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 02



 本日快晴。

 遠方にそびえる西の盾の山脈が、太陽光を受けて青々と輝いている。

 荒涼とした平地に、西の砦町はぽつんとあった。黄土色の石で造られた堅牢な壁の周囲には畑があり、この辺りだけ緑豊かだ。

 エルドア王国には、盾の山脈からほど近い場所に、転々といくつかの砦町がある。魔物の住処からの盾となるとはいえ、山脈には魔物も住んでいる。兵士が集う防衛ラインが敷かれているのだ。

 とはいえ、人が集まり物資が流れる所には、自然と町ができる。

 西の砦町も、小規模の町ながらにぎわっていた。

 それに加え、以前、ユリアスが追い払った魔物は東からやって来たので、この辺りには被害がなかったことも町のにぎわいを助けている。

 隊商で教えてもらった情報を頼りに、ハルは西の砦町の周辺を、ユリアスとともに探索して回った。


「なるほどねえ、だから兵士はあんなに威張ってるんだ」


 西の砦町から少し離れた場所にある岩山の上で、遠くに見える町の影を眺めながら、ハルはぽつりとつぶやいた。

 ここからは、更に南にある砦町が見える。米粒くらいの影だが、天気が良い時だけ見えるのだそうだ。


「彼らは国を守っているが、だからと言って、守るべき民を傷付けていいわけではない。それでは本末転倒だ」

「うんうん、分かるよ、ユリユリ」

「ユリユリって呼ぶな!」

「真面目トークはその辺にしておいてよ。いやあ、すごいね。人の信仰心って」


 ハルが座っているのは、大きな岩壁に彫り込まれた女神像の真上だ。

 この辺で一番有名な見どころスポットは、守護祈願で大昔に作られたこの像だという。

 なぜか像の上が女神スポットになっていて、浮き水晶があるから安全なのだ。写真を撮るついでに、ここで一泊することに決めた。


「ええ、本当に素晴らしいですわね」


 メロラインが両手を組んで祈りを捧げ、ほうっと感嘆を込めて呟く。

 朝、メロラインが砦町から出てきて合流した。馬車酔いで体力を削られていたせいでへとへとだったメロラインを、明日迎えに来るからと町に宿泊させたのはハルだ。彼女は大神殿ダルトガに戻るつもりらしいが、どうしてもこの女神像だけ見てみたかったらしい。


