初仕事(二)
夜は、やけに寂しかった。
大きな空間に、自分だけ。
ゴツゴツした石壁と石の床。手を伸ばしても届かないほど高い石の天井。
母さんの気配が、どこにも感じられない……。
朝は、スズメたちの鳴き声で目を覚ました。
いや、それだけじゃない。なんだか大人たちが騒々しかった。
ひとまずベッドから出た。
けれども、だからといってなにもすることがなかった。
いつもなら母さんが歌で動物たちを集めている時間だ。どこまでも通る透明感のある歌声。命を否定する歌。世界を呪う歌。
「おお、ちょうどよかった。起きておりましたな」
「はい」
修道士が困った様子で顔を出した。
「じつはギルドの方々が、まだ戻ってこないのです。夜のうちには戻ってくる予定だったのですが……」
「えっ?」
戻ってこない?
死んだ?
いや、まだそうとは決まっていない。けど、それ以外の可能性は……ないような気もする。
修道士は溜め息をついた。
「申し訳ないのですが、ギルドに戻って事態を報告してきてもらえませんか?」
「え、でもまだ山賊が……」
俺がそう言いかけると、彼は不審そうに顔をしかめた。
「かといって、どうしようもありますまい。今回は、山賊のほうが一枚上手だったということでしょう」
「……」
「とにかく、ギルドへの報告を頼みましたぞ」
*
修道院を出た。
仕事をこなせなかったせいなのか、朝食さえ用意してくれなかった。
母さんが恋しい。
ちっともそんな気分じゃないのに、空だけはよく晴れ渡っていた。
あたたかな日差し。
どこまでも広がる麦畑。
狭くて薄暗い森とは違う。世界は、こんなにも明るくて広かったのだ。だけど言いようもなく空疎だ。できれば、もっと前向きな気持ちでこの事実を噛みしめたかった。
ギルドにはなんて報告しよう。
一緒にいたおじさんたちは、俺が寝ている間にみんな殺されてしまった……。そうとしか言いようがない。バカみたいだけど。
受付のおばさんは怒るだろう。
きっとお金ももらえない。
母さんの石斧だって、まだ人間の命を奪っていない。
*
街へは戻らなかった。
その代わり、街とは逆方向へ向かった。
今回のターゲットは山賊だ。ここらを荒らしているというからには、そう遠くない場所にいるはずなのだ。しかも隠れやすい場所。奥まった森のほうだろう。
ただ、森といっても範囲が広い。
適当に歩いて見つけられるものではない。
なのだが、適当に歩くしかなかった。
農家の人たちが、不審そうにこちらを見ていた。普段から山賊に襲われているから、警戒心が強くなっているのかもしれない。
初老の男性が近づいてきた。
「またなのか? 勘弁してくれ。食い物なら先日渡したばかりじゃないか」
「はい?」
「これ以上とられたらやっていけない」
「なんの話ですか? 俺、人を探してて……」
すると男は、俺の姿を上から下までじろじろと確認した。
「あんた、山賊の一味じゃ……ないのか?」
「違います。山賊を殺すほうです」
「えぇっ……」
むしろ農家の人たちの味方だ。
なぜ不審そうに見られているのか分からない。
「昨日、俺の仲間たちが山賊退治に出かけたんです。でも帰ってこなくて」
「ああ、すると昨晩の騒ぎは彼らか……」
「騒ぎ?」
ここで戦ったのだろうか?
「ああ。大声で下品なジョークを飛ばしながら通り過ぎていってな。ありゃだいぶ出来上がってたぜ。こっちはまた山賊が来たのかと思ってひやひやしたってのによ。そういや、修道院がギルドに戦士を手配してたっけな」
「そうです。そのギルドの戦士です」
すると男は、またじろじろとこちらを見た。
「えーと、あんたが? ギルドの? 猟師にしか見えないが……」
「猟師じゃありません。戦士です。おじさんたちが帰ってこなかったので、探しに来たんです」
「一人で?」
「はい」
目をパチクリさせている。
なにかおかしいことを言ってしまっただろうか?
