玖 けもの
「それにしても、いつ見ても狂った地形だよな」
バスを降りた俺の横に立ったカイが言った、田舎道を飛ばすバスの上に座っていたという本人の方も充分狂っているが、確かにこの山の地形は少々現実離れしていることで有名だ。
「どうやったらこんなに歪みまくった地形になるんだよ、まったく登るヤツの気持ちも考えてほしいものだぜ、この辺のだいだら坊でも恨んでおくか」
いつの間にか人の姿に化けたカイがそう言って歩き出した、ここから先の山道はバスも車も通らない入り組んだものとなっているようだ。
「珍しい薬草があるって言ってましたけど、そんな珍しい薬草が簡単に見つかるんですかね」
「カラシナのおっちゃんがあると言ったらあるんだよ、あいつはよくボケてるが薬草に関しちゃ誰にも負けねえ知識があるし薬草が自生している場所も常に把握している、カラシナのおっちゃんは植物の声が聞けるからな」
またとんでもない力を持ったお客さんだったようだ、しかし植物の声を聞けるとなるとこんな森の中だとうるさくてしかたがない気がするが、どうなのだろうか、人間で言うところの人混みの中にいる感覚なのだろうか。
「気になるのは獰猛な獣ってやつだよな、こんなとこに住み着くぐらいだからとんでもなく強いやつだぞきっと」
カイは普通に喋りながらスイスイ進んで行くが俺は息を切らしながらついていくので精一杯だ、先ほどから山道の起伏がやたらと激しい上に俺は普段から運動などほとんどしていないから山登りなんかすると当然かなり早い段階から疲れてくる。
息を切らしてカイの後を追うがカイは涼しい顔で山道を歩いて行った。
「カイ……ちょっと……待って……」
「なんだよ、もう疲れたのか?」
「妖ってみんなそんなに体力あるのかな?」
「みんなって訳じゃないけどな、というかお前のとこの式神も先にこっちに向かってたはずだけど、今はどの辺にいるんだろうな」
そういえばこっちの方でカザミの前の主が死んだと言ってたな、呪いを受けて痛みで満身創痍の状態でこんな山道を歩いたとは、どれだけの精神力を持ち合わせていたのだろうか。
「薬草探しならキヨの野郎を連れて来た方がよかったかもな、あいつなら鼻が利くしよ」
どっちかというと見た目が狐であるキヨより見た目が狼であるカイの方が鼻が利きそうな気がするが……
「あ?お前今俺の方が鼻が利きそうとか思ったろ?俺は確かに狼だが昔から鼻だけは利かないんだよ」
「じゃあ普段何やってんですか?働いてるようにも見えないし……」
「そりゃお前、誰にでも得意不得意ってもんがあるだろ、俺はあんまチマチマした作業が苦手なんだよ」
その割には俺のスマートフォンを使いこなしていたが……
鬱蒼と茂った森と、上がったり下がったりを繰り返す急な斜面は、足を進めるごとにひどくなっていく、まるで外からの客を拒んでいるかのようだ。
「ちょっとキツくなってきたな、おい、はぐれんなよ」
さすがの妖怪様もキツいと言い出したようだ、しかしこんな場所でも山道が確保されているとは驚きだ、こんな山奥に用のある人間なんているのだろうか、需要が特に無いのにこんな場所に山道を整備するほどの価値は? そもそもこの山道を作ったのは本当に人間なのだろうか?
ぐるぐると考えを巡らせていると、森の奥から俺たちとは違う何かが動く音がした。
「アイザワも気付いたか、厄介な相手じゃなきゃいいがな」
乱暴に枝をかき分けて進む何者かは、森の奥で唸り声を上げた、腹の底に響くような低い唸り声である。
冷や汗をかきながらカイの方を見る、カイもこちらの顔を見て頷いた。
「3つ数えたら走るぞ、背負ってやるから急げ」
そう言ってカイはゆっくり屈み込む、俺は無言で頷き彼の背中に身を任せた。
「3……2……」
カイがカウントダウンを始めた瞬間だった、背後で木が吹き飛ばされる音がして、先ほどの声の主が姿を現した、6メートルはあろうかという巨大な熊だ。
「ゼロ!!」
カウントを一つすっ飛ばしてカイが走り出した、人の見た目をしていても中身は狼なだけはあって、木々の間をすり抜ける感覚は少し前にドキュメンタリー番組で見た動物目線のカメラそのものだった。
「カイ! 山道を離れたら危ないんじゃないのかな!」
「知ってるさ! 道順ぐらいは匂いで覚えてるからいつでも戻れる!」
「鼻は利かないんじゃなかったっけ!?」
「自分の匂いぐらい分かるに決まってんだろ! イヌ科だぞ!」
カイが急ブレーキをかけて止まる、どうやらあの馬鹿でかい熊は振り切ったようだ。
辺りを見渡すと山道はすっかり木々の彼方へと消え去っている、カイが帰れると言っているが、今引き返すとあの熊と間違いなく鉢合わせるだろう。
「あの熊、ただもんじゃねぇな、もしかしたら変化モノの獣かもしれねえ」
「変化モノ?」
カイにおろしてもらいながら訊いた。
「俺みたいな妖を指すんだよ、元は獣だったんだけど何かの原因でアヤカシになっちまうんだ、例えば俺は昔普通の狼だった時に境界に迷い込んでそこで数ヶ月過ごしてしまったばかりにうっかり不老の身体を手に入れてしまったんだ、そんで長生きしてるうちにいつの間にか経立って呼ばれるアヤカシになっちまったんだ」
「経立?」
「そう、普通の連中なら絶対に無理な年月を生きた動物は経立に変化するんだ、あの狸のおっちゃんとかもそうだしアイザワも猫又とかいう妖怪ぐらいは聞いたことあるだろ?」
なるほど、長生きしまくった動物が妖怪になることもあるのか、にしてもうっかり不老の身体を手に入れるなんてとんでもない狼だな。
「ん?境界で数ヶ月過ごしたら不老の身体になるってことは……」
「ああ、お前は心配すんな、人間なんてのは最初からバケモノみてえなもんだからな、せいぜい身体のあちこちにちょっとした変化が起こるぐらいだよ、ウツシヨに居てもアヤカシが見えるとかそんな程度のな」
思いっきり伸びをしながらカイが言う、言いたい事は分からなくはないが普段狼の顔でベラベラ喋ってる奴にバケモノと言われると少々腹が立つ。
上を見たカイが何かに気付き、俺を手招きした。
「おい、あれ見てみろよ」
カイがすぐ側にあった崖のてっぺんを指差す、そこには一かたまりの見覚えのある野草が生えていた。
そうだ、カラシナさんに見せてもらった珍しい薬草とやらのスケッチで見たんだ、どこからどう見てもそのままじゃないか。
「しかし崖の上とは、なんとまあお決まりな展開なこったな……」
カイが軽く笑った、まぁお決まりの展開と言われたらその通りだが、どう考えても笑う場面ではないだろう、呆れと絶望のため息が、俺の口から長々と出た。