05
ダカッダカッダカッ。
草原を有角馬が駆けていく。
有角馬を走らせるユリアスの横を、ハルは魔法で飛んでいる。
「まさかこのタイミングで、あっちからお出ましとはな!」
ユリアスは険しい顔をしている。
神官からの知らせによれば、今まさに、王都はユリアスを呪った魔物に襲われているのだ。愛国心が強いユリアスは、とても落ち着いてはいられないだろう。
「王都、大丈夫なの?」
「結界があるから、一週間は持ちこたえられるはずだ。いや、それ以上か? ちょうどクリスタル・ナーガを持ち込んだだろう。魔物の襲撃を想定して、備蓄だけなら三か月はもつくらいはあるんだ。収穫後だから、余裕がある」
「人間側には有利なんだね、良かった」
不幸中の幸いだ。
エルドア王国の領土には他にも町や村があるのに、国内で最も人が多い王都を選ぶ辺り、オリハルコン・ナーガは頭が良い。しかも今は収穫祭で、よその町からも商人が集まっているらしい。
「待って、いつも通りとはいかないんじゃない? 今、お祭りでしょ? 人の出入りが多いんじゃ……」
「そうだった! 街道に誰かが取り残されているかもしれない。急ぐぞ!」
ユリアスは有角馬の腹を蹴り、更に足を速める。ハルもなんとかそれについていく。飛翔の魔法に慣れていないせいか、あまりスピードを出せない。
やがて北門に到着すると、城壁の上にいる門番が大声を出した。
「殿下、このまま南門のほうへ移動してください! 街中は祭りでごった返していて、襲撃の混乱に当たるために兵が出払っています。南の街道で旅人が取り残されていて、赤の騎士団が救援に当たっているそうです!」
「分かった!」
指示を受け、ユリアスは再び有角馬を走らせる。
それから三十分ほどかけて南門へ移動する。次第に空が暗くなっていき、黒雲が立ち込め始めた。
「ハル、奴だ! 間違いない!」
「分かるの?」
「ああ、呪いがうずくんだ。呪いをかけた奴が近い証拠だ」
「えっ、大丈夫なの? 痛い?」
「我慢できる。それよりも仲間が心配だ」
ユリアスが自分のことより他人を優先するのは相変わらずだ。しかたない人だと思いながら、ハルは前方を見据えた。黒雲を背にして、紫がかった銀のうろこを持つ大蛇が空を飛んでいる。白い四枚の翼を持つ姿は神がかって見えた。
街道には鎧姿の騎士達がいて、一つのグループは隊商を守っている。簡易結界維持機で結界を張っているようだ。それ以外は武器を持ち、空を見上げている。すでに何人かは地面に倒れていた。
「弓、構え! うてっ!」
指揮をする青年の掛け声とともに、矢がオリハルコン・ナーガへと飛んでいく。
「ガラガラガラ」
オリハルコン・ナーガの哄笑が響き、稲光が走る。ドオンと雷が落ちて、矢を燃やした。そして、こちらにも稲妻を降らせる。
「フェル!」
ユリアスが焦りを含んだ声で叫び、有角馬に乗ったままで杖を掲げる。地面から岩が生えだして、落雷から騎士達を守った。指揮者が振り返り、喜色をにじませる。銀の髪と琥珀の目を持つ、きつい印象の美青年だ。
「殿下!」
だが、そう叫んだ直後、岩が崩れ落ちた。
「くそ、この程度で疲れる……っ」
ユリアスの舌打ちが、ハルには悲しい。
「ごめん、ユリアス。私のせいだから、私ががんばる! 補佐をよろしく」
「任せろ。気を付けろよ!」
ハルは騎士達の前へ出て、空に浮かんだまま、ユヅルを構えた。
「行っけー!」
照準を合わせ、光の矢を放つ。光が弧をえがき、正確にオリハルコン・ナーガに命中する。だが、鱗に矢が弾かれた。
――あははは。その程度かい、人間よ。我は三年前よりも強くなったのだ。人間程度の魔法など、ひねりつぶしてやる!
