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みぃーつけた

作者: 生田英作


「よし、終わりっ!」


 ガムテープをテーブルの上に「ドンッ」と置いて、俺は額の汗を拭う。

 時刻は、午前二時。

 大した荷物も無いくせに随分と時間が掛かったものだ。

 だが、


(それにしても――)


 俺は大学入学から足掛け六年間住んだ部屋をいま一度ぐるりと見回した。

 築四十年の一DK。

 六畳のリビングと三畳のダイニングキッチン。そして、ダイニングキッチン横の狭いユニットバス。いま居るキッチン以外は、電気も外してしまったので真っ暗、梱包したダンボールの積み上がったキッチンを頭上にポツンと灯る裸電球の薄暗いオレンジ色の灯りだけがスポットライトのように照らしている。

 シーンと静まり返った部屋の中を時計が「コチッ、コチッ……」と律儀に時を刻む音だけが響いていた。

 いま動いているのは俺と時計の針だけ。

 辺りは、しーん、と不気味なくらいに静まり返っていた。


「さて……」


 急に手持無沙汰になった俺は、わざとらしく独り言ちる。

 出発は、明日の――いや、今日の午前十時。

 実家宛に業者へ荷物を預けてその足で空港へ行く予定だ。

 それまで、約八時間。

 そう、これが日本で過ごす最後の夜。

 次、戻って来るのはいつになるか……。

 そう考えると、眠ってしまうのももったいない。どうせ、飛行機の中で死ぬほど退屈する運命なのである。

 とは言え――さて、何をして過ごしたものやら。

 こんな事なら、何も全て梱包してしまわなくてもよかったのに。

 いま、蓋が開いているのは……

 と、周りを見渡してハタと気が付いた。


(へー、懐かしいな……)


 俺が蓋の空いた段ボールから取り出したのは、一冊のアルバムだった。

 俺は、テーブルの上に分厚いアルバムを置くと灰皿を引き寄せ、タバコに火を付ける。

 グレーの布張りが施された親父の手作りのアルバム。

 俺の親父は、それが趣味なのか性格なのか、デジカメで撮影した写真をわざわざプリントアウトしては、せっせとアルバムに貼り付けるのが好きで、「何でもデータってんじゃ味気ないだろう」と言うのが口癖だった。

 表紙をめくると「○○誕生 二〇××年五月十二日」という親父の文字の上で赤ん坊の俺が母親の隣に寝ている写真が貼られていた。


(おふくろが、今の俺くらいの歳の頃か……)


 細く吐き出した紫煙が、ゆらゆらと立ち昇って薄暗い天井へと吸い込まれていく。

 と、その時、


「――っ!」


 背後のユニットバスの暗がりの中で何かが、




 コトンッ……




 と音を立てた。


「…………」


(やれやれ……)


 脅かすなよ、と口の中で呟いてから、俺は短くなったタバコを灰皿で揉み消すと二本目のタバコに火を付け、アルバムのページへと戻る。


(にしても……)


 しばらく見ていなかったせいか、前に見た時に見落としていた物や「あぁ、そうだった、そうだった」と思い出すものがいくつもあって面白い。

 ページをめくる度に懐かしい記憶が脳裏に次々に蘇って来る。

 家の近くの今はもう無くなってしまったコンビニ。

 数年前に建て替えられて影も形も無くなったおばけが出るという噂で有名だった近所のマンション。

 通っていた幼稚園とその帰り道によくおふくろと一緒に電車へ手を振った踏切。

 たくさんの懐かしい思い出の中の物たち。

 今はもうないその景色が、そこには昔の姿のままでいた。

 と……。

 ページを手繰る俺の手が止まった。


(あぁ……)


 目に留まったのは他の写真より一回りサイズの大きな一枚の写真。

 そう、それは、小学四年生の夏休みに訪れた親父の実家の前で、家族みんなで撮った一枚だった。

 祖父母、叔父さんと両親、俺……。

 そして、


(ゆかりちゃん……)


 そう。

 あまり友達の多くなかった俺が、唯一心を許した親友と言ってもいい存在の従妹。彼女は、俺の二つ年下でこの時は八歳だった。Tシャツに半ズボンの俺の隣でピースサインをしてにっこりと微笑むポニーテールのゆかりちゃん。

 また次の夏に会えると俺は信じて疑わなかった。

 なのに――

 その翌年の夏を目前に控えた六月。


(ゆかりちゃんは、亡くなったんだったな……)


