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ペルソナ・ノングラータ  作者: 不覚たん
第一章 嵐の前(プリマ・デラ・テンペスタ)
1/82

悪魔の尻尾

 俺は土の中で生まれた。


 祝福もない。

 光もない。


 とにかく呼吸を欲し、もがきまくって地上へ這い出した。

 世界は俺を歓迎しなかった。

 手を伸ばしても、なにもつかめなかった。


 神は恩寵を示さなかった。

 小さな命が尽きようとするのを、救おうともしなかった。


 黒々とした森の隙間から、青空と太陽が見えた。鮮烈だった。宝石のようだった。忌まわしくもあった。これらは誰か幸福なヤツを祝福するための装置であって、俺のためのものじゃないと直感した。


 神は現れなかったが、たまたま悪魔が通りがかった。

 俺はその尻尾に食らいついた。

 生きるために……。


「夜が明けて、世界に朝が訪れるたび、私たちが歌うのは、世界を呪う歌」


 俺を拾った女は、死んだような目で、しかして笑いながら、そう教えてくれた。

「はい、母さん」

 俺は――俺たちは、この世界を呪う側の存在。

 日の当たらない場所に棲み、幸福な人間を喰らうもの。


 *


 世間では、悪魔はウソつきだと思われているらしいが、それは違う。

 悪魔は契約を重んじる。

 ウソをつくのは、むしろ自分の利益のために悪魔を使う人間のほうだ。人間がウソをつく。そうしてすべてを悪魔のせいにしておいて、自分は悪くないフリをする。


「はい、母さん。俺は契約を守らない人間を、殺します」


 母はずっと美しかった。

 歳をとらない。

 ただの人間である俺とはあきらかに違う存在。


 ずっと薄暗い小屋の中で暮らしていた。

 母は俺の世話をしてくれた。料理も作ってくれた。だが、それがまともな料理でないことは、子供の時点で気づいていた。魔法で動物を裏返し、血の海に沈めて食うのだ。味がキツい。苦いハーブと一緒に食わないと腹を壊す。


 母は呪いの歌を歌う。

 すると動物たちや、小鳥たちが集まってくる。

 その命を喰らう。


 *


「マルコ、立派に育ちましたね。これからは人里に出て、命を奪ってお金を稼ぎなさい」

「はい、母さん」

 成長した俺に与えられたのは、柄の長い石斧だった。

 斧というか……ほぼ鈍器だが。母がその手で作ってくれたものだ。心の底から嬉しかった。これで他者の命を奪う。動物ならすでに山ほど殺してきた。人の命を奪うのも似たような作業だろう。

「ただし人里には人里のルールがあります。ルールは守りなさい」

「はい、母さん。ルールを守って殺します」

「そうです。しかし人里のルールでは、殺人は許されません。これがなにを意味するか分かりますか?」

「はい、母さん……。えっ?」


 殺人は許されない?

 なのに人の命を奪えというのか?


 母は目を細め、じっとこちらを見た。無表情で。これは俺にあきれているときの顔だ。

「考えなさい」

「分かりません」

「ちゃんと考えなさい」

「でも……」


 人里のルールでは、人の命を奪うことは許されない。

 ところが母は、そのルールを守りつつ、俺に人の命を奪えと言う。


 母はまだ目を細めている。

「マルコ……。そういえば、あなたには一般常識を教えてきませんでしたね」

「一般常識?」

「人里が禁じているのは、あくまでそこに住む人間を殺す行為です。とにかく、ギルドへ向かいなさい。殺人の仕事を斡旋してくれます」

「そういう仕事があるのですか?」

「あるのです。ただし、あなたは初心者なのですから、一人で仕事を請け負ってはいけません。多人数での仕事に参加するのです。そしてあまり前へは出ず、みんながどう動くのかよく見るのですよ?」

 条件が多い。

 聞いているハシから、なにをすべきか忘れてしまいそうだ。

「ややこしいですね。母さんも一緒に来てくれませんか?」

「……」

 目が、かなり細くなった。

 本気で不快に思っているときの顔だ。

「いえ、一人で参ります。ギルドで仕事を受けて、みんなの後ろで見守ります」

「少しは戦うフリもしなさい。サボっていることがバレたら、お金がもらえませんから。慣れてきたら前に出て戦うのですよ」

「はい、母さん」


 *


 人里に出たいとは前々から思っていた。

 母は自分で酒を作っていて、それで酔っ払うと、よく街の話をしてくれた。たいていはロクでもない内容だったが……。とにかく人間がたくさんいるらしい。そして酒場に行くと楽しいらしい。しかし魔族であることがバレると、火あぶりにされるらしい。