「神官の憧れの巡礼場所なんです。ここだけポツンと岩山があるのも不思議ですね」

「でも、イイネは付かないわねえ。残念」

「神様って評価が厳しすぎません? 人間がこれだけの偉業をなしとげるのが、どれだけ大変なことか」

「相手は神様だから、言ってもしかたないよ」


 高台の良い点は、近付く魔物が見えることだ。

 ハルは時折、手すさびにユヅルで魔物を射る。この辺り一帯にいる魔物は、ほとんどハルが退治してしまう勢いだ。


「この距離を射抜けるのか。便利だな、その弓」


 隣に立ったユリアスが感心を込めて言い、ハルも頷く。


「女神ちゃんにもらった弓だもん、当然だよ」

「ハル様、女神様です」

「はいはい」


 訂正するメロラインに返すと、ユリアスが一方を指差す。


「あっちにもいるぞ。あいつは危険な(たぐい)だ」

「了解」


 トゲが生えた狼に似た黒い影を魔法の矢で射る。黒い影がびしゃっと広がり、煙を上げて消えるのが見えて、ハルは頬をひくりとさせる。


「え。なんなの、あの魔物」

「滅多と出ないが、触れたものを溶かす危険な魔物だ。核を壊さないといけないが、剣も溶けるからな、魔法で遠くから殺すしかない」

「もしかして、アシッドウルフですか? お二人とも、いったい何が見えてるんですか。メロラインには影も見えませんよ」


 メロラインの問いに、ユリアスは首肯を返す。


「ああ。等級は五だが、推奨討伐者の色位(しきい)は銅だな。だいたい額の辺りに核があるから、慣れれば簡単に倒せる」


 銅となると、等級三と四の魔物を倒せる人のことだ。危険度は五なのに、必要な腕はその上のランクらしい。アシッドウルフの危険さが分かる。


「覚えておきます」


 メロラインは神妙に言ったが、ユリアスは首を横に振る。


「いや、ダルトガ周辺は出ない。出るとしても、西部の荒野だ」

「はいはい! 魔物にも生息域ってあるの?」


 手を上げて、ハルはユリアスに質問する。


「あるぞ。気になるなら、近辺の討連支部で確認してから出歩くことだな」

「それじゃあ、魔物分布図とかってあるの?」

「分布図?」

「地図で、魔物の分布範囲をまとめて書いたようなものよ」

「いや。そもそも、地図は防衛の秘密だから、持っていても領主……上層部だけだ」


 ユリアスはそう答えたが、ハルのことは褒める。


「面白い案だな! 各地の討連支部の情報を地図にまとめれば、防衛にも効果的だ。お前と旅するついでに、作ってみるか」

「殿下は地図を作れるのですか?」

「いいや。だが、簡単なものでいいなら、目立つ立地を中心にして、メモする程度でもいいだろう。大事なのは、その魔物の生息域が、どの街道、どの拠点に近いかだ」


 ハルは拍手する。


「頭良いね! じゃあ、ここなら、西の砦町の西側、女神像周辺って書くの?」

「ああ。さっそく書いてみるか」


 ユリアスが影庫から木箱を取り出す。木箱には紙や筆記具が収まっていた。ハルは夢幻鞄からベンチを出してあげた。


「テーブルはないから、これ使って」

「ああ」


 ユリアスがベンチに座ったので、意図が伝わっていないとハルはベンチを示す。


「え? いや、テーブル代わりにと思ったんだけど」

「ん? 清書ならともかく、メモ程度なら、巻物は膝の上で書くものだぞ」

「そうなの?」


 ハルには書きにくそうに見えるが、ユリアスは気にせず、木の板を台代わりに膝にのせ、その上に巻物を置いて端から少しだけ広げた。インク瓶の蓋を開けて、羽ペンの先をインクにつけ、メモを書き始める。

 今まで見たことのある紙と違い、薄くてぺらぺらしているので、ハルは材質が気になった。


「ねえ、その紙って羊皮紙じゃないよね?」

「ピピスって紙だ。水草の一種だな。ピピスも高価だが、羊皮紙よりは安い。保管にはあまり向かないから、清書して本にする時は羊皮紙を使う場合が多い。ピピスは南方の町が産地だから、今度行ってみればいい」

「うん、そうする」


 水草というと、パピルスみたいなものだろうか。

 (しん)で器用に巻き取りながら少しずつ文章を書いていくユリアスの手元を眺めながら、ハルはピピスの産地に思いを馳せる。

 神殿でちょっとメモする程度なら、黒板にチョークで書くか、地面に書いて練習していた。


「メロちゃん、ピピスって神殿では使わないの?」

「ええ。神殿領でモコメリーを飼育していますから、他所から仕入れる必要はありませんし……。メモ程度なら、薄板(うすいた)を使ってます」


 新たな単語の登場に、ハルは聞き返す。


「え? 何それ」

「これだ」


 ユリアスが箱から薄板を取り出した。


「そのまま、木を薄く削って紙の代わりにしているものだ」

「本当だ。まんま、木なのね!」


 薄板を手に持って、ハルは感嘆の声を上げる。


「書き物以外では、食品を包むのに使いますよ。とにかく紙は貴重品なんですわ」

「でも私の部屋には、羊皮紙がたくさん置いてあったけど……?」

「ハル様は女神の御使いですもの。良いものを使うべきです」


 メロラインの答えに、ハルは頭をかく。


「うーん、私はバリバリの庶民なんだけどなあ。まあ、いいや」


 そのうち、ユリアスはメモを終えたようだ。巻物をまき直し、紐で真ん中あたりを結んでとめると、芯にラベルを結びつけた。


「よし、この周辺はまとめた。まとめて、今度、帰った時に兄上に提出しよう」

「はやっ。お兄さんがいるの?」

「俺は第三王子だと聞かなかったのか?」


 問い返され、そうだったっけとメロラインを見ると、彼女は頷いた。


「三番目の王子だとお話しましたよ。こんな状況でも国を思ってらっしゃるなんて、殿下はご立派でいらっしゃいますね」


 ユリアスは道具を全て片付けると、どこか暗い目で遠くを見た。


「この役目もなくなったら、俺は生きている意味もなくなる」


 ぼそりと呟き、少し散歩してくると言って、その場を離れた。

 なんとなく寂しげな背中を、ハルとメロラインは見送る。メロラインは悲しげにうつむく。


「……余計なことを申してしまいました」

「褒めただけじゃない。ほうっといてあげましょ」


 ハルはそう声をかけた。部外者が簡単に踏み込んでいい話題ではないと感じたのだ。


(なんか、もやっとする)


 国のために戦って、一人だけ貧乏くじを引いた王子。虚しいような、腹立たしいような。どう表現していいんだか分からないが、理不尽だなと思う。


「呪いって解けないの?」

「あれだけ重篤(じゅうとく)な呪いですと、呪った本人を殺すしかありません。しかし相手はナーガ種。盾の山脈の外に出ていってしまったので、探すのすら厳しいです」

「そっかー」


 盾の山脈の外に出ると、途端に魔物の強さが跳ね上がる。

 いくらユリアスが強くても、一人で出かけて、呪ったナーガを見つけ出すのは難しいのだろう。


 一応、書いておきます。


・ピピス……造語。パピルスをイメージした紙です。(パピルスは正確には紙ではないみたいですけど、便宜上)

 巻物を書くのは、膝の上が主流……古代ギリシャからのネタです。


・薄板……経木きょうぎをモデルにしています。

     日本では安い食品用包装紙ができるまでは、経木で食べ物を包んでたそうです。

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