拾弐 迷人
境界が発生してから消えるまでの時間は、その境界によって様々だ。
どこで境界が発生し、それがいつ消えるか、それはハザマの揺らぎ次第でそれを予想する事は困難を極める。
数時間で消えてしまう境界もあれば何年も消えない境界も存在する、今までまったく境界が発生しなかった場所に突然境界が発生するようになったかと思えば、定期的に境界が発生していた場所である日を境に境界が発生しなくなることもある。
境界が消滅する時、その中に何かしらの生物がいた時はどうなるか、それは簡単だ、境界を作り出している二つの接している世界のどちらかに無理やり放り出される、ただそれだけの話だ。
神隠しに遭遇したとされる人がある日突然帰ってきたりしてるのは、この境界の消滅による強制転移が原因であることがほとんどらしい。
もし新崎さんが数百年消えない境界に迷い込んでいたとしたら、もし新崎さんが境界の消滅によりウツシヨではなくハザマに放り出されていたとしたら、後者で考えると探すのは相当骨の折れる仕事となるだろう。
「そういえば、ここ数年ずっと消えていない境界があったな、そこから探してみるか?」
人間に化けたカイが言った、横を歩く目の細い男はおそらくキヨだろう、カイから話を聞いてあらかじめ人の姿に化けて戻って来たにちがいない。
「お兄さんさっきの狼さんですよね? なんでそんなつまんない格好してるんですか?」
神田さんがカイに聞いた、声で判断したのだろうか。
「つまんない格好とは失礼な話だな、そこの坊ちゃんがビビっちゃうからこうしてるんだよ」
横を歩く西条が苦笑いをする、俺に不思議屋の話を聞いたときはかなり興味深々だったくせに実物を目の前にするとこんなにもビビりまくるものなのか、まぁ俺の場合は最初に逢った妖があんな凶暴だったから他があんまり怖く感じないだけで西条の反応がごく一般的なのだろう。
「そこのつり目のお兄さんも、もしかして狼さんと同じような方なんですか?」
「その通りですよ、ただ私は狼ではなく狐ですけどね」
神田さんが歩きながらキヨの顔を覗き込む、キヨは全く動じないで答える。
「へぇー狐かぁー、ちょっと化けるところ見てみたいなぁ」
神田さんが呑気に言ったところで、神田さん以外の全員が足を止めた。
「着いたみたいね、また随分と大きな境界ね」
さっきの道からここに踏み込んだ途端に、辺りに濃い霧が発生した、空はオレンジ色に染まり、辺りは薄暗くなる、ここだけ夕暮れ時のまま時間が止まったかのようだった。
「アイザワ、人探しなら人数が必要だろう」
後ろからカザミが姿を現す、神田さんと西条が何もないところから現れたカザミに驚いた。
「うん、頼んだよ、カザミ」
「分かった」
そう言ってカザミは再び姿を消す、その様子を見ていた神田さんと西条が目を点にしてこちらを見ていた。
「えーっと、今のは色々あって俺の式神になったカザミです……」
無言の問いかけに、なぜか敬語で答えた。
「こんな身近に式神連れてる人がいたなんて……」
「今の子ちょっと可愛かったじゃねえか! お前なんて羨ましい奴なんだ!」
西条はやはり煩悩むき出しだった。
「そんじゃ、俺らも探しますか」
カイはそう言って手頃なブロック塀に手をかけて上に登り、そのまま駆けていった、どちらかと言うとイヌ科というよりネコ科のバランス力だ、キヨはそれを見送ると普通に路地の奥へと入っていった。
「ここじゃあなたたちの世界の通信手段は使えないわ、迷うといけないから二人一組で行くわよ、神田さんは私と行きましょう」
* * * * *
「お前さ、あのカザミちゃんとあった「色々」って一体何なんだよ」
「色々って言ったら色々だろ、この霧よりも深い事情ってやつがあんだよ」
霧深い路地を歩きながら西条と話す、俺は辺りを見回しながらちゃんと捜索をしているのに西条は完全にそんなつもりなど無いようだ。
