女の子
フェデリコさんと別れた後、俺は廃墟へ帰還した。
「ただいま」
「大荷物ですね」
母さんは座席に置かれたまま、こちらを見ていた。
「母さんにお土産を買ってきたんです。お酒とナッツです」
「ああ、マルコ……。なんてこと。立派な子に育ちましたね……」
えっ?
人生で一番褒められた気がするのだが?
ホントに?
お酒とナッツで?
いままでの俺の苦労はいったい……。
味噌汁を煮ていたカエデさんは渋い顔だ。
「ったく。親も親なら、子も子だにゃ」
「ほっといてください。俺は母さんを幸せにするために生きてるんです」
「あっそ」
盛大な溜め息。
カエデさんも頑固な人だ。たまにはこちらの立場になって考えて欲しい。
けど、逆に?
いま俺がカエデさんの立場で考えたらどうなる?
いや。
なにも分からない。
俺が親孝行しているのに、なぜか苦情を言ってくるだけのうるさい女の人としか思えない。どちらかというと悪い人だ。
とはいえ、じつのところカエデさんにはかなりお世話になっている。
母さんに料理を食べさせるのも、髪をとかすのも、風呂に入れるのも、ぜんぶカエデさんがやってくれているのだ。
俺がやるって言っているのに。
でも母さんは、俺にはやらせたくないらしい。カエデさんのほうがいいのだとか。まあ女性同士だし、そこは仕方がないかもしれない……。
首の下を覗いて尻の穴みたいとか言わないし。
あの痛恨のミスを取り返したい。
過去に戻りたい。
「ところで母さん、過去に戻る魔法ってありますか?」
俺がそう尋ねると、母さんは目を細めた。
「ありませんが……」
「似たような魔法は?」
「ありませんよ。いいですか、マルコ。理由がなんであれ、過去にすがるのはおよしなさい。過去に起きたことは、取り返しがつきません。私たちには、よくも悪くも未来しかないのですよ」
「はい、母さん」
ちょっと聞いただけなのに、叱られたみたいになってしまった。
心を読まれたのかもしれない。
「べつの魔法なら使えますか?」
「簡単なものでしたら」
簡単なものだけ――。
やはり魔力を失っているのだ。
西の森の魔女といえば、かつては有名な存在だったらしい。人々はその名を恐れ、誰も森に近づこうとしなかった。なのに、あんな訓練も受けていないような討伐隊さえ追い払えず、自爆してしまった。それくらい弱っていたのだ。
「お願いです、母さん。死なない程度に俺を切り裂いてください」
「はい?」
「俺、自分のことが許せないんです。罰を受けるべきではないかと」
母さんはおぞましいものでも見るような顔だ。
「マルコ……。いちど、頭から水をかぶりなさい」
「はい、水をかぶります」
敷地内に井戸があり、毎朝、水瓶に水を汲んでいる。
俺はその水を、頭からかぶった。
床がびしょびしょになった。勢いよくやったから、母さんにもかかってしまった。
「冷静になりましたか?」
「分かりません」
「そうですか……。ですが、マルコ。あまりにも愚かですよ。なんでもかんでも暴力で解決しようなど」
本当だろうか?
