第二話:平民を嘲笑うものは平民に泣く
さて、まずはどうしようかしら?
クリスティアナが扇の下で爪を研いでいることなど全く知る由もない男達は、シンシアをクリスティアナの視線からかばうように彼女を取り囲み、互いに視線を交わし合う。
(おおかた、誰が最初にわたくしに罪を突きつけるのか……誰が彼女にいいところを見せるのか、牽制しあっているのでしょうね)
そんなことをしても無駄でしょうに、とクリスティアナは呆れ返る。
誰がどんないいところを見せたところで、シンシアの心が誰か一人に傾くことなど恐らくない。
もしそうなるなら、入学2年目から今までの間ずっと彼ら5人を側に侍らせてなどいなかっただろう。
彼女は誰も選べない……否、誰も選ぶ気などないのだ。
それはきっと、便宜上最も位の高いチャールズの婚約者になったとしても変わらない。
と、冷めた視線でそんなことを考えていたクリスティアナの前に、チャールズが進み出てきた。
まぁそうでしょうね、と彼女は表情ひとつ変えずに元婚約者を見つめる。
どれだけ彼らが牽制しあったところで、堂々と婚約宣言したチャールズが彼らの中で一歩先んじているのは明らかだ、となれば当然第一の刺客は王太子がという何の捻りもない結果にたどり着くわけだ。
「お前は姑息にも私やその側近達に隠れて平民出身者を見下し、彼らを擁護するシンシアに何度も嫌味をぶつけたそうだな?その上、シンシアが引かぬとわかると今度は制服を風の魔術で切り裂き、部屋を荒らして彼女の母の形見であるブローチを奪い、挙句その大事なブローチを焼却炉に捨てて踏み躙った!そしてとうとう、昨日は魔術塔の階段から突き落としたそうではないか!お前は隠したつもりだったろうが、騎士団の調査によって証拠も見つかっているのだ!いい加減観念して罪を認めろ、往生際が悪いぞ!!」
「……まぁ、怖い。そんなに怒鳴らないでくださいませ。高貴な方は常に冷静沈着に、そう授業でお習いになりませんでしたの?ですのにそのようにお顔を歪めて唾まで飛ばされて……はしたないこと」
嫌ですわ、と彼女はわざとらしくドレスの前面を手にした扇でぱたぱたと払う。
あからさまにバカにしたようなその態度に、チャールズはなおも罵倒しようと一歩前に踏み出そうとした、が。
「殿下、挑発に乗ってはなりません。ここはどうぞ、お引きください」
「しかしだな、ヒューイ」
「ここからは、俺にお任せを」
選手交代、とばかりに前に進み出たのは赤茶の髪に赤褐色の双眸をした、ヒューイ・パッカード。
パッカード宰相の息子にして、次期宰相との呼び声も高い王太子の側近筆頭である。
年齢は王太子と同じ20歳、つまり彼もまた当然のように毎日学校に顔を出してはいるが、本来なら宰相の下について文官教育を受けているはずの人物だ。
彼もまた、シンシアに魅了された者の一人だ。
彼女のために、最初の頃はあれこれ勉強を教えていたようだが、次第にそれは試験の直前対策のみとなり、そしてとうとう補講のもみ消しという不正にまで発展してしまった。
そのことを国の上層部に報告すれば、上は必ず動く。
だがしかし、クリスティアナはあえて放置していた。
むしろ「どうでも良かった」のだ……シンシアに魅了されるあまり、己の積み上げてきた階段を踏み外していく彼らのことなど。
そして、こんな断罪などではなく穏便に婚約解消を告げられていれば、きっと今後も関わろうとは思わなかっただろうに。
そんなクリスティアナの内心など全く知らない彼は、今時珍しいモノクルをくいっと指先で上げ、見下すように顎をややそらしてクリスティアナと対峙した。
「さて、ご令嬢。先ほど殿下が仰った貴方の罪について、何か申し開きがおありか?……あぁ、念のために申し添えておくが、どの罪状にも一般生徒の目撃者がいる。その上で、言い訳があるならお聞きしよう」
彼らは、クリスティアナを侮っていた。
婚約者であるチャールズに公の場で断罪され、憤慨するか逆ギレするか家に泣き帰るか、その程度だと高を括っていたのだ。