 あの子は、元々心臓が悪くてね……。

 俺は、ゆかりちゃんのお葬式で目を真っ赤にした叔父さんから初めて聞いたのだった。

 毎年、夏休みに訪れた親父の実家で、よくかくれんぼをして遊んだゆかりちゃん。俺は、彼女がまさかそんな病気を抱えていたとは知らず、祭壇の上のゆかりちゃんの遺影を見つめて呆然としてしまった。

 信じられなかった。

 かくれんぼをしていたあの時のように、「ここだよーっ!」と彼女が、にっこり笑って物陰からひょっこりと出て来てくれるんじゃないか、「みぃーつけたっ! もぅ、隠れるのヘタだねー」と言って俺の肩をポンポンと叩いてくれるんじゃないか、そんな気がして仕方が無かった。

 でも――。


(そうか、ゆかりちゃんが亡くなって……)


 今年の夏でちょうど十四年。

 生きていれば、今年二十二歳。

 女子大生か、あるいは……。

 瞼にあの頃の情景が鮮やかに蘇る。

 親父の実家の古い日本家屋。

 玄関横の赤い郵便受けの下の壁に手の甲で目隠しをして顔を伏せたゆかりちゃんが大きな声で叫ぶ。


「もぉーいーかいっ?」


 どこに隠れた物かと右往左往する俺にせっかちなゆかりちゃんは、よく地団太を踏んでいたっけ。


「もーっ! 早く、隠れてよーっ!」


 今も耳を澄ませば聞こえて来るような気がする。



 もぉーいーかいっ?


 まーだ、だよ。


 もぉーいーかいっ?


 まーだ、だよ。

 

 もぉーいーかいっ?


 もーいい――




 ――ガタンッ!

 



 …………。

 今度は、リビングの方からだった。

 俺は、銜えタバコのまま立ち上がると一メートルほどの高さに積まれた段ボール箱の向こうのリビングの様子をそっと窺った。

 真っ暗な闇の中で、しーん、と静まり返るリビング。

 元々、ロクな家具もなく今はパイプベッドがポツンと暗闇の中にうずくまる様にしておいてあるだけの部屋である。

 時計の音が、コチッ……コチッ……となんだかやたらと大きく聞こえる。


「…………」


 俺は、額に滲んだ冷たい汗を手の甲で拭うと、再びアルバムに戻った。

 じんわりと背中を覆う肌寒い感触を吹き飛ばすかのように咳ばらいを一つしてページをめくる。

 どうも、感傷的になっているせいか、今日の俺は少しナーバスになっているのかもしれない。そんなことを考えながら、少し酒でも飲もうかとチラリと頭の片隅で思い始めた時だった。


「あれ……?」


 俺は、めくり掛けたアルバムのページをいま一度元に戻す。

 それは、中学校の入学式の時に撮った写真だった。

 中学校の正門の前で真新しいブレザーに身を包んだ俺とスーツ姿のおふくろが並んで立つ典型的な入学祝いの写真。

 そう。

 それは、その校門に立て掛けられた『△△中学校××年度入学式』の立て看板のすぐ横。看板の影に隠れるようにしてこちらを覗き込んでいる一人の青白い顔の女の子――。

 その顔は――。


(ゆかりちゃん……?)


 いや、まさか……。

 そんなことがあるだろうか?

 俺が中学に入学したのは、ゆかりちゃんが亡くなって二年後。

 そんな筈がない。

 いや、何かの見間違いだろう。

 そうだ、そんなことがある筈がない。

 しかし――


(前に見た時、こんな女の子写ってたかな……)


 そう。

 一目見た俺が気付いたくらいだ。この写真を撮ってくれた親父や一緒に写っていたおふくろ、そして、この写真を見せられた親戚が果たして気が付かないものだろうか?

 なにより、俺が今の今まで気が付かないなんて……。

 まさか……


(……いや、馬鹿らしいっ! 気のせいだ、気のせい!!)