みんなお金で命をやり取りしている。
暴力ですべてを清算しているのだ。
好むと好まざるとにかかわらず、世界はそうして成立している。
「マルコ、なぜそうも自分を責めるのです? なにか悪いことでもしたのですか?」
「いえ。でも俺、母さんにとってマイナスのことしかしていないので……」
思い出す記憶、すべてそうだ。
俺は母さんを喜ばせたことがない。
小さいころ、なんだか分からないものをプレゼントして褒めてもらったことはあるが。あんなの1リラにもならない。一番喜んでもらったのは、さっきお酒を渡したときだ。
あとは迷惑しかかけていない。
「マルコ、座りなさい」
「はい、座ります」
びちょびちょのまま座ったらカエデさんに怒られそうだったが、今回はなにも言ってこなかった。
というか、関わり合わないように、いないフリをしている。
「マルコ、あなたは勘違いしていますね。あなたの人生はあなたのものです。私のために使う必要はありません」
「でも……」
「そもそも、あなたの本当の母親を殺したのは私なのですよ? あなたを育てたのだって、やむをえず契約に応じたまでのこと。あなたは被害者なのです。このことはもう説明しましたね?」
「分かってます。でも……」
「でもじゃありません。あなたは自分の人生と、もっと真剣に向き合うべきです。私ともずっと一緒にいられるわけではないのですから」
「なんでですか! 一緒にいます! ダメなんですか?」
すぐ不安になるようなことを言う。
言って欲しくないことばかり。
「ダメというか……。これから世界は混乱してゆく一方なのですよ? 魔族と一緒にいるのは、あなたにとってリスクでしかありません。どれだけあなたが望んでも、世界がそれを許さないでしょう」
「なんですか世界って。俺は、だったら世界とも戦います。そして勝ちますから」
街のヤツら全員殺せるくらい強くなる。
絶対にやる。
もう二度と手出しさせない。
母さんは溜め息だ。
「マルコ……。お願いですから、あまり私を困らせないでください」
「困らせるつもりは……」
カエデさんが間に入ってきた。
「オラ、味噌汁だにゃ。飲め」
カップには、味噌汁が並々つがれていた。
別の鍋では、パスタも茹でてくれているらしい。
いまきっと、俺はカエデさんに救われたのだろう。
あのまま沈黙が続いていたら、俺はよくないことを口走っていたかもしれない。あるいは母さんが、よくないことを言ったかもしれない。
母さんはまた溜め息。でも、怒っているというよりは、あきれている感じだ。
「マルコ、街には慣れましたか?」
「えっ? まあ……少しは……」
なんだろう急に。
街のみんなは、お金を払うと優しいが、そうでないと冷たい。
知らない人にはもっと冷たい。
全体的に埃っぽい。
あんまり住みたいところではない。
でも、慣れたと言えば慣れた。
母さんは、淡々と告げた。
「仲のいい女の子はいますか?」
「女の子? いませんね。そんなに親しくない子ならいますけど……」
「では、その子でなくてもいいので、誰か別の女の子と仲良くなりなさい」
「誰かって誰です?」
「誰でもいいから、話しやすそうな子を見つけて、仲良くなるのです。優しい子にするのですよ。なおかつ強い子」
なにが言いたいのだろう。
街で優しい子を見つけるのは不可能のように感じる。
強い子はいると思うけど。
「母さん、さっきからなにを……」
「あなたの成長に必要だからです」
成長に?
つまり、強くなるために?
「はい。分かりました。女の子と仲良くなります」
「とはいえ、何人もはダメですよ。一人にしなさい」
「はい。一人の女の子と仲良くなります」
母さんがそう言うならば、やってみるしかない。
母さんは、あきらかに俺よりも賢いのだ。きっと俺のためになる。
カエデさんが「絶対通じてねぇにゃ」などと言っていたが、そんなことはない。
母さんの言葉は、俺が一番理解している。
*
翌日、また街へ来た。
周囲の人々に目を凝らしながら。
強そうな女の子はいない。いや、少しくらいなら強そうなのもいたが、俺のハルバードで攻撃したらみんな一撃で死にそうだった。
キョロキョロしながら歩いていたら、広場で見知った顔を見つけた。
「あ、マルコ!」
「ソフィアさん?」
お花を咲かせることはできたが、回復魔法は使えなかったソフィアさんだ。
いったい広場でなにを……。
「ギルドで仕事を受けるの?」
「いえ、今日は女の子を探しに」
「えっ? 人探し? もう仕事を受けたってこと?」
「違いますよ。誰か女の子と仲良くしろって母に言われたから、手ごろな女の子を探しているんです」
「は?」
信じられないものでも見るような目だ。
いったいなぜ?
母さんを侮辱する気か?
ソフィアさんは後ずさり、少し距離をとった。
「もしかしてあなた、私のこと狙ってる?」
「狙ってませんよ。今回のターゲットは、強い女の子ですから」
「は? なにそれ? 私が弱いって言いたいの?」
「でもこのハルバードで殴ったら死にますよね?」
「……」
また後ずさってしまった。
のみならず、周囲の通行人までもが警戒するような顔でこちらを見た。
「ご、誤解ですよ。そんなことしません。それくらい強い女性を探してるってことです」
「あなた、クソ投げザルとでも結婚したら? きっとお似合いよ」
「サルではダメなんです」
たぶんダメだと思う。
仲良くなれない。
ソフィアさんは盛大な溜め息だ。
「分かった。あなた、最初から変わったヤツだったもんね。常識が通じると思った私がバカだったわ」
「すみません。まだ常識は勉強中なんです」
「いいわ。それより、ギルドの仕事受けなさいよ」
「そうしたいんですが、ギルドの人、仕事回してくれなくて」
「なんで? 頭おかしいから?」
「たぶんそう思われてるんです」
「なるほどね」
なぜ分かったんだろう?
