04
「わ、私が原因って……」
言葉を飲み込むなり、ハルの顔からすーっと血の気が引いた。
ユリアスを助けたいと思っていたのに、ユリアスの呪いを早める原因がハルなんて言われたせいで、足元がガラガラと崩れ落ちていく気分だ。
声が震えたのに気付いたのだろう、ユリアスがハルをなだめる。
「ハル、落ち着け。ひとまず、座ったらどうだ。俺より倒れそうな顔をしているぞ」
「う、うん」
ハルが長椅子に座りなおすと、隣にユリアスも腰を下ろす。向かいにはグレゴールが座した。
グレゴールは懸念を浮かべた暗い表情のまま切り出す。
「失礼しました。ハル様がというより、女神様のお力が原因というべきかもしれません」
「どういうことですか、叔父上」
ユリアスはこんな時でも冷静だ。ほとんどどっしり構えているので、ハルはあまりユリアスが慌てるところ見たことがないと気付いた。
「ハル様は女神様の加護をお持ちで、魔物もまた、女神様のお力の欠片です。呪いも、邪悪なる力といえど、女神様の欠片でもあります。ですから、祈法でもって呪いを抑え込むこともできる。大きな目で見れば、どれも同じものなんです」
グレゴールの説明はこの世界の真理だ。
ハルは必死に話を整理する。
「つまり、私が持ってる加護は女神ちゃんのエネルギーで、呪いも女神ちゃんのエネルギー。同じものだから……」
「ええ。ハル様の持つお力は強い。傍にいることで、呪いに影響するのだと思います」
「そんな……」
ショックだ。助けるどころか、ハルの存在がユリアスを追いつめていたなんて。
涙があふれ出して止まらない。うぇっとしゃくりあげながら泣くハルに、ユリアスが優しく声をかける。
「おい、泣くな。お前は悪くないだろう?」
そんなふうに言われると、余計に涙腺がゆるむ。ハルはぶんぶんと首を振る。
「私、小さい頃にいじめられたって話したよね? あの時、本当は友達にも味方になって欲しかったの。だから、ユリユリを友達として助けたら、あの時の自分も少しは報われる気がして……」
涙が頬をぼろぼろと零れ落ちて、敷物にしみを作る。
「ヒーロー気取りで、馬鹿みたい。全然助けられてないじゃん。ユリユリ、本当にごめん。ごめんねぇ……ぶっ」
ぺこぺこと頭を下げていると、肩を引かれて、固いものに顔から飛び込んだ。ハルは今度は痛みで涙を浮かべる。なんだこれはともがくと、後ろ頭を押される。
うわ、ちょっ、痛いんですけど!
なんとか顔をずらすと、シャツが見えた。
「ああ、本当に馬鹿だ。お前は」
「うぇっ!?」
ユリアスに抱擁を受けていると気付いて驚いたハルだが、慌てて思い直す。友達同士の慰めあいだろう、たぶん。それより気になる言葉があった。
「馬鹿って、あの、ね……」
抗議の声は尻すぼみになった。ユリアスはからかうような声のわりに、優しい顔をしていたのだ。
「お前は間違いなく俺を助けてくれた。孤独のまま死ぬのだと諦めていたんだ。上手く笑えなくなっていたのに、今ではどうだ、自然と笑みが浮かぶんだ。これがどれだけすごいことか分かるか?」
ハルとしっかり目を合わせ、ユリアスは噛みしめるようにして言葉を選ぶ。
「ユリユリ……」
確かに、最近のユリアスの表情は豊かになってきた。変化を知っているから、ハルはこの説得に胸を射抜かれた。
「俺はこんな風にさすらうまで、自分がどれだけ他人に必要とされたいと思っていたか、まったく知らなかった。気付いたところで遅い。呪いはどうしようもなかったからな。あの魔物は、俺が最高に調子が良い時でやっと追い払えたんだ。弱体化した今では、とても倒せない」
ユリアスは目を伏せて、自嘲を込めてつぶやく。
「周りには大丈夫だと言ったが、本当は寂しかったし、助けて欲しかった。でも俺は、いつも助ける側だったから、助けてもらい方が分からなかったんだ」
恥ずかしそうに苦笑を浮かべ、その顔が笑みに変わる。
「ハル、お前が手を差し伸べてくれたこと、本当に感謝している。ありがとう」
ポンポンと頭を軽く撫でられたのが駄目押しだった。泣けてしかたがない。そして、そんなふうに言えるユリアスは強い人だと再認識した。
他人に弱みを見せるのは、もっとも難しいことだ。きっとこう言うのは勇気が必要だっただろう。ハルを慰めるために、心の内を話してくれたのだと思うと、胸が熱い。
「ありがとう、ユリユリ。ううん、ユリアス。私も、ユリアスに助けてもらって良かったよ」
ごしごしと袖で涙をぬぐいながら、ハルは姿勢を正す。そして改めて右手を差し出した。
「……ああ」
ユリアスも握手を返してくれた。
そんな二人のやりとりに、グレゴールももらい泣きして、ハンカチで目元を覆っていた。
今日は神殿に泊まっていくように言われ、隣あった客室をあてがわれた。
ハルはメロラインに会いに行こうかと思ったが、なんとなく気乗りしなくて窓から庭を見ていた。コスモスに似た花が咲いている。
そこにユリアスが顔を出した。
「おーい、ハル。叔父上が菓子を用意してくれたぞ。こっちの部屋に来い」
「お菓子? 行く!」
