もう何にも期待しない私の二回目の関西生活。
令和2年6月某日
人類史上でも稀な病原菌コロナウイルスの蔓延により、我々は近所をうろつくことさえ制限された。
でもその代わりに、給付金という一時的なボーナスを受け取ることになった。
独身貴族の私のボーナスは10万円、お小遣いとしては嬉しいが何かを始めるには少々頼りない金額である。もちろん無いよりはマシだ。使いみちは別にそのうち考えればいい。私には現状、その時間がある。
北陸の都市、石川県金沢市の近隣ベッドタウンで育った。
幼いころは神童とまでは言わないまでも賢い子だと褒められ倒したが、高校に上がるころには平凡な自称進学校へと進んだ。まあそんなもんだろう。田舎にはありがちな話。
進路を悩み、一年の浪人を経て関西へ出た。
なんかよくわからない芸術系大学を中退し、当時バイトしてた会社に就職。何度目かの転職を経て、なぜかウェブデザイナーという字面だけは良い職業へと至る。
もちろんそれなりではなく。都度都度に勉強した結果ではあるが。
時は過ぎ、三十路も半ばにとんでもないパワハラ企業に騙されて転職。
身体を壊し精神を病み、一旦実家に引っ込むことになる。
実家で三年ぐうたらSOHOをやって、再び関西の知り合いから声が掛かった。
「大阪で仕事を手伝ってくれないか?」
正直、手伝うという言い方が気にならないわけでは無かったが。
私は3年ぶりに関西へと戻ることとなった。