頭を使った
戦闘は毎日起きているわけではない。
攻撃側の準備が整うと、やがて交戦が始まる。
機械人形が投入され、魔族が後続する。
そうして、生きている人間を死体に変える作業を、互いに継続する。
継続が不可能になると撤退が始まる。
その繰り返しだ。
街は陥落していない。
だが、陥落していないだけで、生きてはいなかった。
ずっと限界のまま、限界を振り切れないでいる。
*
「気持ち悪い戦争だにゃあ……」
ある日、見張りの塔から戻ってきたカエデさんが、そんなことをつぶやいた。
「戦争なんて、気持ち悪いものでは?」
俺の問いに、しかしかぶりを振る。
「まるで将棋だにゃ」
「はい?」
「んー、つまり戦闘しか起きてないんだにゃ。戦闘以外のことが、なにも起きてない」
「戦闘以外?」
俺はいま起きている戦争しか知らない。
だから、カエデさんの言いたいことが分からない。
「略奪だよ。普通、相手を殺したら、むしり取れるだけむしり取るもんだにゃ。だけどここでは、互いの数を減らすだけ減らして、略奪さえ起きてない」
「略奪……?」
「この辺の農地だってそうでしょ? 魔族は、人間から土地を奪ってない。まあ税金はとってるけどにゃ」
「魔族には魔族の規律があるんでしょう」
「それだけじゃねーにゃ……」
渋い顔をしている。
魔族だけの問題じゃないとすれば?
それは神、あるいは神の眷属がそう指示しているということなのかもしれない。
「なにか問題なんですか?」
「いんや。ただ、気持ち悪いと思っただけだにゃ」
神が略奪を禁じているのだとしたら、それはきっといいことだろう。
なにが問題なのか分からない。
*
戦闘は、何日か続くと、何日か休む。
無限に戦い続けることはできない。
備蓄していた食料だって減ってゆく。
人も減る。
増えるスピードよりも早く。
*
秋になると、妙な噂が広まり始めた。
白の領域を治める国王軍が、魔族に完全勝利し、赤の領域へと侵攻を開始したというものだ。
俺には信じられなかった。
母さんの話では、魔族が勝利する予定だったのでは?
旅の吟遊詩人は、英雄たちの活躍を歌って回った。
千人斬りの何某、魔弾の射手の何某、鉄壁の何某――。強そうな二つ名をつけて、国王軍を勝利に導いた英雄を称えた。
その中には、幻惑のフェデリコなる人物も登場した。
俺の知っているフェデリコさんかどうかは分からない。
歌の中では、幻惑の魔法を使い、機械人形を意のままに操り、戦った、とあった。
*
「母さんとお話ししたいのですが……」
「無茶言うにゃ。あたしも何度も試したけど、通じねーんだにゃ。たぶん遠すぎるせいだと思うけど」
俺の提案は、にべもなく突っぱねられてしまった。
しかも論理的に。
たまには母さんの声が聞きたいのに。
元気だろうか?
妙な戦いに巻き込まれていないだろうか?
「カエデさん、この戦争、どっちが勝つと思います?」
「んー? ネコじゃねーことは確かだにゃ」
「俺、真剣に聞いてるんです」
するとカエデさんは、ぐっと眉をひそめた。
「あたしも真剣だにゃ。人間だとか魔族とか心底どーでもいいにゃ。あたしはそういうくだらないしがらみがイヤだから、ネコごっこしてるんだにゃ。あんたも見習えにゃ」
「いえ、俺は……」
見習うようなことなんだろうか?
いや、意外とカエデさんが正しいのかもしれない。
この空虚な戦争を眺めていると、一概には言えない気がしてきた。人間だとか魔族だとか言って線引きするから、争うハメになるのだ。
そもそも争う理由はなんなのだ?
やられたから?
やりかえしているだけ?
その理屈も分からなくはない。やられっぱなしはイヤだ。やり返したくなる。そうしないと死ぬ場合は、そもそも選択肢がない。
けど、その理屈だと、いっぺん始まってしまったら、永遠に続けないといけなくなる。
なんだかバカみたいじゃないか。
子供だって仲直りできるのに。
それとも、仲直りできるのは、子供だから?