だが実際、彼女は背筋をピンと伸ばしたまま前を向き、一向に動じた様子も見せず無表情を貫いている。
その姿はまるで、冒しがたい何か神々しいものであるかのようだ。
「このような栄えある場において醜い諍いを長々と続けることは、他の卒業生の方々及び来賓の皆様に失礼ですわ。……とはいえ、申し開きをせねばわたくしの罪は確定……でしたら、早々に終わらせましょう。関係のない皆様は、もうしばらくご辛抱くださいませね」
では、とクリスティアナは第一の罪状である『平民を見下し、それを庇ったシンシアに嫌味をぶつけた』という、罪になるのかどうかもわからない微罪について説明を加えた。
曰く、数少ない平民出身の生徒の中には『貴族は優遇されている』『ある程度金を積めば入れるんだろう』『試験すら受けていない者もいるかもしれない』と貴族出身者の能力をも侮ったことを言う者がいる。
たまたまそんな愚痴を聞いてしまった彼女は、それは僻みというものだ、悔しかったら実力で貴族出身者を見下して御覧なさいと声をかけたのだという。
「わたくしはこうも言いましたわ。このようなところで腐っているより、打倒貴族の目標を掲げて成り上がる方が余程有意義ですわよ。ここに入学できたあなた方ならできるのではなくて?と」
「あぁ、そういえば」
「……そんな話を聞いたことがある」
「平民連中がやけにやる気になってたと思ったが……」
ぼそぼそ、と彼らを囲む輪の中からクリスティアナの言葉を裏付けるような呟きが聞こえる。
それに混じって、そう多くはないが「その通りだ!」「この方は俺達を救ってくださったんだ!」と彼女を擁護する平民出身者の声も上がりはじめ、ヒューイは不愉快そうに声を張り上げて「静粛に!」と叫んだ。
「恐れ多くも王太子殿下の取り仕切る場において、許可なく平民ごときが発言するなど!口を慎め!」
「あら。平民如き、ですって?次期宰相と名高い貴方が、貴族のために働いて税を納めてくださる皆様のことを如き、と仰いますの?彼らの働きがあってこそ国が潤う、貴族が生活できる、そんな当たり前のこともまさかご存じない、と?」
クリスティアナ自身は無表情で淡々と事実を指摘しているだけなのだが、周囲から堪えきれなくなったように嘲笑する声が漏れ聞こえてくる。
ヒューイもハッと我に返ったが時既に遅し、後輩たちから彼に向けられる視線はどれこれも冷ややかで嘲りを含んだものばかりで、彼は羞恥と憤怒で顔を赤く染めた。
そこに、クリスティアナの畳み掛けるような静かな声が響く。
「……実に嘆かわしいことですわ。平民を見下したことが罪だと仰った貴方が。それともその罪は、そちらのシンシア嬢にご忠告申し上げたことだけを指しておりますの?」
「だ、まれ……っ」
「黙りませんわ、申し開きがまだですもの。わたくしが平民出身者へ忠告したことで、ちょうど偶然その場を通りかかられたシンシア嬢が、平民だからといじめるなんて最低です!などと声を荒げられたのです。ですからわたくしはご忠告差し上げたのですわ。『淑女たるものみだりに声を荒げるものではありませんわよ。それと関係のないことに首を突っ込むのはマナー違反ですわ』と。それが何度か続いただけです」
わたくし、何か間違ったことを申しておりますかしら?
小さく首を傾げながらそう誰とはなしに問いかけるクリスティアナに呼応するように、今度は貴族令息達から「そういえば俺聞いたかも」「確かに淑女としてあれは、ねぇ」「そうそう、いつも何故かどこからか駆けつけるんだよな、シンシア嬢って」などと賛同する声が上がる。
今回は貴族令息・令嬢ということもあって、ヒューイも容易に注意できずに唇を強く噛み締めている。
そんなヒューイの肩をぽんと叩いた者がいる。
魔術師団長子息であるデルフィード・インテルだ。
「僕が代わるよ。次の罪状の証明には、魔術師団も関わってるからね」
君はもう下がっていいよ。
暗に力不足と揶揄されたことがわかったヒューイは、拳をブルブルと震わせながらついには俯き、居並ぶ取り巻き達の最後尾へと渋々引き下がるしかなかった。