ナローワークのナイスガイ
「……どこだここは?」
気が付いたら妙な場所にいた。
何というか、市役所っぽい建物の中にいた。
受付カウンターの向こう側には、忙しそうに走り回る職員。
受付カウンターのこちら側には、順番待ちと思しき人たち。
おかしい。これはおかしい。
普通の中学生であるこの俺は、異世界に召喚され冒険者となった筈。
美しい女神様に異能の力を与えられ、魔王討伐の旅の途中だった筈。
聖女と呼ばれる王女様や、天才少女と呼ばれる魔術師と一緒だった筈。
それが何故、こんな場所に。俺一人で……?
「ヘイ。ボーイ? 新入りかい?」
その野太い声は後ろから聞こえた。
俺の背中に向け、明らかに俺を対象として発せられた。
振り向いた先にいたのは、にやりと笑う、腕を組んだナイスガイ。
革のベストを素肌の上に纏い。前を開けて見事な腹筋を曝け出し。
パンパンにはちきれそうなジーパンには、ところどころ穴が空き。
濃いサングラスで目を隠したスキンヘッドのその男。
どこからどう見てもナイスガイである。
彼がナイスゲイではないことを神に祈るばかりである。
「その様子じゃ、ここは初めてのようだな。案内してやろうか?」
「あ、ありがとうございます。あの、ここは……?」
「ここか? ここはな」
ナイスガイはにやりと笑い、逞しい両手を広げた。
「ここは『主人公職業斡旋所』。別名ナローワークだ。ようこそブラザー。俺たちはお前を心から歓迎するぜ」
「な、なろーわーく……?」
なんだそのハローワークのパチモンみたいな名前は。
これ訴えられたら負けるんじゃないの? 相手は国家だし。
混乱する俺に向け、ナイスガイは言葉を続ける。
「ここはな? お前さんみたいな連中が来る場所なんだ。物語の途中で、何らかの事情で先に進むことが出来なくなった主人公たち。そんな連中に、次の物語を斡旋する。それがこのナローワークのお仕事ってやつさ」
物語……?
主人公……?
先に進むことが出来なくなった……?
「えっ? じゃあ俺の冒険って、もう終わっちゃったんですか?」
「ここにいるってことは、まあ、そうなんだろうな」
「でも俺、まだ魔王倒してませんよ?」
「魔王を倒す使命を帯びて、それを果たせるやつのほうが少ないんだぜ?」
いやいやいや。ちょっと待ってくださいよナイスガイ。
俺、まだほとんど何もしてませんよ?
異世界に飛ばされた直後ですよ?
俺の冒険って、まだまだこれからの筈じゃないですか?
魔王討伐はどうでもいいとして。
聖女様とイチャイチャしたりとか!
魔法使いのチビッコお姉さんとイチャイチャしたりとか!
あわよくば女神様とだってイチャイチャしたかったのに!
「なんて……こった……」
「そう落ち込むなよボーイ。また新しい物語を楽しめばいいのさ」
「……どうすればいいんですか? それ?」
「まずは登録だな。ほれ。この用紙に必要事項を記入しな」
ナイスガイが差し出してきた一枚の用紙。
名前やら特技やらスキルやらステータスやらといった記入項目が並んでいる。
うん? スキル? ステータス……?
さらさらさらと。各項目を埋めていく。
たいして時間をかけることなく、その書類は完成した。
「できました」
「よし。じゃああとはそれを受付に持っていって面接だ」
「め、面接ですか……。自信ないなあ……」
「男は度胸だぜボーイ? どーんといってこいや」
ナイスガイに背中を押され、受付の前に立つ。
俺の担当はメガネをかけた奇麗な女性。
冷たい女教師(数学担当。独身。二十代後半)っていうイメージだ。
怒らせると怖そうなタイプだ。
よし。礼儀正しくいこう。
まずは面接マニュアル通りの、直角お辞儀からだ!
