺にはジョークのセンスがないようだ。
二度と言わないほうがいい。
*
食事を終え、俺は皿を洗った。
家事はなれたものだ。
ずっとカエデさんに甘えっぱなしだったが、少しは恩を返せていると思う。
片づけを済ませて、広間に戻った。
人が増えていた。
「えっ?」
俺は我が目を疑った。
誰だ?
「マルコ! マルコ! やっと会えた! マルコ!」
謎の少女が抱き着いてきた。
緑のローブを身にまとった、長い黒髪の少女だ。
本当に誰なんだ?
「マルコ! 大人っぽくなったね! 前のマルコもよかったけど、今のマルコも素敵だよ!」
「いや、さっきから誰なんですか?」
「えっ?」
俺が距離をとると、少女は哀しそうな顔になってしまった。
テーブルに置かれた生首が溜め息をついた。
「マルコ。ピチョーネですよ」
「ピチョーネ? 山で拾った子……ですか? えっ?」
当時、彼女の背は俺の半分くらいしかなかった。髪もボサボサで、口数も少なかった気がする。
だが、あらためて見てみると、やはりピチョーネだ。たぶん。それ以外の誰かには見えない。
「え、魔族って歳をとらないんじゃ……」
「大人はそうですが、子供は違いますよ」
「ていうか母さん、いつの間に帰ってきたんです?」
「ついさっきですよ。呼びに行こうと思ったら、ちょうど鉢合わせして」
思ったよりも、嬉しくなかった。
いや、再会できたのはもちろん嬉しい。
ずっと母さんとは会いたかった。
だけど、なんだか……素直に受け入れられなかった。
五年だ。
そんなに会わずにいるほど重要な用事だったのか?
「用は済んだのですか?」
「じつはまだです。しかしピチョーネがどうしても帰るとうるさくて……。最終的に、集会所を追い出されました」
五年もいたんだから、ずっといてもよかっただろう。
そのピチョーネは、不安そうにこちらを見つめている。
「マルコ、私と会えて嬉しくないの?」
「どうかな……」
「なんで? なんでそんなこと言うの? 私、ずっとマルコと会いたかったんだよ? 会える日を楽しみにして、毎日お勉強を頑張ってたのに……。ひどいよ」
「ごめん。でも急だったし、どう受け止めていいか分からなくて」
母さんに会えても、そんなに嬉しくなかったのだ。
ピチョーネのことは、正直、忘れかけていた。
たぶん昔だったら飛び跳ねて喜んでいたと思うけど……。
そう考えると、いまの俺はどうしてしまったんだろう? 大人になったということなのか? ついに親離れしたのだろうか?
「事前に連絡をくれればよかったのに」
「遠隔映像の受信機が壊れていたようですね。書簡も送ったのですが、世相が世相だけに、届かなかったようです」
母さんの説明は淡々としていた。
寿命の長い魔族にとって、五年なんて一瞬なんだろう。
俺にとってはそうではないのに。
カエデさんが溜め息をついた。
「マルコ、急なことで驚くのは分かるけど、もう少し冷静ににゃ」
「俺は冷静ですよ」
「ならいいけど……」
カエデさんはいったいなにを言っているのだろう?
俺は動揺なんかしていない。
怒ってもいない。
ただ、なんだか……いろいろ納得できないだけだ。
*
それからは、旅先での話を聞かされた。
戦争に巻き込まれそうになったこと。赤の領域で、魔族のスパイに疑われたこと。魔女の集会所についてからも、いろいろあったこと。ピチョーネが正式に緑の魔女を引き継いだこと。
楽しそうだった。
ピチョーネはいろんなことを体験して、いろんな人に出会って、自分自身も成長して、充実した五年間だったみたいだ。先輩の魔女にもかわいがられたらしい。
「俺、そろそろ部屋に行きますね。やらなきゃいけないことがあるんで」
「えっ? なんで? もっとお話ししようよ!」
ピチョーネが興奮した様子で袖を引っ張ってくる。
「お話は、みんなでしてください」
「お部屋に行ってなにするの? お話しよりも大事なこと?」
「そうですよ」
俺は神を殺さねばならない。
そのための計画を練っている。
人類が戦争で弱ったら、神族はいつか必ず現れる。次はあの大きな機械人形だけでなく、別の機械を送り込んでくるかもしれない。
一刻の猶予もない。
*
だが、計画は進んでいなかった。
この五年間、ずっとそうだ。
