森へ
世界は最初から俺に優しくなかった。
だから、ハナからハッピーエンドなんて期待していなかった。
それでも、こんなに早く終わりを迎えるとは、思っていなかった。
*
それは「異教徒狩り」の名のもとに始まった。
市民たちが武器を手に取り、金で雇ったギルドの戦士たちを引き連れて、西の森を目指すというものだ。
西の森には魔女がいる。
そんな迷信があったからだ。
いや、迷信ではなく、実際にいるのだが……。
俺はその作戦に、ギルドの戦士として参加した。
アルトゥーロさんもいた。
ほかにも、一緒に仕事をしたことのあるおじさんたちが数名。
なぜかフェデリコさんまでついてきた。本当になぜかは分からない。いい作戦が思いつかなかったから、カエデさんの策に乗ったのか。
そのカエデさんは、今日はお休みだ。
ここに混ざったら余計に怪しまれるから、いないほうがいいんだとか。
いま俺たちは、森を進んでいる。
遠くから見るぶんには、日の光を浴びて美しい森だ。しかし実際に足を踏み入れると、急に薄暗くなってくる。
「なんだか野犬が多いな」
「ムリもねぇよ。この辺は滅多に人が入らねーからな」
「魔女なんてホントにいるのか?」
「俺はいないほうに賭けるね」
「いてもどうせ婆さんだろ。俺がぶっ殺してやるよ」
「どっちが先にヤれるか競争しようぜ」
男たちはピクニックでもしているかのように楽しそうに雑談する。
いますぐ全員殺してやりたい。
アルトゥーロさんが話しかけてきた。
「どうした、マルコ? もう疲れたのか?」
「いえ……」
「そう不安になるなよ。魔女の正体がどんなのかは分からないが、人類は常に魔族に勝利してきたんだ。勝てない相手じゃない」
「はい……」
この人は、親切でそう言ってくれているのだ。
なのに、どうしようもなく怒りがわいてくる。
メンバーは二十数名。
かなりの大所帯だ。
みんな余裕そうな顔をしている。
「おい、見ろ。サルがいるぞ」
「クソ投げザルだな。近寄らないほうがいい。前に近所のレオがクソまみれにされた」
「そいつは魔女よりおっかねぇ」
「ちげぇねぇ! ガハハ!」
これから人を殺すというのに、なぜこんなに楽しそうなんだろう。
これではまるで……。
そうだ。
街に来たばかりの、俺みたいだ。
*
はじめはおとなしくしていたフェデリコさんが、徐々に仕切り始めた。
「いいか、魔女は、人間には到底及ばないレベルの高度な魔法を使う。君たち、笑っていると死ぬぞ。いや、死ぬよりもひどい。特に魔女は……」
すると男の一人が舌打ちした。
「なあ、学者先生よ。誰があんたに演説を頼んだんだ? 今日の仕事は、俺たちの仕切りでやってんだ。偉そうなお説教はやめてもらおうか」
これにはフェデリコさんも顔をしかめた。
「ふん。魔女は、我々の精神すら操るというぞ。あなどって後悔しても知らんからな」
「怖いんだろ? ガリ勉野郎は引っ込んでろ。だいたい、なんであんたが参加してんだ? お勉強で食っていけなくなって、冒険者になりさがったのか?」
この市民の言葉に冒険者たちがピリついたが、誰も文句を言わなかった。
それにしても、精神すら操る――か。
人間には使えない記憶魔法というヤツだろう。
じつは俺もそれにかかっているのかもしれない……。
*
さらに進むと……。
そうだ。
家が近づいてきた。
俺と魔女が、ずっと暮らしていた小さな家。
その前に、大きなとんがり帽子をかぶった女が立っていた。
魔女だ。
どういうつもりなのか知らないが、よりによっていかにも魔女らしい格好をしている……。
「えっ? あれが魔女か?」
「いい女じゃねーかよ」
「ん? あの顔、どこかで見たような……」
おじさんというよりは、もうお爺さんといった様子の男が目を細めた。
だが、別の参加者が笑い飛ばした。
「なんだよ、爺さん。あんた、魔女の知り合いだったのか?」
「いや、むかし街で見た女に似てるような……」
「魔女が街にいるわけねーだろ」
二十名以上の人間を、一瞬で殺すことはできない。
少なくとも俺一人の力では。
だから、できるだけ戦って、足止めして、魔女が逃げる時間を稼ぐ。
魔女は告げた。
「騒々しいですね、人間たち。ここは魔女の領域。いったいどんなご用で?」
俺の存在にも気づいているはずなのに、完全に無視している。
いや、いい。
俺は俺で勝手にやらせてもらう。
男の一人が言った。