「お待たせしました。書類をお預かりします」
「は、はいっ! よろしくお願いしますっ!」
「……ふむ。名前が山水晴樹さん。……平凡ですねえ」
「あ、すいません……」
「こんな名前では誰にも注目されませんよ? もっとこう、キラキラしたお名前にするつもりはありませんか? 『流星』と書いて『シューティング☆スター』と読ませるとか。それくらいの気概はありませんか?」
「ちょっとそれは恥ずかしすぎると思うのですが!? それ名前ですか!? しかも間に☆マークが入ってますよね!? そんなの市役所の戸籍係は絶対受け取ってくれないと思うのですが!?」
「うーん、ならばしかたありませんね。山水晴樹のままで」
「それでお願いします」
「『俺の名前は晴樹。晴樹と書いてスプリングツリーと読む』……と」
「勝手に改竄しないでください。あと晴樹の晴は『春』って字じゃないですから」
カリカリと俺の書いた書類に赤を入れる受付のお姉さん。
それ、俺、絶対イヤですからね?
両親から貰った俺の大事な名前を勝手に変えないで下さいよ?
「まあいいでしょう。じゃあ次は特技の項目について、です」
「はい」
「特技は【無詠唱】と【無属性魔法】とありますが?」
「はい。【無詠唱】と【無属性魔法】です」
「【無詠唱】と【無属性魔法】とは何のことですか?」
「……魔法、です」
なんだろうこの面接のイオナ○ンコピペみたいなやりとり。
これ最後は「帰れよ」って追い出されちゃうパターンなのか?
「あのねえ、スプリングツリーさん」
「晴樹です。俺の名前は晴樹です。晴樹でお願いします」
「今どき無詠唱、無属性魔法なんて珍しくも何ともないんですよ?」
「え? あ、そ、そう、なんですか……」
おかしいなあ。
俺の飛ばされた異世界では、俺しか使えなかったんだけどなあ……。
とんとん、と。イラついた雰囲気で机を指で弾くお姉さん。
その顔はどこまでも冷ややかだ。目が超怖い。
「最近では無詠唱、無属性魔法は主人公の必須能力です。むしろこれが最低レベルといっても過言ではありません。時代は変わっているのです。無詠唱程度で満足していたら、この先生きのこれませんよ?」
「キノコれませんか」
「キノコれませんね」
うわあ……。自信あったんだけどなあ。無詠唱だけは。
これが最低レベルとか、最近の主人公はどうなってるんだよ……。
「それから、次。次です。こっちはもっと問題です」
「も、問題ありましたか?」
「ステータスもスキルも空欄とはどういうことですか?」
「や、その……そもそもスキルとかステータスってなんですか?」
お姉さんはふう……と深くため息を吐く。
出来の悪い生徒を見る女教師のようだ。
なんだか悲しくなってきた。
「ステータスというのは、自分の力を表す指数みたいなものです。例えばHPが100万あるとか。MAX MPは200万あるとか。Strとかagiなんていう要素も非常に重要です。力と敏捷性のことですが。そういうのはないんですか?」
「……すいません。見たことありません」
「本当ですか? 試しにやってみてください。こう指を振ってですね……」
「こ、こう、ですか?」
「『ステータスオープン!』」
「す、すてーたすおーぷん!」
……しーん。
「な、何も起こらないんです、けど……?」
「……駄目ですね。ダメダメですよ。スプリングさん。がっかりです」
「がっかりするのは仕方ありませんけど、俺の名前は晴樹です」
「『ステータスオープン!』でステータス画面が出るのは最近の常識ですよ?」
「……ごめんなさい」
そうか。それが常識なのか。
そうやって自分の強さが数値化され視覚化されたら確かに便利だよなあ……。
何で俺にはその機能が付いていないんだろう?