だったら大人ってなんなんだろう……。頭がいいから、自分の正しさを主張して。絶対に引っ込めない。
大人よりも、もっと大人の人はいないのだろうか。
そういう人たちに国を治めてもらいたい。
「ネコって、いいですか?」
「よくはねーにゃ。一人で生きてるわけじゃない以上、結局、誰かの都合からは自由になれないし。ただ、あたしはそれ以外、なんも思いつかなかったから……。あんたはあんたの答えを出すといいにゃ」
「はい」
そうだ。
俺は、俺の答えを見つけたほうがいい。
他人に正解を求めるべきじゃない。
この世界を見ていると、なんとなく、そう思う。
「カエデさん、もし戦争を止めたいと思ったら、どんな手があると思います?」
「簡単だにゃ。終わるのを待つの。どんなものも、永遠には続かないからにゃあ」
「それ以外で!」
カエデさんは、すぐそういうことを言う。
たぶん正しいけど、なにも解決しないやつ。
だが、彼女は溜め息とともに肩をすくめた。
「そもそもマルコは、戦争を止めるってことの意味が分かってんのかにゃ?」
「意味って?」
「殺し合ってる連中が、急に正気になって戦いをやめるわけがないんだから。なんか新しい理由が必要にゃの」
「その理由を考えてください」
「いや、おめーが言い出したんだから、おめーが考えろにゃ……」
困惑したネコの顔になってしまった。
それもそうだ。
「思いつかない場合は?」
「ちゃんと考えたのかぁ? いっちゃん簡単なのは、どっちかが勝つことだにゃ。マルコはどっちに勝って欲しいの?」
「……」
それすら考えたことがなかった。
正直、自分とは無関係の戦争だと感じていたから。
ただ物価が高騰して迷惑な行為としか思っていなかった。
俺は人間だ。
だから人間に加担するのが普通なのかもしれない。だけど人間は、母さんを殺そうとした。これだけは絶対に許せない。
では魔族は?
人間に比べれば、まだ穏健な気がする。
だけど人間の居場所を力で奪っている。それはダメだと思う。
「あの、人間か魔族か、選ばないとダメですか?」
「違う回答でもいいよ。なんか思いついたならね」
「思いつきません」
「もっと考えろにゃ! たとえば、この戦いは誰が始めたの? 神だにゃ? だったらこれは、本当は人間と魔族の問題じゃなくて、神の問題なんだにゃ。神っていうか、神の眷属? そいつらをぶっちめて、やめさせるのが一番はえーにゃ」
そうだ!
まったくその通りだ!
「どうすれば神を止められますか!?」
「マルコ、全部あたしに考えさせるつもりか?」
「考えてるけど、なにも思いつかないんです!」
「デケー声で主張するようなことじゃねーにゃ! あんたの母ちゃんの苦労が、少し分かった気がするよ」
「いえ、母さんは三人もいりませんよ」
「うーっ!」
言語でないものが返ってきた。
たぶん俺が悪いんだろう。
母さんだったら目を細めているところだ。
カエデさんは立ち上がり、水瓶の水をひとくちやった。
「世界はなんだかんだエネルギーで動いてるにゃ。つまり暴力ってヤツだにゃ。ではその暴力を束ねてるのは? それは権威だにゃ。王様は、べつに最強じゃなくてもいいの。権威さえあれば」
「権威……」
「戦争を止めるには、その権威が必要なんだにゃ。マルコ、あんたに権威は備わってるのかにゃ?」
「権威……ですか……?」
「いや、悩む必要ねーにゃ。あんたに権威は備わってねーにゃ」
ひどい!
