マダム・プリューム
桜の花は今年も儚く散り、青々とした葉を茂らせる季節となった。
だが、この場所から、葉桜を眺めることはできない。
ここは、高層マンションの一室である。目をうんとこらせば、階下の公園の木々が見えるが、桜かどうかは判別ができないだろう。
20畳ほどのリビングには、ダイレクトウィンドウから日差しがさんさんと差し込んでいる。ダイレクトウィンドウにかけられているレースがフローリングに幾何学模様の影を作っている。
「先生、タッセルの色はどちらがいいでしょう?」
グリーンのカーディガンを羽織った女性が、茶色とゴールドのタッセルを持ち、声をかける。
「そうねぇ、ピンクの花模様なら、ゴールドの方が華やかかしらねぇ。茶色だとシックになるわねぇ」と、先生と呼ばれた女性が返事をする。「じゃあ、ゴールドにしちゃおうかな」「先生、私、お茶のお代わりいれますね」「レースをつけるか、タッセルをつけるかどっちがいいかなぁ」「そういえば、私のお友達をこちらに紹介したくて‥‥」様々な女性の声がリビングにふわりと放たれ、また次の声がふわりと放たれる。
リビングの真ん中に鎮座している白いテーブルには、6名ほどの女性が座っており、先生と呼ばれた女性は、立ったり触ったりしながら生徒に声をかけている。
紅茶の香りと、マカロンやフィナンシェの甘い香りがしている。
まもなく16時になろうという頃、先生役の女性は声をかけた。「そろそろ今日は終わりにしましょうか。今日も素晴らしい作品ができましたね。続きはまた来週にしましょう。お疲れ様でございました」
生徒たちは、一礼をし、片付けを始めた。足早に帰るもの、名残惜しそうにおしゃべりを続ける者もいる。
一人の生徒を見送るため、玄関に出ると、一足のローファーが玄関にあるのに気づいた。息子が帰ってきたのだろう。リビングに顔を出して挨拶でもしてくれればありがたいのだが、まあ仕方がない。
生徒を見送った後、玄関脇の一室をノックし、ドア越しに声をかけた。
「お腹がすいているなら、リビングにいらっしゃい」
◾︎◾︎◾︎
「あ〜腹減った!」とレンは着席するなり声を上げた。
ここは、都内の某駅から徒歩五分ほどの雑居ビルだ。ビルの中にテナントはなく、結果的に住居として利用されている。住人らは、手段を選ばない何でも屋の従業員だ。
腹が減ったと、ハンバーガーにかぶりついたのが、戦闘担当のレン。大きな二重と柄シャツが特徴だ。
「聞いてくださいよぉ、この間、ドラマの見逃し放送を見たくて、テレビにアプリをインストールしたんすよぉ」と、きつねうどんのお揚げにかぶりついたのがタシロだ。このビル、そして何でも屋のオーナーであるニジョウが、海外で仕事があるとのことで代行を務めている。色白で目つきが悪い。
「アプリでドラマの見逃しを見られるのはありがたいんすけど、広告が五分おきにはいるんすよ。それもおんなじ広告ばっかり!ほんとにもう、サブリミナルされちゃって参りましたよ」
「アプリ登録するときに、性別とかいれた?」と、サラダを食べながら尋ねたのがトモヤ。金髪で、涙袋が特徴的な顔だちをしている。レンは一見してヤンキーに見えるが、金髪なのにトモヤは優等生に見えるのが不思議だ。薬物全般の知識があり、必要に応じて手配してくれる。
「いれたんだぁ。じゃあ、その情報に基づいて広告が最適化されてるのかもね。」
「ビールと、育毛剤と、消費者金融の広告ばっか見せられるんすよ〜」とタシロはトモヤに返事をした。
「なるほどねぇ」とトモヤが相槌をした。
「育毛剤はそろそろ必要なんじゃない」と言って、シフォンケーキを頬張ったのがライ。童顔で華奢で、ツンデレ。爆発物に詳しく勉強熱心だ。
「ええっ、俺キテますかねぇ?いや、ライさん、ひどいっすよ〜」とタシロは口をへの字にしてアピールした。
「皆さん、私は少し、パソコンを確認してきますね」と、エプロンを取りながら言ったのが、この事務所の食事係兼調査担当のオカダだ。塩顔の好青年である。商店街にはファンも多く、買い物に出ると、いつもおまけをもらって帰ってくる。
ダイニングは、四階で、オカダとタシロの部屋は五階にある。オカダは階段を上がり、自室に入った。
オカダは立ったまま、マウスを操作し、画面を確認するとウィンドウを閉じ、モニターの電源を切った。
「うーん‥‥」と一人で唸る。
「どうかしたんすか」タシロがオカダに声をかける。
「あ、すいません、七味の場所がわかんなくて‥‥お邪魔でした?」とタシロはオカダの顔色を伺った。
「いえいえ、私の方こそ気づかずすみません」オカダは部屋を出て、階段を降りていく。
冷蔵庫から七味を取り出すと、タシロに手渡した。
長野県から取り寄せている七味だ。
「メールの返事がこないんですよねぇ」オカダがポツリと言った。
「メールって、ニジョウさんからですか?」タシロが七味をうどんに振りかけながら尋ねる。
「いえ、昨日、武器類の発注をしたんですよ。大体いつもなら即答、遅くとも数時間以内に納品時期が返ってくるですけどね。今回はいつもより遅いな‥‥と」
「遅いっつっても24時間経ってねぇんだろぉ。みんながみんなオカダみてぇに真面目じゃねんだろーよ。もう少し待ってやれば」と、レンがポテトをつまみながら言う。
「まぁ、それもそうですねぇ」とオカダは返事をした。
「でもさ、ブローカーなんてさ、狙われることもあるでしょう?万が一も想定しておいた方がいいかも。仮に納品できなければ他にあてはあるの?」とトモヤが尋ねる。
「なくはないんですが‥‥もう少し様子を見て、返事がなければ他のツテを辿ってみますね」とオカダは返事をした。
食後は五階の自室で、オカダが入れてくれたコーヒーを飲みながら、ノートパソコンを見るのがタシロの常だ。
仕事の依頼はメールで、素っ気ない内容でやってくる。タシロはなるべく人助けになりそうな内容を引き受けることにしているが、判断できないことも多い。
「ハネダ リョウコ 自然死希望」
タシロはこのように書かれたメールを眺めていた。
ハネダリョウコっと‥‥名前を検索する。
陸上選手の記録と、ブログがヒットした。陸上選手の方は北海道の記録らしい。依頼は大体関東近郊だからなぁと、タシロはブログの方をクリックした。
「カルトナージュ・ポーセラーツ教室 世田谷区プリューム」
ブーケのバックグラウンドの画像と、カタカナの文字がタシロの目に入ってきた。
タシロは今は、オーナー代行としてこの手段を問わない何でも屋に属しているが元はチンピラである。カルトナージュもポーセラーツもタシロには理解できなかった。
ブログの左側にはハネダリョウコという名前と写真が掲載されている。なんとも美人だ。ハーフアップにした髪型と、二重の瞳、皺はあるが、エレガントなたたずまいが、写真からも伝わってくる。
他には、プリュームが雑誌に掲載されたとか、お稽古のスケジュールが書いてあった。
なぜこの美人に殺害依頼が来るのだろうか。
有力者の処分でないなら、色恋沙汰か禁断の恋か‥‥。
そういえばタシロが今見ている月9ドラマも不倫ものだ。