この神殿勤めの料理人は、とても料理が上手いのだ。ほとんど反射的に返事をして、すぐに扉のほうに向かったものの、なんとなくユリアスから離れた場所で立ち止まる。ユリアスがけげんそうに片眉を上げた。
「なんだ、お前が近づくと呪いが加速するのを気にしてるのか。今更だろう」
「う、うん。ごめん」
ユリアスのほうに気を遣わせてしまった。
(駄目だなあ、私)
調子が狂ってしまい、溜息をつく。
「ハル、お前の良いところは馬鹿みたいな明るさだろうが」
「はー? 馬鹿みたいな明るさって何よ。失礼しちゃうわね」
「というか、お前がしおらしくしてると、女みたいで怖い」
「私、女ですけど! なんだと思ってたのよ!」
あまりの失礼さに言い返し、頬を膨らませる。するとユリアスが笑った。
「それでいいんだよ」
「むぅ……」
そんな風に笑われると、ハルも怒りが長続きしない。しかたないなあと少し負けた気分でユリアスについていく。こちらの客室も、ハルの部屋とあんまり変わらない内装で、青で統一されている。部屋の左側にあるテーブルに向かい、ハルは菓子を見て歓声を上げる。
「おいしそう! グレゴールさんってば太っ腹~」
ケーキ、カップケーキ、クッキーといろんなものが置かれている。甘ったるい良い香りがした。
さっそく席について、ハルは遠慮なく茶菓子を満喫する。ユリアスはあんまり甘い食べ物を好まないので、豆入りのクッキーをいくつかつまんだ程度だ。余ったクッキーとカップケーキはハルの部屋に運んでもらった。
お腹がふくれて満足したハルは、紅茶を飲みながら、なんとなくユリアスを眺める。呪いについて気になることがあった。
「ねえ、ユリアス。その呪いを写真に撮ってもいいかな?」
「え? この呪いをか?」
ユリアスは意外そうに目をみはり、カップをソーサーへ戻す。
「加護と魔物、呪いは同じものなんでしょう? 未熟な世界にしか魔物がいないなら、魔物がもたらす呪いも同じかもしれない」
「なるほど、その理屈なら頷けるな。いいぞ。どうすればいい?」
「えーと、せっかくだから明るい場所で撮りたいわ。こっちに来て」
ハルは窓のほうへ向かい、ユリアスを手招く。ユリアスを窓の傍に立たせると、彼は緊張しているように見えた。動きがぎこちない。
「どうしたの?」
「女神様にシャシンを献上するんだろう? 身構えるに決まってるだろ。女神様だぞ、女神様!」
「はいはい、分かったから。はい、仮面を外して」
「分かった」
ユリアスは仮面をつかむ。ハルは前から気になっていたことを思い出した。
「そういえば、その仮面ってどうやって固定してるの?」
ユリアスが走ったり跳んだりしてもまったく外れないのに、固定するための紐のようなものすら無い。不思議だ。
「仮面にかけられている祈法が、呪いに反応してくっついているんだ」
「ふーん……?」
なんだかよく分からないが、魔法的な力が作用しているらしい。さすがはファンタジー世界の常識だけあって、ハルには突飛に思えた。
このやりとりで少しだけ緊張がやわらいだようだ。仮面を外したユリアスは、若干眉が寄っているものの、さっきよりマシだ。
「ユリユリ、固いよ~。好きな人とかいないの? はい、思い浮かべて」
「急に無茶を言うな。ええと、好きな人……?」
困惑した後、ユリアスの表情がやわらぐ。ハルは手を構え、フォトの魔法で何枚か写真を撮った。すぐに夢幻フォルダでチェックする。
「うんうん。良い顔してるよ、オッケー」
「それなら良いが」
すぐに仮面を付け、ユリアスは首を傾げる。
ハルはというと、夢幻フォルダを操作して、「女神へ送信」ボタンを押した。
「よーっし、できた。反応が良いといいね!」
「ああ。俺にはそのシャシンとやらが見えないのが残念だな」
夢幻フォルダが見えないのに、ハルの手元を覗くしぐさをして、ユリアスは残念そうに肩を落とす。一方で、ハルはふふっと噴き出してしまう。
「ユリアスってば、好きな人がいるんだね。良い顔してるから、にやにやしちゃうわ。王子だから、婚約者さんとか?」
「この状態でいるわけがないだろう。呪いを受けた後に婚約破棄されたんだ」
「え……、あ、ごめん。調子に乗りました!」
ハルは泡をくって頭を下げる。思い切り地雷を踏み抜いてしまった。
「そもそも、だ。婚約者がいるなら、女と二人旅などしない」
「ユリアス、真面目だもんねえ。そうだね」
「とりあえずお前のことを考えてみたんだ」
「へ!?」
突然、投下された爆弾に、ハルの心臓ははねた。友達だと思っていた相手に告白されたのだと思うと、さすがにびっくり……
「馬鹿みたいな笑い方を思い浮かべると、俺も素直に笑顔になるぞ」
「うわぁー、うれしくない!」
はい、修正ー。まったくロマンスの欠片もありませんでした。
「そうだな。お前のことは好きだぞ」
友達として、ですね。はいはい。
「うん、私もユリアスのことは好きだよ~」
もちろん友達として、である。
「……ハル、意味を分かってないだろう」
「うん? 分かってるけど?」
ハルが首を傾げた時だった。廊下を慌ただしく駆けてくる足音がして、扉がバタンと開く。神官の女が血相を変えて叫んだ。
「大変です、殿下、ハル様。王都に、例の魔物が現れたそうです!」