推論というやつか?
フェデリコさんの私塾ではいろんなことを教えてくれる。ソフィアさんもその生徒なのだから、いくらか未来を予測できるのだろう。
「ソフィアさん、なにか受けて欲しい仕事でもあるんですか? もし依頼してくれるなら、50リラで受けますよ?」
「違う。だいたい、そんなお金持ってないし」
「25リラでもいいですよ」
「違うの! あなたに怪我して欲しいのよ! 私が回復魔法使えるって、証明したいの!」
「えぇっ……」
外道なのでは?
もしかしてこの子、一般常識ないんだろうか?
相手の立場に立って考えることもできていない。
その上、魔法も使えない。
できるのはお花を咲かせることだけ。
「なに? 仕事してたらいつか怪我するでしょ?」
「それは……そうです……」
「そしたら私のとこに来なさいよ。治してあげるから。でも、絶対に先生には言わないでね。自分の力でやり遂げるんだから」
俺はこの子に腕をもがれるのだろうか?
いや、腕なら二本あるからギリギリ許せるが、もし首をもがれたら確実に死んでしまう。
「も、もしその機会があればお願いします」
「そうね。すぐ来て欲しいわね」
なんて残酷な世界だ。
髪を二つに結んだ女の子が、俺の腕をもぎたがっている。
魔族よりも人間のほうが怖いのでは?
実際、人間だけが街に住み、魔族たちは森に追いやられている。
人間は怖い。残虐だ。そして俺の体にも、人間の血が流れている。
*
ムリだとは思いつつ、ギルドに入った。
受付のおばさんが、俺を見るなり立ち上がり、ぶんぶん手招きした。
「どうしました?」
「さっき、領主の御曹司がここにいらっしゃってね。あんたのこと熱心に聞いてきたんだよ。いやぁ、驚いたね。あんた、立派な方と知り合いだったんだねぇ」
「知り合い……? でも、まだ二回しか会ったことありませんよ」
「いいんだよ、そんなことは。それでね、あんたに仕事を回さないようにしてるって教えたら、それはダメだって仰ってね。あんたに仕事を回してもいいことになったんだ。まあ、急になんでもとはいかないけど。御曹司がああ仰るんだからね」
なんて優しい人なんだ……!
いったい誰なんだろう、クリスティアーノさんをバカ息子だなんて言ったのは?
素晴らしい人じゃないか。
「じゃあ俺、仕事できるんですか?」
「いまは簡単なのしかないけどね。なんせ御曹司のご推薦なんだ。少しウマい仕事も回せると思うよ」
母さん、街にもいい人はいましたよ。
男ですけど。
「あ、そうだ。少し妙なことを聞くかもしれませんが」
「ああ、なんでも聞いておくれ。あんたとあたしはもう友達みたいなモンだからね!」
急に友達に?
そういうものなんだろうか。
「強い女の人と仲良くなりたいんです。どうすればいいですか?」
「はぁ?」
「できれば、俺のハルバードで攻撃しても即死しない人がいいです」
「あんた、やっぱりまだ頭が……」
頭がなんだろう?
おかしいと思われているのか?
おかしさの定義を教えて欲しい。
教えてくれたらすぐ直すのに。
だが、おばさんは、ハッとなにかを思い出したらしい。
「強い女? 強いだけの女なら、そういえば前にいたねぇ」
「え、いた? 前に?」
「けど、異教徒だったんだ。例の事件があってから、隣の街に行っちまってね。ほら、槍だらけの共同墓地があるだろ? アレのもっと先だよ。もっとも、まだいるとは限らないけどね。死んじまったかもしれないし」
曖昧な情報だ。
その女性はあきらめたほうがいいかもしれない。
「ったく。あんた、ガキみたいな顔してるくせに、女が欲しいのかい?」
「ガキじゃありません」
「もし本気で女が欲しいならね、冒険者なんてやるモンじゃないよ。あんた、体だけは立派なんだから、兵士にでもなったらいいんだ。御曹司のコネもあるんだし」
「そういうものですか?」
「そういうものなんだよ」
冒険者、やめたほうがいいんだろうか?
でも兵士になったら、自由に帰れなくなってしまうと思う。母さんと会える時間も減る。
それだけは絶対にイヤだ。
だいたい、俺は街の住民を守りたいと思えない。母さんを殺そうとしたヤツらなのだ。絶対に許せない。
(続く)