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ペルソナ・ノングラータ  作者: 不覚たん
第一章 嵐の前(プリマ・デラ・テンペスタ)
15/82

母さんです

「申し遅れました。私、王都から派遣されてきた研究者のフェデリコと申します。あなたはやはり……あの高名な西の森の魔女では……?」

 フェデリコさんは、珍しく丁寧な態度で自己紹介をした。

 けど、西の森の魔女じゃないという話だったのでは……。


 母さんはなぜか満足げだ。

「その通り。私はあの西の森の魔女。力はだいぶ衰えていますが」

「まさかこうしてお会いできるとは……」

「先ほどはマルコを助けてくれたこと、感謝します。この子はあまり……機転の利くほうではないので。賢いお友達ができて嬉しく思います」

「言いづらいのですが、人間の中では天才だと思っています」

 言い過ぎだ。

 あと仲良くするのはいいけど、適切な距離をたもって欲しい。少し近すぎる。


「けど、母さん、なんであんなことを……? 俺のことも追い出して」

「全員が生き延びるには、ああするしかなかったのです。世界の均衡が崩れ始めていましたし。こういうとき、不安になった街のものたちは、たいてい魔女を殺そうと考えます。彼らはなんでもかんでも魔女のせいにしますから。そこで、マルコを巻き込まないよう、外へ出したのです。独立して欲しいという気持ちもありましたし……」

 独立はもういい。

 俺は母さんとずっと一緒にいる。

 そう決めた。


 フェデリコさんがかすかに息を吐いた。

「やはり世界に異変が?」

「ええ。理由はなんとなく察しがつきますが。ともあれ、平和な時代は終わりました。これからは、混沌とした時代になってゆくことでしょう」

「じつは古代遺跡の機械人形が駆動し始めています。魔力のバランスが崩れているせい、という仮説もあるのですが……」

「まあそういうことでしょうね」

「理由を教えていただけませんか?」

「気が進みませんね。人が知る必要があるのですか?」

「人はどうでもいいのです。私が知りたい」

 おそらく本心だろう。

 フェデリコさんは、自分が知識を極めることができるなら、他人などどうでもいいのだ。


 母さんはフッと笑った。

「では気が向いたときにでもお話ししましょう。それより、あまり長いことここにはいられませんよ。魔女が死んだとなれば、確認のための兵が差し向けられることでしょう。どこかへ避難しなければ」

「でしたら私の別荘へいらしてください。その代わりといってはなんですが、私の研究にもご協力願いたい」

「ええ。それがいいでしょう」


 しかしどれだけ眺めても不思議だ。

 テーブルに置かれた生首が、普通に喋っている。


「母さん、死なないよね?」

「ええ。私は魔族ですよ。普通の人間とは違います。それにしても……」

 母さんは目を細めた。

 あきれているときの顔だ。

「なんです?」

「私のことを、いまでも母と呼んでくれるのですか?」

「はい。俺の母さんは、母さんだけなので」

「そうですか……」


 俺が風邪をひいたとき、ずっと寄り添ってくれた。

 俺の誕生日のとき……。いつもは生肉のミンチなのに、火で焼いて食べさせてくれた。

 俺が駄々をこねると、一緒に寝てくれた。


 ただ契約で育ててくれたとは思えない。

 俺はこの人を本当の母だと思っているし、できる限りの恩返しがしたいと思っている。


 *


 母さんを箱にしまって、こそこそと森を出た。


 カエデさんにどう説明すべきかは分からない。

 急に見せたら驚くだろう。

 急じゃなくても驚くだろう。


「それは大丈夫なのか? 箱の中で転がってないか?」

「大丈夫です。母さんのことは俺が完璧に守ります」

 フェデリコさんはポイントを稼ごうとしているのか、余計なことを言ってくる。

 母さんのことは俺に任せて欲しい。


 それにしても、許せないのは街の連中だ。

 フェデリコさんの言う通り、愚かものの集まりだ。

 母を殺したところで、事件が解決するわけがないのに。あいつらは、魔族を殺すことができれば、それでとにかく満足なのだ。まったく理屈が通っていなくても関係がない。本気で事件を解決する気なんかない。不安になれば、きっとまた魔族を殺す。満足するまで殺しを続ける。獣以下だ。最後は自分たちで殺し合って滅べばいい。


 *


 廃墟についた。

 カエデさんは不安そうな表情で出迎えてくれた。

「どうだったの?」

「カエデさん、驚かないでくださいね?」

「うん……」

 俺はテーブルに箱を置いた。

「驚かないでくださいね?」

「え、なんだにゃ? なにを見せる気?」

「母さんです……」


 フタをとると、カエデさんはびくっと身をすくませた。

「マルコの母です。マルコ、出しなさい。斜めになっていますよ」

「いま出します」

 確かに斜めになってしまっている。

 俺がちゃんと運ばなかったから。

 俺はダメな人間だ。

 母さんをまっすぐにしたまま運ぶことさえできないのだから。


「え、なに? 声するんだけど?」

 カエデさんは部屋の隅まで引いている。

「だから、母さんです。首だけになってますけど……。なんとか生きてるんです」

「はぁ?」


 俺は母さんの頭部を、そっとテーブルに置いた。

「あらためて、こんにちは。マルコの母です。とうに名は捨てました。私のことは、魔女とでもなんとでもお呼びになって」

「カ、カエデだにゃ……」

「にゃ?」

 やはりそこが気になるようだ。

 俺も気になっている。


 フェデリコさんが椅子に腰をおろした。

「そう怯えることはない。このお方は、あの伝説的な西の森の魔女なのだぞ。その存在を、我々人間の尺度で判断すべきじゃない」

「いや、でも……。えーっ。そんなことある? おとぎ話でしか聞いたことないよ、こんなの」

「いずれ科学で説明できる。だが、いまはまだ、魔法ということにしておこうじゃないか」

 魔法って便利だな。


 ふと、母さんが眉をひそめた。

「しかしなんですか? 不衛生なにおいがしますね?」

 これにカエデさんもピクッとした。

「な、なんのこと言ってるにゃ……?」

「野生の人間のにおいがします。クソ投げザルでも飼っているのですか?」

「あぁん? もしかしてあたしの味噌汁のこと言ってるのかにゃ? あんた、マルコの母親だかなんだか知らないけど、こいつらあたしの味噌汁飲んでデカくなったんだにゃ。あとから出てきてギャーギャー言われる筋合いはねーにゃ!」

