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ペルソナ・ノングラータ  作者: 不覚たん
第一章 嵐の前(プリマ・デラ・テンペスタ)
18/82

才能

 カエデさんはテーブルに酒瓶を置いた。

 ワインだろうか。

 それだけじゃない。買い物カゴからナッツやチーズなどを取り出し、テーブルに並べた。


 母さんはずっと斜め上を見ていた。


「マルコ、これがなんだか分かる?」

 カエデさんは、怒った顔をぐっと近づけてきた。

「食べ物です」

「そうにゃ。あたしは街に入れねーから、わざわざ農家を訪ねて買い集めたブツにゃ」

「いつも助かってます。けど、お使いをしてるのは、カエデさんが月謝を払ってないからですよね?」

 俺は……俺は悪い人間だ。

 うっすら気づいているのに、話をごまかそうとしている。


 カエデさんは無情にも告げた。

「マルコ、ちゃんと見るにゃ。あたしもフェデリコも酒は飲まねーし、あんたもそうだよにゃ? だったら、なんで酒なんて買ってくる必要があるにゃ?」

「し、知りませんよ。知りたくもありませんし」

「いや、知るがいいにゃ。この酒は……」

 言うな!

 言う必要はない!

 俺は思わず立ち上がった。

「違います! 俺が飲むんです!」

「見苦しいにゃ、マルコ。現実を受け入れるにゃ」

「けど、だったら……」

「そうだにゃ。この酒は、あんたの母親がどうしても買ってこいって言うから買ってきたものにゃ。ナッツもチーズもそう。自分は魔族だから動物の血しか飲まないみたいなこと言っておいて、とんだ俗物だにゃ!」

 俺はそれでも否定した。

「母さんは、確かにお酒を飲みます! でも、年に一度だけ! それくらいいいじゃないですか!」

 するとカエデさんは、今度は哀しそうな表情になった。

「もういいんだにゃ、マルコ。現実を受け入れるときが来たんだにゃ」


 分かっていた。

 母さんは、家の近くの洞窟で酒を造っていた。表向きは錬金術の実験のための場所だったが……。俺は気づいていた。

 年に一回というのもウソだ。

 母さんは毎週のように酒を飲んでいた。

 いや毎日だったかも。

 寝ているところを酔っ払った母さんに起こされて、昔の話を何度も聞かされた。昔は街で遊びまくってモテていたという自慢話を。俺は母を愛しているが、この話だけは心底どうでもよかった。とにかく眠かった。しかも母さんは一方的に喋り続けた挙げ句、俺より先に寝るのだ。

 翌日、母さんはすました顔で、世界を呪う歌を歌う。酒など一滴も飲んでいないという顔で。


 俺は母さんに向き直った。

「母さん……違いますよね……?」

「いくつかの誤解がありますね」

 母さんはイエスともノーとも答えず、そんなことを言い出した。

 そりゃ信じたいけど……。


 カエデさんもテーブルについた。

「誤解? どう誤解してるにゃ? 詳しく教えて欲しいにゃあ」

「二人は、錬金術を知っていますか? ありふれた物質を金に変える術で有名ですね。しかし、それだけではありません。どんな物質であろうと、他の物質に変換できる。無限の可能性を秘めた術なのです」

 そのくだりは何度も聞かされた。

 だが、俺は黙っていよう。


 カエデさんがあきれ顔で肩をすくめた。

「マルコの貯金箱から金をくすねて、それを酒に変えるのが錬金術だと?」

「誤解です。たとえば、ワインについて考えたことはありますか? もとの姿は果物だったのですよ? 人が加工することによりお酒になるのです。チーズもそう。ミルクだったものが、加工によってチーズに変化します。私はこの謎を、錬金術で解明したい。そのための研究材料なのです」

「だったらこのナッツはなんなんだにゃ?」

「か、乾燥させると……味わいがよくなります……」

「なんでマルコの貯金を使うんだにゃ」

「それは……あくまで借りているだけです。いずれ返済します」

 母さんはまた斜め上へ視線をやった。

 もうなにも聞いて欲しくないといった顔で。


 だが、俺は……。

「母さん! お金は好きに使ってください! なんで要らないなんて言うんです!」

「いえ、その……。仮にも西の森の魔女とまで謳われた私が、息子のお金でお酒を飲んでいるなど……」

「俺は気にしませんよ!」

「私が気にするのです! いずれ体が戻って街に行ったときに、印象がよくないではありませんか!」

 いつか街に行くつもりなのか……。

 聞かされた街の思い出は、ロクなものがなかったのだが。


「母さん、魔族はウソをつかないはずでは?」

 俺はこの質問を、しようかするまいかずっと迷っていた。

 子供のころから。

 聞いてはいけない気がしていたから。


 母さんはまだ斜め上を見ている。

「そ、それはあくまで努力目標というか……。まあ、契約のときだけウソがなければいいので」

「えっ?」

「これは魔族の問題です。マルコ、あなたは人間なのだから、人間らしく生きなさい」

「なんでそんなこと言うんですか。俺も母さんみたいに生きたいんです……」

「マルコ……」


 そのとき、フェデリコさんが戻ってきた。

 どうやら街にいたらしい。

「マルコくん、ムリを言うな。魔族は、契約によって魔力を得る。契約せねば、逆に力は弱まってゆく。君のお母上は、そのせいで力を失ってしまった。我が身を犠牲にして、君を育ててきたのだ。責めるべきじゃない」