 俺は魔族ではないから大丈夫らしいが。街で母の話をしてはいけないとキツく言われた。魔族は人から忌み嫌われるのだとか。

 街には食べ物もいっぱいある。演劇もある。本もある。とにかく楽しい場所であるらしい。祝福を独占している人間たちの世界なのだろう。奪っていいならすべてを奪ってやりたいところだが。ルールがそれを禁じているのなら、俺も従うべきなのだろう。


 *


 森から出ようと歩いていると、獣の気配を感じた。

 オオカミだろうか?

 いや、野良犬か……。


 うまいこと草むらに身を隠しているつもりかもしれないが、ガサガサ走り回るせいで台無しだ。よほど腹が減っているのか、動きも雑。


「ワンワン!」

 俺は威嚇のために吠えてみた。

 正直、鬱陶しかった。

 これで逃げるだろうと思ったのだ。


 実際、野良犬はガサガサ音を立てて遠くへいった。

 木々にとまっていた鳥たちも、一斉に飛び立った。


 しんと静まり返ると、一人で大声を出したのが急に恥ずかしくなってきた。

「……」

 次からは別の手にしよう。


 この森は鬱蒼としている。

 草ぼうぼうで、まともな道がない。

 俺は小さな沢を頼りに、ゆるやかにくだってゆく。そうすればいずれ街道にたどり着くらしい。


 母さんは、なぜ一緒に来てくれなかったのだろう。


 いくらか金を稼ぐまでは、帰ってきてはダメだという。家に入れてくれないらしい。

 体が育ったら外でお金を稼ぐ。

 幼いころから言われていたから、なんの疑問も抱かなかったが……。なぜそうしなければならないのかまでは分からなかった。

 母はお金が欲しいのだろうか?

 欲しいと言うのなら、俺はいくらでも手に入れるつもりでいるが。


 俺は石斧の柄を握り、思い切り振り回した。背後から野良犬が襲い掛かってくるところだった。

「ぎゃんっ」

 石ではなく柄の部分が当たった。その拍子に、石斧がバキリと音を立ててまっぷたつに折れてしまった。

「あっ」


 痩せたイヌは地べたを転がり、なんとか起き上がろうと足を動かした。だが、慌てているのか、それとも負傷したのか、足は草を蹴るだけでちっとも起き上がれそうになかった。


 俺は折れた棒を握りながら、しばし黙考。

 本当に、俺はダメな人間だ。

 世界から嫌われている。

 母の作ってくれた石斧を、誰かの命を奪う前に折ってしまった。短くなった石斧の先端は、寂しそうに沢の水を浴びていた。


 俺は先端を拾い、もがいている野良犬の頭部へ振り下ろした。

「ぎゃひふ」

 それが命の潰える瞬間の声だった。

 大事な石斧を折ったのだから、死んで当然だ。本当ならもっと苦しめて殺してやりたかった。だが、旅は長い。ここで余計なエネルギーを使うわけにはいかなかった。


 *


 折れた棒にイヌの死骸をくくりつけて肩に担ぎ、俺は旅を再開した。

 斧が短くなってしまった。

 あまりにも哀しくて泣きそうだった。


 俺は母と違い、まともな魔法を使えない。火を起こすことさえできない。

 あんなイヌ、母なら一瞬でバラバラにできるのに。


 *


 やがて森を出た。


 そこは、俺がこれまで暮らしてきた世界と、まったく異なる景色だった。

 まず、木々に視界を遮られない。

 景色が広いのだ。

 広すぎる。

 どこまでも見えてしまう。

 世界の果てさえ見えそうなほど。


 遠くには風車も見えた。城壁も見えた。本では見たことがあるが……。


 じつは街なるものが実在するかどうかさえ不安だった。俺は森での暮らししか知らない。木の生えていない場所がこんなに広がっているというのは……。


 俺が頼りにしてきた沢は、いろんな水が集まっていつしか川になっていた。

 たくさんの水が、どこかへ流れている。

 最終的にどこへ流れてゆくのか気になるところだが……。いや、いまは街へ行かなくては。


「どけどけぇ!」

 一頭のウマが、車輪のついた箱に拘束されていた。怒鳴っているのは、そのウマの支配者のように座している男。

 ああ、知っている。これは馬車だ。それが街道を進んで来た。


 先に立っていたのは俺のほうなのに、あとから来た方が「どけ」とは。

 これも人里のルールなのか?