「しらばっくれるなよ。お前が領主の娘を殺したのは分かってんだ。おとなしく街に出頭しろ」
「もし嫌だと言ったら?」
「ムリにでも連れて行く。死体にしてでもな」
バカめ。
死体になるのはお前のほうだ。
俺はハルバードを手に、先頭に躍り出た。
「おう、ギルドの新人か!」
「やれやれ!」
「その斧が見せかけじゃねーってこと、思い知らせてやれ!」
後ろからはやし立ててくる。
だが、俺の敵はお前たちだ。
俺はハルバードを構えて、魔女の前に立った。
「魔女には指一本触れさせない。死にたくなければ全員さがれ」
「……」
みんな唖然としていた。
ただ、フェデリコさんだけが騒ぎ立てた。
「見ろ! あれが魔女の力だ! ああやって精神を操って、自分の味方につけるのだ!」
「なんだって……」
「なにをぼうっとしているんだ! みんな距離を取れ!」
フェデリコさんの言う通り、みんなじわじわと後退を始めた。
だが、撤退までは至らない。
魔女は目を細め、小声で俺に語り掛けてきた。
「小賢しいマネを……。私はもう帰ってくるなと言ったのですよ? それで? このあとの計画は?」
「俺が守ります。あなたは逃げてください」
「逃げる? どこへ?」
「どこへでも」
お願いだから。
ぼうっと突っ立ってないで、とにかく1パーセントでも生存のための可能性を模索して欲しい。
魔女はフッと笑い、よく通る声でみんなに呼びかけた。
「見ての通り、私にとって、人の心を操るなどたやすいこと。ですが、それだけです。それ以上の力は、もう、私には残されてはいないのです」
えっ?
やはり本当は西の森の魔女ではなく、ただあとからやってきて住んでいただけの魔族の女だった……のか?
魔女は、静かに告げた。
「ですので、降伏します」
降伏?
なぜ?
なぜ?
なぜ?
どうしてそんな発想になる?
「待ってくれ、母さん! ここは俺が食い止めるから、早く逃げてくれ!」
「黙りなさい、人の子。本当に、もう戦う力が残されていないのです」
「なら契約する! 魔女なんだろ! 俺の力を奪ってくれ! お願いだから!」
「その程度の命が、私の役に立つとでも? とにかく、私は降伏しますから」
なんだよ、降伏って?
街の連中はまともじゃない。みんなと同じ法で魔女を裁くわけがない。絶対に火あぶりされる。そんなこと、本人だって分かっているはずだろうに。
男の一人が愉快そうに口元をゆがめた。
「へえ。なら、おとなしくついて来てもらおうか……」
「いえ、それも応じかねます。降伏はしますが、この身をあなたがたの好きにさせるつもりもありませんので」
「あ?」
「私の答えは、こう……」
魔女がなにかを包み込むように、両手を差し出した。
そこへ、ふっとエネルギーが集中した。魔法の素養がなくても分かる。球状のエネルギーが強烈な光を放っている。
「私の肉体は、この森へ還すことにしましょう」
高まり切ったエネルギーが、一気に炸裂した。
同時に、魔女の身体が、水風船のようにパァンと爆ぜた。
赤い肉が細切れになりながら、赤い血液の糸を引いて、四分五裂したのだ。ある肉片は大地へ、ある肉片は木々へ、ある肉片は俺たちの顔面へ……。
「うわああああっ」
全員が喚いた。
俺も喚いた。
母さんが、肉片になってしまった。
俺はとっさに地べたにはいつくばって、肉片を集め始めた。とにかく集めれば……なんとかなる……と思いたかった。
「あーっ! あーっ! 母さん! 母さん!」
「……」
「母さん! 待って! 行かないで!」
大丈夫だ。
なんとかなる。
いや、なんとかならなかったら……そんなのは……ダメだろう……。絶対になんとかなる。なんとかならなくてはならない。
「母さん! 母さん! 返事して! 母さん!」
ああ、だけど……。
生暖かい肉片は、急速に熱を失って……。しかもあちこちに飛び散って、土に混じって、全部を集めるのは難しそうだった。
すべて集めるまで、どれだけかかるだろう。
遠くへ飛んでしまった肉片は、森の獣に食われてしまうかもしれない。
大事な母さんの肉が……。
獣ごときに……。
「ああっ……。ああっ……」
集めても集めても、大部分が土だった。
血液は回収のしようがない。
「なんだよ、自爆したのか?」
「やっぱ人間じゃねぇよ」
「あのマルコってのはどうすんだ?」
「あの様子じゃ、もうダメだろ……」
勝手なことを言う!
