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第七話:男爵夫人は苦労人

 


 トリスは、メギナ男爵家の長女として生まれた。


 メギナ男爵領はウィスタリア国の中でも最南端に位置する辺境区で、気候は一年通して温暖だがこれといった特産のないところだ。

 領主である父の能力は可もなく不可もなく、平民出身である母も自ら進んで茶会を開いたり贅沢をしたがったりすることもなく、年に何度か参加する(強制参加の)夜会などでも目立ったところのない、ごく普通の下位貴族といった印象を受ける。

 階級的に言えば平民に限りなく近い、よく言えば領民に近い位置にいる貴族。


 そんな両親を見て育ったトリスは、子供ながらにしっかりした意志を持ち、貧乏男爵家がといじめを受けた時も「清貧上等!」とやり返すほど、気の強い部分もあった。

 貴族としての在り方に疑問を覚える両親を反面教師としたのか、彼女は進んで領地経営や農地改革などの資料を読み漁り、どうにかしてこの男爵領を豊かにできないかあれこれ考えてきた。


 そんな彼女に賛同して一緒に知恵を振り絞ってくれたのが、先代同士の間で約束された許嫁の関係にある子爵令息……ラウル・フェリス。

 フェリス子爵領はメギナ男爵領から少し離れた海の側にあり、彼の家は主に他国との貿易を手掛けていた。

 なので、他国からの珍しい品物や野菜・果物などに関する知識は豊富にあり、あれはどうかこれはどうだろうと考えてはフェリス子爵に相談を持ちかけ、時には無理やりメギナ男爵も巻き込んでの特産品作りを続けてきた。


 試行錯誤の上南方の島国特産であるオランジェを育て始め、それが軌道に乗ると地味で目立たないメギナ男爵領はその筋では有名どころとなり、『裕福』とは言えないまでも『貧乏』とは言われない程度の利益を出せるようになった。……までは、良かったのだが。



「おとうさま、あたし新しいドレスが欲しいの!」


 トリスが10歳の頃、妹が生まれた。

 彼女の名はマリー。遅くにできた子とあって、両親はそれはもうマリーを溺愛した。

 トリスが決して可愛くないわけではない、だが子供ながらに領地経営などに興味を持つ男勝りな長女よりも、甘えたがりでおねだり上手な次女へと彼らの興味は向けられた。


 彼女がある程度贅沢をしたくらいで揺るがないほど、メギナ男爵家の家計は潤ってはいたが……贅沢は敵だと主張するトリスはことあるごとに妹を甘やかす両親に苦言を言い、あれが欲しい、ここに行きたいと年々我儘になっていく妹に何かと説教を繰り返しながら、家計の紐をきっちりと締め続けた。

 お蔭で妹にはすっかり『怖くて口喧しい姉』という印象を持たれてしまったが、彼女に後悔はない。



 そうして迎えた学園入学の年。

 トリスは文官を目指す者やいずれ領地を治める跡継ぎが所属する政経学科を受験し、見事合格。

 一年先に入学していたラウルと共に、まずは二人揃って文官になってある程度稼いだ上で、いずれ領地に戻って二人で経営に携わろうと約束し合い、ぞのためしっかり学ぼうと心に決めた。……のだが、運命は再び彼女に試練を与えた。


「はじめまして!あなたがわたしと同室の人?うわあ、なんだかお姉ちゃんって感じがする。これからよろしくね。……え、っと……」

「…………メギナ男爵家のトリスよ。はじめまして」

「トリス……トリスちゃんね!わたしはシンシアよ、シンシアって呼んでね」


(初対面でちゃん付け。しかも先に名前を聞いてくるし、苗字は名乗らないし……)


 相手の身分が分からない場合、まずは自分が名を名乗る。

 この平民から王族まで幅広い身分の者が通う学園内において、それは平民であっても適用される最低限のマナーだ。

 そして相手の身分がわかったら、それに即した対応を心がける……が、目の前の彼女の場合身分を明かしていないため、どう対応していいのかトリスにはまだわからない。

 見た感じだけなら、トリスとそう変わらない下位貴族かもしくは裕福な平民の娘、という印象だが。


 明るい茶色の髪に、琥珀色のくりくりと大きな瞳の少女。

 シンシアとだけ名乗ったその女生徒との出会いによって、トリスの将来設計は大きく狂うことになってしまった。



 ひとまず『ちゃん』付けはまずやめてもらった。

 シンシアは「えー、仲良しって感じで好きなのに」と渋ったが、その割に自分は『ちゃん』付けさせないのだから矛盾していると指摘すると、むくれながらもどうにか理解してくれた。

 それからもトリスは、シンシアの同室者というだけで彼女の愚痴や世間話、いつか王子様が……という恋バナまで毎日毎日付き合わされ、神経がすり減る思いだった。


(あぁ、この感じ…………あの脳内お花畑娘マリーに似てるんだわ……)


