闇ギルド(一)
空模様はいまいち。
だけど、母さんの歌声で目をさますことができて、俺は最高の気分だった。
「おはよう、母さん」
「おはよう、マルコ」
母さんには特等席が用意されていた。椅子の上に台を乗せ、そこに麦わらのクッションを敷き、さらに上等な布で覆われていた。
みんなより少し目線は低いが、テーブルに置かれているよりはよかった。
「オラ、飲めにゃ」
カエデさんが味噌汁を出してくれた。
「ありがとうございます。母さんは?」
「……」
たぶん鳥をつかまえて食べたのだろう。
母さんは昔から生の肉が好きだ。
肉というか、血が好きなのかもしれない。
まあこの辺は……人間と魔族の好みの違いなんだろう。
俺は手早く食事を済ませると、出発の準備を始めた。
「マルコ、どこかへ出かけるのですか?」
「はい。ギルドで仕事を受けて、合法的に人を殺してこようと思ってます」
「気を付けるのですよ」
「はい。気を付けます」
*
ギルドに入ると、みんながぎょっとした表情でこちらを見た。
なにやらヒソヒソ話している人までいる。
カウンターに向かった。
「内容はなんでもいいので、とにかく報酬のいい仕事をください」
受付のおばさんは渋い表情だ。
「あんた、大丈夫なのかい? 魔女に操られたって聞いたけど……」
「もう治りました」
「そうかい? けどね、みんな怖がっちゃってさ。何人かの依頼主が、あんただけは雇うなって言ってきてね」
「えっ?」
愚かなのか?
まあ愚かなのは知っていたが。
そもそも俺は魔法で操られていない。操られていたとして、魔女は死んだのだ。死んだことになっている。なんの問題があるというのだ。
「悪いけど、ロクな仕事は紹介できないよ。ま、安いのでよければ、ペット探しなんかがあるけどね」
「……じゃあいいです」
許しがたい気持ちになったので、俺はギルドを出た。
出たところで、他に仕事のアテなんてないのに。
広場ではおじさんが3000リラの宣伝をしていた。
毎日毎日。
このおじさんが恐怖を煽るから、母さんが殺されそうになったのだ。
「兄ちゃん、仕事探してんのかい?」
痩せた男が近づいてきた。
ヘビみたいな顔をしている。
「はい」
「ちょうどよかった。じつは俺、仕事を引き受けてくれるタフなヤツを探してたんだ。けど、ちっとも人が集まらなくて」
「はぁ」
フェデリコさんみたいなパターンだろうか。
彼はぐっと顔を近づけてきた。
「仕事、しねぇか? 300リラ出せるぜ」
「300……」
「ただ、極秘の仕事でな。あんまし大きな声じゃ言えねぇんだ。こっちに来てくれ。詳しいことを話そう」
「はい」
よかった。
300リラもの大仕事を紹介してくれるなんて。
街の人はみんなつめたいかと思ったけど、決してそうではない。
*
ぐねぐねした路地裏を進んでいった。
道で寝ている人もいた。街で野宿するのは違法だったはずだけど……。この辺は怒られないのだろうか。
「ここだ。入ってくれ」
「はい」
小さなドアを開けると、中もまっくらだった。
酒のにおいがする。
「ボス、作業員連れてきました。大物ですよ。ハルバードのマルコです」
ヘビ男は、なぜか俺の名を知っていた。
奥にいた「ボス」は、ソファにふんぞり返って酒を飲んでいた。
「ほう、こいつがマルコか。強そうじゃねぇか。気に入った」
「マルコです。ところで、どんな仕事をすれば?」
「まあかけてくれ」
ボスはテーブル上のものを乱暴にわきへよけた。
ヘビ男は地図とロウソクを持ってきた。
「ま、世知辛ぇよな。ギルドの野郎、なにを勘違いしてやがるのか、少しでもお行儀のよくない人間には仕事をよこしやがらねぇ。けど、俺たちは違う。やる気のあるヤツは誰でも大歓迎だ!」
「助かります」
「おめぇさん、地図は読めるか? ここ、分かる?」
どっちが北だろう?