 いや、俺が大きくなったのは母さんのおかげだ。

 フェデリコさんも、王都で育った。

 カエデさんのおかげではない。


 母さんは不快そうに目を細めた。

「どうせ未開の地の食べ物でしょう。不快ですから、外でやっていただきたいものですね」

「母さん! なんでそんなひどいこと言うんですか? 確かに臭いスープですけど、なれればおいしいんですよ!」

 さすがにカエデさんが可哀相になった。

「マルコ、都会に出てこざかしくなりましたね。もともと、あなたは母の手料理を嫌っていましたからね。母から離れられてせいせいしたことでしょう」

「そんなことない! 俺はずっと母さんのこと考えてました! そんなこと言わないでください!」

「ではもし、このくさいスープと母の手料理、目の前に並べられたらどちらを選ぶのですか?」

「えっ?」


 いや、それは……。

 だいたい、手料理とか言っているが、野生の動物をそのまま魔法ですりつぶしただけのモノじゃないか。それを苦いハーブと一緒に飲む。そのハーブだって、べつに味付けのためにあるわけじゃない。下痢止めだ。

 そもそも母のアレは、料理ではない。動物の死骸だ。

 どう考えても味噌汁しかない。


 母さんはかなり目を細めている。

「マルコ、お返事はどうしました?」

「か……母さんの……手料理です……」

「……」

 神はいない。

 仮にいたとして、俺を救わない。

 分かっていたはずなのに……。


 フェデリコさんは、鍋の味噌汁をカップにすくった。

「しかしお母上、異文化に触れるのもたまにはよいものです。彼女たちがどのような食材を、どのように扱っているのか、知ることができます」

「どうせ植物を保存のために発酵させたものでしょう」

「料理は、魔法に似ていると聞きます。好奇心をそそられませんか?」

「ま、一口だけなら味わってもいいでしょう」

 母さんを……説得しただと?

 絶対に他人の意見を聞かない母さんを!?


 しかもフェデリコさんは、俺にカップをよこしてきた。母さんに味噌汁を飲ませる役を、俺に回してくれたのだ。この人、性格もいい人なのでは?

「母さん、角度は?」

「このままで大丈夫です。それはいいのですが、熱いのでは?」

「意外と大丈夫です」

「マルコ、いつも思うのですが、あなたは自分を基準にして喋りますね? 少しは他人を気遣えるようになったのですか?」

「はい! 俺は完璧に母さんのことを思ってます。ほら、飲んで」

 カップを傾けると、母さんは目を見開いた。

「ほぐっ」

「よかったらいいって言ってくださいね」

「ほぐっ、ほぐっ」

 勢いよく飲んでいる。


 フェデリコさんが止めてきた。

「マルコくん、君はお母上を殺す気か?」

「えっ?」

「見ろ。あきらかに苦しんでいるだろう」

「えっ?」

 おいしくてがぶ飲みしていたのではなかったのか……?


 母さんは、俺を睨んでいた。

「マルコ、言いましたよね? あなたは、自分を基準にモノを考えるのをおやめなさい。少しは相手の気持ちになって行動しなさい。本当に。子供のころからちっとも直っていませんよ?」

「ごめんなさい……」

 タオルがなかったので、俺は袖で母さんの口をぬぐった。味噌汁でびちょびちょだ。

 母さんは溜め息だ。

「分かりました。認めます。想像よりもいいスープでした。私は魔族ですから、あなたがたとは好みも異なるでしょう。その違いを盾にして、一方的に私の感情を押し付けたことはお詫びします。カエデさん、私の愚かさを許してくださいね」

 するとカエデさんも「べつにいいけどにゃ、いつものことだし」となんとも言えない顔。


「そして、マルコ」

「はい!」

「あなたと違って、母は繊細なのです。もっと大事に扱いなさい」

「はい」

 ああ、でも……首の下にも味噌汁が。

 俺は母さんを持ち上げて、袖でテーブルを拭いた。


 そのとき、ふと思ったのだ。

 母さんの首は……その切断面は、どうなってるのだろうか、と……。


「わあ、母さん! 下から見ると尻の穴みたいになってますよ!」

「マルコ……」


 *


 俺は一人、ベッドで丸くなった。


 母さんに怒られた。

 人生で一番怒られたかもしれない。

 やはり俺は、あのとき土の中で死ぬべき人間だったのだ。


 今日はどうしようもない一日だった。

 街の人間が嫌いになった。

 母さんは死んだかと思った。

 でも、生きていた。

 いろいろ誤解はあったけど、その誤解もとけて、また前みたいに仲良くなれると思った。


 だけど、嬉しすぎて空回りしてしまった。

 母さんを怒らせてしまった。

 自分が許せない。


 そうだ!


 お金だ。

 お金を稼いで渡せば、少しは喜んでくれるかもしれない。


 ギルドに行かないと。

 合法的に殺して、お金を稼ぐ。

 それを繰り返せば、母さんは喜んでくれるんだ。


(続く)

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