女の声がそう言うと、オリハルコン・ナーガは大きく羽ばたく。強風が叩きつけられた。
「くぅっ」
ハルは目の前に腕を掲げ、強風を耐える。あちこちで悲鳴が上がり、何人か転んだ。
「落ち着け! 怪我人は結界の中へ。可能なら王都に入れ!」
ユリアスが指示を飛ばし、元気な者が倒れている者を引きずって簡易結界維持機のほうへ行く。
「あいつ、前よりレベルアップしてる」
「前はどうやって対処したの?」
「羽の付け根と目を狙った」
「とりあえず……やってみる!」
ハルが再び弓を構えた時、オリハルコン・ナーガは面白そうにこちらに話しかけてきた。
――おやおや、前に会った王子じゃないか。まだ生きているとはなあ。おかげで我はお前の力を取り込んで、こうして強くなったぞ。
「俺の力を? 魔を呼び寄せる、弱体化の呪いじゃなかったのか?」
――正確には、魔を呼び寄せ、お前から少しずつ力を奪う呪いだ。おかげで傷ついた体も再生した。まさかこれほど長く持ちこたえるとは思いもしなかったが。ここ最近、力の移動が速くなったのでな、そろそろ死んだだろうと来てみたのだよ。
くつくつと笑う声には、邪悪さがある。
ハルの弓を持つ手が震える。つまり、この魔物がここに来るきっかけもハルだということになる。
(いや、ショックを受けてる場合じゃないわ。こいつを倒せば、ユリアスは助かるんだ。私のせいなんだから、私が片を付ける!)
右手に光の矢が現れる。オリハルコン・ナーガの翼の付け根に狙いを定めると、ハルの目には矢が飛ぶ軌跡が見えた。
二矢、続けて飛ばす。
しかし、オリハルコン・ナーガが身をくねらせ、矢がうろこで弾かれた。
――はっはっは。娘、良い腕をしているな。
皮肉っぽく笑うオリハルコン・ナーガ。ハルはこめかみに青筋を立てる。
(ほんっとにムカつくな、この蛇! だけど、そうだ、今のうちに写真を撮っておこう)
こんな時になんだが、そういえばこの魔物の写真はまだだった。ハルは手を構えて、オリハルコン・ナーガを撮影する。
すると、なぜかオリハルコン・ナーガがビクッと震えた。
――な、なんだ? そこの娘、今、我に何をした!
「え?」
ハルは首を傾げながら、もう一枚、撮影した。
――ぎゃああっ
「なんだなんだ、どうしたんだ。それは女神様に献上しているシャシンだろ?」
いつも横で見ていたユリアスだから、この状態がおかしいのは分かるようだ。
「そうだよ。フォトの魔法で写真を撮ってるだけなんだけど」
「こんな時にシャシンを手に入れているのかと突っ込みたいが、あいつ、ダメージがあるようだぞ」
「なんでだろうね? もう一枚」
三回目でも、オリハルコン・ナーガはうめいた。
――どうやって我の魔力を奪っているのだ、貴様ぁぁぁ!
どうやら逆鱗に触れたらしい。オリハルコン・ナーガは吠えるように怒鳴り、こちらに一直線に突っ込んできた。
今まで見たナーガ種よりずっと大きい。小さなお城くらいはあるかもしれない。さすがにひるみそうになるが、ここにはユリアスと騎士達がいるのだと思い、ハルは前へ踏み込んだ。
「ハル!」
驚きの声を上げるユリアスを無視して、ハルは地を蹴った。
「えいやっ!」
――ぎゃうっ。
大きく開けていた口を、顎下から蹴り上げられたオリハルコン・ナーガは上へと跳ねる。ハルはそのまま空中で身をひねり、横面を蹴り飛ばした。
――ぐふぅっ。
巨体はゴムのように飛んでいき、地面にぶつかって土煙を上げる。
「あれ? もしかして、弱ってる?」
思ったよりあっさりと飛ぶものだから、ハルは目を丸くした。後ろを振り返ると、唖然としているユリアスの後ろのほうで、目が合った騎士や商人達が分かりやすくうろたえた。どよっとざわめきが走り、引いているような感じがする。
ちょっと失礼じゃないですかね、その反応!