舞台は夫婦が経営するパンケーキ屋だ。ある日、若い男子高校生がアルバイトにやってきて、パンケーキ屋の妻の方に恋をする。そこにライバルパンケーキチェーンの女社長や、融資担当の銀行員男性が現れ、さらに複雑な恋愛模様を見せていく‥‥10代から40代までの恋愛に対する価値観の対比が面白い。
今をときめくアイドルが、男子高校生役をやっているのも話題の一つだ。
そんな色恋沙汰が本当にあるのだろうかと、タシロは偏差値の低い妄想をしながら、本案件に着手してみるかと考えていた。
翌朝、タシロは四階ダイニングで次の案件について話題にした。
レンとタシロはピザトーストを食べている。
「カルトナージュにポーセラーツってなに呪文だ?」とレンが尋ねる。よかった同志がいたとタシロは喜んだ。
「どちらも女性に人気のお稽古事ですよ。簡単にいうと‥‥カルトナージュは、箱を布やレースで装飾すること。ポーセラーツは転写シートを使って陶器を装飾することです」とオカダは説明した。
レンはわかったようなわかっていないような表情をしている。
「自然死希望なんでしょう?ちょっとめんどくさくない?」と、ライ。本日の朝食はタピオカミルクティーらしい。「自然死ってことはさ、対象の生活圏内で、トモヤの薬を飲ますとかでしょ?」と続けた。派手な爆発は不可能そうだとわかり、ライは興味を失っているようだ。
「まぁ、強盗に襲われたとか、電車に跳ねられたとかの方が楽だよねぇ。まぁ最近の電車はホームドアついてるかぁ。強盗‥‥といいたいけど、これ高層マンションだよねえ」とトモヤはノートパソコンの画面を指差した。
そこには、お稽古風景というカテゴリの中にある写真が掲載されている。確かに、広そうなリビングにはダイレクトウィンドウの背景が写っており、明らかに高層階を示している。
「セキュリティの厳しそうなマンションだから、強盗も無理あるなぁ〜明らかに対象狙いだってわかっちゃうじゃんねぇ」と、トモヤはバナナとほうれん草のスムージーを飲んだ。
「自然死にするなら、一度この女性とお近づきにならないとですね‥‥」とオカダが言う。
「近づくって言ってもよぉ、ここには野郎しかいねぇけど」とレンが言った。
◾︎◾︎◾︎
昼過ぎの二子玉川駅は、OLや、ベビーカーを押すママで賑わっていた。
トモヤは4202という番号を押し、呼び出しというボタンを押した。しばらく待った後、女性の声がし、自動ドアが開いた。このやりとりを2回行い、内廊下を部屋番号を確認しながら歩き、ようやく対象の部屋に到着した。再度インターフォンを鳴らす。
「こんにちは、トモヤさん」と、ドアが開き、家主がトモヤを迎え入れた。
ダイニングでの作戦会議の結果、トモヤがこのお教室「プリューム」に潜入することと相成ったのである。
タシロとレンではあまりにも不自然で、童顔のライも無理があるだろう。男性ホルモン感が比較的薄そうなトモヤに、フェミニンな男性のふりをして、プリュームを探らせることとなったのである。
トモヤは、まぁなんとなくそんな気はしていたけど‥‥と、思いつつ、こんにちは、よろしくお願いしますと頭を下げて挨拶をした。体験教室を申込もうとしたところ、カルトナージュかポーセラーツどちらがよいかと聞かれ、より工作感の強そうなカルトナージュにした。
害がないということのアピールと、フェミニン感を出す為に、ピンク色のカーディガンと、白いシャツ、ベージュのチノパンというコーディネートにした。
「さぁさぁ入って、男性の生徒さんなんて本当に久しぶりだわ」リョウコはにこにこと笑顔を浮かべている。
ダイニングテーブルの上には、色とりどりの布や、レース、タッセルが広げられている。
ボンドやグルーガン、ハサミなどもあった。
既に何名か生徒が来ていたらしい、こんにちはとトモヤが挨拶をすると、やはり男性が珍しいのか、女性たちはトモヤを眺めた後、やや間を空けて、挨拶を返した。
「トモヤさんはお仕事は何をなさっているの?」とある生徒に聞かれる。ネイビーのカットソーを着て、一粒パールのネックレス をつけた大人しそうな女性だ。
「僕はインテリア雑貨の会社で働いていまして、店内ディスプレイの参考になればと思い、参加させていただきました」と説明した。無論、オカダが作ってくれた設定である。
大小さまざまな大きさのボックスから中程度のものを選び採寸を始めた。
作業中だが、一人の女性が話せば、また別の女性が呼応し、話題がかわり、女性の話し声は途絶える方がない。旦那さんの愚痴、仕事の話、近くにできたレストランの話、子どもの話‥‥。
時々、リョウコが生徒の作品を手直しし、細かい調整を施していく。
カルトナージュ教室はあまたあれど、リョウコが海外から買い付ける布やレースは、ビンテージのものから現地の有名デザイナーのものまで、非常にバリエーションが豊からしい。「見ているだけでうっとりしちゃうわぁ」と生徒が言った。
「こっちの生地が厚めなのが、ゴブラン織りとか、ジャガードといった呼び名の生地なの。とっても素敵なんだけど、ちょっと初心者さんには難しいかもしれないわ。この蔦が幾何学模様を描いているのをダマスクと呼ぶの。
こっちは、シノワズリというジャンルの模様で、東洋と西洋をミックスしたようなデザインが素敵でしょう?生地も薄いから扱いやすくておすすめ」
リョウコは布地を、出し惜しむことなく広げながら説明した。
同じものが一つとしてない色鮮やかな生地を見ながら、トモヤは、なるほど、これは心を奪われるかもしれないなと思った。
さらにレースやリボン、タッセルで装飾を施すことで、無限のバリエーションが産まれるということであった。
ガチャリとリビングのドアが開き、トモヤは、おや、と思った。このノーブルな空間にはあまり似合わない、色白の男子が顔を見せたのである。
「あら、アオト」とリョウコが声をかけた。アオトと呼ばれた青年は無言で会釈をし、冷蔵庫からペプシのペットボトルを取ると、自室へ戻って行った。
「ごめんなさいね、愛想のない子で。今のは、息子のアオト。17歳で、なかなか多感な時期なのか、最近あんまり会話がなくってねぇ。小さい頃はママ、ママなんて言ってたのに」とリョウコが言った。
「そんなもんですよぉ」「うちなんて言葉遣いが‥‥」「臭くないだけアオト君の方が優秀ですよ、うちの息子なんて体臭がもう‥‥」「やっぱり女の子の方が‥‥」と、女性陣が口々に発言をする。
トモヤはニコニコと笑顔を浮かべ、布地の選択にうつった。
途中、お茶休憩という名のティータイムを挟み、二時間と少しのレッスンは終了した。トモヤは不器用ではないが、やはりサクサクとは進まず、箱の側面にどうにか布を貼ったところで終わった。まだ蓋部分が残っている。布と箱の境目の始末も中途半端だ。リョウコは、トモヤさんさえよければ、来週もいらっしゃいと言ってくれた。お土産にクッキーを持たせてくれた。