 俺は、すっかり短くなったタバコを灰皿で揉み消すと、いがらっぽくなった喉をアルバムと同じ段ボールの中に入っていた缶コーヒーを「プシッ」と開けて潤す。

 静まり返った薄暗いダイニングキッチン。

 アルバムと灰皿が乗った小さな丸テーブルを頭上の裸電球がじっとりとオレンジ色に照らしている。

 時刻は、午前二時三十分。


 

 …………。



 すっかりぬるくなってしまったコーヒーが喉を通り過ぎて幾分か経つと少し冷静になれた気がした。

 やはり、今日の俺はどこか調子がおかしいのだろう。

 初めての引っ越しと海外赴任に浮足立ってしまっているのかもしれない。


(子供じゃあるまいに……)


 小さな溜息と共に、薄っすらと鳥肌の起った二の腕を手で摩ってから、俺はタバコに火を付けアルバムのページを再びめくる。

 中学校入学から合唱祭、体育祭。

 様々なイベントの折に撮られた写真が順番に並んでいた。

 そして、やはり――

 ページをめくりながら俺は呟く。


(ほら見ろ、気のせいだったんだ)


 あのゆかりちゃんによく似た青白い顔の女の子は、当然のことながら写っていない。

 少し、気分の良くなった俺は紫煙を燻らせつつ、さらにアルバムのページをめくっていく。

 と――


(…………)


 俺は、銜えタバコのまま、じっと凝らした。

 細くゆらゆらと立ち昇るタバコの白い煙と時計の針の音。

 自身の心臓の音が、トクンッ、トクンッと聞こえて来る。

 それは、中学三年生の修学旅行で京都を訪れた際にホテルの前で撮られたクラス写真。

 そう。

 写真の隅に写った観光バスの影に隠れるように――




 いる。




 そう、バスの影から「じーっ」とこちらを見つめている。

 あのゆかりちゃんによく似た青白い顔をした女の子が。

 いや、よく似ていると言うか、これは……。

 この女の子は、どう見ても――




 ――ギシッ!




 今度は、天井から何かが大きく軋むような音がした。


「…………」


 裸電球の灯りが仄かに照らす薄暗い天井。

 恐る恐る頭上を見上げた俺の口のタバコから、灰がポトンッとテーブルの上に落ちた。

 たらたらともみあげの辺りを伝い落ちて行く汗。

 何事も無いように静まり返った部屋の中、俺の呼吸に合わせてタバコの巻紙が焼ける微かな音が聞こえて来る。

 コチ、コチ、コチ、コチ……と時計の秒針が時を刻む。

 …………。

 背中一面に冷や水をぶっかけられたような薄気味の悪さに俺は思わず「ゾッ」とした。手が小刻みに震え、冷たい汗がアルバムのページを握る指先にまでじんわりと滲んで来る。


(そんな馬鹿な……)


 だが、間違いない。

 それは、確かに――

 俺は、喉の奥からせり上がって来る恐怖を無理やり押し込むようにアルバムのページを慌てて手繰る。

 中学校時代の残りの写真は、もう幾らも無い。

 中学最後の合唱祭、体育祭。

 そして、卒業式。

 そう、その一枚に――


(ウソだろう……)


 同級生や先生と教室で撮った写真。

 その隅、開け放された教室の入り口の影に隠れるように――





 いる。




 

 青白い顔をしたゆかりちゃんが。


「……わぁあっ!」


 俺は、投げ出すようにしてその慌ててページをめくる。

次のページからは、いよいよ、高校生だった。

 まさか、まさかと思うが――

 俺は、祈るような思いでページをめくっていく。

 最初に高校の入学式

 文化祭

 体育祭

 修学旅行

 そして、進級して二年生――

 俺は、憑かれたようにアルバムのページを手繰り、舐めるように一ページ一ページを、貼られた写真を見て行く。


(………………)


 俺は、絶句してしまい声も出なかった。

 背中一面を覆う冷たい感触と全身を包み込む湿った生温かい空気。

 恐怖が、体の底から這い上って来る。

 いる。

 一見すると分からないが、よーく見れば――

 まるで、かくれんぼでもしているかのように――

 いる。

 いる。

 いる。

 いる。




 

 いる。





 物陰に、

 他の生徒に紛れるように、

 周囲の景色になじむように、

 そう、青白い顔のゆかりちゃんが。

 そう。

 隠れるように半身を覗かせ、こちらを「じぃーっ……」と見つめている。


「………………」


 みぞおちの辺りに感じ始めた鉛のように重く体に食い込んでくるような不快な感触。泡立つような冷たい戦慄が両の足を這い上り、体中を冷たく覆う身の毛もよだつ感触に息が詰まりそうになる。

 もはや言葉が思いつかなかった。


(ど、どうなってるんだ……)


 折々の写真に間違いなく写っている。

 そう、間違いない。

 もう、ごまかしようがない。

 写っているのは間違いなく、そう、間違いなく――


(ゆかりちゃ――)

 



 ガタンッ!!!




