第一話:受けた屈辱、倍返し
「ウィスタリア国王太子チャールズ・レナード・シェスカ・ウィスタリアの名においてここに宣言する。我が婚約者クリスティアナ・フレデリカ・レクター公爵令嬢は王族となる資格なしと判断されたため、この場をもって婚約を破棄!加えて、このたび【聖女】として神託を受けたシンシア・マクドリーズ准男爵令嬢を新しき婚約者とする!!」
「チャールズ様……うれしい」
ぽぉっと頬をバラ色に染めた、明るい茶色の髪色をしたまだ幼さの残る顔立ちの少女。
そんな彼女に向かって手を差し伸べ、恥じらいながら身を寄せてきた彼女の細い肩を抱きながら、チャールズはキッとかつての婚約者を睨みつけた。
「…………あら、まぁ」
なんということでしょう、と驚きに蒼の瞳を見開いたキツい顔立ちの少女は、パチパチと二度ゆっくりと瞬いて、三度目でふらりと立ちくらみを起こして背を仰け反らせた、が。
それまで静かに斜め後方に控えていた青年がその背を支え、ふわりと柔らかく抱き込むようにして倒れるのを防いだ。
「ティア様、お気を確かに」
「……………………ジル?あなた、従者のジルベール、よね?」
「はい。貴方のジルベールでございます、我が君。もしお疑いのようでしたら、我が君の幼少の頃よりの愛らしきエピソードをここで披露させていただきますが」
「…………結構よ。えぇ、確かにジル本人だわ」
食いつき気味に顔を覗き込んでくる金髪の従者から顔を背け、鬱陶しげにその顔を扇で払い除けてから、彼女は姿勢を正す。
「ねぇ、ジル。この後余程のことがない限りは手を出さないと誓える?」
「かしこまりました。クリスティアナ様に危害が加えられない限り、傍観に努めましょう」
よろしい、いい子ね。
ゆるりと巻かれた黒髪が美しいその少女は、恭しげに跪いた従者の頭を扇で軽く叩き、小さく微笑む。
だがその笑顔も先程『婚約破棄!』と叫んだ者達に向ける頃には跡形もなく消え去り、冷え冷えとした無表情がそれにとってかわった。
その表情から何かを悟ったのだろう、跪いたままの青年は少女の横顔をうっとりと見上げて微笑んだ。
「さあ、ご存分になさいませ。私はここで見守らせていただきます ──── 愛しの我が君」
国立ウィスタリア総合学校。
何か秀でるものを持った若者を育成するために創られたこの学校は、ウィスタリア王国のすぐ北に隣接する魔術大国ヴィラージュが運営する『国立ヴィラージュ総合学園』を模して……というよりほぼそのままコピーして設立された、ウィスタリア国随一の教育機関である。
教育システムもヴィラージュとほぼ同じで、将来的に国に貢献できる才能があれば、貴族・平民の身分を問わず入学が許可され、成績優秀者の中には国からスカウトを受けて就職先が決まる、という者までいるという。
就学年齢は13歳から18歳の5年間とされているが、その間に就職先が決まれば特別に早期卒業という形で学校を出る、という例もないわけではない。
そんなウィスタリア総合学校の卒業式が終了すると、卒業生達はこれから本格的に関わることになる社交界を知るという意味合いで、初めての夜会に参加することとなる。
参加できるのはその年の卒業生、そしてそのパートナーに選ばれた者、後は招待された王族とこの学校の関係者達だけだ。
この日も、昼間に卒業式を終えたばかりの卒業生たちが思い思いに着飾り、あらかじめ予定していたパートナーの手を取って、学校の大ホールを使っての夜会に参加すべく集まっていた。
その場で最も注目を集めていたのは、2年前に既に卒業したウィスタリア国王太子チャールズと、その婚約者であるレクター公爵令嬢クリスティアナだろう。
豪奢な金髪とアイスブルーの双眸、そして浅黒く日焼けした肌というウィスタリア王家の象徴のような色合いを持ったチャールズは、真紅のドレスを嫌味なく着こなした婚約者クリスティアナの手を取ってホールの中央まで進み出ると、そのままダンスを誘うように向き合って立ち、周囲が固唾を呑んで『婚姻宣言』を待っているそんな空気を引き裂くように、まるで汚らわしいものにでも触れたかのようにクリスティアナの手を振り払い、例の『婚約破棄&婚約宣言』を高らかに告げたのだった。
「わたくしが『王族になる資格がないと判断された』と先ほどそう仰いましたけれど、一体どなたがそのような判断を下されたのでしょうか?」
意訳:っていうか貴方、普段のわたくしのことなど殆どご存じないでしょうに。言いがかりじゃありませんの?
