文化の違い
春になる前に部隊を抜けた。
もちろん円満に。
手元には52リラしか残らなかった。戦闘の報酬が100リラなのに、ハルバードを新調するとそっくり100リラ飛んでいくのだ。こんなので稼げるわけがない。
ただ、最低限の食事は提供されるから、それを目的に続けている人はいるようだ。
*
半年ぶりに廃墟へ戻った。
カエデさんは一人、庭で薪を割っていた。
「おう、マルコ。生きてたみてーだにゃ」
「はい」
疲れた。
身体の疲労もそうだが、精神もすり減った。
「シケた顔してるにゃあ。味噌汁煮てやるから、中に入れにゃ」
「はい」
あらためて、カエデさんのありがたさが身に染みた。
俺は生活の大部分をこの人に世話されていたのだ。
*
味噌汁だけでなく、パスタまで茹でてくれた。
なにを口にしても身体に染みた。
うまい。味噌汁の深い味わいが、以前よりも強く感じられた。塩が身体を癒す。パスタを噛むと小麦の味がする。
「うぅ……カエデさん……」
「なんだにゃ気持ち悪い。泣くんじゃねーにゃ」
「はい……」
結局、カエデさんが正しかったのだ。
ネコになりたい。
「あと、あんたの母ちゃんから連絡も来てるにゃ。封書だけどにゃ」
「えっ? どこです?」
「そこの棚の……そう。それ」
「はい!」
封書はすぐに見つかった。
俺は中を見る。
内容は「つきました」だけ。
まあ、ついたのなら、いいが……。もう少し、なにかなかったのだろうか。息子が戦争から帰ってきたというのに。まあ誰かに強制されたわけでもなく、勝手に行ったわけだけど。
でも、無事だった。
それは本当に嬉しい。
ただ……。これは母さんの字ではない。ピチョーネが代筆したものだろうか。できれば母さんの字を見たかった。
「で、マルコ。これからどうするにゃ?」
「それが……」
未定である。
たぶん。
だが、ぼんやりと、思っていることもある。
次は魔族の側で戦争に参加したらどうなるだろうか、と。
人間はクソだった。
浄化されるべきだ。
だが、魔族は?
俺たちに見えていないだけで、中身は人間以下かもしれない。
そればかりはこの目で見てみないと分からない。
カエデさんは溜め息だ。
「ま、ゆっくり考えるといいにゃ。ここはいまんとこ平和だからにゃ」
ただの人間だったら、魔族に追い出されていたかもしれない。
母さんのおかげで住み続けることができている。
*
数日は薪を割りながら、のんびりと暮らした。
カエデさんの手料理はおいしい。
パスタだけでなく、パンやピクルスも提供された。パンとピクルスを合わせたピザも。大豆を使って肉料理みたいなものも出してくる。
天才なのでは?
だが、いつまでも甘えているわけにはゆくまい。
俺は世界を知らなくては。
知らないままでは、自分がどうしたいのか、どうするべきなのか、未来を選べない。
*
「はい? 傭兵に? 人間が? 本気で言ってる?」
役所で戦争に参加したいと告げると、信じられないといった顔をされてしまった。
「本気です」
「志願の理由は?」
「どうせ魔族が勝つので」
「はぁー」
担当のおじさんはのけぞってしまった。
もっとマシな理由をでっちあげるべきだったか。
おじさんは溜め息だ。
「いやまあ、人手不足だから、断る理由もないけどねぇ……。ちゃんと人間と戦える? 途中で裏切ったりしない?」
「俺の母は……。いえ、俺の先生は、あの緑の魔女ですよ。契約は守ります」
「まあ……それもそうか。魔女を裏切ったら、八つ裂きにされてもおかしくない。分かった。相応の覚悟で来たのだな?」
「はい」
「ただ、なぁ……」
やけに渋っている。
納得してくれたと思ったのに。
「なにか問題が?」
「いや、いい。木札を渡すから、兵舎の担当者に渡して。あとはその人が判断するから」
「はい!」
*
兵舎は、市場からはだいぶ離れた場所にあった。
そこにもテントが並んでいる。
テントの外には疲れた顔の兵士たち。人間側と同じだ。死んだような顔で横になっている。実際、死んでいるのかもしれない。
担当者のいるであろう大きなテントに入った。
「すみません。役場から案内されて来たのですが……」
「なんだ? 新兵か?」
ムキムキのおじさんが応対した。
「魔族側で戦いたくて」
「おいおい、人間じゃねーか。ああ、緑の魔女の下僕か。たまに木を切りに来てたヤツだろ?」
「そうです」
話が早くて助かった。
だが、彼は岩石のような顔で、眉をひそめた。
「先に言っておくが、金は出せねぇぞ?」
「えっ?」
「その代わり、街から人間を追っ払ったら、家をもらえる」
「あのボロボロの街の? もう人が住めるような場所じゃないですよ……」
