冒涜
俺は人生の目的を見失っていたと思う。
というか、人生の目的って?
ただメシを食って生きるだけではダメなのか?
これでダメだなんて言われたら、あとは死ぬしかない。
その日も、カエデさんの用意してくれた夕飯を食べてからは、もう寝てしまおうかと考えていた。
どっちが勝ってもいい。
のらりくらりと生きていくだけだ。
「マルコ、起きて! なんか変だよ!」
ベッドでうとうとしていると、カエデさんに起こされた。
「はい?」
「変なの! 見て!」
「なんです? なにが変なんです?」
「機械人形が、魔族を攻撃してるんだよ!」
えっ?
機械人形が?
魔族を?
さすがに見間違いでは?
カエデさんは真剣な表情で、こちらを急かすように見つめてくる。
俺は脱力していた身をなんとか起こし、ベッドから出た。うながされるまま見張り用の塔へ。
*
勘違いではなかった。
街から放たれた光が、野を焼き払っている。魔族たちのテントがある場所を。
なぜ?
どうして?
神が減らしたかったのは人間なのでは?
いや、そうじゃない可能性もひとつだけあった。
吟遊詩人の歌に登場する「幻惑のフェデリコ」だ。
彼は機械人形を操ると言っていた。
けど、フェデリコさんは王都にいるはず。
国王軍が西へ来たのなら筋は通るが……。本当に? 吟遊詩人の歌は、事実だったのか?
光は散発的に続いている。
野は赤々と焼けている。
きっとそこでは人が死んでいるに違いないのに、燃え上がる炎に目を奪われた。
もっともっと燃えて、なにもかもを焼き尽くせばいいのに、とも。
*
結局、俺は寝た。
眺めていても時間が過ぎるだけだし。俺にできることはひとつもなかった。
「やれやれ。君たちの向学心のなさには失望を禁じえんな。いや、その前にこう言うべきだったか。久しぶりだな、我が生徒たち。いや、一人は使用人だったか」
朝食をとっていると、フェデリコさんが現れた。
ちょっと出かけてただけみたいな顔で。
カエデさんは目をぱちくりさせた。
「は? なんだあんた……。生きてたのか?」
「相変わらずの短慮だな。簡単な論理展開もできんのか? 私が死んだら、この土地は領主に没収されるはずだろう。だが、まだそうなっていない。つまり生きているということだ」
この物言い、間違いなくフェデリコさんだ。
五年経ったのに、ほとんど印象が変わっていない。若々しくて、絵画の登場人物みたいな顔立ち。才気に溢れた姿。
「マルコくん、お母上の姿が見えないようだが?」
「あ、はい。ちょっと出かけてます」
「出かける? 魔法で移動しているのか? それとも身体が回復したのか?」
「いえ、女の子が持っていきました」
フェデリコさんは、すると水瓶の水を一口やり、椅子に腰をおろした。
「ふむ。物事の初めから詳しく聞かせてもらおう。その女の子というのは、どこの誰かな?」
*
カエデさんのフォローを得ながら俺が説明すると、フェデリコさんはようやく納得してくれた。
「なるほど。魔女の集会所に……。では、私とは入れ違いというわけか」
「母さんになにか用でも?」
「そういうわけではないが。ただ、感謝を伝えようと思ってな。記憶魔法についてのご教授がなかったら、私の研究も成功しなかった」
ということは、やはり、そういうことなんだろう。
カエデさんが味噌汁を出した。
「オラ、飲め。この味が恋しくなってきたころでしょ?」
「ふん。不本意ではあるが、しかし認めよう。王都にいる間、このスープのことが気になっていた」
分かる。
俺も戦争に参加していたとき、ずっと味噌汁のことを考えていた。
「吟遊詩人の歌に出てきたのって、やっぱりフェデリコさんなんですか?」
「おそらくそうだろう。だが、彼らの誇張表現はいただけない。情報が、事実と乖離しすぎている」
「えっ? じゃあ機械人形を操れるっていうのは、ウソなんですか?」
「それはウソじゃない。私が問題にしているのは、『幻惑の』という二つ名のほうだ。あれは幻惑や魔法の類ではない。れっきとした科学だ。もっとも、吟遊詩人にそれを求めるのも酷だとは思うがね」
凄い。
機械人形を操れるなんて。
やっぱり天才だったんだ。
フェデリコさんは味噌汁をすすり、深く呼吸をした。
「ふむ。帰ってきた……という感じがするな」
「あんたの故郷は王都でしょ?」