ユリアスがハルの横に並んだ。
「お前、空を飛ぶ魔法の時みたいに、女神様から何かいただいたのではないか?」
「そうかな? 最近、女神ちゃんに会ってないから分かんない」
女神スポットはそうあちこちにはないのだ。
「まあいい。――皆、好機だ! いっせいに叩け!」
ユリアスが杖を掲げると、騎士達がおうと答える。野太い声の合唱に身をすくめたものの、ハルは油断なく弓を構えた。
――貴様、貴様貴様貴様。許せん! 死ね!
黒雲から落雷が落ちてくる。ハルがとっさにユヅルを上にかざすと、ユヅルが手から離れて、いつかのように大きく広がった。雷が弾かれる。
「お前も雷に打たれろ! オリハルコン・ナーガ!」
ユリアスが杖を目の前に据え、呪文をつぶやく。ドンッと空気をビリビリ震わせ、雷がオリハルコン・ナーガに落ちた。
――ぎゃああああ!
オリハルコン・ナーガの悲鳴が響き、騎士達の追撃が加わる。火の魔法がいくつも飛び、最後に爆発が起きた。
爆風が風に流されて消えてしまうと、そこにはぐったりと地に身を横たえたオリハルコン・ナーガがいた。あちこちから煙を上げている。ぴくりとも動かないので、どうやら致命傷になったみたいだ。
ハルはユリアスに声をかけ、短剣を抜いて、オリハルコン・ナーガの巨体へ走る。
「ユリアス!」
「ああ。皆、手伝え! 核を取り除くぞ!」
ユリアスの号令に、騎士達も慌ただしくオリハルコン・ナーガに近付く。ナーガ種はだいたい喉の辺りに核があるのだが、短剣では刃がとどかない気がする。
「うーん、どこだろう、核……」
ハルがオリハルコン・ナーガの前をうろうろしていると、白猫の姿に戻ったユヅルがタタッと駆けだした。
ちょうどユリアスや他の騎士が魔法で岩を生やし、オリハルコン・ナーガの体をあおむけにひっくり返したところだ。ユヅルはオリハルコン・ナーガの喉の辺りを歩き回り、一か所で声を上げた。
「ミャア」
もしかして……とハルはピンときた。
「ユリアス、こっち! この辺にあるってユヅルが」
「ユヅルが?」
ユリアスは不思議そうにユヅルの足元を見る。
「まあ、ユヅルも女神様の力なんだ、同じ力が分かるのかもしれないな。フェル、この辺を探ってくれ」
「はっ」
指揮者が頷いて、長剣をオリハルコン・ナーガにザクザクと突き刺す。そして、両手のこぶしを合わせたくらいの核が、ボロリと転げ落ちた。
「取れた……」
ハルはへなへなと地面に座り込む。
「倒したのか……?」
ユリアスも呆然とつぶやき、騎士達も顔を見合わせる。勝どきの声が上がる中、ハルはユリアスを見上げる。
「ユリアス、呪いは?」
ユリアスが仮面を外すと、右目の周りの紋様は消えていた。ハルはうるうると目をうるませ、立ち上がってユリアスのほうへ走る。思い切り抱きついた。
「うわぁぁぁん、良かったよぉぉぉっ」
「あぶなっ。ここ、ナーガの上だぞ!」
よろめきながらも踏みとどまり、ユリアスはハルの背をポンポンと叩く。そんな二人を微笑ましく見ていた指揮者のフェルが傍に来て、ユリアスの姿を指摘した。
「でも、殿下。髪と目の色は戻らないんですね」
「そうか……」
「えっ、嘘でしょ! だって、魔を呼び寄せる呪いと弱体化……」
ハルは急いでユリアスの姿を確認して、まったく変わっていないと気付くや、また泣き出した。
「そんなーっ。ひどいよ、魔物の馬鹿ーっ」
「おい、そこまで激しく泣くなよ。オリハルコン・ナーガが言っていただろう、弱体化ではなく力を奪う呪いだ、と。奪われたから戻らないんだろう」
ユリアスが慰めてくれるが、ハルはもう我慢できなくて、その場にしゃがみこんでわんわん泣いた。
オリハルコン・ナーガの襲撃を食い止めた快挙の前でも、ハルは全く喜べなかった。