 いきなり現れて母の好感度を稼いでくる。

 それをしたら俺がどういう気持ちになるのか、ちょっとは考えて欲しい。


 母さんまで便乗し始めた。

「そうですよ、マルコ。あなたが必要以上に……いえ立派に成長したのも、私が大切に育てたからです。いつまでも自分の都合だけでモノを考えるのではなく、少しは人の立場になってモノを考える癖をつけなさい」

 ズルい。

 そんなこと言われたら、なにも言い返せなくなる。


 だがカエデさんには遠慮がなかった。

「フェデリコ先生よぉ、ホントにこんな生首に酒を与えてやる必要があるの?」

「ある。こちらのお方は、あの高名な魔法使いなのだ。記憶魔法についても深い知識を有していらっしゃる。いわば我々にとっての先生でもあるのだ。酒くらい安いものだろう」

「カーッ。偉そうな先生の、さらに先生ってか。ご大層な生首もあったもんだにゃ」

「苦情があるなら月謝を払いたまえ。その金で代わりの使用人を雇う」

「断る。金ねンだにゃ」

 俺と一緒にギルドの仕事をすればいいのに。

 ギルドが俺に仕事を斡旋してくれれば、だけど。


 フェデリコさんは水を飲んでからテーブルについた。封筒を手にしている。

「ところで、王都から悪い報せが届いたぞ。黒のエリアでも機械人形の暴走が確認されてな。駆動した状態のコアが手に入ったらしい」

 コアというのは、機械人形を動かしているものだ。

 俺たちが遺跡で見つけたものは、ドラゴンに噛まれて爆発してしまったが。


 カエデさんがナッツをかじった。

「手に入ったならよかったんじゃ? なにが悪いんにゃ?」

 フェデリコさんは肩をすくめた。

「機関にとってはいい報せだろう。問題は、それを手に入れたのが我々ではなかったということだ。私が本を出版して後世に名を残す予定だったのに」

「あんだよ、てめーの都合かにゃ……」

 そしてまたナッツをほおばる。


 母さんは目を細めた。

「私のぶんまで食べないように。しかし確かに問題ですね。私の予想通り、世界は後戻りできない状態に追い込まれている」

 フェデリコさんが身を乗り出した。

「いったい、なにが!?」

「いまは一体か二体の機械人形で驚いているレベルですが、じき、珍しい光景ではなくなるということです」

「機関もそう見ているようですが……。しかし根拠となるデータが……」

「そのデータもいずれ揃うでしょう。私に言えるのは、いまのうち世界の平和を堪能しておいたほうがいい、ということです。使用人、ナッツをすべて食べないように」

 カエデさんは半分以上食べてしまった。

 よく考えたら、俺の金で買ったものでは……。


 いや、それはそれとして。

 母さんは、いま世界でなにが起きているのか知っているのだろうか?

 だったら、なぜ詳しく教えてくれないんだろう……。


 *


 それからの数日、暇だった。

 腕を負傷しているから仕事はできない。

 かといって廃墟にいても、母さんとカエデさんの口論を聞かされるだけ。

 フェデリコさんはたまにしか帰ってこない。


 夏が近づいてきた。


 俺は廃墟にいるのがつらくなって、街に来た。

 広場ではまだ御令嬢の犯人捜しを宣伝していた。

 ギルドは仕事をくれなかった。

 俺は屋台でタマゴのパンを買い、その場で食べた。

 闇ギルドとおぼしき連中がじろじろ見てきたが、特になにもしてこなかった。


 先生の自宅を訪れた。

「入りたまえ。いまちょうど講義をしているところだ」

 私塾のメンバーも集まっているらしい。


 いつ見ても本だらけの部屋。

 ジョヴァンニさんとソフィアさんは、真剣にフェデリコさんの話を聞いていた。

「魔法というものは、発露するとエネルギーとなる。つまり衝撃だな。基本的に、対象を破壊するものである。だから回復魔法を使いたければ、要素を反転させる必要がでてくる。反転は先日教えたな?」

 今日も回復魔法の話だ。

 きっとソフィアさんの希望だろう。

「はい」

「白、赤、黒、緑。魔法に四つの元素があることは知っての通り。たとえば赤の魔法は破壊を引き起こす。他者の負傷を治療したければ、通常、赤を反転させる。病気の治療なら緑。活力を与えるなら黒。精神の問題は白。ただし精神の魔法はコントロールが難しい。安易に使用しないように」


 なにを言っているのかほとんど分からない。

 ソフィアさんは前のめりで聞いている。

 ジョヴァンニさんは……苦しそうに笑っている。たぶん分かってない。


 フェデリコさんは立ち上がり、俺のところへ来た。

「ここに負傷者のサンプルがいる。彼で試してみよう」

「えっ?」

 困惑したのは俺だけではない。ソフィアさんも目を丸くしている。いや、丸くしていたのは一瞬で、すぐに笑顔になった。

「いいんですか?」

「私が許可する。心配するな。魔法なら私も使える。腕がちぎれたりしなければ、私がなんとかする」

 フェデリコさんは俺の肩をぽんぽん叩いてきた。


 俺は今日、腕を失うのか?