「人は誰もが王都を目指す。その逆はない。ゆえに王都の出身者には、行き場がない。左遷でもされない限りはな。ここは私にとって、郷愁を得られる貴重な場なのだ。風情をぶち壊しにするのはやめてもらおうか」
「はいはい」
カエデさんは行ってしまった。
自分のぶんの味噌汁をフェデリコさんにあげてしまったから、別の料理を作りに行ったのかもしれない。なんだかんだカエデさんは優しい。
「それで、マルコくん。お母上はいつごろお戻りになられるのだ?」
「分かりません。連絡もありませんし」
「そうか。まあ、ちょうどよかったかもしれんな。いま、ラ・ヴェルデの街に国王軍が駐留している。そこには研究者たちも随行していてな。連中にお母上の存在を感知されたら面倒なことになっていたかもしれん」
道具を使えば魔法を感知できるんだったか。
運がよかった。
「フェデリコさんは、このあとどうするんですか?」
「緑の領域をすべて解放する。特にここらの自由都市は、戦闘を避けて魔族に無条件降伏したらしいからな」
「機械人形で街を焼くんですか?」
「もし戦闘になればな」
やはりフェデリコさんも人間だ。
魔族に居場所などいらないと考えているのかもしれない。
「魔族を滅ぼすんですか?」
俺の問いに、フェデリコさんは片眉をつりあげた。
「マルコくん、誤解があるようだから訂正しておくぞ。今回の作戦は、私の趣味によるものではない。上層部の決定だ。いかな天才といえど、雇われの身だからな。特段の理由もなく命令を拒むわけにはいかない」
「もし相手が母さんでも?」
「そう来たか。ではこちらもウソは言うまい。自分の命と天秤にかければ、きっとする。だが、そもそもそういう状況を作らないよう、最大限の努力をする。天才の私がここまで言うのだ。君の懸念する未来は来ないと思っていただきたい」
「はい……」
ここで安易なウソを言われていたら、俺はフェデリコさんを疑ったかもしれない。
だけど、本当のことを言ってくれたと思う。
この人は信用できる。
俺だって、他人のために自分の命を差し出すつもりはない。例外は母さんだけだ。
フェデリコさんは室内を見回した。
石壁のゴツゴツした建物だが、よく整理されており、棚には花も飾られている。
「ふむ。購入時はただの廃墟だったはずだが、まるでいっぱしの家みたいじゃないか。あの使用人に礼を言っておくべきだったか」
「きっと喜びますよ」
まあフェデリコさんのためではなく、カエデさんはほとんど自分の家だと思って暮らしているけど。
地下には食品も貯蔵されている。味噌やピクルスもそこで作られているのだ。
「じつは俺、何度か戦争に参加したんです。最初は人間側として。次は魔族の側として」
「君の活躍は傭兵隊長から聞いたよ。アルトゥーロとか言ったかな。まるで自分のことのように喜んでいたな」
フェデリコさんとアルトゥーロさんは面識があるはずだ。母さんが体を失ったとき、二人とも現場にいた。もし互いの顔を忘れていなければ。
「それは嬉しいんですが……」
「その後、君が魔族の側にいたと知ったらショックだろうな。なぜそんなことをした?」
「知りたかったんです。どんな人たちなのか……」
「感想は?」
「文化が違い過ぎて……」
そうとしか言えなかった。
じつはかなりショックだった。
俺の大好きな母さんは、魔族だ。ところが、俺は魔族の文化を受け入れられない。
きっと母さんもそうと分かっていたから、優しい面だけ見せるようにしていたのだろう。そして俺は、その一面だけを見て、母さんのすべてだと思っていた。
フェデリコさんは肩をすくめた。
「魔族に育てられた君でさえそうなのだから、他の人間にとっては忌まわしい異物でしかなかろうな」
「そう思います……」
すると彼は、ふんと鼻息を吹いた。
「ままならんものだな。我々人類は科学を発展させた。彼らは魔法を発展させた。互いに手を組めば、より大きな発展を見込めるというのに。互いの違いに腹を立て、神に誘導されるまま争い合っている。そして愚かなことに、誰もそのことに疑問を抱かない。争って当然だと思っている。まるで教育を受けていない動物みたいに」
俺はそこまでは言わないけど……。
でも、同意できる。
「どうしたら仲良くできますか?」
「いや、仲良くする必要はなかろう。ソリが合わないのは事実なのだ。ムリに同じところへ放り込めば、互いが不幸になる。だが、共存は可能だ。互いに干渉しなければ済む話だからな。交流は、したいと思うものだけがすればいい。実際、平和なときはそれができていただろう? 神が現れて、戦争をけしかけるまではな」
