第九話:最後の断罪者
ウィスタリア国王妃エヴァンジェリン・クロエ・ウィスタリア。
癖のないプラチナブロンドにミントグリーンの瞳、北方の国出身だからかその肌はこの南国ウィスタリアにあっても驚くほど白い。
会場全体を見渡せるように一段高い来賓席を下り、ゆっくりと会場を横切るその足がカツンカツンと高い音を響かせるたび、周囲の参加者達は皆一様に数歩下がって恭しげに紳士・淑女の礼をとる。
この国において女性の最高位に在る者 ──── 【王妃陛下】
平民であれば本来同じ会場内で尊顔を拝謁するなんてこと、一生に一度あるかないかというほど雲の上の存在が、今この混沌たる会場へと足を踏み入れた。
カツン、とヒールの足音が止まる。
クリスティアナは教えられた通りの模範的な淑女の礼で出迎え、男爵夫人であるトリスも周囲の貴族あたりまで下がって深々と腰を折った。
それを見て満足そうに一礼し、王妃エヴァンジェリンは改めて己の不出来な息子を見据え、いざお説教をと口を開きかけた、のだが。
「母上、お待ち下さい!そこの阿婆擦れ女は重罪人ですが、母上のお力を借りるまでもありません!確かにここまでは姑息な手回しによって証拠は握りつぶされてしまいましたが……あとひとつ!あとひとつ、動かぬ証拠のある罪の告発が残っております!母上とてお怒りもございましょう、裏切られた気持ちは心底共感できます。ですがどうか、どうかこの女の断罪はもうしばらくお待ちいただけませんか!?」
何をどう勘違いしたのか、チャールズは王妃がクリスティアナを断罪しに来たと勘違いし、『まだボクたん言い足りないからちょっと待っててねママ(意訳)』としゃしゃり出てきた。
(一体この人の頭の中はどうなっているのかしら……それに、とうとう阿婆擦れ呼ばわりしやがりましたわ、この阿呆。わたくしまだ、純粋無垢な乙女ですのに)
むしろ彼の側にぴったりくっついて未だ離れないばかりか、周囲の男どもに慰められて『儚げなわたし、どうか守ってね♡』的な笑顔を浮かべているシンシアに使うべき形容詞ではないのか。
……と思っても、貴族の良識や淑女のマナーを徹底的に学ばされたクリスティアナは、そんなはしたないことを口に出したりはしない。
この空気を全く読まない王太子の訴えに、さすが王妃の表情はぴくりとも動かなかった。
薄っすらと浮かべた笑顔のまま、「罪、というのは?」と息子に向かって問いかける。
これで王妃は味方だと確信したのだろう、王太子は得意気に胸を張って「昨日のことです!」と声を張り上げた。
「昨日の放課後、シンシアが魔術塔の入り口で傷だらけで倒れているのを、デルフィードが見つけました。幸いそこまで大きな怪我はなかったそうですが、腕や足は擦り傷だらけ、額には瘤、足首は捻挫していたようです。……そうだな?デル」
「はい。見つけたのが僕でよかった、すぐに治癒の魔術で全部治せましたから。彼女に事情を聞いたら、そこの女に魔術塔に呼び出されて、なのに近くの森に妙な罠が張ってあって中々抜けられなくて、やっと出られたから急いで行ったら急に突き飛ばされたって。可哀想なシンシア、こんな姑息な女の呼び出しなんて無視しちゃえばよかったのに」
「そ、そんなこと言わないで、デル。わたし、認めてほしくて……魔術塔の屋上まで来られたら認めてあげるって言われて……だから」
「そんなの無理に決まってるよ。だってこの僕でさえ、あの魔術塔の最上階には入れないんだから」
途中から王妃の質問など関係なく悲劇のヒロインごっこを始めた二人。
そこへ
パンッ!!
