闇ギルド(二)
月曜日、俺は街の倉庫の警備を始めた。
「来たな、マルコ」
出迎えたのは、ヘビみたいな顔の男が一人。
「ここを警備すればいいんですか?」
「ただ立っているだけでいい。なに。簡単な仕事さ。危険もない」
いい人だと思っていた。
困っている俺を助けてくれたのだと。
彼は言った。少し笑いながら。
「くれぐれも頼んだぜ。俺は用事があるから行くが。時間になったら戻ってくる」
「分かりました。任せてください」
日も暮れているから、人の姿はない。
俺はヘビ男の背を見送った。
*
バカ息子――クリスティアーノさんはフェデリコさんの提案に応じた。
ただの脅しじゃない。クリスティアーノさんにとっては名をあげるチャンスでもあるのだ。彼が兵を率いて、取引現場を抑える。
その作戦がうまくいくよう、俺はなにも知らない顔で立っている。
主役は彼らであって、俺ではない。
取引現場はすでに特定されている。
もう少ししたら、そっちで戦いが始まることだろう。
この街は広い。
遠くで誰かが争っていても、ここまでは聞こえない。
まっくろなカラスが鳴きながら山へ帰ってゆく。
俺も帰りたい。
母さんの待っている家に。
じっとしているのは苦手じゃない。
空を眺めているだけで気がまぎれる。
どんなに薄暗くとも。
しばらくすると、人の気配がした。
息を切らせながらこちらへ走ってくる。
「おい、どうなってやがる! なんで……」
例のヘビ男だ。
数人の部下を引き連れている。
「どうしました?」
「ここに兵士が来てるはずだろ!?」
「なぜ?」
騙されたのは俺じゃない。
その逆だ。
俺は戦いのプランを立てながらハルバードを構えた。敵は五名。武器は短剣のみ。防具はナシ。装備ではこちらが勝っているものの、数の上では圧倒的に不利。
ヘビ男は額に青筋を立てた。
「て、てめェ! 裏切ったのか!?」
「はい、そうです。武器を構えてください」
「待て待て! そんなことしてなんの得になるんだ? お前を雇ってるのはこっちだぞ?」
「騙しましたよね?」
「証拠はあんのか!?」
「……」
そういえば?
証拠は?
分からない。
でもまあフェデリコさんがそう言っているのだから、きっと間違いない。
ヘビ男は舌打ちした。
「クソ、聞く耳持たねぇってか。だがこっちは五人だ。死ぬのはてめぇのほうだぜ」
「うわあああっ」
一人逃げ出した。
四人になった。
「あっ! あの野郎……」
怒るヘビ男に、部下が震えながら言った。
「でも兄貴! あいつ、たしか魔女に呪われてるんすよね? そんなのに手ぇ出していいんすか?」
「るせェ! やらなきゃやられんだよ! 見りゃ分かんだろ!」
「で、でも魔女が……」
「だから黙れよ! 魔女は死んだんだ!」
ああ、そうか。
彼らは死んだと思っているのだ。
俺はつい笑ってしまった。
「死んでませんよ」
「は?」
「俺の母さんは特別なんです」
「けど、バラバラになったって、みんなが……」
「バラバラにはなりましたけど、べつに生きてますよ。今日も『行ってきます』って言って出てきましたから」
今日も帰ったら褒めてもらうのだ。
ちゃんと一人前の仕事をこなせる立派な息子だと。
悪党どもはじりじりと後退している。
「兄貴、こいつ……」
「ああ、正気じゃねぇ。けど人間だ! 一人だ! こっちは四人もいる! 取り囲んで、背後から刺すぞ!」
「おうとも!」
返事はよかった。
だが部下たちは……誰も動かなかった。
ちっとも取り囲んでこない。
俺は一歩踏み出す。
「そろそろ始めてもいいですか? こっちは準備できてます」
「あ? 待てって言ったら待つのかよ?」
「少しくらいなら」
「……」
ヘビ男は、するとこちらに背を向けて、部下たちに向き直った。
「お前たち、取り囲めって言っただろ。なんで囲まねぇの?」
「いや、誰か行くかと思って」
「誰かじゃねーんだよ、ボケ! 率先して動け! あとは流れを見て最適な行動をとるんだよ! 人任せにしてたらうちのギルドじゃやってけねーぞ!」
「……した……」
「あ?」
「さーせんしたぁ!」
