母さんです
「申し遅れました。私、王都から派遣されてきた研究者のフェデリコと申します。あなたはやはり……あの高名な西の森の魔女では……?」
フェデリコさんは、珍しく丁寧な態度で自己紹介をした。
けど、西の森の魔女じゃないという話だったのでは……。
母さんはなぜか満足げだ。
「その通り。私はあの西の森の魔女。力はだいぶ衰えていますが」
「まさかこうしてお会いできるとは……」
「先ほどはマルコを助けてくれたこと、感謝します。この子はあまり……機転の利くほうではないので。賢いお友達ができて嬉しく思います」
「言いづらいのですが、人間の中では天才だと思っています」
言い過ぎだ。
あと仲良くするのはいいけど、適切な距離をたもって欲しい。少し近すぎる。
「けど、母さん、なんであんなことを……? 俺のことも追い出して」
「全員が生き延びるには、ああするしかなかったのです。世界の均衡が崩れ始めていましたし。こういうとき、不安になった街のものたちは、たいてい魔女を殺そうと考えます。彼らはなんでもかんでも魔女のせいにしますから。そこで、マルコを巻き込まないよう、外へ出したのです。独立して欲しいという気持ちもありましたし……」
独立はもういい。
俺は母さんとずっと一緒にいる。
そう決めた。
フェデリコさんがかすかに息を吐いた。
「やはり世界に異変が?」
「ええ。理由はなんとなく察しがつきますが。ともあれ、平和な時代は終わりました。これからは、混沌とした時代になってゆくことでしょう」
「じつは古代遺跡の機械人形が駆動し始めています。魔力のバランスが崩れているせい、という仮説もあるのですが……」
「まあそういうことでしょうね」
「理由を教えていただけませんか?」
「気が進みませんね。人が知る必要があるのですか?」
「人はどうでもいいのです。私が知りたい」
おそらく本心だろう。
フェデリコさんは、自分が知識を極めることができるなら、他人などどうでもいいのだ。
母さんはフッと笑った。
「では気が向いたときにでもお話ししましょう。それより、あまり長いことここにはいられませんよ。魔女が死んだとなれば、確認のための兵が差し向けられることでしょう。どこかへ避難しなければ」
「でしたら私の別荘へいらしてください。その代わりといってはなんですが、私の研究にもご協力願いたい」
「ええ。それがいいでしょう」
しかしどれだけ眺めても不思議だ。
テーブルに置かれた生首が、普通に喋っている。
「母さん、死なないよね?」
「ええ。私は魔族ですよ。普通の人間とは違います。それにしても……」
母さんは目を細めた。
あきれているときの顔だ。
「なんです?」
「私のことを、いまでも母と呼んでくれるのですか?」
「はい。俺の母さんは、母さんだけなので」
「そうですか……」
俺が風邪をひいたとき、ずっと寄り添ってくれた。
俺の誕生日のとき……。いつもは生肉のミンチなのに、火で焼いて食べさせてくれた。
俺が駄々をこねると、一緒に寝てくれた。
ただ契約で育ててくれたとは思えない。
俺はこの人を本当の母だと思っているし、できる限りの恩返しがしたいと思っている。
*
母さんを箱にしまって、こそこそと森を出た。
カエデさんにどう説明すべきかは分からない。
急に見せたら驚くだろう。
急じゃなくても驚くだろう。
「それは大丈夫なのか? 箱の中で転がってないか?」
「大丈夫です。母さんのことは俺が完璧に守ります」
フェデリコさんはポイントを稼ごうとしているのか、余計なことを言ってくる。
母さんのことは俺に任せて欲しい。
それにしても、許せないのは街の連中だ。
フェデリコさんの言う通り、愚かものの集まりだ。
母を殺したところで、事件が解決するわけがないのに。あいつらは、魔族を殺すことができれば、それでとにかく満足なのだ。まったく理屈が通っていなくても関係がない。本気で事件を解決する気なんかない。不安になれば、きっとまた魔族を殺す。満足するまで殺しを続ける。獣以下だ。最後は自分たちで殺し合って滅べばいい。
*
廃墟についた。
カエデさんは不安そうな表情で出迎えてくれた。
「どうだったの?」
「カエデさん、驚かないでくださいね?」
「うん……」
俺はテーブルに箱を置いた。
「驚かないでくださいね?」
「え、なんだにゃ? なにを見せる気?」
「母さんです……」
フタをとると、カエデさんはびくっと身をすくませた。
「マルコの母です。マルコ、出しなさい。斜めになっていますよ」
「いま出します」
確かに斜めになってしまっている。
俺がちゃんと運ばなかったから。
俺はダメな人間だ。
母さんをまっすぐにしたまま運ぶことさえできないのだから。
「え、なに? 声するんだけど?」
カエデさんは部屋の隅まで引いている。
「だから、母さんです。首だけになってますけど……。なんとか生きてるんです」
「はぁ?」
俺は母さんの頭部を、そっとテーブルに置いた。
「あらためて、こんにちは。マルコの母です。とうに名は捨てました。私のことは、魔女とでもなんとでもお呼びになって」
「カ、カエデだにゃ……」
「にゃ?」
やはりそこが気になるようだ。
俺も気になっている。
フェデリコさんが椅子に腰をおろした。
「そう怯えることはない。このお方は、あの伝説的な西の森の魔女なのだぞ。その存在を、我々人間の尺度で判断すべきじゃない」