 妹で散々手を焼かされたのに、何故また同年のはずのシンシアで同じ想いをしなければならないのか。

 そう思いながらも、彼女は耐えた。

 5年という年月は長いが、ここを乗り切れば将来は文官に、いずれは領地へ戻って経営の腕を試せる。

 その間ずっと面倒を見させられるのは大変だが、いずれ彼女にも他に親しい友達や恋人ができて、トリスに構わなくなるに違いない。

 だから今だけ、と彼女はできるだけシンシアに優しく接してやった。


 一度だけラウルと一緒にいるところを見られた時、「なんだか平凡顔の人だったね。でもトリスと並んでたらお似合いだったよ!」と無邪気に言われ、本気で縁を切ってやろうかとも考えたが。



 そんな彼女達が2年に進級してすぐ、シンシアは真面目に授業を受けなくなった……という噂がトリスの耳に聞こえてきた。

 それまでは成績が悪いなりに頑張っていたようだったのに、最初は遅刻、次は無断欠席と徐々にその行動がエスカレートしていき、今ではとある高位貴族のサロンに入り浸っているのだと。

 そしてそんな噂がある程度広まったある日、シンシアがトリスに泣きついてきた。


「チャールズ様の婚約者……クリスティアナ様にいじめられてるの。けど、誰も信じてくれなくて。皆の前で酷いこと言われたのに……わたしは皆を庇ったのに、それなのにわたしが悪いみたいな言い方されてね。チャールズ様は気にするなって言ってくれたけど、婚約者だからって何も言えないみたいで」


 さすがにこれには、トリスも物申させてもらった。

 貴族同士、それが王族ともなると婚約関係は好き嫌いという個人的感情だけじゃ成り立たない。

 王族の正妃となるには幼い頃からの教育が必要だし、そうなると最低でも伯爵家以上の婚約者が必要になる。

 あのお二人の関係は、レクター公爵家という影響力の強い家を王族に囲い込んでおこうとする、政略的なものなのだから周囲があれこれと口出しできるものじゃない。


 シンシアにもわかるように言葉を選んで、一言一言ゆっくり言い含めるように告げたにも関わらず、返ってきたのは


「でもチャールズ様が可哀想。あんな気の強い、我儘そうな人と結婚しなきゃいけないなんて。王族だって人間だもん、好きな人と結婚する権利くらいあるでしょ?」


 という、『王族とは何か』『王族の果たすべき責務』を全くわかっていない言葉。

 王族は民に支えられている……そして国で最高峰の権力と富を手にしている代わりに、彼らは民を養うという責務を負う。

 王は国のために。

 王は民のために。

 政治に私利私欲は挟まず、己が個人で築き上げた財産のみを自由に扱える。

 王族として生まれたくなかった、などとチャールズは語っていたそうだが……だとするなら、彼の教育係がそもそも失格だ。


 人は誰も、生まれたい場所に生まれるわけではない。

 平民に生まれたかった者、王族に憧れる者、下位貴族で満足である者、高位貴族に飽き飽きしている者。

 それぞれがそれぞれに与えられた権利を行使しながら、必死に生きていく。


 幼いころから努力し続けたトリスにしてみれば、シンシアもチャールズも脳内お花畑仲間ということだ。



 放っておいてもよかった。

 もう関わらないでと言って距離を置いても良かった、だが彼女が今側に侍らせている男達は誰も彼もいずれ王城内で権力を持つだろう人材ばかり。

 文官を目指す彼女にしたら、ここで敵意を持たれるのはちょっとまずいかな、というメンバーだった。


 だから彼女は仕方なく知恵を貸してあげた。

 婚約破棄させたいなら、その婚約相手の悪事を王太子に教えてやればいい。

 いじめられた、怪我させられたと泣きつけばいい。

 シンシアに甘いあの王太子なら、たいした証拠がなくともそれを信じて婚約破棄を申し出てくれるんじゃないかしら、と。


「で、でも、何か証拠がないと……」

「だったら、今度のお茶会に紛れ込んで、あの方の髪の毛を取ってきてあげる。どう使うかは貴女次第。それ以上は悪いけど手伝わないわよ?」


 だがそのが誤りだったと知ったのは、その数ヶ月後。


 常日頃からあまりいい噂は聞かない魔術科の中年教師が何故か専攻の違うトリスを呼び出し、そして乱暴しようとしたのだ。

 幸い護身術の心得があったため未遂に終わったが、その時彼女は信じられない言葉を聞いた。


「話が違うじゃないか。魔石を盗み出す代わりに君を好きにしていいと、マクドリーズ君はそう言っていたんだぞ」





 トリスの告白に、シンシアはもう顔面蒼白で一人で立っていられないといった様子だ。

 そんな彼女を嘲笑いながら、トリスはこう告げる。


「ここまでは全部貴女の企み通りに進んだのね、シンシア。だけどお生憎様、レクター様と同様わたくしもやられっぱなしは性に合いませんの。……まだ、言ってないことがあるわよね?覚悟はいい?」



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