住処へ帰宅後、トモヤはダイニングの革張りのソファに、どさりと座り込むと、しばらく放心していた。女性のおしゃべりの声がまだ頭から離れない。笑顔をずっと浮かべていたせいか、頬の筋肉痛も感じる。戦闘より、交渉より疲れた‥‥。
「よっ、カルトなんとか楽しかったか?」と声をかけきたレンに「すごく疲れた‥‥」と返事をするのが精一杯であった。
労いのアイスティーを持ってきたオカダに、「ありがと。えーと、一服もるなら、ティータイムがチャンスだと思う。生徒さんが帰って二時間後くらいに発作が起こるようにすればいいんじゃない?」とトモヤは告げた。
「ねぇ、その先生ってさ、恨みかうような感じだった?」と、ライがトモヤに質問した。
「え、なんで?そんな感じはなかったよ。まぁ、女性のことだから裏ではわからないけど。ごく普通の奥様方の優雅な時間って感じ」とトモヤが答えた。
「ふぅん。なんだって、ごく普通の優雅な奥様に殺害依頼が出るんだろうねぇ」ライはトモヤの荷物からクッキーを発見し、無言で包みをあける。チョコチップの入ったクッキーをかじった。
「確かにそうだねぇ、なんか繊細そうな息子がいたけど。依頼者はあの息子かなぁ」と、トモヤはアオトという少年を思い出して言った。
「息子とおかんの親子喧嘩で殺害依頼なんてだすもんかねぇ」と、レン。
「仮に依頼者が、息子さんだったとしたら、ちょっとその依頼は受けられなくないすか。ほんとに処分しちまったら息子さん後悔する可能性もあるっすよね」とタシロが困惑した表情を見せた。
「えぇー、タシロさんがこの案件、指示したんでしょー」とトモヤは口を尖らせた。
◾︎◾︎◾︎
翌週、再びトモヤは4202という番号をプッシュした。
そう、今週もカルトナージュ教室の時間がやってきたのだ。今回は、ライも連れてきた。
事前にリョウコにはことわりの電話をいれた。引っ込み思案な弟がいて、アオトくんと友達になれないだろうかという相談をした。
リョウコは、突然の依頼にも関わらず快諾した。
ライはなんで自分がと仏頂面をしていたが、トモヤは巻き込める人間が増えて嬉しそうだ。
トモヤは事情を他の生徒に軽く話すと、ライはアオトの部屋へ向かった。本来であれば、生徒の中には男性が増えることを嫌う人間もいるだろう。だが、ライの美しい顔立ちを、皆、しげしげと眺めるだけで誰も文句は言わなかった。
コンコン、とライはアオトの部屋のドアをノックする。アオトは、「どうも」とドアを開けた。
多少はリョウコが説明してくれていたらしい。アオトは誰?とは聞かず、ライを部屋に招き入れた。
アオトの部屋はよくある男子学生の部屋といったところだった。机とベッド。大きな本棚が二つとクローゼットだ。
本棚には、漫画や有名なミステリー小説や参考書の他、プログラミングや自作パソコンの入門書があった。一つの棚には、ガンダムのプラモデル、つまりガンプラがずらっと並んでいる。小さいのに精巧な作りで、ライはじいっと見てしまった。
「ガンプラ好き?」とアオトは尋ねる。
「あっううん、僕ガンダムはあんまり知らない‥‥だけど、このガンプラっていうの?すごくかっこいい」
丁寧に作られたことは、素人のライでも感じることができた。
ライの設定はアオトと同じ17歳、高校二年生と伝えてある。本来であれば、21歳のライだが、以前タシロが未成年と勘違いしたくらいだ。全く問題ない。
「青と白のザ・ガンダムみたいなのもかっこいいけどさ、この茶色のとか、この青いのもカッコいいね」
「ザクツーとグフカスタムね。僕も好き。この無骨な感じ、戦闘に特化したデザインが、いいんだよね」
アオトという少年はもの静かなだけであって、特段問題児とか、めんどくさい思春期の少年という感じはしない。「ねぇ、アオトくんはさ、お母さんとうまくやってる?」とライはふってみた。
その頃、リビングのトモヤは先日の続きに取り掛かっていた。今日は完成品を持って帰れるだろう。
「一通り生地を貼り終わったら、装飾も施してね。見本も置いてますが、自由に考えていいんですよ」とリョウコは言った。
「先生はこのお教室、長いんですか?」とトモヤは質問した。
「んーそうねぇ‥もう10年くらいかしらね。アオトの子育てが落ち着いてね。仕事柄海外に行く機会が多かったから、独身時代から、少しずつ生地を買い足してね‥‥いつか何かできないかなぁって思ったの。でね、今はなんでも買えば手に入るんだけど、こうやって自分だけのものを作る楽しみをお伝えできたらなぁって‥‥それに作品を作っている間は没頭できるでしょう?今だけはね、子育てとか、お夕飯の支度とか忘れてね‥‥自分だけの世界に没頭できる場を作りたかったのよ‥‥ふふふ」
「夕飯の献立を毎日考えるのほんとにつらいですもんねー」と、別の生徒が泣き真似をした。
「そうでしょう〜?今日はね、牛肉とこんにゃくを甘辛く炊いたのと、小松菜とお揚げを煮たのがあるから持って帰って。タッパーもあるわよ。旦那の晩酌にも、子どものおかずにもなるでしょ。お稽古の後にバタバタと夕飯の支度するのもなんだかねぇと思ってね」とリョウコがウインクをしながら言った。
生徒らはわぁっと歓声をあげ、リョウコにお礼を言った。
トモヤはますます、なぜ彼女に殺害依頼が?とわからなくなり混乱した。
帰り際、リョウコはトモヤにもタッパーを持たせてくれた。たまにはお母さんをサボらせてやってねと添えて。
リョウコは最後の生徒を見送ると、さて、とリビングに向き直った。片付けをして、お夕飯の支度をしないと、と腕まくりをした。
「母さん」と、アオトがリビングに顔を出した。
「あら、アオト。今日のお友達とはどうだった?」リョウコは布地を一か所に揃えながら、アオトに尋ねた。
「ガンプラに興味があるみたいだったよ」アオトは、ダイニングテーブルの上のはさみやボンドなどの道具を所定のボックスにしまった。
「そう、仲良くなれるといいわねぇ」
「うん。母さん、疲れてない?」
「あらやだ、大丈夫よぉ、気ままに好きなことしてるだけなんだから〜」
「ふぅん」
アオトなりに気にかけてくれているのだろうか。
「僕が夕飯の支度するからさ、って言ってもご飯炊いてお味噌汁作るくらいだけど。母さんは少し休憩したら」とアオトは声をかけた。
「あら、ありがとう。じゃあお願いしちゃお。そうだ、お母さん、あの録画してたドラマみたいな。パンケーキ屋さんが舞台の。テレビ見ながらご飯食べちゃお〜っと」いそいそとリョウコは片付けの手を早めた。ダイレクトウィンドウの向こうには、夕暮れのオレンジに染まる街並みが見えた。
◾︎◾︎◾︎
トモヤらが、世田谷区のタワーマンションで仕事をしている頃、オカダとタシロは、自由が丘にいた。
オカダはニットにチノパンと上品なスタイルだが、タシロはお気に入りの蛇の刺繍入りのスカジャンである。タシロは自分が場違いであると認識していた。
「先日、武器の納品の連絡がこないと言いましたよね。仕方がないので、別の業者もあたってみようかと思いまして。時々お付き合いはあるんですが、最近はご無沙汰で。そこはインターネット注文やっていないんですよ。なので、ご挨拶がてら」と、オカダの片手には獺祭が下げられている。