「いや、でも……。えーっ。そんなことある? おとぎ話でしか聞いたことないよ、こんなの」
「いずれ科学で説明できる。だが、いまはまだ、魔法ということにしておこうじゃないか」
魔法って便利だな。
ふと、母さんが眉をひそめた。
「しかしなんですか? 不衛生なにおいがしますね?」
これにカエデさんもピクッとした。
「な、なんのこと言ってるにゃ……?」
「野生の人間のにおいがします。クソ投げザルでも飼っているのですか?」
「あぁん? もしかしてあたしの味噌汁のこと言ってるのかにゃ? あんた、マルコの母親だかなんだか知らないけど、こいつらあたしの味噌汁飲んでデカくなったんだにゃ。あとから出てきてギャーギャー言われる筋合いはねーにゃ!」
いや、俺が大きくなったのは母さんのおかげだ。
フェデリコさんも、王都で育った。
カエデさんのおかげではない。
母さんは不快そうに目を細めた。
「どうせ未開の地の食べ物でしょう。不快ですから、外でやっていただきたいものですね」
「母さん! なんでそんなひどいこと言うんですか? 確かに臭いスープですけど、なれればおいしいんですよ!」
さすがにカエデさんが可哀相になった。
「マルコ、都会に出てこざかしくなりましたね。もともと、あなたは母の手料理を嫌っていましたからね。母から離れられてせいせいしたことでしょう」
「そんなことない! 俺はずっと母さんのこと考えてました! そんなこと言わないでください!」
「ではもし、このくさいスープと母の手料理、目の前に並べられたらどちらを選ぶのですか?」
「えっ?」
いや、それは……。
だいたい、手料理とか言っているが、野生の動物をそのまま魔法ですりつぶしただけのモノじゃないか。それを苦いハーブと一緒に飲む。そのハーブだって、べつに味付けのためにあるわけじゃない。下痢止めだ。
そもそも母のアレは、料理ではない。動物の死骸だ。
どう考えても味噌汁しかない。
母さんはかなり目を細めている。
「マルコ、お返事はどうしました?」
「か……母さんの……手料理です……」
「……」
神はいない。
仮にいたとして、俺を救わない。
分かっていたはずなのに……。
フェデリコさんは、鍋の味噌汁をカップにすくった。
「しかしお母上、異文化に触れるのもたまにはよいものです。彼女たちがどのような食材を、どのように扱っているのか、知ることができます」
「どうせ植物を保存のために発酵させたものでしょう」
「料理は、魔法に似ていると聞きます。好奇心をそそられませんか?」
「ま、一口だけなら味わってもいいでしょう」
母さんを……説得しただと?
絶対に他人の意見を聞かない母さんを!?
しかもフェデリコさんは、俺にカップをよこしてきた。母さんに味噌汁を飲ませる役を、俺に回してくれたのだ。この人、性格もいい人なのでは?
「母さん、角度は?」
「このままで大丈夫です。それはいいのですが、熱いのでは?」
「意外と大丈夫です」
「マルコ、いつも思うのですが、あなたは自分を基準にして喋りますね? 少しは他人を気遣えるようになったのですか?」
「はい! 俺は完璧に母さんのことを思ってます。ほら、飲んで」
カップを傾けると、母さんは目を見開いた。
「ほぐっ」
「よかったらいいって言ってくださいね」
「ほぐっ、ほぐっ」
勢いよく飲んでいる。
フェデリコさんが止めてきた。
「マルコくん、君はお母上を殺す気か?」
「えっ?」
「見ろ。あきらかに苦しんでいるだろう」
「えっ?」
おいしくてがぶ飲みしていたのではなかったのか……?
母さんは、俺を睨んでいた。
「マルコ、言いましたよね? あなたは、自分を基準にモノを考えるのをおやめなさい。少しは相手の気持ちになって行動しなさい。本当に。子供のころからちっとも直っていませんよ?」
「ごめんなさい……」
タオルがなかったので、俺は袖で母さんの口をぬぐった。味噌汁でびちょびちょだ。
母さんは溜め息だ。
「分かりました。認めます。想像よりもいいスープでした。私は魔族ですから、あなたがたとは好みも異なるでしょう。その違いを盾にして、一方的に私の感情を押し付けたことはお詫びします。カエデさん、私の愚かさを許してくださいね」
するとカエデさんも「べつにいいけどにゃ、いつものことだし」となんとも言えない顔。
「そして、マルコ」
「はい!」
「あなたと違って、母は繊細なのです。もっと大事に扱いなさい」
「はい」
ああ、でも……首の下にも味噌汁が。
俺は母さんを持ち上げて、袖でテーブルを拭いた。
そのとき、ふと思ったのだ。
母さんの首は……その切断面は、どうなってるのだろうか、と……。
「わあ、母さん! 下から見ると尻の穴みたいになってますよ!」
「マルコ……」
*
俺は一人、ベッドで丸くなった。
母さんに怒られた。
人生で一番怒られたかもしれない。
やはり俺は、あのとき土の中で死ぬべき人間だったのだ。
今日はどうしようもない一日だった。
街の人間が嫌いになった。
母さんは死んだかと思った。
でも、生きていた。
いろいろ誤解はあったけど、その誤解もとけて、また前みたいに仲良くなれると思った。
だけど、嬉しすぎて空回りしてしまった。
母さんを怒らせてしまった。
自分が許せない。
そうだ!
お金だ。
お金を稼いで渡せば、少しは喜んでくれるかもしれない。
ギルドに行かないと。
合法的に殺して、お金を稼ぐ。
それを繰り返せば、母さんは喜んでくれるんだ。
(続く)