「ステータスの話はもういいです。……スキルも、無し、ですか……」
「…………ほんと、ごめんなさい。スキルってなんですか?」
「そこからですか? そこから説明が必要ですか? うわあ……」
「お、お願いします……」
「<<魔力増大>>とか<<感知>>>とか<<潜伏>>とか<<毒耐性>>とか。そういう特殊な能力なことですよ。他にも<<体力増強>>とか<<身体強化>>とか<<射撃>>とか、あとは<<魅力>>とか<<俺に見つめられたらどんな女の子だってイチコロだぜ>>なんていうのもあります。ないんですか? そういうのは?」
「ないです。欲しいです。特に最後のが切実にとてもとても欲しいです」
「まあ、最後のは嘘なんですけど」
「ウソかよこの野郎ふざけんな」
「それはまあ、ともかく、ですよ?」
しれっと自分の嘘を棚に上げて、お姉さんが続ける。
ちょっと困ったような顔で。
「ステータスもスキルもないっていうのは、最近ではちょっと、いえ、かなり致命的なんですよねえ……。今の流行の物語ですと、ステータスはともかく取得スキルで1ページ丸々埋められるくらいでないと、はい。残念ですが」
「はあ……。そうなんですか……」
「そうなんですよ。この傾向はしばらく続くかと」
「……そんなにスキルがあって、使いこなせるものなんですかねえ……?」
「……どう、なんでしょうね。私にもわかりかねますよ。サマーツリーさん」
「お姉さん季節。季節すら違ってます。俺の名前は晴樹ですは・る・き!」
それじゃ「夏樹」になっちゃいますからね俺の名前。
いや、そもそも英訳する意味が分からないけどさ。
そんなに駄目か? 平凡か? 晴樹って言う名前は?
「……とりあえず、私のほうから紹介できる物語はなさそうです」
「……そうですか。お手数おかけしました……」
「あちらの掲示板、あっちにも物語は多数ありますから、よろしければ」
「あ、はい。見てみます。ありがとうございました」
「いえいえ。頑張ってくださいね。山水晴樹さん」
「だから俺の名前は……。あれ?」
最後にニコっと、優しい顔で微笑んで。
お姉さんは次の面接者との対話を始めた。
× × ×
「どうだったボーイ? いい物語はみつかったかい?」
「残念ながら……」
「そうか。まあお前さん。目立った特技とかなさそうだしなあ……」
「大きなお世話ですよ」
そう言って、残念そうに俺を眺めるナイスガイ。
仕方ないだろうが。「普通の中学生」だったんだよ、俺は。
「そう腐るな。普通っていうのは悪いことばかりじゃない」
「そう、なんですか?」
「ああ。むしろ前世とか異世界前が酷ければ酷いほどいいって話もある」
「マジですか?」
「おう。例えばこれ。これはもう受付終了しているが」
ナイスガイが掲示板に貼られた一枚の募集要項を指さす。
「この主人公はすごいぞ? 三十四歳住所不定無職の元引きこもりニートで、両親の葬式をばっくれて盗撮した姪の無修正ロ○画像でゴニョゴニョしているような、そういう酷い男だった」
「もう人として最低ですよねその男。何か事件を起こす前に早く保健所に引き渡して殺処分してもらったほうがいいんじゃないですか?」
世の中に駄目な人って結構いると思うけど。
こいつはその中でもぶっちぎりに最低のレベルだろ。
「……そう思うだろ? でもこいつは生まれ変わって見事に更生した」
「えー。マジですかあ? ちょっと信じられないんですけど」
「最後は孫やひ孫に囲まれて大往生さ。俺はこいつが大好きだ」
「…………」
そうか。つまりあれか。この最低男は。
転生前の行いを深く反省して、立派に生まれ変わったという訳か。
なるほどな。そういうこともあるか。
「最近だと、イジメ。イジメられっ子の復讐なんて言うのも流行っているな」
「……復讐、ですか。そういうドロドロしたのは、ちょっと苦手で……」
「復讐が駄目となると……婚約破棄された令嬢とか?」
「男です。俺男です。令嬢にはなれません」
「ああ。そうだ。人外転生もなかなかお勧めだ。これからもっと流行るぞ?」
「人外。人外ですか。例えばどんな?」
「まずは蜘蛛だな。あれはいいぞ?」
「蜘蛛……ですか。虫系はやっぱり苦手なんですけど……」
「まあ、オリハルコン製の心を持ってないと、あれは耐えられないだろうなあ」
「他はないんですか?」
「ドラゴンはどうだ? あとは変わり種でヤドカリとか」
「ドラゴンはともかく、ヤドカリはさすがにないっすよ」
「てめえこの野郎ヤドカリ姐さん馬鹿にすると容赦しねえぞ!」
「す、すいませんっ!」
やばい何かナイスガイの逆鱗に触れたようだ。
ヤドカリか!? ヤドカリをディスったのが悪かったのか!?