 やむをえず道を譲ってやると、そいつは礼の言葉もなく通り過ぎてしまった。


 母さん、人里の人間はクソですよ。

 ルールなんてどうでもいいので、とにかく殺した方がいいと思います。


 ああ、でも母さんは言っていた。

 人里には貴族とかいうのがいて、とにかく偉そうなのだとか。偉くていいというルールなので、そいつに怒ってはダメなのだと。


 間違っているのは俺のほうかもしれない。

 俺は最底辺の人間なのだ。誰かに怒鳴られても、反論してはいけない。命を奪っていいのは、ルールを守っているときだけ。


 街を目指さなくては。


 *


「おい止まれぇ!」

 せっかく街に近づいたと思ったら、棒立ちしていた男たちに止められてしまった。

 金属の防具をつけている。

 手には長い槍。

 おそらく門番というものだろう。こいつらとトラブルを起こすと面倒なことになるらしい。


「止まります」

「見るからに怪しいヤツだな。そのイヌはなんだ?」

「食べ物です」

「猟師か?」

「旅の者です」

 そう言えと母から教えられた。

 旅の者なら、たしょう怪しくてもごまかせるらしい。たぶん。母が言っていたのだから、大丈夫に決まっている。


 男たちはこちらを睨みつけている。

「街へ来た目的を言え」

「ギルドで仕事を受けようと思って」

「仕事……? 猟師が?」

「猟師じゃないです」

 すると門番の一人がふんと鼻を鳴らした。

「どこからどう見ても猟師だろうが。だいたい、その粗末な石斧はなんだ? まさか、そんなのがお前の武器だってのか?」

「はい?」


 いま、この石斧を粗末と言ったのか?

 母からの大事な贈り物を?

 なんなんだこいつらは……。野良犬みたいに脳天をカチ割られたいのか?


 すると後ろから来た男が溜め息をついた。

「こんな無害そうなヤツ、ほっといたって平気ですよ。それより、こっちは急いでるんですけどね。さっさと通しちゃくれませんか?」

 彼は凄まじい高さの荷物を背負っていた。身長の倍はあるだろうか。

 行商人かもしれない。いや、配達屋か。


 門番は舌打ちした。

「いいだろう、行け。だが問題は起こすなよ」

「はい」

 いったい俺のなにが怪しかったのだろうか?

 イヌの死骸か?

 途中で食べておけばよかった。


 街に入ると、行商人が近づいてきた。

「兄ちゃん、街は初めてか? ああ、気を悪くしないでくれ。ちょっと前に、街で事件が起きたばかりなんだ。みんなピリピリしててな」

「事件?」

「領主の娘が殺されたんだ。それも、普通の方法じゃねぇ。見るも無残な姿だったらしくてな。異教徒か魔族の仕業って言われてる」

「へえ」


 人が死ぬのは哀しい。

 動物が死ぬのも哀しい。

 そういう感覚は、俺にだってある。

 だけど、むしょうに殺したくなる瞬間もあるのだ。たとえば相手が襲ってきた場合。命を奪うのに躊躇がなくなる。

 俺はダメな人間だ。そうやって好きとか嫌いとかを勝手に決める。


「ところで兄ちゃん、ギルドで仕事を探してるんだって? ならこの道をまっすぐ進んで、広場に行くといい。俺はペテロ。この街で雑貨屋をやってる。なんか必要になったらうちに来てくれ。質はよかねぇが、値段は安いぜ」

「はい、分かりました」

「じゃ、頑張れよ」

「はい、頑張ります。ありがとうございます」

 人里にもいい人はいるようだ。

 もしなにかあったとして、この人だけは殺さないでおこう。


 さて、では広場とやらを目指すか。

 この街では、人間たちが自由に歩いている。

 話には聞いていたが、これほどたくさんの人がいるとは……。今日は人に会いすぎて疲れてしまった。これからまたギルドで人と話すのかと思うと、やや億劫な気もする。


 許されるならもう帰りたい。


(続く)

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