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二人が屋敷に戻っても出迎えに出る者はいない。ラウルが輿を外し、馬を戻しにいく。上着は自分で脱いで所定の位置に掛ける。染みや汚れがないか確認し、羽箒でさっと埃を落とす。令嬢たちの香水か匂い移りがあったので、布を濡らして叩かねばならなかった。
「ラウル。この後は予定はないわよね?」
「はい。次のご予定は12日後の夜会となります」
ラウルにコルセットを緩めてもらいながら確認する。こればかりは一人で出来ないので仕方がない。
「では私は庭の掃除をして参ります」
茶会用のドレスの背をぐいっと広げて、ラウルは手を離した。
ドレスも上着同様手入れをしてから衣裳部屋の風通しの良い場所へ掛けておく。外出の予定がないので室内着を取り出して無造作にかぶった。
楽な室内着といえば聞こえが良いが、ただの侍女服である。さらに袖を捲り上げて、エプロンも装備。実はこれがイサベラの基本姿なのだ。
イサベラが暮らすこの家は領地内の本邸ではなく、王都にある別邸である。改革派からの干渉を避けるため2年ほど前からイサベラはここで生活している。もちろん最初は侍女、護衛の兵士等沢山いたのだが、密通や襲撃などで一人減り、二人減り、現在ではラウル唯一人になってしまった。
けれどイサベラは悲観していない。かえってせいせいしたと思っている。
侍女には毒を盛られたり、シーツやドレスに針を隠してあったり、御者は馬車を知らないところへ連れて行こうとする毎日だ。何もかもが信じられず、部屋にあるものすら手に触れられない。いっそのこと自分でやってしまおうとすると叱られる。
理不尽だと怒ってみても、淑女とはそうしたものだと言いくるめられる。だから深夜にこっそりと自分で洗濯したり、保存食を作ったりとますます淑女離れした生活を強いられていた。
ラウルはイサベラが10歳の時に自分で見つけた従者だった。まだ今ほど襲撃が頻繁でなかった頃、ファーウッド家が後見している孤児院に手伝いに行くことがあった。そこで出会ったのがラウルである。ラウルは三つ年上だったが、栄養状態が悪く背はイサベラと同じくらい、おそらく体重はイサベラのほうがあったに違いない。貧相な姿ながら背筋だけは伸びていて、慰問に来た貴族を睨みつけていた。
『見ない顔ね。こんにちは』
まずは自己紹介かしら、とイサベラが声を掛けても、ぷいっと顔を背けてしまう。仕方ないので配っていたクッキーを握らせて傍を離れた。
養子を取ることに抵抗がない文化で、小さな孤児たちの顔ぶれは行くたびに変わっている。けれどラウルだけはずっとそこに居た。養子にするには少しばかり育っていた所為かもしれないし、親の敵を見るような鋭い目つきが理由かもしれない。
『お前もう来ないって本当か?』
ようやくラウルとそっけない会話が出来るようになった頃だった。普段は遠巻きに見ているだけのラウルが近づいて聞いた。
『そうね。さっき護衛だったヤナが私を攫おうとしたの。妹の輿入れが決まって支度金が欲しかったのですって。残念だわ。ヤナの実家は農場を経営してたこともあって、すごく馬の扱いが旨かったのに……でも仕方ないわね。私に手を上げた時点で従者はクビだもの。さすがに私も一人じゃ外に出るの許してもらえないわ』
サラサラと説明するイサベラにラウルは細い目を剥いた。
『さっき襲われたばかりなんだろ!?大丈夫なのか?怪我はないのか?』
珍しく慌てた様子がちょっと可笑しい。
『大丈夫よ。すぐに逃げたから。それに帰りは院長様が送ってくださるし』
『そういう問題じゃないだろ!!使用人が裏切ったんだぞっ』
『……よくあることなのよ』
イサベラは様々な人から狙われていることを簡単に説明した。外に出れば暴漢に襲われ、毒見無しには食事も取れない。でも慣れてしまえば辛くない、と肩を竦めておどけて見せたりもした。
ラウルはギュッと拳を握り締める。
平気などではない。慣れなければいけなかったのだ。そうでなければこの小さい少女がこんな悲しい笑顔を浮かべるはずはないのだからと苦く思ったのだ。
『俺、俺が従者になるっ!』
『え?』
『俺がお前の従者になってやるって言ってるんだ!俺はお前を絶対裏切らないし、襲われたら必ず守ってやるから!!』
響くラウルの大声。
『じゃあ貴方、馬車御せる?』
『馬には乗れるから大丈夫だ!』
『剣は使える?』
『っ……で、でも、この中で俺が一番足が速いしケンカだって強いから何とかなる』
イサベラは話にならないわ、と眉を寄せて、すぐに稽古を付けてもらうからこのまま一緒にいらっしゃい、と歩き出した。
そして振り向いて、ラウルに訊ねた。
『私はイサベラ、あなた、名前は?』
それから彼は血の滲むような努力をしたのだろう。1年経たないうちに最低限の教育を終え、イサベラの前に戻ってきた。
初心の通り裏切らず、守り切り、とうとう最後の従者となって今も傍にいる。