「ふん。お前は知らなかっただろうが、王太子妃たる者の見極め役として私の側近達がお前の言動を調査していたのだ」
意訳:隙あらばお前を引きずりおろせるように、側近達が必死になってあら捜しをしていたのだ。お前は気づかなかっただろうがな!
「あら、そうでしたの。それはもしかしてそちらの宰相閣下、騎士団長、魔術師団長、神官長のご子息様方のことですの?」
意訳:気づいてましたけれど、無視ですわ、無視。気付かれたくないなら、そんな目立つ輩じゃなく、暗部の者でも使ったらいかが?
「無論だ。彼らは私の側仕えになれるほど有能で、家柄もしっかりしているからな」
意訳:お前の側にいるのはその身元の知れぬ忠犬一人だけだしな、羨ましかろう!
「…………」
意訳:はぁ。貴族式の会話が全く通じませんわ、この馬鹿王子ったら。
疲れたわね、とクリスティアナは王子のドヤ顔での主張をさらりと聞き流し、視線を『有能で家柄もしっかりした側仕え』へと向けてみる。
知的眼鏡系、高飛車天才系、脳筋直情系、生真面目純情系、これに俺様王子系を加えた5人がシンシアの信奉者だ。
王太子はもとより他の4人もいずれ劣らぬ偉大な親を持ち、国の最高峰と言ってもいいほど有能な教育係をつけられて育ったはずなのだが……どうしてこうなった、と来賓席で顔色を変えている保護者達はさぞかし頭が痛いことだろう。
そしてその中心にいるお騒がせ娘……シンシア・マクドリーズ16歳。
明るい茶色の髪に、ぱっちりと大きな瞳は琥珀色。どこかまだ幼さの残る顔立ちは、男性の庇護欲をそそる愛らしさがある、のだろう……同性のクリスティアナにはさっぱりだが。
彼女の家は準男爵という、つまりは何らかの功績を立てて得た一代限りの爵位であり、それは当然娘であるシンシアの代になれば取り上げられるという、貴族の端っこにようやく引っかかった程度の家柄である。
高位の貴族程度の魔力を持ち、なおかつ光属性に適性があるとかで入学を許可された彼女が真面目に勉学に励んでいたのは、ほんの1年ほど。
次第に座学を欠席することが増え、実技も失敗続き、これは問題だと学校サイドで補講を入れても、なぜだか王太子やその取り巻き達が毎度毎度もっともらしい理由をつけて補講をキャンセル、しかも合格であったことにするようにと圧力をかけて従わせていたようだ。
こんな状態であるので当然同性の友人は皆無……唯一ルームメイトのみが貴重な友人枠だったそうだが、そんな彼女も諸事情あって学校を辞め、慌ただしく実家に戻って行ったため今の彼女が頼れるのは、数年前に卒業したはずなのに毎日学校に顔を出す王太子、そしてその取り巻き達だけである。
哀れね……とクリスティアナは広げた扇の下で、ため息をつく。
学校内で身分を振りかざすことはご法度であり、平民であっても高位貴族であっても同じ教室で同等の教育を受けられるというのが、この学校の売りだ。
だがここで間違えてはいけない。
身分を振りかざすことはご法度ではあるが、その者の生まれや身分を全く気にしないというわけではないのだ。
これがこの学校が『小さな社交界』と呼ばれていることからも明らかであり、つまりは生まれ持った身分によって不当な差別をしてはいけないが、それ以外は身分相応の振る舞いを求められるということである。
故に、王太子は王太子らしく。
准男爵令嬢は準男爵令嬢らしく。
しかし前者は驕り高ぶってまるで学校の支配者であるかのように傲慢に振る舞い、
後者は『下位貴族ごときが』と差別されたと泣いて訴えた。
(まぁ馬鹿同士、お似合いと言えばお似合いなのかしら)
呆れたような、憐れむようなクリスティアナのその視線に、びくりと身を震わせたシンシアが怯えたようにチャールズにしなだれかかり、そのことでチャールズ他四名の視線がなおいっそう険しさを増してクリスティアナに襲い掛かる。
(さて……面倒ですけれど、受けた恨みは倍返しの上徹底的に叩き潰せ、というのが我が家の家訓ですの。皆様、お覚悟くださいませね)
扇の下、彼女は嘲笑った ──── ひどく、獰猛に。