第十話:彼らが見ようとしなかった世界
「酷いわ、デル!わたし、本当に!」
「彼女の顔を見たわけじゃないんだろ?」
「それはそう、だけど……でも、手紙で呼び出されて、おまけに森の中でわざと迷うように変な術まで掛けられてて。きっとあれは、わたしが慌てて駆け込むことを考えて、あの人が」
「それも違うよね?さっきの僕の話を聞いてた?あの森は、学園側が用のない生徒が近づかないように、罠を張っているんだ。僕のように許可された者は近づけるけど、そうじゃない生徒は迷わされる。つまりね……君の勘違いだったんだ」
魔術塔に向かったシンシアが森で迷ったのは、学園側の防衛システムの所為。
魔術塔の入り口を通れたのは彼女の魔力量が一定以上だったからだが、それでも上級魔術が使えない彼女は第一階層にたどり着く前に、防衛システムの壁に思いっきりぶつかって階段を転げ落ちた。
第一階層は階段数にしてわずか5段ほど上にある、そこから落ちれば確かに擦り傷や瘤、捻挫くらいの怪我で済むだろう。
チャールズやジョージといった四人は信じられないと言うようにデルフィードを凝視し、シンシアは真っ青になりながらフルフルと否定するように何度も首を横に振っている。
「違うわ、だって、あの人から呼び出しの手紙が……っ」
「そうだ、シンシア。あの女からもらった手紙、確かまだ持ってただろう?いい機会だ、それを母上に渡すんだ。動かぬ証拠さえあれば、あの女だって言い逃れできないはずだ」
「え、あの、でも」
さあ早く、と手を差し出すチャールズ。
青ざめた顔のまま、おろおろとするシンシア。
「お出しなさい、シンシア・マクドリーズ」
とそこへ、王妃までもが手紙を出すようにと冷ややかな声で命じてくる。
さすがに、一度ならず二度までも不敬を働くわけにはいかないからと、焦ったチャールズは「とにかくすぐに出すんだ!」と怒鳴るように言って、ポケットを触ろうと手を伸ばしたところで、「やめて!」と体を抱え込んだシンシアに力いっぱい拒絶されてしまった。
傍から見ていると、まるで王太子が痴漢行為を働こうとしているかのようだが。それはともかく。
渋々スカートのポケットから取り出されたその手紙は、すっかりくしゃくしゃになってしまっていた。
いつからいたのか王妃の護衛である女性騎士がそれをシンシアの手から取り上げ、恭しげに王妃へと渡す。
王妃が読み上げたそれは、放課後に一人で誰にも告げずに魔術塔の屋上まで来るように、そしてもし日没までにたどり着けたら王太子の恋人として認めてもいい、とそんな内容が書かれてあった。
手紙の最後には、それまでの怒り狂ったかのような乱暴な筆跡とは裏腹に、丁寧なサインで【クリスティアナ・レクター】とある。
王妃はその手紙をチャールズへと無造作に渡し、「このサインは確かにこの女のものだ!」と声を荒げたところで、初めて憐れむような眼差しを己の息子へと向けた。
「チャールズ、お前とクリスティアナ嬢は幼い頃から何度も手紙のやり取りをしていたはずですよ。この筆跡が本当に彼女のものだと思うのですか?」
「それは……そうだ、そこの従者に書かせたに違いありません。高位貴族が従者に手紙を書かせるのはよくあることです、そうですよね母上」
「だとしても、貴族らしからぬこの安物の紙を使ってというのは、違和感がありますね。封筒に入っていないという段階で、既に貴族としてのマナー違反でしょうに」
「いいですか、母上。これはシンシアへの脅迫状なんです。そんなものに馬鹿丁寧に貴族の紋章入りの高級紙など使うはずありません。封筒に入れていなかったのも、きっとそういうマナーとやらを持ち出して後から『偽物だ』と言うつもりだったのでしょう」
わかっていませんね、と言いたげなチャールズの言葉に、会場の心はまたしてもひとつになった。
『わかっていないのはお前だ、この阿呆王太子が!』
王妃もきっと、叶うことならそう罵声を浴びせてやりたいに違いない……現に今、これまでどうにか保ってきた表情筋が崩れ、呆れと怒りの入り混じったような形容し難い複雑な表情をはっきりと浮かべている。
「チャールズ、お前は…………」
どうしてどうでもいいところでそこまで頭が回るのか。
先程までの場で、ここまで冷静に対処できていればあれ程の醜態を晒すこともなかっただろうに。
そう言いかけて、王妃は結局違うことを口にした。
「このサインがおかしいのだと、どうして気づけないのです?……ここだけ丁寧すぎるほど丁寧で、しかもところどころインクの滲みやブレが見られます。しかも、御覧なさい」
と王妃は再び王太子から手紙を受け取り、それを裏返した。
