両片想いな仮面夫婦
別の連載が行き詰まったので手慰みに短編をば。
どうも長編のネタばかり思い浮かぶ……短編難しい……。
ヴェルヘルミーナ・リリーシア・ヘリクスは元第二王女である。
聡明な王と美しき王妃、それから麗しき兄姉を家族に持ち、本人もまた両親の外見をいいとこ取りしたような容姿の高貴なる王家の血筋である。
さて、彼女が元第二王女とつく理由はその名にある。彼女は先日、この国の宰相に嫁いだのだ。
ディーオ・ブライアン・ヘリクス宰相。成人したばかりでありながら、小さなものから大規模なものまで一切の不正を見逃さず、関わった者は例え親でも一掃する。
その見事な手腕と無慈悲さ、常に無表情であることから『氷の宰相』の異名も持つ。
顔立ちは麗しいのだが、異名の通りに冷酷であるという噂が貴族の間にあり近寄る令嬢は滅多にいない。
曰く、王女が未だ城住まいなのは宰相が怖いからとか。
曰く、王女は宰相を嫌うあまり王に泣きついているとか。
曰く、宰相は王女を屋敷にも迎えない程嫌っているとか。
さて、その噂の出所はといえば。
「ヴェルヘルミーナ様」
「宰相ではありませんか。どうかなさいましたか?」
「先程の面会、油断が過ぎております。幾ら相手が信頼できる者であろうとも、容易に接近を許すとは。貴女は王女であり宰相夫人であるという自覚を持っているのですか?」
「申し訳ありません、宰相。面会続きで集中を乱していたところに叔父様がいらしたので、すっかり気を抜いておりました」
「叔父様ではなく、公爵です。此処は私的な場ではありません、公私を使い分けてください。では、私は執務に向かうのでこれにて」
会話は淡々と交わされた。その間宰相の表情は変わることがなく、声音も至極普通だ。二人は夫婦であるというのに、甘い言葉を交わすこともない。
それをうら若き令嬢はあんまりだと嘆き、どこかの夫人は政略結婚でも此処まで酷くはないと眉を寄せる。好機と思った令息が夜会でヴェルヘルミーナにダンスを申し込むこともしばしばあり、ディーオはその時夜会に参加してすらいない。
あまりの扱いに、王にすら直訴がいったほど。
しかし、二人の周囲は何も言わない。
王も、王妃も、兄姉たちも、侍女や側近も。
***
ヴェルヘルミーナは、ディーオと分かれてすぐに自室に駆け込んだ。とはいえ、実際に走るのははしたないので正しくは早歩きだったけれど、気持ちは駆け込んだつもりであった。
「ああっ……」
手で顔を覆い、俯く。長い金髪が流れてかかった肩を震わせて、声を絞り出す。侍女が素早く戸締まりを確認した直後に、ヴェルヘルミーナは思いの丈を吐き出した。
「ディーオ様かっこいい!!!!
どうしてあれ程までに格好良いのです! 艶やかな黒髪、まさしく氷を思わせる瞳……っ! お声まで至高……! それに、油断するなと叱られてしまったわ! 叱ってくださったのよ!」
「ミーナ様、声を落としてくださいませ」
「ええ、ごめんなさいね」
半狂乱のヴェルヘルミーナに驚くこともなく、侍女は静かに諫める。ミーナもすっと姿勢を正して頷くが、すぐに思い出したのか表情がとろけ始める。
「何故そこまで想っていながら居を移さないのです……。陛下も嘆いておられますよ」
「あの方のお屋敷に住んでしまったら毎日毎晩悶えることになるじゃない。そんなに悶えてたら死んでしまうわ」
「……」
侍女はいっそ悶え死んでしまえ、と言わなかった自分を褒めたくなった。
ヴェルヘルミーナは宰相に嫁ぐと決まった日からこうである。顔を合わせてはその後悶え、宰相の活躍に関する噂を聞けば自室で表情を緩める。であるなら二人に関する数多くの噂も耳に入っているはずだが、そちらには反応しない。
早く宰相と想いを通わせてしまえばいいのに、宰相の方は全くその気がなさそうにも見える。それはヴェルヘルミーナにもわかっているようで、我が儘などは一切言わない。宰相に想いを伝えることすらしない。
伝えて拒絶されるくらいなら一生このままで、とでも思っているのかもしれない。
どれにせよヴェルヘルミーナが悲しむまでは様子を見ていよう、と侍女は思った。
***
片やディーオは、宰相補佐に詰問されていた。
「ディーオ様、また徹夜しましたね?」
「……いや、していない」
「し ま し た ね?」
「……した」
困ったように少しだけ眉を寄せる上司に、宰相補佐がふうと溜息をついた。
「全く、王女を護るのに自分の身体の管理を疎かにしてどうするんですか。本来は貴方も護られる側なんですよ、ディーオ様! あなた方は夫婦なんですからね! しかも最近噂が更に広まってるし……さっさと王女様を屋敷に迎えたら如何ですか!? その方が体調良くなりますよ!」
「いや……」
迫力のある部下の姿に、ディーオは少し躊躇ってから口を開いた。
「あの方を家に招いたら無理だ。心臓が休めなくなる。何より外に出したくなくなる。私の自制が利かなくなる。
まだ身辺の護りの準備が出来ていないし、それであの方に何かあったら俺はどうにかなってしまいそうだ」
「……それを毎日聞かされるこっちの身にもなってくださいよ」
宰相補佐が脱力する。この宰相は、とてつもない異名と実力を持ちながら、王女に関しては奥手も奥手。
真綿にくるむように護ってもまだ足りないと、深夜には王女の居室周辺の警護を自ら行う。しかも隠密にはそれなりに覚えがあるようで、夜中に宰相が見つかったなんて話をとんと聞かない。
蓋を開ければ王女バカなのに、何故想いを打ち明けないのか。
よもや伝えて拒絶されるくらいなら一生このままで、とでも思っているのか。
どれにせよ、宰相補佐は早く宰相と王女が心を通わせればいいのにと願っている。
侍女と補佐の報告で、王と王妃、兄姉たちは二人が両片想いであることを知っている。
それを面白おかしく眺めており、事情を知る者は噂が仮面夫婦から円満夫婦になる日を楽しみに待っていた。