強制される均衡
収穫もないまま帰宅。
庭ではカエデさんが薪を割っていた。
「ただいま戻りました」
「お帰り」
斧を手に、カーン、カーンと、手際よく割っている。
以前から思っていたが、やはりただものではない。
俺は廃墟に入る前に、足を止めた。
「カエデさん、俺と勝負してくれませんか?」
「あい?」
「たぶん、強いですよね?」
そう尋ねると、彼女はさすがに手を止めた。
「まあ、強いかもにゃあ。あんたくらいなら瞬殺できるにゃ。けど、あたしのは邪道だからにゃあ」
「邪道とは?」
「あー。分かった。じゃあ、そこに立つから、切ってきて」
「えっ?」
「体験したほうが早いから」
いや、ハルバードで?
切る?
俺はハルバードを抜いたが、それは壁に立てかけて、代わりに棒きれを拾った。ハルバードほど長くはないが、一般的な剣くらいの長さはある。
「これで行きます」
「そうにゃの? ま、いつでもいいよ」
カエデさんはやたら足踏みをして、避ける準備をしている。
俺はその足の動きやリズムをよく確認した。
「軽めに行きますね」
「べつに全力でもいいにゃ」
そんなことして、もし当たったら苦情を言ってくる癖に。
俺はふっと枝を振り上げた。
そして……見間違えでなければ、カエデさんの姿を見失った。
後ろから、つんと指でつかれた。
「ほれ。これが刃物だったら、あんた死んでるにゃ」
「えっ? えっ? いつの間に? えっ? 魔法?」
「魔法じゃねーにゃ。あたしの足元見てみぃ」
「裸足だ……」
さっきまで草履をはいていたはず。
その草履は?
最初にカエデさんが立っていた場所に置かれていた。
「あんた、あたしの草履ばっか見てたよね? だから草履を置き去りにして移動したの。でもこの技、一回しか使えねーにゃ。次やったらあんたが勝つよ」
「いや、そんなこと……。カエデさん、こんなに凄い人だったんだ……」
「ま、逃げ足だけは速いの。強くないよ。だから戦力としては期待すんにゃ」
いや、どう考えても強い。
いまのが実践だったら、俺は間違いなく秒殺されていた。
「カエデさん、俺と仲良くなってくれませんか?」
「お断りだにゃ。あんたとはあくまでビジネスパートナーだからにゃ。それより、とっとと仕事受けてきてよ。体がなまっちまうにゃ」
「はい」
断られてしまった。
でも、身近にこんな強い人がいたなんて。
廃墟に入ると、薄闇に包まれた母さんがいた。
長いまつげ、黒い瞳、長い黒髪。闇と調和してとても美しい。
「戻りました」
「お帰りなさい、マルコ」
無表情。
でも愛想が悪いとは思わない。母さんが笑うのは酔っ払っているときだけだ。それよりは、無表情のほうがいい。
「母さん。俺なりに頑張ったのですが、条件に該当する女の子は見つかりませんでした」
「あせることはありません。じっくりやるのです」
「でも、いい感じの男の人ならいますよ。男ではダメですか?」
母さんは露骨にぎょっとした顔になった。
「男……。いえ、本来、自由ではあるのですが……。緑の神は、それを許さないでしょう」
「えっ? 母さん、神を信じているのですか?」
「私は信じていません。しかし街の人たちは違いますよ」
「男と仲良くなってはいけないのですか?」
「いえ、ですから……」
分かるように説明して欲しい。
まさかこれも一般常識だというのだろうか?
だったらその一般常識とやらを列挙して欲しい。
なぜ誰も応じてくれないのだ?
もしかして、そんなもの実在しないのでは?
「とにかく女の子を探しなさい。これは命令です」
「分かりました。女の子を探します」
なんでそんなに女の子にこだわるのか分からない。
母さんは、男が苦手なのだろうか?
むかし街で酔っ払っていろいろあったという話は聞いたけど……。
*
それからしばらく、ギルドの仕事を受けた。
いちど矢傷を受けたが、怖いのでソフィアさんには相談しなかった。それ以外は無傷だったし。
肝心の女の子は見つからなかった。
お金は、増えたり減ったり。
仕事をすると一時的に増えるのだが、いつの間にか減っている。
それはそれとして、暑い。
夏になってしまった。
「悪い報せだ。赤のエリアで戦争が起きたらしい」
ある日、フェデリコさんは憔悴した顔で廃墟に戻ってきた。
彼は水を飲むと、どっと椅子に腰をおろした。
「事の発端は、またしても古代遺跡だ。機械人形の暴走が頻発していたエリアでな。とある領主が、これを人為的に引き起こされた現象だと言い出したのだ。隣の領地からの攻撃だとな。そこから連鎖的に領地の奪い合いに発展してしまった。愚かな連中どもだ。原因も確認せずに判断するなど……」
俺は首をかしげた。
「赤のエリアって、ここの隣ですか?」
「隣は黒だ。その隣が赤。その隣が王都のある白。つまりいま、我々は王都から分断された状態というわけだ」
俺は個人的に困らないが、フェデリコさんは王都から派遣されているから、困ることもあるのかもしれない。
「お母上、そろそろ教えていただけませんか? この世界でなにが起きているのです?」
フェデリコさんの問いに、母さんは目を細めた。
答えたくないときの顔。
だが、答えた。
「浄化ですよ」
「浄化?」
「先に起こった人類と魔族の争いは、歴史書には記録されていないのですか? もしあるのなら、それを読めばすぐに分かると思いますが」
「それは……禁書扱いでして」
母さんは溜め息をついた。
「そもそも、なぜ人類と魔族が争ったと思います?」