自由が丘の駅から徒歩で数分。とある商店へやってきた。「おもちゃ屋‥‥?」タシロは店構えを見て思わず呟いた。なんとなく、武器の仕入れといえばスキンヘッドのいる喫茶店イメージであったが、正しくはおもちゃ屋らしい。
店内には所狭しと、プラレールやリカちゃん人形などのおもちゃが並んでいるが、レジにいるおばあさんに会釈をした後、オカダは構わず地下への階段を降りる。地下一階にはプラモデルや、ミニ四駆のコースがあった。さらに立ち入り禁止のチェーンがかかっている階段を降り、地下二階へ進んでいく。
「親父さん、ご無沙汰しております」とオカダが挨拶をした。
地上階と地下一階は所狭しとおもちゃが並んでいたが、地下二階はカウンターがあるだけだ。
口をへの字に曲げた老人がカウンターの上に新聞を広げている。老人は「ふん」とだけ挨拶をした。
「親父さん、こちら、ニジョウの代行をやっていますタシロです」とオカダは紹介した。タシロは慌てて頭を下げる。「こちら、ご挨拶がてら」と、オカダは獺祭の瓶をカウンターに置いた。
「あぁ、代行ってのは、女帝のお気に入りのやつかぁ」と老人はタシロを一瞥して言った。
「昨日、山よしのところのもんも来たわぁ。二日連続でお客なんて珍しい。同業が廃業したのかねぇ」と老人は言った。
「わかりません。真相を知ることも難しいかもしれません。不躾なお願いですが、こちらが発注書です」とオカダは小さな紙を老人に手渡した。
老人は、眼鏡をかけ、紙を読むと、「了解。来週な」と声をかけた。オカダはうやうやしく礼を言った。
「あとぉ、これ持って帰れ」と老人はカウンターの下から瓶を取り出した。「岐阜県から届いた醤油だよ。今度これで酒のアテでも作って持ってきてくれや」と、老人はオカダに言った。オカダは笑って、「勿論です」と返事をした。
◾︎◾︎◾︎
今晩のメニューは、エビカツバーガー、エビフライ定食、キャベツたっぷりのコールスローサラダ、羊羹であった。
「さて、皆さん、今日の報告といきますかねぇ」とタシロがエビフライにかぶりつき、切り出した。
「アオト少年はごく普通の男子高校生だったよ。気になるとしたら、アオトは、自分の父親は死んでいるんじゃないかって思ってるらしいよ。お父さんは有名な外科で、アメリカに留学中なんだけど、最近はメールばかりで電話がかかってこないって」
ライはアオトとの会話を思い出していた。
場面は、アオトの部屋へ戻る。
「ねぇ、アオトくんはさ、お母さんとうまくやってる?」とライが質問した。
「えぇ急に何‥‥?」アオトは訝しがっている。
「ううん、僕は時々、家族とうまくいかないときがあって、最近難しいなって思うんだ‥‥」もちろん嘘である。殺害依頼の主がアオトがどうか探るためだ。
「ふーん。うちは、どうだろう。僕は別に普通の親子だと思ってるけど‥‥あー、でもさ、一個変なことがあるんだよね」「変なこと?」「そう、僕のお父さんは、医者なんだよ。心臓外科。すごいよね。でさ、一年前にアメリカに留学したんだよ。僕と母さんは学校もあるしで、日本に残ることにしたんだけど。前はさ、週一くらいでテレビ電話してたんだけど、最近は僕が送るメールに返信があるくらいでさ」
「忙しいだけじゃないの?」
「そうかもしれないんだけどさ。実は母さんと何かあったのかなとか。離婚‥‥とかさ。実はもう死んでるんじゃあとか想像しちゃうんだよね。変だよね。あはは。初めてこの話したよ。学校の友達に言うわけにもいかないからさ。母さんもさ、忙しいだけだよって言うんだけど。なーんか、隠されてる気がするんだよね」
「殺害依頼が出ている女性の夫が消息不明かもしれないってことねぇ」トモヤが呟いた。
「じゃ、次俺な!」とレンが意気揚々と話し始めた。レンには、お稽古終わりの生徒さんから話を聞き出すという役割を任せていたのだった。
お稽古終わりの生徒さんの何人かはカフェで集まってさらにおしゃべりをしているらしい。女性のおしゃべりは本当にとまらない。レンはその集まりの脇で聞き耳を立てるという仕事だ。
「えーっと、怪しいのはサトウっていう女だ。」
場面は、タワーマンションからほど近いカフェに戻る。
「相変わらず先生の家は素敵よねぇ」とある生徒が切りだした。先程、レッスンで紅茶を飲んだにも関わらず、さらにコーヒーを飲んでいる。「本当ねぇ。旦那様がお医者さんで、息子さんは有名私立高校に通っていて絵に書いたようなおうちですもんね」「リョウコ先生自身はCAさんだったんですってね。そんな漫画みたいなことあるのねぇ」生徒らのお喋りは止まることをしらない。
「でも、サトウさんは面白くないかもしれないわねぇ。生徒さんがたくさん取られちゃってねぇ」「サトウさんには申し訳ないけどねぇ、リョウコ先生の方が技術もセンスも上だから仕方ないわよぉ」「そうねぇ、人間的にもリョウコ先生の方がご立派な感じがするわぁ、あらやだちょっと毒吐いちゃったかしら〜」
あはは、と生徒らが笑った。
「以上!俺、ちゃんと仕事したっしょ?偉くね?」とレンは鼻の穴を大きくした。ライとトモヤはさっと視線をタシロに送る。「最高っす、レンさん!レンさんだからこそゲットできた情報っす!」とタシロはスタンディングオベーションを送った。
「でも、サトウにせよ、アオトにせよ、私怨ぽいし、タシロさんの価値観をなぞるなら、うかつに処分しちゃう方がリスキーぽいけどねぇ」とトモヤが結論づけ、その日の作戦会議は終わった。タシロは別の案件も検討するかと思い始めた。
三日後、ライは、お台場にいた。
アオトから、一緒にガンプラを観にいかないかとラインで誘われたのだ。
別に断ってもよかったのだが、せっかくできた友達だろう行ってこいとレンに背中を押され、行くことにした。念のため、トモヤから借りた黒縁眼鏡と、マスクをつけた。ライは諸般の事情で、世の中的には誘拐され、殺害されたことになっている。
お台場のショッピングビルの上層階に、ガンプラの展示場はあった。年代別にガンプラを並べた展示や、オリジナル制作作品の展示、ガンプラの体験制作を楽しんだ。ライは立体パズルを作ることがあるが、ガンプラ制作と似ているなと思った。
手でパチパチとパーツをはめただけのガンプラだが、ライははじめてのガンプラ制作を楽しんだ。
アオトも、上手だとライをほめた。
物販エリアでは、「ライ君はさ、なんとなく王道のヒーローより、癖がある方が好きそうだからさ」と、初心者向けのシリーズから、ゲルググという機体を薦めてくれた。ライはアドバイスに従ってその赤い機体を購入した。ニッパーは、アオトがプレゼントしてくれた。ニッパーをガンプラ初心者にプレゼントするのをやってみたかったらしい。ライはよくわからなかったが、お礼の代わりにタピオカミルクティーを奢った。
タピオカミルクティーのプラスチックカップを片手に持ちながら、ショッピングビルの広場に据えられている実物大のガンダムを見ようと、アオトは言った。
「夕方になるとモードが変わるから、よく見てて」とアオトは教えた。アオトとライは、並んでガンダムを見上げる。機体が赤く光り出した。