「イヤなら帰ってくれ。そもそも俺たちが始めた戦争じゃねーんだ」
やはりそうか。
神がやれというからやっているだけだ。
「あとな、食事はナマで提供される。肉の種類は聞くな。なんでも入れる。それに耐えられるか?」
「小鳥くらいなら……」
「おいおい。メシもまともに食えねーようじゃ、うちじゃやってけねーぞ!」
「努力します!」
「ふん」
魔族との文化が違い過ぎる。
ただでさえハーブと一緒でなければ腹を壊すのに。
「おい、ラーナ上等兵! 新入りが来たぞ! どこかのチームに配属しておけ!」
「はっ!」
部下は敬礼をした。
*
俺はラーナ上等兵に連れられて、テントの外に出た。
「へえ、マルコって言うの? なんか人間みたいな名前だな。ああ、みたいじゃなくて人間だったか。その長物は? 使えるの?」
「はい。というか、これしか使えません」
振り回すだけで威力が出るのがハルバードのいいところだ。
槍のように構えて突進もできる。
「魔法は? 少しは使えるの?」
「いえ、全然」
「そうなの? そんなんで、どうして緑の魔女の下僕になったの?」
「さあ……」
余計なことを聞かないで欲しい。
口を滑らせそうになる。
「あ、配属先なんだけど、あんたにはうちで働いてもらうよ」
「はい」
「人間側にヤバい魔法使いがいてさ。信じられるか? 瀕死の同胞から血を抜いちまうんだぜ? 一滴残らずな。そんで人間側の治療に使うんだと。俺もいろんな魔法は見てきたけど、あんなの聞いたこともないよ。異常だね。戦争にも最低限のルールはあるだろ?」
「はぁ」
容赦なき医師団のことだろう。
確かにアレは俺もどうかと思った。
だが、魔法の才能を否定されたソフィアさんが、必死で見つけ出した魔法でもあるのだ。俺には否定できない。
彼は足を止め、こちらへ向き直った。
「ああ、あとね……。人間にとってはショッキングな文化もあるかもしれないけど、口出ししないようにね。ここではあんたは少数派なんだから」
「はい……。はい?」
なんだ?
なにかあるのか?
テントの脇に、作業台が見えた。
職人が、皮をなめしているようだ。
皮?
俺の知っている動物のものには見えないが……。
「魔族はね、人間の捕虜はとらないんだ。あますことなく使えるからね」
「……」
本当に?
本気で言っているのか?
そういえば、そこらのテントの素材……。
つぎはぎの皮で作られている。
この質感は……。
「けど、人間だって残酷だぜ? 俺たちは殺してから使うけど、あいつら生きたまま使うんだから」
「えっ?」
「奴隷だよ、奴隷。ありゃよくない。生きたままの命を売り買いしてんだぜ? 奴隷本人が契約に応じたならともかく、ハナからその権利さえないってんだ。契約ってのは、あくまで本人とすべきモンなのに。近くの自由都市で奴隷商人が殺されたらしいが、俺に言わせりゃ自業自得だね」
「そ、そうですね……」
胃がムカムカする。
吐きそうだ。
魔族こそ浄化を受けるべきなのでは?
「おっと、その顔。やっぱり人間側ってことかな? ああ、いいんだ。思想の強制はしない。いろんな考えがあってしかるべきだからね」
「はい」
この人、悪い人ではないんだろう。
むしろ優しい。
それはそれとして、この感じ……。
人間と魔族は、そもそも共存不可能なのかもしれない。わざわざ神がけしかけずとも、戦争していたに違いない。
けど、母さんは?
俺の本当の母さんをきちんと埋葬してくれた。皮を剥いだりもしていない。加工が面倒だっただけかもしれないけれど。
俺のことだってちゃんと育ててくれたし。
母さんが特別だっただけで、普通の魔族はこんな感じなのだろうか。
*
魔族側での生活は長くは続かなかった。
戦闘ではまあまあの戦果をあげたものの、食事のたびに問題を起こすので、部隊内からの苦情が相次いだのだ。それでクビになった。
俺は春のうちに廃墟に戻った。
「お帰り、マルコ。ずいぶん痩せたにゃあ」
「はい……」
「味噌汁飲むか?」
「お願いします……」
もういやだ!
人間も魔族もうんざりだ!
母さんの料理でさえギリギリだったのに。あの謎のミンチ肉。ヘドロを血で溶いたものをすすっている気分になる。食事中に何度も吐いた。
「カエデさん、俺もネコになります」
「は?」
「なりますよ、もう……。この世界はクソです……」
「おう……」
ネコはいい。
もふもふしている。
母さんもネコだけはミンチにしなかった。いや、したかも。でも基本的にしなかった。
人間も魔族も、勝手に争えばいいのだ。
神も神だ。
こんな世界、放っておけばいいのに。いったいなにが目的で介入するのやら。
(続く)