フェデリコさんがいたころから、ほとんど進歩がない。
なにがダメなのかも分からない。
朝、母さんの歌声で目を覚ました。
世界を呪う歌。
以前はこの歌を聞くのが楽しみだった。朝が来た感じがした。だけど、いまは……。眠りを妨害されたように感じてしまう。
きっと今朝も、小鳥をつかまえてミンチにしたのだろう。
できれば二度と口にしたくない。
梯子をギシギシ鳴らして、ピチョーネが部屋へ顔を覗かせた。
「マルコ、朝だよ? 起きないの? ご飯あるよ?」
「いま行くよ」
あえて言わないけど、来ないで欲しかった。
構わないで欲しかった。
今後、ずっとこれが続くのかと思うと気が滅入った。
「早く来てね。さめちゃうから」
「はい」
*
二度寝しようと頑張ったけど、結局眠れなかった。
時間だけを浪費した。
下へ行くと、さめ切った食事が置かれていた。
母さんとピチョーネはおらず、カエデさんだけが作業していた。麦わらで靴を編んでいるようだった。
「マルコ、ずいぶんお寝坊だにゃあ」
「起きてました。ただ、顔を出したくなくて」
「今日の朝食は、ピチョーネが作ったよ」
「……」
パンの上に目玉焼きが乗っている。
脇に添えられているのは鳥肉だろうか? ちゃんと火を通してある。魔族は料理で火なんか使わないのに。
「食べなよ。マルコのために作ったんだよ?」
「はい」
「二人は山に行ったよ。なんか作業するんだって」
「そうですか」
料理はつめたかった。
だけど、優しい味がした。
そんな味、あるわけもないのに。
*
それからひたすら薪を割った。
体を動かしていないと、心がぐちゃぐちゃになりそうだった。
嬉しいはずなのに。
素直に喜べない。
俺が一番つらかったとき、母さんはそばにいてくれなかった。
行かないで欲しかったのに。
俺ではなく、ピチョーネを連れて行ってしまった。
母さんはそれでもよかったんだろう。
俺のことを大人になるまで育ててくれた。だから、もう十分なのだ。母さんを悪く言う資格なんかない。むしろ感謝すべきだ。
それでも……。
もう少し、俺のことを気にしてくれてもよかったんじゃないか……と、思う。
思ってしまう。
「ただいま、マルコ」
ピチョーネの声がした。
昨日はこちらのことなどお構いなしだったのに、いまは遠慮するような態度だ。
抱えられた母さんはなにも言わない。
「お帰りなさい」
俺はそれだけ告げて、薪割りに戻った。
もうじゅうぶん割ったのに。
やめられなかった。
*
「マルコ、こんなに割ってどうするつもりだにゃ……」
「どうせ使いますから」
「そりゃそうだけど……」
夕飯の雰囲気はよくなかった。
みんな互いの表情をうかがって、なにも言い出さずにいる。
食事は今日も野菜くずのスープ。
どうせこのあと寝るだけなのだから、少しくらい足りなくても我慢するしかない。
「マルコ」
母さんが口を開いた。
無表情で。
「はい?」
なんだろう?
お説教でもするつもりか?
なにを考えているのか、表情からは読めない。以前はなにかしら察することができた気もするけど。本当に、なにも分からなくなってしまった。
「この五年、なにをしていたのか、お話ししなさい」
「えっ?」
「私たちのことは伝えましたが、あなたからはまだなにも聞いていませんよ」
「べつに……」
いい話なんてなにもない。
戦争に参加してつらかった話。人間に失望した話。魔族にはもっと失望した話。神と戦おうと思っていたのに、すべてがムダに終わってしまった話。
そんなの、どれもしたくない。
母さんは、それでも強情だった。
「言いなさい」
「なぜです?」
「なんででもです」
「そんなこと、知ってどうするんです?」
「どうもしませんよ。ただ知りたいんです」
「なんで?」
「会わずにいた間、自分の子供がなにをしていたのか、知りたいだけですよ」
うっ……。
それはズルいよ。
急に親みたいな顔をして。
「でも、言ってもどうせ、全部終わったことですし……」
「それでも言いなさい」
「でも、面白くない話ばっかりだし……」
「構いませんよ」
「ちゃんと聞いてくれますか?」
「もちろんですよ。教えてください」
怒るかと思ったのに、怒ってこない。
母さん――。
本当に俺の話を聞きたいの?