「うちのことなんだけどさぁ、仮に離婚したくなってたらさぁ、別に僕に気をつかわないで言ってくれたらいいのになぁって思うんだよね。父さんと母さんは好きなことを自由にやってほしいなぁって。僕、オタク趣味だけどさ、父さんも母さんも、いいじゃんって言ってくれるんだよ。なんであれ好きなことがあるのはいいことだ。大事にしなよって。だからさ、父さんも母さんも、自由に好きなことをして生きてほしいな‥‥なんて、素直に言えたらねぇ」
ライはそうだねぇと相槌をうちながら、
「気持ちを伝えるチャンスがあるといいね」と言った。
ガンダムの背景の空は、ピンクがかった雲が夜を連れてこようとしている。
「そろそろ、帰ろっか」と、アオトが声をかけた。
◾︎◾︎◾︎
「あ、しまった」と帰宅後、ライは思った。自分のバックパックの中に、アオトのペンケースが入っている。ガンダムの装飾用にとアオトが持ってきたものだった。うっかり持って帰ってきてしまったようだ。
ライはスマートフォンをタップし、アオトへ電話をかけた。
「もしもし‥」「あ、アオト君。僕さ‥‥」と続けようとしたが、ライは気づいた。アオトの声が震えているようだ。「ねぇ、アオト君、何かあった?」
電話に応答しながら、四階ダイニングへ上がる。
ダイニングには、タシロらが、さくらんぼをつまんでいた。さくらんぼは、懇意にしている社長から届いたらしい。ライはスピーカーフォンに切り替える。「部屋が荒らされて、お母さんがいないんだね。アオト君、念のため携帯の位置情報をオンにして、充電しておいて。今から30分以内には着けると思うから、落ち着いて待ってて。警察への連絡は少し待って」
タシロはバンのキーを持って階段を駆け下りた。
「おいおい、素人のささいな私怨じゃなかったのかよ」とレン。「オカダが、ハッキングして、マンションの監視カメラの映像送ってくれたよ。オカダは本当に優秀だね。高層階専用エレベーターの、監視カメラだけじゃなくて、業者用のエレベーターの監視カメラも送ってくれてる。‥‥これかな」トモヤはタブレット端末を見せた。そこには清掃員に扮した三人組が、非常用のエレベーターに乗り、10分後に再度エレベーターに乗っているのが確認された。
「清掃しねぇ清掃員かよ」とレンは呟いた。
「でもこれ、プロだよね。どうしてプロが‥‥」とライが言った。
◾︎◾︎◾︎
リョウコは目を覚ました。頭に激痛が走る。思わず顔をしかめた。三人組に襲われたことを思い出した。
まったくうかつだった。清掃員に、玄関先に落とし物があると言われうっかり鍵を開けてしまった。平和ボケしていたと反省した。
足と手首には手錠がかかっている。ここは、屋根があるが、ほぼ屋外だ。少なくとも地下室や密閉空間ではない。襲われて、意識を失っていたにせよ、何時間も経ってはいなさそうだ。ということは、自宅からそんなに離れてはいないはず‥‥とリョウコは思った。
アオトはきっとリビングの有様を見てびっくりしているだろう。早く帰って安心させてあげなくちゃ。今夜は煮込みハンバーグを作っておいた。アオトが好きなマッシュルームがたっぷりだ。きっとお腹を空かせているに違いない。明日のお弁当の下ごしらえもまだできていない。きんぴらごぼうは作ってある。茄子の煮浸しがまだ終わっていない。たくさん作って生徒にも持たせてあげたい。
そういえば、アオトは今日友達と出かけると言っていた。友達の話も聞かなくちゃ。アオトは昔から騒がしいタイプの子どもではなかった。物静かで、口数は少ないが、目と表情は多くを語ってくれる子だ。きっと、顔を見れば、今日のお出かけが楽しかったかどうかわかるはずだ。
とにかく帰らなくちゃと、リョウコは口の奥からピンを取り出した。ピッキングなんて久々だ。うまくやれるかはわからない。敵が何人いるかもわからない。だが、やるしかない。私は、アオトの元へ、帰らねばならないのだから。
◾︎◾︎◾︎
ライ達は、アオトのタワーマンションに到着した。
ざっと室内を確認すると、確かに荒らされた痕跡がある。物を探すための荒らし方ではない、さらわれる際にリョウコが抵抗したのだと思われる。
床に微量の血のシミができていた。
「この程度なら、致命傷ではないだろうねぇ」とトモヤが呟いた。
ダイニングテーブルの上の花瓶が倒れ、スタンドランプは床に倒れて割れている。
「ねぇ、ライ君、この人たちは‥‥」アオトは戸惑いながら質問した。「あっ。ごめんね。説明してなかったね。僕の家、探偵事務所なんだ。事務所のスタッフを連れてきちゃった」とっさにライは以前別案件で作った設定をスラスラと口走った。
「とりあえずリョウコさんを探さねぇと」と、レン。
「どうアテをつける?リョウコさんの携帯電話はここにあるよ」と、トモヤ。
何かヒントはないかとライは部屋を見渡した。
「この部屋は開かないっすね」とタシロが言った。リビング脇の一室だ。
「そこは、母さんの仕事道具があるんだ。勝手に入るなって言って‥‥」「ごめん、アオトくん!」と、トモヤは断ると、バックパックから道具を取り出し、鮮やかにピッキングした。ガチャリとドアが開く。
窓のない四畳ほどの書斎であった。中には小さいデスクにノートパソコンが一台。棚には、生地や転写シートが所狭しと陳列されている。
トモヤがノートパソコンの電源を入れると、パスワードの入力を求める画面が表示された。
「パスワード‥パスワード‥、名前と誕生日?」カタカタとキーボードを打つ。「違う‥‥アオトくんの名前と誕生日‥いや‥‥プリューム‥‥!」
当たった。パソコンは起動を始めた。何かリョウコをさらったやつらのヒントがないかとトモヤは探る。
オカダから着信がある。トモヤが応える。
「先程、SNSに、道路渋滞の投稿がありまして、そこに清掃屋のワゴン車が掲載されていました。ワゴン車にペイントされた電話番号はデタラメなんだけどと、コメント付きです。
ワゴンは神奈川方面に走って行ったようです。時間帯と清掃屋を装う同業者という点で考慮すると‥‥梶ヶ谷近郊に産廃コンテナの保管場所があります。そこは同業者の保有する会社の敷地です。そこではないかと」
レン、ライ、タシロはリョウコを追いかける事とした。トモヤはアオトとマンションに残り情報収集することになった。
トモヤはふと、棚に置いてある箱に目をやった。
先日のレッスンでの、生徒とリョウコの会話が思い出される。
「先生の1番のお気に入りの作品ってなんですか?」ある生徒の質問だ。何気なく聞いたのだろう。
リョウコはしばらく考えて答えた。
「そうねぇ、プリュームって、羽って意味なんだけど。ハネダだからね。駄洒落よ。ふふふ。アンティークのジャガード生地で、羽が編み込まれた生地があるの。夫とまだ結婚する前にフランスに旅行に行ってねぇ、蚤の市で見つけたんだけど。本当に素敵で、その生地を使った作品が一番お気に入りかしらねぇ」ふふふとリョウコは笑った。目尻に寄ったシワが笑顔を強調した。