薄々そんな気はしてたけど、ハッキリ言わなくても。
「傷つきますよ」
「いや、事実を確認しただけにゃ。マルコ、あんたに備わってるのは暴力だけ。それも一人分。いや、一人分よりかは少し多いか。でもそんだけだよ」
「そんだけです。知ってます」
「暴力しかねーんだから、暴力を鍛えるしかねーにゃ。いや、あんたの場合、筋力はあるんだから、あとは技だにゃ。たぶんセンスは悪くないのに、頭が……正直だから、いまいち伸びねーんだにゃ」
「いま配慮しました?」
「したにゃあ」
分かってる。
俺だって気づいてる。
頭がいっぱいいっぱいなのだ。情報を整理できてない。
俺が頭を抱えていると、カエデさんは苦い笑みを浮かべた。
「しゃーねーにゃ。マルコ、表出ろ。稽古つけてやるにゃ」
「えっ?」
「あたしはあんたと違って、技しかねーからにゃ。その技を授けてやるよ。そしたら、その暴力で少しは世界を変えられるかもしんねーにゃ。あくまで少しだけにゃ」
「はい! 少しでも十分です!」
*
庭に出て、俺たちは棒きれを手に向かい合った。
秋の景色は寂しい。
いつ見ても空は白っぽいし、木々も葉を失っている。
カエデさんはゆらゆらしていた。まるで殺気がない。だけど、強いことは知っている。
「いつでも始めていいにゃ。こっちも好きに仕掛けるからにゃ」
「分かりまし……いたっ」
パァンと頭上で派手な音がした。
いつの間にか、頭部を打たれていた。
一瞬で距離を詰められてしまった。
「そうそう。会話中が一番あぶねーんだにゃ」
「いまのはズルいですよ!」
「戦場にズルもなんもねーにゃ。しいて言えば、生き残ったヤツだけが正しいにゃ。戦争ってのはにゃ、クソなの。クソなヤツが生き延びんの。だからあたしは嫌いなん……よっと」
「痛ッ」
お言葉に甘えて、こちらも喋ってる最中に攻撃したのだが。回避された上にまた頭を叩かれた。
「死んで欲しくねーヤツから死んでいくんだにゃ……」
「カエデさん、戦争してたんですか?」
「まあ、そうだにゃ。好きで参加したわけじゃねーけどにゃ。平和を愛する可憐な少女だったあたしは、ただ巻き込まれて……。気づいたら、友達みんな死体になってた……」
「隙あり!」
カエデさんは避けなかった。
「そうだよ、マルコ。もし敵として現れたなら、たとえ友達でも斬らないといけない。その覚悟が、あんたにはあるのかにゃ? 安易に答えを出す前に、友達の顔を思い浮かべろ。あんた、そいつを殺せる?」
えっ?
「カエデさん、友達を……痛い!」
「ネコにもなりたくなるよにゃ?」
「はい……」
カエデさんの過去をちゃんと聞いたのは、これが初めてだった。
ただふわふわした女の人だと思っていたのに。
自分の友達を……。
「ねえ、マルコ。五年も一緒にいたのに、あたしのことなんも分かってなかっただろ? そういうもんなんだにゃ。戦場で会う相手もね、おんなじだよ。いろんなものを背負って、いろんなことを考えて、そこに立ってる。カカシと違ってにゃ。必ず自分の想像を超えてくる。何段階もにゃ。だからこっちは、超えられないように想像しまくるんだにゃ。それができるのか?」
「想像……痛っ」
棒切れが飛んできた。
距離があったのに。
「こうして武器を飛ばしてくるヤツもいる。足で砂をかけてくるヤツもいる。確実にトドメを刺したと思ったのに、じつは生きてたりもする。なにが起きてもおかしくねーの。いちいち驚いてたら時間がもったいねーにゃ。想像と現実に少しでもズレがあったら、即座に考えを捨てて現実のほうを受け入れるんだにゃ。全部一瞬でやるの。できる?」
「分からないです……」
「分からないじゃないよ。やるんだにゃ」
「はい……」
カエデさんは小柄なのに、凄まじい巨人に見えた。
この人は、俺の想像をはるかに超えている。どれだけ想像しても追いつかない。届かないほど先にいる。俺はこの人にさえ勝てない。なのに、戦争を止めようと……。
それは無謀である。
それは愚挙である。
だけど、それでも成し遂げたいとしたら?
不可能なことでも、すべてやるしかない。
「カエデさん、もっと教えてください」
「あきらめるかと思ったのににゃ」
「本気で言ってます?」
「半分はね。でも、半分は違うよ。他人の心と、未来のことは、誰にも分からねーからにゃ」
「はい」
愚かな連中が愚かなことをしてしまうのは、正直、仕方がない。
争いたいなら好きにすればいい。
だけど、苦しんで欲しくない人が、その愚かさに巻き込まれて苦しんでいる。
それは止めたい。
「カエデさん、俺、強くなって神を止めますから」
「おう。ムリだと思うけど、手を貸してやるにゃ」
「ありがとうございます!」
「けど、鐘が鳴るまでにゃ! こう見えてあたしは忙しいんだにゃ」
「はい!」
(続く)