俺が首をかしげていると、ボスが地図の向きを変えてくれた。
「こっちが北だな」
「はい。なんとなく分かりました」
「今度の月曜、ちょっとした商取引があるんだが……。どうにも人手が足りなくてな。あんたには、ここを警備して欲しいんだ」
「警備?」
「あー、難しく考えるこたねぇ。ただ突っ立ってればいいんだ」
ただ突っ立ってるだけ?
それで300リラ?
いい仕事じゃないか!
「やります」
「おう、いい返事だ。最近、なにかと物騒だろ? みんな、こんな簡単な警備さえ引き受けてくれなくてな。ギルドの連中も非協力的だし。困っちまうよ」
「俺も、ギルドのやり方はちょっとどうかと思います」
「だよな。こうしてみんなで仕事を分け合えば、みんなで稼げるってのによ。ま、とにかく頼むぜ。月曜の夜、三回目の鐘が鳴ったら、地図の場所へ来てくれ」
「どれくらい立ってたらいいですか?」
「夜明けには終わる。そのときは連絡するから、あんたはなにも考えなくていい」
「はい!」
簡単そうだ!
これで300リラ!
なんでみんなこの仕事をしないんだろう……。
*
そのままフェデリコさんの私塾に向かった。
朝は姿を見なかったけど、たぶんいると思う。
「マルコです。いますか?」
「入りたまえ」
ドアを開けると、中にはジョヴァンニさんもいた。あともう一人、見たことのない少女も。
「少し手紙を書いている。それが終わるまで待っていてくれ」
「はい」
フェデリコさんは、王都とも連絡をとっている。
忙しいのだ。
「久しぶりだね、マルコさん。元気そうでよかった」
「はい」
「あ、こっちの子は、ソフィアさん。この塾の生徒だよ」
すると髪を二つに結んだ小柄な少女が、ふんと鼻を鳴らした。
「ソフィアよ。私は回復魔法をお勉強しているの。あなた、マルコっていうの? なに? なにができるの? 専門は?」
「冒険者です……」
「そんなの見れば分かる。私が聞いてるのは、学問の分野よ。なにを専攻してるの?」
「せんこー?」
「どの知識を深めたいの?」
「一般常識です……」
するとソフィアさんは、なんとも言えない顔で固まってしまった。
「一般常識……。え、一般常識? 先生! 教えてください、このマルコという人は、いったいなにを言っているのです? 教えてください!」
「いま手紙を書いている。少し待ちたまえ」
「ぐぬぬ……」
ソフィアさんは、なぜか俺を睨みつけてきた。
一般常識――。
それは、俺が知りたくて知りたくて仕方のないもの。
知らないと怒られる。
教えて欲しいというと、みんな理解不能といった顔で見てくる。
誰も教えてくれない。
バカにされる。
俺は永遠にこの地獄から抜け出せないのかもしれない。
「で、でも、一般常識は大事ですよ。ね、マルコさん?」
ジョヴァンニさんが、間に入ってくれる。
本当に優しい。
俺がこれまで出会った人間で、一番優しいかもしれない。
「はい。俺にとっては大事なことなんです」
ソフィアさんは、それでも不満顔だ。
「くっだらない。私たちは、あのフェデリコ先生から直接学んでいるのよ? なんでそんなに低レベルなの?」
「けど、ソフィアさんの回復魔法だって、寺院で学べるじゃないか?」
ジョヴァンニさんがそう言い返すと、ソフィアさんはだんだんと地団駄を踏んだ。
「寺院なんてクソ喰らえよ! あいつら、私になんて言ったと思うの? 女性なんだから、魔法なんか覚えなくても社会の役に立ちますよ、だって! 誰が社会の役に立ちたいなんて言ったのよ! 私は、私のために回復魔法をおぼえたいの!」
「なにが違うの?」
「たとえば、怪我をしてる人がいるとするでしょ? そいつはほっとくと死んじゃうワケ。けど、私がいたら? お金を払えば治してあげる。そういうビジネスのための下準備なのよ、これは」
「魔法をそんなことに使うなんて……」
「なに? ダメなの?」
俺はいいと思う。
お金をもらわないで助けるのが一番だとは思うけど。それじゃあ、回復魔法をおぼえた人がなにも得られない。タダ働きだ。
自分の力をお金に変える。
それは俺もやっていることだ。
フェデリコさんがデスクを片付け、こちらへ向き直った。
「あまり詳しくは言えんが、回復魔法は儲かるぞ。ソフィアくんの考えは悪くない」
「そうですよね、先生!」
俺も知っている。
この街の外にも、回復魔法を専門にした秘密サークルがある。貴族たちが顧客となっている。その仕事は、なぜかたいへん儲かるらしい。
ソフィアさんは、しかしすぐに顔をしかめた。
「けど、一般常識というのは? まさかこの人、世界のすべてを知ろうとお考えなのですか?」
「そうだ。マルコくんは、そういう男だ。ひとつの分野に縛られず、あらゆる知識を欲している。君たちもぼやぼやしていると追い抜かれるぞ」
「こ、こんなヤツに……?」
そうだっけ?