生徒は口々に作品を見たいと言ったが、また今度ねとリョウコはかわしていた。
「羽模様の‥‥ジャガード生地‥」トモヤの目の前の棚には、羽が刺繍された重厚な生地で覆われた箱があった。トモヤは箱を手に取ると、ゆっくりと開けた。
箱の中身を確認すると、トモヤは呟いた。
「ねぇ、アオト君‥‥きみのお母さんは一体何者なんだ‥‥?」
箱の中には、エレガントな箱にはふさわしくない、無機質なデザートイーグルが一丁とUSBメモリが一つ入っていた。
◾︎◾︎◾︎
レンらはオカダが指示したコンテナの保管場所に到着した。地面は砂利になっているから近づけば、足音ですぐ気づかれるだろう。リョウコの近くにいけば、スピード勝負なのは間違いない。
レンとライは、目で合図しあうと、砂利道の先にいる黒服を目掛けて走って行った。
足跡に黒服が気づくのとほぼ同時に、ライは手榴弾のピンを外し、二つ投げる。威力は弱めだ。ドォンドォンと爆破が起こる。これで黒服の数は半分くらいには減らせたはずだ。
レンは爆発に向かって走っていく。手には鉄パイプを持っている。一人目の腹を鉄パイプで穴を開けると、二人目は口に食べさせてやった。三人目の腹にも穴を開けると、鉄パイプごと放り投げた。四人目はフックをかました。歯が飛んでいったようだが、砂利の中では探すのは難しいだろう。
黒服の影にリョウコはいた。手足を拘束されている。よくある拉致風景だ。
ライは手早く、リョウコの手錠の鍵を外す。ライは気づいた。リョウコは怯えているわけでも動揺しているわけでもないことに。そして、悲しむわけでもなく、手錠を外すことに集中していたのだろう、リョウコの手首についた跡から、ライは、リョウコが只者ではないことを悟った。
「貴方はトモヤさんの‥‥」とリョウコは言った。
「リョウコ先生、帰りましょう」とだけライは言った。何者か今は尋ねても仕方がない気がした。きっとトモヤとオカダが、何か掴んでいるだろう。リョウコをアオトの元へ返すことにライは集中した。
レンらが戻ってきたことを確認すると、タシロは勢いよくアクセルを踏んだ。
「失礼します」とライは断り、おしぼりでリョウコの傷をぬぐい、汚れを拭いてやった。
「ライ君、ありがとう‥‥でも‥‥貴方たちも、カタギの人間というわけではなさそうね」とリョウコは呟いた。
「も、ということは先生もですね」とライは言った。
「そうねぇ‥‥そろそろ休業を考えてもいたんだけど、まぁそんな簡単にはいかないわよねぇ。ありがとう、迷惑かけちゃったわね」
二子玉川に到着すると、リョウコを車から下ろし、代わりにトモヤを乗せた。トモヤはリョウコのサンダルを持っていた。自宅で襲われたなら裸足だろうと推測していたのだ。
リョウコは、ありがとうございましたとだけ言った。
帰り際に、ライは、「すみません、これをアオト君に返しておいてもらえますか」とペンケースをリョウコに預けた。
うなづくリョウコの表情は、レッスンで見せた柔らかい表情ではなく、戦いに向かう戦士のような表情をしていた。
「収穫あった?」とライがトモヤに尋ねた。「収穫も何も‥‥彼女はとんでもない女性だよ」とトモヤは呟いた。
住処に戻ったがオカダの出迎えはない。ダイニングに、飲み物も用意されていなかったので、各々冷蔵庫から飲み物を取り出し水分補給をする。
「オカダは調べ物をしてくれていると思う。報告は、明日聞こう」とトモヤは言い、各々は自室へ戻って行った。タシロは五階の、オカダの部屋を確認したが、すりガラスから明るい光が漏れているのを見て、オカダが仕事中であることを察した。
翌朝、「オカダさん、お疲れじゃないすか?」とタシロは尋ねた。オカダの顔には疲れの色が浮かんでいる。「調べ物が進んでしまいましてね。おかげさまで、朝食は手抜きさせて頂きました」とオカダは答えた。タシロとレンには、ツナとチーズと黒胡椒がかかった厚切りトーストにサラダとスープ、トモヤには、ツナサラダとスープ、ライにはフレンチトーストだった。「全然手抜きじゃねぇすよ。ごちそうっす‥‥頂きます」とタシロは言い、ありがたく頂いた。
「さて、トモヤさんが私にくれたUSBメモリですが、正しくは中身はコピーですが。これは、ある特定回線への接続情報が入っていました。あと、接続ログも。ありがたく専用線に繋がせて頂いて、専用線経由でリョウコ氏がなにを見ていたか、確認させていただきましたよ」
タシロはアイスコーヒーをごくんと飲むとその先を促した。
「この先は、専用線でのみアクセス可能なデータベースがありました。中身は武器の在庫情報と顧客情報です。私の名前もありました」
「なるほど、つまり、リョウコ先生は、武器のブローカーだったってことかぁ」と、ライが言った。
「あのエレガントを体現しているリョウコ先生が、武器のブローカーって、信じられないけど‥‥海外と日本の行き来を頻繁にしていたこととか、まぁ、なるほどねぇと思う部分もあるかぁ」と、トモヤ。
「あの先生、お年のわりには筋肉質な体してたぜ。ただの熟女じゃねえってのは俺でもわかった。あれはちゃんとトレーニングしている体だった」と、レン。
「なんにせよ、彼女が無事であったことは良かったことです。ただ」とオカダは続けた。
「彼女が界隈の人間であることは間違いありませんが、それでもなお、狙われる理由と狙う人間が不明です」
「休業を考えてるって言ってたけど、関係あるかなぁ」とライ。
「ビジネスパートナーがいて、休業するしないでもめたのであれば、可能性はありますね。休業を嗅ぎつけた人間が奪えるだけ奪ってしまえと思ったのか‥‥いずれにせよ、原因がわからないので、まだ狙われる可能性はあるでしょうねとしか」とオカダは言った。
オカダの予想は的中した。
二日後、アオトが学校から自宅に帰ると、ハネダリョウコは、自室のリビングで絶命した状態で発見された。胸に銃撃を受け、即死であったと考えられる。
アオトから連絡を受け、ライ達がタワーマンションに向かうと、アオトはリビングのソファに腰掛けていた。
リョウコはリビングに目を閉じてうつ伏せになっていた。大きな瞳は閉じられ、髪がリョウコの顔を覆っていた。生地をパラパラとめくり、タッパーにおかずをつめ、忙しなく動いていたリョウコの指は冷たく固くなっていた。
「アオト君」ライが声をかける。アオトは返事をしない。ライはアオトの隣に腰掛ける。「アオト君」
「ねぇ‥‥どうして‥‥何が‥‥どうなって‥‥」アオトの目から涙が溢れた。ライはアオトの背中をさする。30分ほどライはアオトの背中をさすり続けた。
トモヤは再び、リョウコの作業部屋を改めた。
羽の刺繍の入った箱の脇に、別の小さな青い箱がある。ダマスク柄の生地が貼り付けられており、きっとこれもリョウコのお気に入りなのだろうと思われた。この箱は先週はなかったはずだ。トモヤはそっと箱を開けると、そこにはまた、USBメモリ、そして鍵が入っていた。
トモヤが、リョウコのパソコンを使ってUSBメモリの中を確認する。動画ファイルが一つあった。