と王妃が一度大きく手を叩いて、それを遮った。
もういい、わかったという意味だと判断し、渋々ではあるがデルフィードは口をつぐむ。
シンシアはあまりに大きなその音にびくりと体を震わせ、今度は怯えた眼差しを王妃へと注いだ。
「……言いたいことはわかりました。では、2,3質問をしましょう。貴女が突き飛ばされたというのは、魔術塔の第何階層でのことですか?マクドリーズ准男爵令嬢」
「ひっ!……え、あ、その、っ」
「答えられないのですか?」
「母上、シンシアが怯えています。そこの女に苛立つ気持ちはわかりますが、」
「貴女には聞いていませんよ、チャールズ。口を慎みなさい」
ひやり、としたものが王太子の首筋を伝い落ちる。
眼差しひとつで相手を威圧する、それが国の象徴であり為政者としての王妃の力だ。
母親としてではなく為政者としての視線を向けられれば、いかに空気の読めない王太子であってもこれ以上勝手な発言はできなくなった。
射すくめられた、とでも言えばいいのか。
王妃はもう一度、ことさらゆっくりとシンシアに向かって問いかける。
魔術塔の第何階層から落とされたのか、と。
それに対して、怯えて縮こまりながらも彼女が返した答えがまた酷い。
「あの、第何階層って……なんのことですか?わたし、魔術塔に行ったのは初めてで……」
「…………本来、魔術塔は生徒が気安く入れる場所ではありません。ただ、だからこそ無闇に近づかないようにと、基本学習の時期にきちんと教えられるはずなのです。 ──── デルフィード・インテル、説明を」
「え、は、はいっ!」
恩師に対しても傲岸不遜な態度を崩さなかったデルフィードも、今や威圧感半端ない王妃に命じられたのでは畏まるしかできず、珍しく礼儀正しい貴族の顔に戻って魔術塔について説明を始めた。
魔術塔とは、学園内において魔術を研究する職にある者のための隔離施設である。
故に、その危険度に応じて階層が分かれており、能力なき者は先の階層に進むことができず、無理に進もうとすれば透明な壁に阻まれてしまう。
例えばその入り口はある程度の魔力量がないと立ち入ることができず、第一階層は上級の魔術が使いこなせないと無理、という風に。
そしてその魔術塔が建っている周辺の森には、徒に入り込もうとする学生を惑わす罠が張られており、容易には抜けられないようになっている。
一通り説明したところで、デルフィードは「まさか、そんなこと……」と一気に青ざめた。
どうやら今回のシンシアの言い分について、魔術の天才だからこその違和感に気づいたのだろう。
王妃もそれを予測した上で、デルフィードに説明させたということのようだ。
一方シンシアを筆頭とする他の面々は、全く気づいた様子もなく訝しげな表情になっている。
「いや、まさか……でも、ありえない……そんなことって……」
「どうやら気づいたようですね、デルフィード。何がどうおかしいのか、説明できますか?」
「……そ、それは……っ」
「やはり、できませんか?先程の魔石の時と同じように、真実から目をそらして『魔術の天才』の名を捨てるのですか?」
「僕は…………、僕は、でも……っ」
ついには頭を抱え、蹲って葛藤し始めるデルフィード。
冷ややかにそれを見下ろす王妃の眼前、一代限りの貴族令嬢でしかないシンシアがデルフィードに駆け寄り、その場に膝をついて両手を大きく広げた。
「…………何の真似です?」
「もうやめてくださいっ!デルがこんなに苦しんでるのに、ひどすぎます!いくら王妃様でも、わたしのお友達をいじめるならわたし……っ、わたしが守りますっ!!」
もうやめて、と言いたいのはこの会場に居並ぶ貴族達だろう。
彼らは少なからず王妃の人柄を知っているし、そうでなくとも王族に対する礼儀も弁えている。
王妃に発言を許されていないはずの准男爵令嬢ごときが、勝手に発言したばかりか『ひどすぎます』と非難まで浴びせたとあっては、もうこれは不敬罪だなんだというレベルではない。
今すぐ護衛騎士に首をはねられても文句は言えない、そういう次元の問題である。
だが王妃が動く前に、デルフィードが動いた。
「……下がるんだ、シンシア」
「でも、デル!」
「いいから。これ以上、王妃陛下に失礼を働いたら君が罰せられる。……下がって。そして、僕の話を聞いて」
彼は自分がまず立ち上がると、跪いたままのシンシアの腕を引っ張って無理やり立ち上がらせ、そっとチャールズの方へと押しやった。
いつになく乱暴なそのやり方に睨みつけてくるチャールズの方は見ず、彼は寂しそうな表情を浮かべてシンシアを見つめる。
「シンシア、僕は君を信じてる。君が魔術塔の前で倒れていたのは本当だ、怪我もしていた。だから君が言うことも本当なんだろうと……そう、信じてた。だけどね…………今回に限っては君の誤解だと僕は思う」