ヘビ男はまた舌打ちした。
「いいか? 次こそちゃんとやれよ? 使えねーヤツには報酬もねーからな? 何度も言わせんなよ? よし、取り囲め!」
部下たちは、互いの顔を見ながら、渋々といった様子で動き出した。
遅い。
もちろん取り囲めば有利になる。が、こちらの出方によっては、誰かは助かるが、誰かは助からないかもしれない。
ヘビ男はなんとも言えない表情になった。
「おい、待て。これだと俺がこいつの正面に来ちまうじゃねーか」
「……」
部下たちは返事をしなかった。
囲めと命じたのは自分なのだ。
動かなかった人間が正面に残るのは当然だ。
俺はひとつ呼吸をし、ふたたび尋ねた。
「そろそろいいですか?」
「へっ。せいぜい、背後に気をつけるんだな」
おそらくいいんだろう。
背後にいる人間が、地面を蹴った音がした。
俺は全力でハルバードをスイングした。
体をスピンさせながら。
まずは左にいた一人目。斧の部分を直撃させて、あっけなく背骨を折った。両断だ。その代わり、スピードが落ちた。後ろから来ていた二人目は、斧ではなく棒の部分が当たった。俺は構わず渾身の力を込めた。三人目には斧が炸裂。ただし両断までは至らず。
正面に向き直ったときには、かなりスピードが落ちていた。だが、腕力にモノを言わせて、とにかく振り切ることにした。
ヘビ男の姿がない。
いや、姿勢を低くして、地を這うように短剣を突き込んで来た。
こっちは姿勢を崩しているから、いまさら回避もできない。
*
走馬灯のように、むかしの出来事が脳裏をよぎった。
森で暮らしていると、たびたび野犬に襲われることがある。連中は集団で狩りをする。狡猾に。誰かが隙をつくり、別の誰かが襲い掛かる。
この戦いは、知恵比べみたいなところがある。
もちろん無傷では済まない。
回避できない攻撃などいくらでもあった。
大事なのは、弱点で受けないこと。
少しでも急所をズラして、致命傷を避けること。
*
「チッ」
ヘビ男は舌打ちとともに飛びのいた。
ワンテンポ遅れて、俺のハルバードが空を切った。
腕に激痛が走った。
胴体を守るために、前腕で受けてしまった。
距離が空いたまま、睨み合いとなった。
「さすがに反応がいいな、マルコ。けど、かなり深く刺し込んだぜ。その腕じゃ、斧を振り回すのはムリだろ」
「ハルバードです」
「そうだったな。ハルバードのマルコ」
斧が命中した二人は殺せた。
だが、棒に当たった一人は生きていた。そいつもよたよたと起き上がって、短剣を構えた。
傷口が熱い。
脈打つたびに血が噴き出す。
痛みなんてどうしようもないのに、どうにかしろと体が訴えてくる。
だけど……。
「なるほど……。少し分かったかもしれません……」
「あ?」
ヘビ顔の男は、ただでさえ怖い顔なのに、凄んで睨みつけてきた。
ただ、かすかに肩が震えているように見えた。
「俺、いままでいろんな人と戦ってきました。命も奪いました。けど、自分が傷ついたことってなかったんです」
「自慢かよ……。つーか、てめェ、なんで笑ってんだよ……?」
「笑ってませんよ。ただ、少しは理解できたかも、って。俺たち、本当に命の奪い合いをしてたんだって」
「なんだこいつ……」
目をキョロキョロさせていた部下が、ダッと逃げ出した。
ヘビ男はもう反応もしなかった。
「俺たちはたしかに悪党だ。街のルールなんか守らねぇ。ルールが俺たちを守らなかったのと同じようにな。人を騙して、金を巻き上げる。こういう仕事をしてると、たまにお前みたいにイカレたのと一緒になる」
「イカレてませんよ」
いまの俺は、痛みのおかげでむしろ冷静だと思う。
いつもより精神をコントロールしようとしているから。
「まあ聞け。お前みたいに頭のイカレた野郎は、基本的に扱いやすいんだ。行動パターンが決まってるからな。ただ、たまに例外がいて……。そういう連中は、たいてい人として大事なモンを持ってねぇ」
「心、とか?」
「そんなセンチメンタルなモンじゃねぇ。もっと実用的な……危機感だ。俺たちは悪党だが、自分の命だけは大事にする。そいつをなくしたら全部終わりだからな。悪党ったって、所詮は人間だぜ。イキがったところで、街の連中と大差ねぇ。けどお前は……」