乱暴な筆跡の部分は裏からうっすら何か書いてあることが分かる程度だが、サインの部分だけはまるで逆向きにサインしたかのように黒く浮かび上がっていたのだ。
インクを付けすぎて滲んだというのなら、こんなはっきりとは裏写りしない。
これではまるで ────── 何かを透かして写し取ったかのようだ。
「恐らく、下に本物のサインを置いて写し取ったのでしょう。それにね、何より魔術塔に屋上などありません。この時点でおかしいと思わないのですか?」
「…………」
「呆れた。……このようなお粗末なものを『動かぬ証拠』だと言うようでは、部下に簡単に不正を許してしまいますよ」
ギリッ、とチャールズは歯噛みする。
ここでようやく…………あまりに遅すぎるが、彼は己の母が彼の味方などではないことを悟った。
シンシアを庇うように先程までの位置に下がったチャールズ、その周囲を改めて固める男達。
そちらを見つめる王妃の目は、もう為政者のそれに戻っていた。
「チャールズ、デルフィード、ヒューイ、ジョージ、そしてラファエル。お前達はここ数年、休暇になっても一度も実家には帰りませんでしたね?そこの娘を連れて、各地の別荘へ赴いていたと報告は受けています。…………その間、お前達の親は……婚約者は何をしていたのか、全く知ろうともしなかったのですね」
王太子チャールズの両親、国王陛下と王妃陛下。
婚約者のクリスティアナ・レクター公爵令嬢。
デルフィード・インテルの父親、ヴァイオ・インテル魔術師長。
婚約者のセイラ・ナサニエル侯爵令嬢。
ヒューイ・パッカードの父親、セバス・パッカード宰相。
婚約者のアイーダ・ナズル伯爵令嬢。
ジョージ・エプソンの父親、ガンツ・エプソン騎士団長。
婚約者のシェリー・ユグナリス伯爵令嬢。
ラファエル・ウィンドの父親、カミーユ・ウィンド神官長。
婚約者のジュディア・セフ子爵令嬢。
いずれ国を背負って立つ次期国王とその側近候補達が揃って姿をくらましている間、彼らは王城に集まって将来的な打ち合わせを何度も行ってきた。
彼らが好き勝手出来るのも学園にいる間だけ。
卒業すればすぐにチャールズとクリスティアナの婚姻が結ばれ、それに伴って本格的に次期国王・次期王妃としての公務が始まる。
側近候補達も正式に側近として任命され政に関わっていくことになり、その婚約者達もそれぞれの家に入って女主人としての仕事を教えられることになる。
それと同時に彼女達は次期王妃クリスティアナの相談役として王城へあがるため、王妃の公務や政などに関する知識も学んでおかなければならなくなる。
とにかく卒業式を終えてからは怒涛の忙しさとなるため、早いうちから彼女達は王城へとほぼ毎日通って、何度も会議にも参加してきたのだ。
セイラは魔術師団の、シェリーは騎士団のそれぞれ警護体制について。
ジュディアは神殿での婚姻式の段取りについて。
アイーダは婚姻式後のパレードについて。
そして最もやることの多いクリスティアナは、婚姻式のドレス選びから公務について、今後の住まいとなる後宮の環境整備や人材の厳選、婚姻式への招待状作成や来賓への手土産選び、果ては自分付きの侍女の選別まで。
それぞれの婚約者の親達と一緒に、何度も何度も打ち合わせを行ってひとつひとつ決めてきたのだ。
彼女達は、ここのところ数日寮に戻ってはいない。
そして当然、昨日も学園の敷地内にはいなかった。
それは、今名前が挙げられたそれぞれの分野においてトップの地位にいる者達が証明してくれるだろう。
「お前達のやったことは、そんな彼女達の……そしてお前の親達の苦労を全て無にする愚かな行いです。その全ての償いは、お前達だけでやらねばなりません。そして、彼女達に対する償いは、それぞれの家が引き受けることとなるでしょう」
当人達に償えと言ったところで無駄だとわかっている、だからその家に責任を取らせる、ということだ。
高額な慰謝料や、穏便な婚約解消の上での新しい嫁ぎ先の紹介、中には爵位返上することで詫びを入れようとする家もあるかもしれない。
それだけ、高位貴族の婚約解消というのは大事だということなのだ。
だからこそ、婚約を結ぶ前に家同士が綿密な打ち合わせをした上で契約書まで作成するというのに。
それが『解消』ではなく一方的な『破棄』である場合、その償いは計り知れないものになるだろう。
そしてここに、一方的な婚約破棄を突きつけられた上にありもしない冤罪で告発され、呼び捨て、嘲り、罵声、いわれのない呼ばれ方をされた……という悲劇真っ只中の公爵令嬢がいる。
「クリスティアナ・レクター公爵令嬢」
王妃の声に、クリスティアナはアルカイックスマイルを顔に貼り付けて、優雅に一礼してみせた。