一般常識というのは、そこまで大変なことだったのか?
自信がなくなってきた……。
「本日は回復魔法について教える。ただし、いつも言っている通り、人間が魔法を使うということ自体、並大抵のことではない。努力と才能、この両方がそろわねば、どんな初歩的な魔法も使えない。才能がなければ、人の倍努力する必要があるぞ。白、赤、黒、緑、あらゆる元素に習熟し、調和させねばならない」
フェデリコさんは急に力説を始めたが、いきなり分からない。
だが、分からない俺のために説明してくれた。
この世界には、四つの元素があるという。
白、赤、黒、緑。
この国も、古くからの四つのエリアに分かれている。
俺たちが住んでいるのは緑のエリア。
王都があるのは白のエリア。
魔法には色がついている。色について念じると、魔法が出る。色の配分によって、魔法の性質も変わってくるのだという。
まあそれが分かったところで、魔法が使えるようになるわけでもないが。
最後まで意味不明な話が続いたが、ソフィアさんは身を乗り出して聞いていた。
ジョヴァンニさんは……いまいち反応が薄い。
「いささか熱が入り過ぎた。本日はここまでにしよう。なにか質問はあるかな? 可能な範囲でお答えしよう」
俺は挙手をした。
「回復魔法以外についてでもいいですか?」
「ああ。なんでも構わん。私の知能を役立てることができるならな」
仕事の相談をしてみた。
まず、俺が心の底から母さんを大事に思っていること。そのためにお金が必要なこと。なのにギルドの仕事を断られたこと。見知らぬ人に仕事を進められたこと。300リラももらえること。
みんな、なんとも言えない顔でこちらを見ていた。
「マルコくん、率直に言うぞ」
「はい!」
「君は騙されている」
「えっ?」
えっ?
騙されている?
誰が?
誰に?
「まず、君に仕事を斡旋した連中。おそらく闇ギルドだ。非合法な仕事を扱っている。そして月曜、街の外れの倉庫を守れと言われたな? おそらく衛兵との戦闘になるぞ」
「はい?」
「いつもの手口だ。闇ギルドは、なにも知らない人間を雇い、ある場所を守らせる。その上で、そこで悪事が行われていると通報するのだ。衛兵たちはそこに殺到する。君は応戦するだろう。意味も分からぬままにな」
「え、なんでです? 自分で雇って自分で通報するんですか?」
「そこがミソだ。同じころ、別の場所で、闇ギルドは非合法の取引を済ませる。衛兵は君と戦うのに必死になっているからな。もちろん君は死ぬ。報酬は1リラも支払われん」
「はい? じゃあ俺、騙されたんですか?」
「そう言っている」
人類、滅ぶべし!
クソ人間しかいないのか、この街は……。
いや、いい人もいる。
フェデリコさんに相談できてよかった。
「俺、どうすれば?」
「私に策がある。きっと闇ギルドは、倉庫以外のどこかで商売をするつもりだろう。その場所を特定し、叩く」
「戦うんですか?」
「例のバカ息子にやらせよう。こちらはヤツの弱みを握っているからな。闇ギルドを叩けば、ヤツにとっても自分の存在をアピールするチャンスとなる。妹殺害の容疑者という悪い印象も一掃したいだろうしな」
ここでバカ息子を使うのか。
できれば母さんのときに使って欲しかったけど。
「もしやるなら、俺も参加したいです」
「わざわざリスクをおかすというのか? だがまあ、もし君も参加するというのなら、ヤツを説得しやすくなるだろう」
闇ギルド――。
人を騙すような悪党は、滅んだほうがいい。
どうせ違法組織だろうし。
(続く)