*
話し始めたら、止まらなくなってしまった。
予定していたこと。予定していた以上のことを喋ってしまった。
母さんは黙って聞いてくれた。
ぜんぶ。
「とても大変な思いをしましたね、マルコ。でも、無事でいてくれてなによりです」
「はい……」
やっと、ちゃんと、嬉しい気持ちがわきあがってきた。
母さんに心配してもらえたから。
「マルコ、分かっているとは思いますが、私も行くつもりではなかったのです。ですが、やむをえず……。そんな顔をしないで。これからはずっと一緒にいますから」
「はい……」
分かっていた。
本当は分かっていたのだ。
だけど、ちゃんと言ってもらいたかったから。
「もう、マルコ。泣くんじゃありません。いい大人なのですから」
「はい……」
意地を張って距離をとってしまった自分が、急に情けなく思えてきた。
母さんは心配してくれていたのに。
ピチョーネもなぜか泣いていた。
「よかったね、マルコ。先生と仲直りできて」
「うん」
この子にもつめたく当たってしまった。
なにも悪くないのに。
自分では大人になったつもりだったのに、子供みたいにすねてしまった。
そんなことをしても、誰も幸せにならないのに。
「ごめんなさい、母さん。ピチョーネも。俺、心の準備ができてなくて。会いたかったのに、会えなくて……。だから会いたくないって思い込もうとしてたんです。でも、やっぱり……」
母さんはかすかに笑みを浮かべていた。
「つらい思いをさせましたね。でも、家族というものは、離れていても家族なのですよ」
「はい。俺、もっとしっかりします。ちゃんと大人になります」
「大袈裟ですね、マルコ。ちゃんと成長していますよ」
「はい」
話せば話すほど、母さんに会えた喜びがわきあがってくる。
意固地になっている場合ではない。
強くならねば。
ここにあるすべてを守るために。
*
今日はぐっすり眠れそうだ。
そう思って部屋へ行くと、ピチョーネも後ろからついてきた。
「マルコ、ちょっといい?」
「えっ?」
なんだろう。
わざわざ部屋まで来るなんて。
「さっき、神を止めるつもりだって話してくれたよね? じつはね、集会所でもその話をしたの」
「集会所で? 魔女が?」
「そう。普通なら、この戦いは神の計画通り、魔族の勝利で終わるはずだったでしょ? だけど人間たちは、戦いに備えて、いろんなものを作ってた。だから神の思う通りにいかなかった」
そうだ。
それどころか、人類は機械人形まで乗っ取ってしまった。
ピチョーネは神妙な顔だ。
「だけど、神はまだあきらめてないよ。もっと苛烈な攻撃を仕掛けてくると思う」
「でも、どうすれば? 俺だってずっと考えてるのに、ちっとも答えにたどり着けないんだ」
彼女は笑った。
「それはマルコが悪いんじゃないよ。いまのままだと、人類は、神には勝てないんだから。誰が考えてもムリなんだよ」
「ムリ……」
「でも、それも少し前までの話」
「えっ?」
ピチョーネはぐっと距離を詰めてきた。
「言ったでしょ? 魔女たちも対策を考えてたって。集会所には、すごい魔女がいっぱいいてね。みんなで試行錯誤して、新しい魔法を使えるようにしたんだ」
「どんな魔法?」
「転移魔法だよ。召喚魔法とも言うかな。あるものを、別の場所へ移動させる魔法。神が急に機械人形を出したりするでしょ? あれと同じもの」
神の眷属が使用していた魔法を、魔女たちは自力で習得したのか……。
けど、召喚魔法でどうするつもりだ?
機械人形を向こうへ送り付けるのか?
ん?
向こう?
ピチョーネは不敵な笑みを浮かべた。
「つまりね、その魔法を使えば、私たちも向こうへ行けるってこと。空間の裏側にね」
「空間の裏側……」
「あいつら、そこに住んでるんだよ。で、コソコソ隠れながら、こっち側の世界を攻撃してる。でも、もう一方的にやらせはしないよ。私が魔法で空間をこじ開けてやるんだから」
そういえば、この子はもう緑の魔女になったんだったか。
つまり、全盛期だったころの母さんと同等の力を持っている。この地方の伝説として語られるほどの力を。
「私、いろんな魔法が使えるようになったよ。だから、マルコの願い、なんでも叶えてあげる。なんでもね。私の命は、マルコのものだよ」
「……」
ピチョーネの力を使えば、神の眷属と接触できる……。
ダメージを与えることができるのだ。
つまり、命を奪える。
だけど、それは許されることだろうか?
いま人類は、神の眷属と停戦している。なのに攻撃をしたら、すべてを敵に回ることになる。ルールを破ることになる。
力はある。
敵も見えている。
そんな状況下で、攻撃しないという選択肢がありえるのか……?
(続く)