「にしてもさ、不思議屋の噂って店主について二通りの噂があったんだよね、結局美人女店主が真の噂だったんだね」
「二通り?」
「そう、ヒョロいおっさんって噂と美人な女店主って噂の二種類」
都市伝説というものはよく分からない、あんなもの妙に正確な情報が1割と事実無根なホラ話が9割だから基本的に信じない方がいいとカイが言っていたが、その通りのようだ。
「ん?何だ今の」
西条が目を細めて路地の奥を見る、つられて俺も見ると、路地の角を曲がる人影が視界の端に映った。
「追いかけるぞ!」
「了解!」
そう言って二人で走り出す、今までビビり通しだった西条の顔がどこか楽しげに見えた。
* * * * *
「やっぱり不思議屋の噂は本当だったんですね! じゃああの噂は……」
神田 桐花と名乗った逢沢の学友は私の横を歩きながら興奮気味に質問を繰り返してくる、よくこんなに質問が思い浮かぶものだ。
しかし、こう霧が深くては探せるものも探せない、去年仕入れてからずっと店の奥に眠っている見通しの丸薬でも持ってきていれば少しは捜索が楽だったかもしれない。
今日はざっと見て回るだけにして本格的な捜索は明日にしようかなぁ、そう思いなんとなく上を見上げた時のことだった。
「ホタル……ですよね、あれ」
空を無数の蛍光色の光が飛んでいく、それも全部揃って一方向にだ。
「この季節に蛍なんて出ないわ、あれは人の魂よ、随分と多いわね……どこかで事故でもあったのかしら」
神田さんの問いに対して答える、あれ単体なら境界ではよく見るがこんなに多いのは久々だ。
「たまにちゃんとした人の形の魂でここを通る人もいるんだけどね、だいたいがあんな感じの光の塊なの」
「魂って、まるでここが死後の世界に通じているみたいな言い方ですね」
「まるでじゃなくて、その通りなのよ、私の店があったあの世界とはまた違った世界があるの、あの雑誌にも書いてあったでしょ? ヨミって名前の世界のこと、ハザマは死者の魂がヨミへ行くための通り道になることが多いのよ」
彼女にとっては知らないほうが幸せだったことかもしれない、だけど彼女はハザマに対する憧れが強すぎてここに居座る可能性もあったから本当のことは伝えておいたほうがいいと判断した上で教えた。
「境界で死んだ人は全員人の姿のまま魂になるから、あの中にあなたの友達がいることはないと思うわ、死んだのがここでなければの話だけど」
そう言って先に歩き出す、少々脅しすぎた気がするが、神田さんが静かになったのでよしとしよう。
* * * * *
「良かった! 人間に会ったのなんて何年ぶりだろうか!」
目の前で歓喜する中年男性は涙を流しながら握手を求めてきた。
「おっさん何年風呂に入ってねえんだよ」
西条が顔をしかめて言い放つ、たしかにこの男は悪臭を放っている上に服もかなり汚くなっている。
「いやぁここを流れてる川で定期的に身体は洗っていたんだけどね、それでも限界があってね」
男性は背負っていたリュックを下ろしてその中から名刺ケースを取り出し、中身を俺と西条に一枚ずつ渡した、名刺にはやたらと記憶に新しい雑誌の名前と目の前の男の名前と思しきものがデカデカと記されている、名刺にしては少々派手な印象を覚えた。
「週刊デルタ専属記者の三島 大吾です、デルタ、まだ刊行してるよね?」
三島さんがおそるおそる聞いた、心配になるほど昔から危うい雑誌だったようだ。
「知り合いが愛読してるようなので、まだ普通に刊行しているみたいですよ……」
三島さんはほっとしたような表情をした。
「何ヶ月か前からたまに人影を見ていたけど、孤独のあまり僕の頭がおかしくなったとかじゃなくてほんと良かったよ、あれは君たちだったのか」
「ん? 俺たちがここに来たのって十何分か前だぞ?」
何ヶ月か前と言うと、新崎さんが失踪した時期とちょうど被る、どうやら、思わぬ手がかりを手に入れたようだ。