「命は大事にしています」
俺が答えると、ヘビ男はふっと笑った。
「ならもっと違うナニカだな」
ハッと気づいたときには遅かった。
騎馬隊がこちらへ駆けてくるところだった。おそらく敵ではない。だが、少なくとも到着時にいくらか混乱をもたらした。
ヘビ男は、短剣をこちらへ投げてきた。
俺はなんとか身を捌いて回避した。が、体勢を立て直したとき、男は姿を消していた。立て続けになだれ込んでくる騎馬隊。
「こいつも闇ギルドですか?」
「違う。協力者だ。見覚えがある」
兵隊長らしき男を制して、クリスティアーノさんが馬を進めてきた。
「確か、マルコとかいったか?」
「はい」
「こっちに逃げてきた賊はどうなった? そこに転がってるので全員か?」
「いえ、三人に逃げられました」
殺せたのは二人だけ。
クリスティアーノさんは馬をおりて、こちらに近づいてきた。
「ということは、たった一人で五人の賊と戦って、二人を殺したってわけか」
「そうなります」
彼らは軽装なだけあって、足が速かった。
ハルバードを担いで追えるスピードじゃない。
「負傷しているようだが?」
「はい。痛いです」
「兵舎に来い。手当てを受けさせてやる」
「ありがとうございます」
*
闇取引の現場は、無事につぶすことができたらしい。
ただ、何人かに逃げられた。それで騎馬隊は、賊の背を追って俺のいた場所まで来たらしかった。
今回の作戦の目的は、あくまで闇取引をつぶすこと。闇ギルドを壊滅させることではない。だから数名に逃げられたところで、それはやむをえないのだという。
「お前、フェデリコと組んでいるらしいな? 帰ったら伝えておけ。次はくだらん脅しなどせず、堂々と用件を伝えに来いとな。俺がキレたら、あいつ死ぬからな? あんまり怒らせるな」
「伝えておきます」
俺が傷の手当てを受けている間、クリスティアーノさんは隣でずっと苦情を言ってきた。
まあ手当てといっても、なんだかよく分からない傷薬を塗りこまれて、包帯でグルグルにされただけだが。
*
100リラもらった。
ギルドの仕事一回分。領主の息子なのに、意外とケチだ。
兵舎で一泊して廃墟に戻った。
朝日さえ遮断する薄暗い室内に、生首が置かれている状況にももう慣れた。
「母さん、これ、昨日のぶんの95リラです。本当は100リラ受け取ったんですが、食事で5リラ使ってしまいました」
「マルコ、座りなさい……」
母さんはなぜかひややかな目つき。
「もしかして俺、またなにかやっちゃいました?」
「いえ、特には。無事に帰ってきてなによりですよ。ですが、腕の包帯はどうしたのです?」
「戦闘で傷を負ってしまったので、手当てを受けました……」
やむをえない。
命の奪い合いをしているのだから。
「痛くありませんか?」
「痛いです」
「では、しばらくお休みなさい。怪我が治るまで仕事は禁止です」
「はい」
俺のことを心配してくれている。
やっぱり母さんは俺を見捨てたのではなかった。以前通り優しい。
「それと、稼いだお金を母に渡す必要もありません」
「えっ?」
「確かに、私はお金を稼いできなさいと言いました。けれども、お金が欲しくて言ったのではありません。あなたが一人でも生きて行けるよう促したかっただけなのです」
「……」
けど、それじゃあ……。
いったいどうやって母さんに恩返しすれば……。
ダァンとドアが開いた。
現れたのは、酒瓶を抱えたカエデさんだ。
「話は聞かせてもらった! その女はウソをついているにゃ!」
「えっ?」
母さんがウソつき……だと?
俺の前でよくそんなことを言える。
魔族はウソをつかない。だから母さんも……ウソをつかない。そういうことになっている。
俺は思わず溜め息をついた。
「証拠はあるんですか?」
「もちろん」
カエデさんはなぜか憤慨している。
そして母さんは……台座の上に鎮座したまま、ごまかすように斜め上を見ていた。
これは……ダメかもしれない。
(続く)