 真横のシンクで大きな音がして、俺の口からタバコがポトンッとテーブルの上に転がった。

 汗が顔を脇の下をたらたらと伝い落ちて行く。

 俺は、憑かれたようにアルバムのページをめくって最初のページへ戻る。


(ウソだ……ウソだ……ウソだ……)


 否、頼む……


(俺の見間違いであってくれ……)


 そう、最初からだ。

 何かの間違いであってほしい。

 そう、そんな訳はない。

 だって、おかしいだろう?

 死んでいる筈のゆかりちゃんが、いる筈のないゆかりちゃんが、その生前の姿のままに俺の折々の写真に隠れるように写り込んでいるなんて。

 そうだ、そんな訳がない。

 そう、そんなことがあっていい筈がない。

 そんなことが、あって堪るか!!!

 だが――

 俺は、はっきりと見た。

 間違いなくこの目で。

 そう。

 写真の中のあの青白い女の子の、そう、確かにゆかりちゃんの顔を。

 青白く俯きがちの顔の中から黒ずんだ瞳がこちらを「じーっと」見つめてくるあの――




 ゴトッ!!!!




 背後のユニットバスから、再び、何かが倒れるような音が響く。

 …………。


「くそっ……」


 俺は、震える手でタバコを引っ張り出す。


「……くそォっ!!」


 ライターが、手からポロリと転がり落ちる。

 手が震えてしまって上手く行かない。

 何度か床に落としながらも、何とかタバコへ火を付ける。

 暫しの後――

 もはや、何のために吸っているのか分からないタバコから、俺の呼吸に合わせて「じゅぅぅ……」と燃焼する音が聞こえ始めた。

 ドクンッ、ドクンッ、ドクンッ、と不安げに高鳴る俺の胸の鼓動。

 壊れたテープレコーダーのように「そんな訳ない」と連呼する俺の脳裏にある記憶が蘇ってくる。

 そう。

 それは、ゆかりちゃんが亡くなる前の夏、あの家族写真を撮った後の事だ。

 俺は、おふくろから、「遅くなると道路が混むからお昼前には出るからね」と念押しをされていたのだが、そんなことはすっかり忘れて、その時もゆかりちゃんとかくれんぼに興じていたのだ。

 そして、ゆかりちゃんがオニになって数を数えている間、どこに隠れようかと周囲をきょろきょろと見回していた俺を


「ほぉーら、帰るぞっ!」


 と、親父が抱き抱えて車に押し込んだのだった。


「でも、ゆかりちゃんが――」


 俺のそんな言葉に我関せずとばかりに勢いよく走り出した車。

 リアウィンドウに「ゆかりーっ!」とゆかりちゃんを呼ぶ叔父さんの姿が小さく見える。

 そう、俺たちは、

 俺とゆかりちゃんは、そうして永遠の別れを迎えたのだ。

 そう。





 かくれんぼの途中に……





 ………………。

 いま、途方もない想念が俺の脳裏で渦巻いていた。

 そんな訳がない。

 心臓の音が、耳元で高鳴っていた。

 そうだ、そんな筈が――

 アルバムのページがパラパラと最初の方のページへと戻って行き、最初の、そう、あの中学校の入学式の写真に。

 と――。


(………………)


 典型的な入学祝いの写真。

 校門に立て掛けられた『△△中学校××年度入学式』の立て看板。

 そのすぐ横。


(………………)


 青白い女の子の顔が――





 いない。





 写っていない。

 その次の写真も。

 その次も。

 合唱祭、体育祭、卒業式

 そして――


(……………)


 間違いない。

 今度は、どこにも――





 いない。





 どうなって……。


「まさか……」


 喉の奥で呻くように呟いた瞬間。

 フッ、と電気が消えた。

 真っ暗な部屋の中。

 生温かい湿った空気が、ゆーっくりと俺の頬を撫でて行く。

 そうして、ふーっ、と俺の背後で何かが蠢いた。

 背中に、後頭部に感じるはっきりと感じる誰かの視線。

 そして、はっきりと感じる人の気配。

 俺の喉が、こくり……と鳴ってそれは俺の耳元で囁いた。



 …………みぃーつけた。




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― 新着の感想 ―
[一言] 夏のホラー2021から伺いました。 どんどん迫ってくる恐怖が伝わってくるようでした。 ゆかりちゃん、まだ探していたんですね。 写真とともに辿ってくるところ、二度目に見た時にいないところも怖か…
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