「やれやれ。世間知らずのお坊ちゃんってわけかい。どうせこの仕事も初めてなんだろ?」
「初めてですけど、もう大人です」
「ふん。いくら体だけ立派でもな、ツラを見りゃ分かるんだよ。まだまだ青臭いガキんちょだ。いいかい? ここんとこ、山賊どもは勢いづく一方だ。あんた一人でどうにかなる相手じゃない。死にたくなけりゃ、おとなしく実家に帰るんだな。もし実家がありゃな」
はい?
実家に帰れだって?
まだ稼いでもいないのに?
まあでも……。一理あるかもしれない。俺にはムリだったのだ。母さんは喜ばないと思うけど。おじさんにこう言われては仕方がない。
「実家はあります! 帰ります!」
「お、おう……」
「でも、もしかしたら勝てるかもしれないので、山賊の居場所を教えてもらえませんか?」
「待て待て」
*
しつこく聞いたら教えてくれた。
川に沿って森に入れば、そのうち山賊たちの砦につくらしい。
砦――。
強固に守りが固められているらしい。乗り込んでいってもどうせ勝てっこないという話だった。まあ見るだけ見てムリそうなら帰ればいい。
森には慣れている。
畑から離れると、雑草の生えた荒れ地が広がっていた。その先が森だ。なだらかな斜面に木々が生い茂っている。
ここは俺と母さんの森にもつながっている。方向は違うけど。
人の侵入を拒むような雰囲気はない。どの森もそうだ。日差しも通るから、簡単に出入りできるように見える。後悔するのは、入ってからだ。
頻繁に移動があるらしく、道ができていた。俺はその道を使わず、姿勢を低くして、木々に隠れながら奥へ向かった。
ガサガサと音は出てしまうが、怪しまれたらイヌのフリでもすればいい。
しばらく進むと人の声がした。
「ったく、街の連中も凝りねぇよな。また討伐隊なんて寄越してきやがって」
「そう言うなよ。人質の中に、どっかの貴族の三男坊が混じってたって話じゃねーか。身代金でガッポリ稼げるぜ」
「向こうから金が歩いてきたようなモンだな」
「ちげぇねぇ」
そしてガハハと大笑い。
ナタを手にした男が二人。警備というよりは、散策がてら木の実でも集めている様子。最近、食料を巻き上げたばかりだから、余裕があるのかもしれない。
山賊とは言うが、普通のおじさんたちだ。そんなに強そうには見えない。ギルドの戦士が彼らに負けるとは思えないのだが……。
ともかく、この二人は山賊だ。
合法的に殺せる。
お金ももらえる。
俺は石を拾い、彼らの近くの樹に当てた。
石はカッと甲高い音を立てた。
「お、なんだ? いまなんか音がしたよな?」
「投石の音じゃないか?」
「投石? 誰が投げたんだよ?」
逆に警戒させてしまった。
これが動物なら簡単に誘導できるのに。
彼らは周囲をキョロキョロしつつも、なかなか背中を見せてくれなかった。
「いや、気のせいかもな。昨日の連中はみんな捕まえたんだ。二日続けて来るとも思えねぇ」
「それもそうだな。戦力の逐次投入はバカのやることだ」
「そもそも、あいつらに仲間なんていやしねぇのよ。だからギルドの仕事をするしかねぇ。たいして儲からねぇってのによ」
「っぱ山賊だよな」
なんてことだ……。
ギルドの仕事は儲からないのか?
しかも山賊のほうが儲かると?