トモヤは中を確認するか迷い、アオトの許可を取ることにした。アオトは黙ってうなづくだけだった。
トモヤは画像ファイルをダブルクリックした。
この部屋で撮ったのであろう。動画の中のリョウコがゆっくりと語り出した。
「ええと‥‥こんにちはでいいのかな。リョウコです。ええと何からお話しましょうか。まず、私に万が一のことがあれば‥‥のお願いをさせてください。生徒さんからお預かりしている作品と、お教室クローズのご案内の葉書が、段ボールの中に入っています。何かあれば、使ってください。お金周りのことは、パソコンの中に、教室のお金、我が家の資産、全部まとめてあります。
あとは‥‥アオトへ。えぇと、アオトが産まれた時、小さくてふにゃふにゃで、こんなに自分の心を満たしてくれる存在がこの世に存在するんだぁって、本当に嬉しかったです。お母さんは、アオトと出会えて本当に幸せでした。毎日が特別で、幸せでした。あー、やぁねぇ、歳を取るとねぇ」映像の中のリョウコはティッシュを取り、鼻をかんだ。
「アオト、どうか好きなものをたくさん見つけて、色鮮やかな人生を送ってください。お母さんは、秘密ごとが多くてごめんなさいね。きっと、トモヤさんあたりが概ねをご存知だとは思うので‥‥この映像の中ではいいお母さんでいさせてください。あと、お父さんの事なんですが、お父さんはアメリカで元気にやっていると思います。ただ、お父さんにも危険が及ぶといけないと思って、連絡を減らすようお願いしていました。もしかして、アオトに余計な心配させちゃったかも‥‥ごめんね。お母さんは、ちゃんとお父さんを思っています。
アオト、とにかく、ありがとう。元気に育ってくれて、お母さんのご飯を食べてくれて、ありがとう。幸せをいっぱいくれて、ありがとう。ちゃんとご飯食べてね。じゃあね、またね」
映像は終わった。
アオトは肩を震わせて泣いている。トモヤらは次の言葉を発することができなかった。
「アオト君、僕に依頼を頂戴」ライは言った。
「依頼って、なに、何の話‥‥」アオトは鼻をすすりながら言う。
「お母さんの命を奪った奴らの調査と復讐、だよ」
◾︎◾︎◾︎
「急にお教室閉めちゃうだなんてねぇ」「急遽アメリカに渡航することになったって言っても送別会くらいさせて欲しかったわねぇ」口々に元生徒たちは言葉を発した。
トモヤはタワーマンション近くのカフェでの、奥様方のお茶会にお邪魔していた。仕事でなければ断っていたが、大事な友人に関わる案件だ。できることはなんでもやらねばならない。お稽古用のグループラインに投稿された日時に従い、トモヤはこの場に座っていた。
「でもぉ、なんか、怪しいわよね」とある女性が言った。トモヤはキタキタと思った。
「そうねぇ、そういえば私、先生の変な噂聞いちゃったのよ」「変な噂ぁ?」「そう、先生がね、ずいぶんガラの悪い人と不倫してるっていう噂ぁ。絶対嘘だと思うんだけどねぇ‥‥」「やだぁ、誰がそんなこと‥‥」「サトウさんよ、なんか、証拠があるとかで、これで、リョウコ先生の鼻を明かしてやるなんて言ってね‥‥やぁねぇ‥‥」「やぁねぇ」「やぁねぇ」「そういえば、今度、ショッピングモールの中にホットヨガが入るんですって。体験会があるみたいだからみんなで行ってみません?」「いいわねぇ、肩こりに効くかしら」「あら、トモヤさん?」
「すみません、僕、用事を思い出しまして。皆さん、お教室では大変お世話になりました。ご機嫌よう」トモヤはとびきりの笑みを顔に貼り付けて、挨拶をした。カフェを後にすると、レンに電話をかけた。
トモヤは、ややだるそうな声で言った。
「あー、レン、サトウさんっての拉致ってくれる?うん、なんでもいいや。うん、聞きたいこと聞けたら好きにしていいよ」
通話終了のボタンを押すと、トモヤは足早に住処へ向かった。
その頃四階ダイニングでは、タシロがオカダの手伝いをしていた。
「オカダさぁん‥‥」タシロは食器を片付けるオカダに、皿を一枚手渡した。
「ライさん、依頼を受けましたけど‥‥あの、その、俺今までちゃんと聞いてこなかったすけど、あのアオトって少年は報酬が払えるんすかね?」
タシロは、案件の報酬がいくらで、相場がいくらか知らない。だが、仕事である以上、報酬が発生するはずだ。もちろん、ボランティアでもタシロは問題ないと思っている。だが、オカダに念のため確認をしておきたかったのだ。
オカダは答えた。
「タシロさん、報酬については心配いらないと思います。いずれ報酬体系についてはきちんと説明しますが、あのアオト少年からの依頼は、金銭は十分、いや、それ以上の価値がありますよ」よいしょと、オカダは大皿を棚にしまった。
住処の三階奥には誰も利用していない部屋がある。
室内は汚く、壁には落書きや誰のものかわからない依頼が散乱している。奥にはバスタブがあり、解体作業の際に時々利用することがある。最近だと、どうやらオカダが何かを解体するのに利用したらしい。
「ジャーン!サトウさんを拉致りましたぁ!トモヤくんからぁお電話もらって30分以内にデリバリー。熱々でお届け。俺って優秀!」とレンはニコニコしている。バスタブの中には小太りな壮年の女性がいた。手足は拘束していない。どうせ逃げられないので拘束する必要はない。「ありがと、それで‥‥」サトウのカバンから携帯を奪い、指紋認証を解除し、トモヤは写真フォルダを漁る。
「あーこれかぁ。ねぇ、サトウさん、あんたさ、この男の方にも接触した?」
サトウは震えるばかりで答えない。「おっと」レンがナタをわざとらしく手から落とす。サトウの足にナタが刺さり、血がサトウの足を赤く染める。
「せせせ接触しました。ハネダさんとどういうご関係ですかって‥‥た、たぶんあの女不倫してました。私、ハネダさんがずっと嫌いで、うさんくさくて、あの女、うさんくさいんですよ!突然引っ越してきて、私のお友達を奪って、夫が出て行ったのもあの人のせい、ハネダさんさえいなければ、いなければ‥‥!」
「おおっとぉ」レンがふたたびナタを手から落とす。今度はナタはサトウの腕を傷つけ、衣服を赤く染めた。
「りょうかい。ありがとう。じゃあ、レン約束どおり」
「あーい」
「約束ってなに、いや、いや‥‥!」
「サトウさん、俺、レンっていいます。レンって呼んでくれる?俺とあーそぼっ」
トモヤは部屋を出ると外から施錠し、スマートフォンで簡単に報告をオカダに送ると、自室へ戻った。
その頃、五階の管理人室ではオカダとライ、タシロがDVDを見ていた。ライが、ワイルドスピードの最新作が見たいと言い出したのだ。
「トモヤとレンはさ、クラブに遊びに行くっていうんだよね。僕は興味ないから‥‥」
「あ、僕もそれ、見たかったんですよ。そうだ、タシロさん、気付いてました?あのテレビの横にあるの、スピーカーなんですよ。あれ、使いましょう。オーナーが衝動買いした、クアドラルっていうすごい高級なスピーカーなんですよ。全身でエンジン音を感じられますよ」
タシロは、珍しくオカダとライがご機嫌なのに気を良くし、了解っすと返事をした。前作を知らないがまぁ楽しめるだろう。オカダはポップコーンにキャラメルをかけて持ってきてくれた。