「まあ、あれだボーイ。何なら、自分で探して見ちゃどうだ?」
「自分で、ですか?」
「ああ。そこの掲示板。あんまり人気あるものは残ってないがな」
「そうですか。ちょっと見てみます」
その掲示板には、多くの紙が張り付けてあった。
物語の概要と、その主人公になるために必要な条件。
上からずーっと目を通していく。
上にあるほど、倍率は高いらしい。
その全てに、ゆっくりと目を通していく。
今度は。今度こそ。いい物語と出会えるように、と。
せめてハッピーエンドで終われますように、と。
そんな祈りをこめて。
「……あ」
見つけたのは一枚の用紙。
他の物語に埋もれていたその一編。
それはどこか懐かしく。温かく。
見ていると不安と期待。両方の気持ちが溢れてくる。何故か。
ああ。そうか。そりゃそうだ。
この物語。スキルもステータスもない、シンプルな物語。
今の流行りには乗れない、でも、俺にとっては大事な物語。
「これにしますよ」
「うん? ……へえ? お前さん、本当にこれでいいのかい?」
「ええ。これがいいんです。いえ、これじゃなきゃ嫌なんです」
「地味な物語だよな」
「そうですね」
「続くかどうか、わかんねえぞ?」
「続かせてみせますよ」
「スキルもステータスもないな」
「ないですね。でも、いいんです」
「主人公がヘタレって書いてあるぜ?」
「うっせーこの野郎! これから格好良くなるんだよ!」
「……でも、ボーイ。お前さんにはお似合いの物語だ」
「……でしょう?」
ナイスガイはニカッと笑い、親指を立てる。
俺も同じポーズで応える。
「行ってきな。無事を祈ってるぜ?」
「ありがとうございます」
「次にここに来る時は、ちゃんと物語を終えてから、な?」
「任せてください」
俺はその募集要項を記した用紙を手に、受付へと向かう。
普通の中学生が異世界に召喚され。
聖女と呼ばれる王女様や。
天才少女と呼ばれる魔法使いのお姉さんや。
優しい女神様と冒険を繰り広げる、その物語の。
――俺の、俺だけの物語を、しっかりと握りしめて。
× × ×
……むくり、と頭を上げる。
机に突っ伏して寝落ちしてしまったようだ。
首も腕も背中も、体中がギシギシと痛む。
「……変な夢を見たな」
ナローワークだとかナイスガイだとか。
眼鏡のお姉さんだとか物語の主人公だとか。
「……原因はこれか」
開かれたままのノートパソコン。
表示されたままのweb画面。
国内最大を誇る、某小説サイトのマイページ。
――放置されたマウスが指すのは「削除」のアイコン。
一話だけ投稿した、自分で書いた初めての小説。
読んで貰いたいという、書き手の本能の赴くままに書き上げた作品。
でも、地味なコンセプトのその作品。
ランキングに並ぶ秀作の、足下にも及ばないその作品。
こんな物が読まれるのだろうか?
読んで貰えるのだろうか?
いっそ誰にも読まれる前に削除したほうがいいんじゃないか?
そんなことを考えて寝落ちしたから、あんな夢を見たのだ。
「…………」
――俺はそのアイコンをクリックしようとして、やめた。
いいじゃないか。人気が出なくたって。
少しでも。ほんの少しの人にでも、読んでさえ貰えれば。
削除してしまえば、その機会さえ永遠に奪われるのだ。
そんなことはきっと、この物語の主人公も望んではいないだろう。
「……よし」
続きを書こうとして、その物語を続けようとして、それに気がつく。
画面の左上。メッセージ受信のお知らせ。赤い文字。
クリックしてみればそこには。
「ははは……」
読んだ。何度も繰り返し読んだ。
多分。俺はずっと、このメッセージを忘れない。
そして俺はきっと、この物語を最後まで書きあげる。
『ヘイ、ボーイ! その意気だぜ! 頑張れよ! 応援してるぜ!』
――シンプルな、一行だけのメッセージ。
差し出し人の名前は……『ナローワークのナイスガイ』。
お読み頂き、ありがとうございました。