作品の世界観と作者の倫理観はちゃんと揃えよう
皆様今晩は! シサマという者です。
先日『小説家になろう』通算100作記念短編小説を投稿した私でしたが、その達成感からなのか、それともプライベートのゴタゴタからなのか、最近創作ペースが落ちていました。
この2週間程、スローペースの執筆以外、このサイトは空き時間にぼんやり眺めるだけ……という、人生に疲れたおっさんみたいな日々を送り、そこで気になった事について今回は考察していきたいと思います。
このエッセイを書くきっかけになったのは、現在でも定期的に目にする「作品や作者に批判的なレビュー」。
私個人の見解として、作品の感想欄には批判があっても何ら問題はありませんが、『イチオシレビュー』と銘打たれたレビューに批判があるのは釈然としません。
この読者の視点に立てば、感想欄が閉じられていたから、この批判はレビューで伝えるしかない……という背景があったのでしょう。
とはいえ、敢えてレビューで批判を盛り込む際には「主人公のキャラが前半と後半で別人みたい」とか、「完結になっているけど実は完結していなかった」などといった、後に続く読者の為の注意点を指摘する程度にとどめて欲しいと感じます。
私が読んだレビューでは、悪党に対して非情になれないが故に苦戦し、時には被害を拡大してしまう、「主人公の甘さ」を厳しく批判していました。
はっきり言えば、「悪党は殺せ」という要求ですね。
初めてこのレビューを見た瞬間、曲がりなりにも仲間や恋人候補達に囲まれている『なろうテンプレ型主人公』を、邪魔だから殺す、気に入らないから殺す、といった行動理論の『悪役』と大差ないレベルに落とす事を読者が望んでいたという現実に、私は正直ショックを受けました。
ただ同時に、そういった批判が寄せられる作品には、このエッセイのタイトルにある様に、『作品の世界観』と『作者の倫理観』との間にズレがある、という問題がある事にも気づかされたのです。
『ナーロッパ』と呼ばれる、中世なのか近世なのか、取りあえず現代ほどに文明の発達していないヨーロッパを手本にした様な世界観。
そこはインフラ整備もされておらず、犯罪を取り締まる組織もなく、人の命が現代とは比べ物にならないほど軽い。
主人公が強大な魔法などを放てば、悪党は吹き飛ばされて墜落死したり、四肢がバラバラに吹き飛んだり、炎に焼かれて消滅したりする描写も目にしてきました。
そんな世界観では、主人公の様なキャラクターが現れるまで悪党は野放し、無惨に殺された人間の死体も野放し、天罰を受けた悪党の死体も野放しで、腐敗してやがて土に還るまで全てが野放しなのでしょう。
作者が作品の中でそういう世界観を貫き、尚且つ主人公を「最強にさせたい」、「富と名声を与えたい」、「沢山の異性に囲ませてあげたい」と願う。
そんな時は作者の倫理観も、「目には目を、歯には歯を」という方向にシフトしなければならない、という事なのでしょうね。
幸い、作品の世界観に合わせて作者の倫理観を変える事は、よほどのこだわりがない限り容易です。
Web小説投稿サイト、特に『小説家になろう』はユーザー同士の交流がしやすく、殺伐とした作品や、全く救いのない作品を書いている様に見える作者さんが、感想返信や活動報告ではもの凄くいい人だったりする事もままあるんですよね。
作品は自分を反映させるべきものですが、「自分の全て」ではないという事を、読者に分かってもらえる様になっているんです。
ちなみに私としては、あまり殺伐とした世界観、そして悪党だから殺してもいい、こっちが正義だ、という倫理観は描きたくありません。
その場合、読者に私の作風を納得してもらえる様に、犯罪を取り締まる組織の存在感や実力、そこで働くキャラクターの苦悩を描きます。
そして、犯罪に流される刹那的な価値観に溺れない様に、自身の仕事や家族、仲間を大切にして生きる一般人の生活、悪党が転落した背景にもスポットを当て、しっかりと『作品の世界観と作者の倫理観そのもの』を描く様にしているつもりです。
しかしながら、私の作品でも悪党を殺さなかったり、正義が報われないエピソードでは、やっぱりブックマークが剥がれたりしますよ。
でも、それがどうしたと言いたいですね。
ブックマークは剥がれても、展開に対する批判が感想欄に来た事はありません。
まあ、そこまで読み込むのが面倒くさいだけなんでしょうけど(笑)、作品の世界観と作者の倫理観をちゃんと揃えてきた結果でもあると自負しています。
全ての読者の期待に応えられず、申し訳ありませんでした、これが結論です。
レビューでの批判とは関係なく、ランキングの人気作品にも「主人公の甘さ」を厳しく批判する感想は多いですね。
それらの感想を読んでみると、一見誹謗中傷と受け取られかねない口調の読者が、実は極めて深く作品を読み込んでおり、殺されたキャラクターや主人公の仲間、家族の身になってまで熱く主人公と作者を批判している姿が目立ちます。
これほどの情熱と読解力、加えて被害者の気持ちに寄り添える想像力がありながら、最終願望が『殺人』である事に関して、この読者に賛否を問う事は出来ません。
私もかつては、心の中で憎い人間を毎日何人も殺して、ようやく自我を保っていた時期もありましたからね。
ただ、殺伐とした世界観の中でも甘さを残している作者は、かつては今批判している、その読者と同じ気持ちを乗り越えて現在に至っている可能性もあります。
作者は、作品の世界観と自身の倫理観を揃える事を意識して作品作りに取り組んで欲しいと思います。
しかしながら、読者も自分と作者がそれぞれ積み重ねた経験や見てきた景色が違うという、その現実は理解して欲しいと願うばかりですね。