 ソフィアさんは席を立ち、こちらへ近づいてきた。

「あなた、ついてるわね。未来の天才治癒師の治療を、無料で受けられるんだから」

「ちゃ、ちゃんと治してくださいね?」

「ええ。問題ないわ。私、お花を咲かせたこともあるし」

 それは魔法で?

 それとも水をあげてただけ?

 怖くて聞くことはできなかった。


 俺はフェデリコさんに尋ねた。

「包帯、とったほうがいいですか?」

「そのままで構わん。さあ、ソフィアくん、始めたまえ。元素を意識するんだ。負傷は赤だぞ。反転させて」

 ソフィアさんは緊張気味に「はい」と応じた。

「集中するんだ。精神で練って」

「はい」


 俺は痛みに備えて気を張った。

 リラックスしたほうがいいのかもしれないけれど。


 だが、しばらく待ってもなにもなかった。


 ソフィアさんは、最初の数秒は集中していたが、次第に不安そうになり、チラチラとフェデリコさんの顔色をうかがい始めた。

 フェデリコさんは溜め息だ。

「君、魔法の経験は?」

「あ、あります! こないだお花を咲かせました!」

「どの方程式を使った?」

「それは……一通り試して……」

「きっと気のせいだろう。その花は自力で咲いたのだ。残念だが、君には才能がないようだな」

「待ってください! なにかの間違いです!」

 ソフィアさんは、地団駄を踏んで抗議した。

 が、フェデリコさんは静かにかぶりを振るばかり。


「見よ。魔法とはこのようにして使う」

 フェデリコさんが手をかざすと、ざんと空間が裂けて、俺の腕を包んでいた包帯だけがバラバラになった。かと思うと、急に腕がむずがゆくなり、赤い傷口がみるみるふさがっていった。

 俺には分かる。

 これは間違いなく魔法だ。

 回復魔法を見たのは初めてだけど。


 フェデリコさんは、苦しそうにテーブルに手をついた。

「人間にとって、魔法とはかくも難しいものだ。私の能力をもってしても、この程度が限界なのだからな。手の届く範囲に、ほんの一瞬、発動させるのがせいぜい」

 腕の傷は治った。

 痛みもウソみたいに引いた。

 だが、ソフィアさんの絶望したような顔を見ていると、素直に喜ぶ気にはなれなかった。


「待ってください、先生。私、どうしても魔法が使いたいんです……」

「ソフィアくん、人には向き不向きがあるものだ。君には優秀な頭脳と勤勉さが備わっている。それは非凡なものだ。魔法に固執することもなかろう」

「でも私……魔法……使いたくて……」

「人を救う手段は魔法以外にもある。金を稼ぐ手段もな。人は馬のように走ることはできないが、馬に乗って移動することはできる。自分で自分の可能性を否定することはない」

「……」

 俺もフェデリコさんの言うことは正しいと思う。

 しかしソフィアさんは、ちっとも納得していない顔だった。そしてその気持ちは、俺にも少し分かる気がした。


 なにかをしたいのに、そのための能力が自分には備わっていない。

 俺では母さんを救えなかったのと同じように。


 いま母さんが生きているのは偶然だ。

 たとえば母さんが自爆したとき、誰か一人でも気まぐれに戻ってきたとしたら? 母さんの頭部は、あいつらにかち割られていただろう。

 そうならなかったのは、ただの偶然。


 だけど、もし俺があいつら全員に勝てるほど強ければ?

 偶然は、必然に変わる。


 フェデリコさんは椅子に腰をおろした。

「ま、そこまで落ち込む必要はなかろう。君たちはまだ若い。続けていれば、いずれ上達するかもしれない」

 そのフォローが手遅れであることは分かり切っていた。


 この人は本当に天才なのだろうか?

 難しい学問はできるのかもしれないが、優秀過ぎて、できない人間のことを分かっていない気がする。相手の立場になって考えてくれない。

 いや、それは俺も……母さんから注意されたことだけど。


 そう考えると、母さんはすごい。

 魔法もできるし、人の心も分かる。たぶん。だいたいは。

 だけど母さんは、俺のせいで魔力の大半を失ってしまった。俺なんかがいたばかりに。俺がいなければ、そもそも体を失わずに済んだのだ。


 強くなりたい。

 力が欲しい。

 俺に全員殺せるだけの力があれば、すべて守れるのに。


(続く)

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