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 橋に差し掛かり、ラウルは腰のナイフを抜く。渡り切る瞬間を目指して予め繋いでいた縄に刃を当てた。

「キャッ」

 その時ぐらりと二人の体が傾いた。足下に広がる川面から引っ張られるようだ。ラウルが素早く目を向けると射られた弓の所為で縄が縺れてしまっている。

「ッチ!」

 舌打ちをして瞬時にナイフを放る。一分の狂いもなく弓のすぐ脇に刺さり、縺れた縄ごと輿が下に落ちていった。

 

「お嬢様、行きますよっ!」


 ラウルは傾いた状態のまま僅かに残った木片を足がかりに飛び上がった。イサベラは邪魔にならないようにとひたすらしがみついた。

 馬の腰に手をかけ背を這いずり、轡を付け直す。暴れる馬の手綱を引き戻しどうにか体勢を整えた。


「川に落ちた馬車の検分に時間稼ぎができるでしょう。このまま距離を稼ぎます」


 茶色の分厚い外套の所為で藁俵みたいにになっているイサベラを抱え直し、ラウルは早口に言った。イサベラは頷きだけで返して、体を起こし腕を回してしっかりと抱きついた。

 

 藁の匂い、散った木屑が頬に当たってチクチクする。矢が掠めたのかラウルの頬から一筋の血が襟元を汚している。イサベラその傷口を拭いたいと思ったが、まだ馬は興奮していてまっすぐに走ってくれない。じっとしているしかないと臍を噛んだ。


 進む先に樅の森が見えてきた。この森を越えれば城下は近い。人通りも多く巡回する兵士もいる。もう少しだと言おうとした時、落ち着きかけた馬がいきなり棹立ちになった。ラウルが慌てて手綱を引き何とかこらえる。

 馬は左右に身を振りながらものすごい勢いで森へ飛び込んでいった。


 手に、頭に、頬に、硬い樅の枝が鞭のように襲ってくる。イサベラは悲鳴も飲み込みただ耐えているしかなかった。

 猛スピードで聳える木々をラウルが必死に裁いて進んでいく。

 ラウルはしがみ付いているイサベラの背中をそっと叩いた。


「馬が負傷しました。このままでは制御が取れません。先に降りていただきます」


 切羽詰った声にイサベラは目で問う。制御できない馬から下ろすとはどういうことだろう。説明を求める視線を無視してラウルは自らの外套をイサベラに巻きつけた。もこもこした上着の上に更に布を重ねられイサベラは身動きが取れなくなる。


 一瞬だけラウルは静かにイサベラを見つめた。暴れる馬上とは思えぬ落ち着いた様子で。


 何か嫌な予感を感じてイサベラが身を捩ろうとすると、ふと体が軽くなった。すぐにラウルが離れていく。

 落ちてしまったっ!と内臓がギュッと縮まると同時に馬の首から血しぶきが上がるのが見えた。正気の無い馬を止めるためにラウルが刺したのだろう。けれど再び棹立ちになった馬の背にはラウルの姿がない。


(ラウルっ!ラウルラウル!)

 声にならない叫びを上げながら必死に視線を彷徨わせる。けれどラウルの姿は見つからない。伸びた枝が放り出されたイサベラの足部分を強く叩き一気に地面に叩きつけられた。そのままゴロゴロと硬い地面を転がる。いくら着膨れしていても衝撃は凄まじく、口の中には血の味が広がった。

 ゴツゴツした木の根にぶつかって止まるまでイサベラは丸太のように転がった。

 

 

 視界がふわりと揺らいだ。束の間意識を失っていたのかもしれない。

 体中が痛い。手も足も動かすことが出来なくて、折れてしまったかとヒヤリとする。でもぐるぐる巻きにされた自分の姿を思い出してどちらか分からなくなった。

 耳の横に心臓があるのではないかと思うほどドクドクと波打つ。頭が割れるように痛い。足が熱い。僅かに力を込めてみると火を押し付けられたような痛みが全身を駆け巡り、涙が滲んだ。


カサ、と音。顔を向けられず枯れ草を踏む音に耳を澄ませた。目蓋に注ぐ光が途切れ、滲んだ視界に見たことの無い男が映る。水に濡れた髪は濃い灰褐色で所々に枯葉が纏わりついていた。静かに見下ろす瞳に僅かに怒りが混ざっていた。カチャと金属音がして男が業物を持っているのだと知れる。

(本当にしつこいんだから)

 溜息をついたつもりが喉に溜まった血がせり上がり、ゲホゲホと咳き込んだ。その度に骨が軋む。しかし男は剣を振り上げずに脇へ投げ捨て、胸元から短剣を取り出し数回握りを確認した。その手から少なくない血が滴っている。どうやら腕を怪我していて重い剣が扱えなかったようだ。


 こんなところで死ぬのか。

 イサベラは薄れ行く意識の中で他人事のように思った。

 これまで死を覚悟したことは幾度もあった。

 毒を盛られた時、暴漢の刃が喉元に迫った時、乗っていた馬車が突然火を噴いた時。

 けれどいずれも助けてくれた人がいた。


(きっと最後までラウルがいてくれるものだと思っていたのに)


「王宮にたどり着くことは出来なかったわね……」


 イサベラは口の端に笑みを浮かべた。男の目には痛みで顔を顰めたようにしか見えなかったに違いない。


「でも、イサベラは勝ったのよ」


 音にならない囁きは男の耳には届かなかったようだ。


(……でも、私は負けてしまったのね)





 イサベラの目蓋が力なく落ちるのと同時に振りかぶった男の体がぐらりと揺れた。何が起こったのかと振り向く前に、容赦のない蹴りが男の腹にめり込む。堪らず蹲った背中に放り投げたはずの長剣が刺さった。

 動かなくなった男を足で退かす。



 倒れたままのイサベラに膝をつき、ラウルはそっとイサベラ口の端に絡んだ髪を指に絡めた。




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