「分かりません。いえ、分からないということもありませんが。我々はどんな理由でも争いますから。赤のエリアの凡愚のように」
「おそらく、戦争が自然発生する場合はそうでしょう」
この言葉に、フェデリコさんが目を見開いた。
「どういう意味です? 先の大戦は、自然発生ではなかったと?」
「ええ。浄化ですよ」
「なにが、なにを……? まさか……」
母さんは彫像みたいな微笑を浮かべた。
「そう。知れば絶望するのです。なぜなら、私たちにはどうしようもないということが分かってしまうから」
二人だけで完結しないで欲しい。
こっちはちっとも分からない。
分かるように言って欲しい。
フェデリコさんは呼吸を震わせながら立ち上がった。
「神が……人類と魔族を争わせていると? では、あの機械人形は神が? いえ、ですが、人類は魔族を鎮圧し、秩序ある平和な時代を築いていたはずでは……」
母さんはかすかに鼻で笑った。
「そうですね。前回は、そのような終わりを迎えました。神は人類に手を貸し、人類に勝利をもたらしました」
「ですが今回は……」
「そう。神は今回、人類を浄化するために、魔族に手を貸すつもりなのです。人類は拡大し過ぎました。凄惨な虐殺が始まりますよ。少なくとも人類の数が半分になるまで終わらないでしょう」
俺にもなんとなく理解できた。
人類と魔族の戦いが始まってしまう。
「母さん、まさか俺たちと戦うつもりですか?」
俺が尋ねると、母さんは目を細めた。これは不快なときの表情。
「必要がなければ戦いませんよ。だいたい、戦う理由はなんなのです? 神がやれと命じればやるのですか?」
「あ、じゃあ、戦いは起きないんですね?」
「いいえ。いまのは、こちらから仕掛ける理由がないという話です。しかし戦いは起きますよ。絶対に。人類が冷静でないことは、これまで何度も見てきましたから。そして魔族も、同じくらい冷静ではありません。前回からなにも学んでいないのです。今回もきっと同じことを繰り返すつもりでしょう。神の望んだ結末を迎えるまで」
なぜ?
神が命じれば、なにも考えずに戦争をするのか?
フェデリコさんは頭を抱えていた。
「いえ、ですが……。待ってください。神が? なぜそのようなことを望むのです?」
「正確には、神そのものではなく、神の眷属を自称する存在ですが。彼らは本能的に、世界の均衡を望みます。そういう思想なのです」
「思想で? 対話は不可能だと?」
「不可能でしょうね。精神構造が、我々とは決定的に異なりますから」
「人類が敗北をまぬかれる方法は?」
「力で神を追い払うことです。もし可能であれば、ですが」
母さんの言葉を聞いて、フェデリコさんは椅子にへたり込んでしまった。
この絶望ぶり……。
天才がどう考えても、人類の大半は死ぬということなのかもしれない。
「神の眷属は、いまは空間の狭間で眠っています。ですが、機械人形が稼働し始めた以上、遠からず目を覚ますはずです。浄化を始めるために」
母さんは淡々としている。
今回は魔族が勝つと分かっているから、か。
「母さんは、俺たちと戦うつもりなのですか?」
そう尋ねると、母さんはまた目を細めた。
「理由がなければ戦わないと言ったでしょう」
「でも、俺たちと離れたがってますよね?」
「マルコ。最終的に魔族が勝つと言っても、そう簡単な話ではないのです。確かに争いは各地で起こるでしょう。ですが、いまは人類のほうが優勢なのですよ。魔族は狩られる側。特に魔女などと呼ばれた私は、ターゲットになりやすい。幸い、いまは死んだことになっていますが。生きていることが知られれば、彼らはまっさきに命を狙ってくることでしょう」
イヤだ。
なにを想像しても受け入れがたい。
暗い未来しか想像できない。
神なんていないほうがいい。ずっと眠っていて欲しい。なんでこんなことになるのか分からない。
「母さん、知っていたなら教えてくれれば……」
「人間の王が魔女の言うことを信じるなら、私もそうしていたでしょう。ですが、非現実的な話です。王都でさえ歴史を秘匿しているのですから。これから魔族による支配が始まるなんて、王は宣言できないはずです。ましてや神が人類の敵になるなど」
そうかもしれない。
王が敗北を宣言したら、各地で戦争が起こるだろう。そして誰かが新しい王になって、魔族と戦い始めるはずだ。勝てないと分かっていても。
フェデリコさんはがばりと顔をあげた。
「分かりました。では、均衡を保てばよいのですね?」
「はい?」
「均衡ですよ。人類と魔族が、互いに土地を分け合うのです。そうすれば、神が人類を浄化する理由もなくなる!」
これに母さんは微笑した。小動物でも見つめるような優しい顔で。
「ええ、まあ。その通りなのですよ。しかしそれは、神と戦って勝つよりも難しいでしょう。人類は魔族に土地を分けたがりませんし、魔族も逆転のチャンスを狙っていますから。忘れないでください。人類も、魔族も、どちらもたいてい愚かなのです。フェデリコさん、全員があなたみたいに判断できると思わないように」
母さんの言葉はあまりに冷たい。
だけど、おそらく、事実なのだろう。
フェデリコさんも反論せず、じっと黙り込んでしまった。
「おい。味噌汁はとっくに煮えてんだにゃ。そろそろメシの時間にしてもいいかにゃ? いいよにゃ?」
人間社会が壊滅するかもしれないというのに、いつも通りなのはカエデさんだけだ。
もしかすると、俺が見習うべきなのは、母さんでもフェデリコさんでもなく、カエデさんみたいな人なのかもしれない。
(続く)