ヴォォォンというエンジン音と、ズンズンとした映画のBGMが、五階のフロア中に響いていた。
◾︎◾︎◾︎
タシロは再び自由が丘にいた。目的地はおもちゃ屋である。今日はオカダはいないが、一人付き添いがいる。
タシロは迷うことなく地下へ向かって階段を降りていく。
「失礼します」とタシロが挨拶をした。クーラーバッグを差し出すと、「これ、オカダさんから預かってきました。牡蠣の醤油漬けらしいです」と説明した。
老人は「今度はなんだ」と新聞に目をやったまま尋ねた。
「親父さん、あの、アルバイトとか‥‥募集してませんかね?」タシロはおずおずと質問した。
「アルバイトぉ?」
「はい、17歳のぴちぴちの男子高校生です。えぇと、これは、オカダさんからの受け売りなんですが、すいません。わかったふりして喋ってもロクな事がないってわかってるんで、オカダさんの言葉を使って説明さしてもらいます。えっと、親父さんは水くさいです」「はあ?」老人は眉間にシワを寄せた。
「親父さん、あの、アルバイトの子の親はハネダリョウコといいます‥‥旧姓は‥‥‥」
旧姓を聞いた老人は目を見開いた。
「お嬢さんがいるのなら、教えてくれればよかったのに、水くさい、とオカダさんが」
タシロが老人の顔色を伺う。
「‥‥で、今、上の売り場で模型を見ています。彼も模型作りが趣味で、手先が優秀、勉強もできる‥‥アルバイトに‥‥できれば住み込みで‥‥どうすかね?」
「馬鹿野郎!今すぐ連れてこい!」と老人が叫んだ。タシロが、は、はぃぃと返事をし、少年を呼び、老人の前に立たせた。少年はアオトであった。
老人は、アオトの手を取った。皺がれた手でアオトの手を包んだ。「お前がバイトか‥‥そうか‥‥上に余ってる部屋があるからな。好きに使え。うちもインターネット通販やろうかと思っていてな。手伝ってくれるか‥‥アオト‥‥アオトというのか‥‥そうか‥‥」
老人は、その後の言葉は涙でつかえてうまく出てこなかったようだ。
タシロは静かにおもちゃ屋を後にした。
オカダの説明によると、ハネダ家の自宅はキャッシュで払われており、また、十分すぎる金額がアオト少年には残されていた。金銭的には問題がない。だが、あの部屋で一人でアオト少年が暮らすのは難しいだろうと思われた。ご近所の噂にもなるだろう。アメリカにいるアオトの父親と暮らしても構わないが、いきなり、渡航するわけにもいくまい。残された資産の管理については、落ち着いたらアオトとご老人も含めて説明に行くということだった。
◾︎◾︎◾︎
「男の方はどうする?」とトモヤはライに尋ねた。「一応ラスボスだからなぁ、今回はライに決定権があるわなぁ」と、レンがコーラをコップに注ぎながら言う。コップから跳ねたコーラがレンの服を汚した。
「そうだねぇ‥‥やっぱり派手にやりたいよねぇ‥‥タシロ、ダメかなぁ」ライは横目でタシロを見た。
「いえ、いえ、ダメじゃないです。やりましょう。そうすよね、最近派手なのやってなかったすもんね。パァーっといっちゃいましょう。弔い花火なんて言葉もありますもんね」
「だよね!ありがとう、タシロ!」と、ライは満面の笑みで応えた。
「こっわ。ライがあざとさを覚えようとしている」とトモヤは思った。あの美少年があざとさを覚えてしまったら大変なことになるのではないかと、トモヤは背筋が寒くなった。
男の正体は、歌舞伎町に事務所のあるヤクザの中間管理職だった。休業の噂を聞いて、在庫のありかを知りたかったらしい。
交渉にリョウコが応じなかった事と、リョウコと男が会っている写真を持っているサトウが現れたことで、男はリョウコの始末を考えたのだろう。
レンとライは、台車をゴロゴロと引いて、歌舞伎町の中を進んでいく。オカダに配達作業員の制服を用意してもらった。
雑居ビルの二階にある事務所のインターフォンを押し、「毎度ですーお荷物お届けにあがりましたー」と、声をかけた。
中サイズの段ボールを手渡し、下っ端と思われる小太りな男からサインをもらう。「株式会社プリューム?しらねぇなぁ。ご依頼品一式ってなんじゃこりゃあ」と男は呟いた。「毎度!ありがとうございましたー」とレンと、ライは一礼をしてビルを後にした。
その夜のトップニュースは、歌舞伎町でおこったビルの、爆発倒壊ニュースだった。爆発は二階で起こったということだが、五階建てのビルが倒壊するほどの大規模爆発であったということで、大変な騒ぎになっている。通行人に怪我人はなかったが、ビル内には多くの犠牲者が出たようだ。歌舞伎町が色めく時間帯にあった爆発ということで多くの目撃者がおり、SNSにも多数写真がアップされた。
タシロらはそのニュースを五階の大型液晶テレビで見ていた。最近は昼間の気温が25度近くになる日もあり、夜も暑く感じることがある。タシロは五階の窓を軽く開けておいた。
オカダがクリームソーダとコーラフロート、炭酸水を用意してくれた。アイスクリームの上にはさくらんぼがのっている。「きれいに対象のビルだけ爆発させたんだねぇ」とトモヤが感心した。「ちょっとだけ、頭つかったぁ」とライが答える。「これよぉ、二階と三階が事務所で、四階はいわゆるそういう店だったんだな。五階は空きか。」とレンが言う。
「うん、タイマーの設定時間は一応女性達が出勤するピーク時間は避けたから影響は小さくできたかなと思うけどね」とライが言う。
「ねぇオカダ、そういえばさ、あの鍵どうなったの?」とトモヤがオカダに尋ねた。あの鍵とは、リョウコの部屋の青いボックスからUSBメモリと共に見つかった鍵である。アオトは何の鍵か覚えがないというので、オカダになんの鍵か探るよう依頼していた。
「あれは、然るべき方にお渡ししましたよ」
つまりそれは、おもちゃ屋の親父である。鍵はレンタル倉庫の鍵だった。おそらく在庫がしまわれているのだろう。牡蠣の醤油漬けのタッパーと一緒にクーラーバッグの中に入れておいた。牡蠣と鍵のシャレに老人は気づいてくれただろうか?気づいてもきっと、クスリとも笑わないだろうが。
ライは、先ほどアオトからのラインを受け取っていた。おもちゃ屋で新しいガンプラの入荷をしたから見にきなよという内容だった。今度、おもちゃ屋のスペースを使ってガンプラの制作教室も行うらしい。なんにせよ元気そうでよかった。自分の実年齢をまだ、伝えていないが、そのうち伝えよう。あ、でも、タシロのように、実年齢を伝えても信じないかもしれないなとライは思った。
「そういえば、親父さんが、メールでの注文も受け付けてくれるようになったんですよ。これは助かりますねぇ。しかも、今後は特別割引もつけてくれるらしいです」
オカダが言っていた報酬とはこのことだったのかとタシロは合点がいった。タシロが、オカダの顔を見上げると、オカダは、ね?という表情をして、笑みを浮かべた。
管理人室のデスクには、羽の刺繍生地のボックスが置かれていた。
クリームソーダの入ったグラスがカランと音を立てた。風の心地よい夜であった。