いや、悪魔は契約を重んじる。先にギルドの仕事を受けてしまった以上、途中で山賊に鞍替えすることはできない。
俺自身は魔族ではないが。母さんが魔族なんだから、俺も悪魔として生きるのが筋というものだろう。
俺はじっと身を潜め、二人の隙をうかがった。
彼らはせっせと木の実を集めつつも、常に周囲を警戒していた。あまり強くはなさそうなのに、隙がない。
山では、野生のイヌやオオカミ、ヘビ、イノシシ、サルに出くわすこともある。ぼうっとしていたらすぐ襲われてしまう。
時間が経つと、二人は行ってしまった。
俺はそのあとを追うことにした。
*
砦だ。
石塀で囲われており、弓を持った見張りの男も立っている。
「よう、どうだった」
「ダメだな。シケてやがる」
山賊たちは気の抜けた会話をしながら、中に入っていった。
俺はさすがに中まではついていけない。
見張りの人間に姿をさらすことになる。
ひとまず砦をぐるっと一周して、入れそうなところがないか見てみよう。
*
見張りの男は、最初に見かけた一人だけだった。
裏側は、誰も監視していない。それどころか、裏口のドアは半開きになっていた。周囲に生ゴミが散乱しているから、生活に使うドアなんだろう。
油断しているのだ。
見張りなんて一人で十分だと思い込んでいる。
俺は目を細めて、これから暗くなる屋内に目を慣らしておくことにした。
*
また命が目を覚ます
朝だよ
おはよう、世界
おはよう、世界
ほら見て
また太陽が
空を灼いているよ
大地を灼いているよ
鳥も魚も人間も
己を灼く太陽を言祝いで
あかず目を覚まして
命を続けているよ
*
俺は母さんの歌を思い出していた。
母さんの歌声は好きだったけれど、この歌の中身は好きになれずにいた。
どうせそのうち尽きる命が、太陽に合わせて目を覚ましてしまう。
だから命などないほうがいいという。
けど、もし母さんが目を覚まさなかったらと思うと……。
俺は怖かった。許せなかった。なぜそんな歌が存在するのか。なぜ母さんはそんな歌を歌うのか。魔族だから……。そう言われれば黙るしかないが。
違ったらいいのに、と、思った。
なにかが違ったらいいのに。
じつは世界のなにかが間違っていて、ある日突然、俺の都合のいいふうに直ればいいのに、と、思った。
*
料理人がぶつくさ文句を言いながら鍋をかき回していた。
俺は力いっぱい石斧を振り下ろし、その後頭部へ叩きつけた。
料理がダメになってしまった。
命も消えた。
動物を殺したことはある。
幼いころから、何度も。
慣れていたつもりだった。
だけど、人は……初めてだった。
思っていたのと違った。
なにかが違った。
こんなはずじゃなかった、と、俺は自分に言い訳をしていた。
理由は分からない。
「おい、お前、ギルドのガキか……」
暗がりから声がした。
山賊じゃない。
おじさんたちだ。
「あ、生きてたんですか……」
いま頭がまっしろだったから、おじさんたちのことは完全に記憶から飛んでいた。
そうか。
俺は、ここに山賊を殺しにきて、ついでにおじさんたちのことも確認するつもりだったのだ。
「縄をほどいてくれ」
「はい」
袋叩きにされた顔で、三人まとめて縛られていた。
あと二人いたはずだけど。
料理人の使ってたナイフを借りて、とにかくロープを切った。
「一人で来たのか?」
「はい」
「ホントに? 修道士が行けって言ったのか?」
「いえ、修道士の人は、ギルドに報告しろって。でもその前に様子だけでも見ておこうと思って」
「なんてこった。だが、その判断に救われた。礼を言う。サンチョは殺された。あとはミケーレだが……」
すると別のおじさんが顔をしかめた。
「あの野郎、裏切りやがったんだ!」
ギルドの人たちは、苦情を言いながらも厨房の道具をあさり始めた。ナイフならまだいいほうで、フライパンを物色している人もいた。
闘志は消えていない。
「新人、このあとも付き合うよな?」
「マルコです。もちろん付き合いますよ」
「マルコか。礼を言う。俺はアルトゥーロ。カタがついたら一杯おごらせてくれ。お前は命の恩人だからな」
お酒はもういいかな。
でも、認めてくれたのは嬉しい。
人と会話するのは疲れるだけかと思ってたけど、嬉しくて体温があがってくる。母さんに優しくされるのとは違った感情。
人間って、やっぱりこの世界に必要なのでは……。
(続く)