その通りだ。
やはりどう考えても神が悪い。
「俺、神を止めたいんです」
「ほう?」
笑われるかと思ったが、フェデリコさんはそうしなかった。
「本気なんです。だから、力を貸してもらえませんか? 俺一人じゃ難しくて……」
だが、この提案にはいい顔をしなかった。
「マルコくん。我が生徒として、君のことはそれなりに評価しているつもりだ。だが、いまの言い方では乗ることができない。もし本気であれば、具体的にどう考えているのだ? なにかプランを立てたか? そのプランはひとつだけか? それは批判に耐えうる内容か? 論拠となるデータは集めたのか? もし私が参加した場合、私のこうむるリスクは考えたか?」
「えっ? えっ?」
これでも優しく言ってくれているのは分かる。
だが、俺は……。
自分のあまりのどうしようもなさを突きつけられて、反応できなくなってしまった。
プランなんてひとつもない。
データもない。
頭のいいフェデリコさんに頼めば、完璧な答えが返ってくると安易に考えていた。
「大志を抱くのはいい。だが、他者を動かしたいのであれば、それなりの説明が必要になるぞ。マルコくん、落ち込むんじゃない。やらないとは言っていないだろう。なにかを成し遂げたいのであれば、これは避けて通れぬ道なのだ。今後どうしたいのか、君自身が分かっていなかったら、他のものたちもついてはこないぞ。私だって参加できない。だが、それら諸問題をクリアできたら? そのときは検討にあたいする。まずは君自身が考えるんだ。本気だというのなら、すぐにでもプランを立てて、その草案を見せたまえ。私がチェックする」
「はい……」
俺は甘かった。
考えるのが苦手だから、他の誰かが考えてくれればいいと思っていた。きっと協力してくれるだろうと思い込んでいた。
だけど、それではダメなのだ。
先生の言っていることは正しい。
「マルコくん、それでも君は運がいいぞ。君自身、読み書きができるのだからな。他の人間であれば、まずは文字をおぼえるところから始めねばならん」
「そう……。そうですね。俺、恵まれてます。天才の先生もついてますし」
「その通り。そこが一番恵まれている」
すると舌打ちしながらカエデさんが現れた。
香ばしいかおりもする。
「相変わらず偉そうだにゃ。オラ、下でピザ焼いてきてやったぞ。食え」
「なん……だと……。なぜ……なぜピザにピクルスが乗っている?」
フェデリコさんは立ち上がりかけた。
円形の生地の上では、焼けたチーズがピザから溢れそうになっている。そこへ整然と並ぶピクルス。
「なんだ? ピクルス苦手かにゃ?」
「そういう問題ではあるまい! 悪魔は東方から来たという話を思い出したぞ。いや、悪魔を崇拝していようと、それ自体はいい。しかしこれはあきらかに……ピザに対する冒涜だ!」
「肉が手に入んねーんだからワガママ言うにゃ。これでも手持ちの材料で工夫したんだにゃ」
カエデさんにそう言われ、フェデリコさんも口ごもった。
「分かった。私は科学の信奉者だ。ピザと悪魔を同一視するのをやめよう。まずは味を見る。このようなピザ、普通であれば信用せんが。君は別だ。実績があるからな」
「まったく、ごちゃごちゃうるせーにゃ……」
カエデさんは顔をしかめてピザを切り始めた。
井型に。
「切り方まで冒涜的だな……」
「味は変わんねーんだから黙って食えよもう」
俺はうまいと思った。
ピクルスの酸味がチーズのまろやかさにマッチしている。泥みたいな味もしないし、下痢にもならない。最高じゃないか。
だが、フェデリコさんはしょぼくれた顔になってしまった。
「違う……違うのだ……。ピザとは……こう……完璧な日曜日のように……平和でなくては……」
「……」
カエデさんは露骨に引いていた。
俺の話にうんざりしているときの母さんみたいな顔だ。
同じ人間であっても、分かり合えないことはある。
もしかすると人類は、ささいな違いを見つけて争い合う動物でしかないのかもしれない。
あるいは神も……。
そう。
神も、きっと違いを許容できぬがゆえに殺すのであろう。
それだけだ。
あらゆる生命が「違い」を理由に争っている。うんざりするほど。永遠に。どんな存在であろうとも、その因果から逃れるすべはない。
(続く)