みんな勝手なことを言う!
なにもダメじゃない!
母さんは死んでない!
「撤収しようぜ。魔女は死んだんだ」
「そうだ。俺たちみんなが証人だ」
「魔女は死んだ」
「人類の勝利だ!」
男たちは陽気に去っていった。
アルトゥーロさんはなにか言いたげにこちらを見ていたが、フェデリコさんが「あとは私が引き受けよう」と送り出した。
結局、俺はなにもできなかった。
戦うことも、守ることも、できなかった。
ただ母を失った。
男たちが去ると、森は急に静かになった。
遠くの小鳥たちのさえずりが聞こえる。
まだ日は高い。
木々にさえぎられているとはいえ、その光は大地へ差し込んでくる。母の肉体を照らしている。
フェデリコさんが近づいてきた。
「マルコくん、非常に言いづらいんだが……」
「やめてください。母さんは死んでません」
「ああ、どうやらそのようだ」
「そうですよ……。そう……。そう……?」
どういう意味だ?
俺を慰めているつもりか?
もちろん母の死は否定したい。
だが、部外者だからって、安易な嘘は許しがたい。天才を自称するなら、もっと言葉を選んで発言して欲しい。
「落ち着きなさい、マルコ。本当に死んでいませんよ」
「えっ?」
母の声がした。
幻聴か?
まるで天から声が降り注いでいるような。
「上です、上」
「えっ? うわああっ!」
木の枝に母の長い髪がひっかかって、生首がぶらさがっていた。
しかも血液にまみれてべとべとだ。
「まあ無事とは言えませんが、なんとか生きています。それより、泣いてないで母をおろしなさい。かなり不自然な角度で引っかかってしまいました」
「すぐおろすよ」
俺はハルバードを振り回し、絡まっている髪を切り落とした。
母の生首は、どっと地面へ。
「マルコ……常識的に考えて……もっと違う方法があったのでは……」
言葉遣いは優しいが、あきらかに怒っている。
「ごめんなさい、母さん! でも、どうして!? 死んだはずじゃ……」
「こうでもしないと、あなたが死んでいたでしょう」
「俺のため……?」
「早く拾いなさい」
「はい」
血まみれなだけでなく、土まみれだ。
髪も斜めになってしまっている。
「母さん、顔が……。いま洗うね」
「あ、ちょっ……」
近くの川でさぶざぶ洗うと、すぐにいつものきれいな顔に戻った。けど、少しやつれているかな。
「母さん……。俺……俺……」
「ええ、まあ……」
怒っている。
俺がダメなヤツだから。
フェデリコさんも困惑気味だ。
「ひとまず家に入って話しませんか? ここでは落ち着かない」
「そうしましょう。マルコ、お客さまを家へ」
「はい、母さん」
母と呼ぶなと怒られたから、なるべく呼ばないようにしていたが……。
もう我慢できない。
俺の母さんは、母さんだけだ。
首だけになっちゃったけど……。生きててよかった。
(続く)