思念通信とオペレーター
桃髪の少女が楽しそうに鼻歌などを歌いながら歩いていく。
その姿だけを見ればここが暖かい春の日差しが降り注ぐ、一面に可憐な花が咲き乱れる草原だと言われても信じてしまうかも知れないと幹耶は思った。しかし現実はそれと正反対だと言って差し支えない。
現在、真斗と幹耶の居る場所は照明の電源が落ち非常灯に切り替わった、薄暗いショッピングモールだ。当然周囲に花など一輪もない。そして周りに居るのは小鳥や蝶などではなく、必死の形相で出口へと駆けて行く人々だ、
その濁流の中を、踊るようにひらひらと人との衝突を避けながら真斗は流れをさかのぼる。その少し後ろから、人ごみを掻き分けながら辛うじて付いていく影が一つ。それが幹耶である。ちなみに両手に抱えていた大量の荷物は先ほどの喫茶店に預けてきた。
「ちょっ! まっ……すいまっ、わっ」
獣のような有様の人々にもみくちゃにされながらも幹耶は懸命に前へ進む。離されてはいないかと前方を伺うと真斗と目があった。あちらも幹耶を気にして後方を確認していたようだ。
ふと、視界の端にバベルによる思念通信の接続を求める表示が現れた。一瞬戸惑ったが、すぐに幹耶はそれを許可し通信が開かれる。
『もしもーし。聞こえるかしら』
幹耶の予想通りに呼び出し主はやはり真斗だった。頭の中にスピーカーでも入っているかのように直接声が響くので、脳が揺さぶられ軽い眩暈を覚えた。 気を取り直して返事をしようと口を開きかけたところで幹耶の動きは止まる。理由は簡単である。返事の仕方が解らないのだ。
『あぁ、使い方が解らないのね。じゃあ、あそこで』
そう真斗が言うと視界の右端に矢印と共に〝三メートル先、右折〟という表示が現れた。つくづく便利なものだと感心したが、自分の身体がまるで別の何かに知らないうちに作り替えられてしまったような気分なった。
流れを横切るのに苦労しながら幹耶は表示に従って進む。その先は細い通路に喫煙所や手洗いのあるスペースになっていた。濁流から解放された幹耶は大きくため息をつく。
「ずいぶんとお疲れじゃない。本番はこれからよ?」
真斗が少し離れた場所で壁に寄り掛かっていた。
「こういうのには慣れていないのですよ。これだけ人の多いところに来たのも初めてですしね。少し人酔いしたかもしれません」幹耶は額に手を当てて再びため息をついた。「それより、そろそろ教えてくれませんか? 外へ出るどころか、逆流してまで私たちはいったいどこへ向かっているのですか」
「もちろん混乱の中心、異常の原因へ向かって」
さも当然と言わんばかりに軽く腕を広げて真斗が言う。そのごく自然な雰囲気にかえって幹耶は返す言葉を失った。
「と、その前にバベルの思念通信が使えないと色々不都合なのを思い出してね。試してみたら案の定ってわけ」
今一つ要領を得ない説明に幹耶は「はぁ」と生返事をするしかなかった。
「それで、どうやって通信をすればいいのですか?」
そう幹耶が問いかける。
「そうね……。なんというか、テレパシーを送る感じと言えば解るかしら」真斗が額の中心に指を当てる。「言葉に出さずに、頭の中で相手に話しかける感じ」
「テレパシー、ですか……。やってみましょう」
幹耶は念話能力者ではないので当然ながらそのような経験はないのだが、多感な時期には虚空に向かって〝そこに居るんだろう? 出てこいよ〟だとか〝俺の声、聞こえているんだろう〟などと思念で語りかけたりと、今思い出せば赤面してしまうような行為を何度となく繰り返した経験があるので、比較的テレパシーの真似事は容易な事と思えた。唯一の心配事はこの記憶が万一バベルを通じて真斗に流れ込んでいないかと言う事だ。もしそんなことになれば配属初日から幹耶は恥ずかしさで引きこもる羽目になるかもしれない。
『こう……ですかね。どうでしょう、真斗さん聞こえますか』
思考を外側へ、目の前の少女に向かって投げかける。上手くできているかは自信が無かったが、微笑みながら指でOKサインを作る真斗を見てほっと息をつく。
『そうそう、いい感じよ。初めてにしては上出来ね』真斗が花のような笑顔を向ける。幹耶はなぜか気恥ずかしくなって顔をそむけた。『もしかして、世界に向かって語りかけちゃったりするタイプかしらー?』
そう言いながら真斗はにやにやといやらしい笑みを浮かべて幹耶の顔を覗き込む。
「さ、さぁ何の事でしょう。よく解りませんね」
幹耶はそう答えるだけで精一杯だった。巧くごまかせていれば良いが。
「ふーん? まぁ良いわ、練習も終わったし早速本番と行きましょうか。今は一応通常時だから通信接続を確認するダイアログが出るから、許可を選んでね。戦闘時は自動通信だけども」
真斗がそう言い終わるが早いか、幹耶の目の前に複数同時通信の接続を求める表示が現れた。少々不安を覚えながらも、他に選択肢が無いので幹耶は許可を選択する。
『あっ、やっとつながったぁ。清掃部隊ピンキーのオペレーター、萩村雲雀ですー。 ぶいっ!』
『…………』
誰だ。あ、萩村さんか。では何だ。オペレーター? それに見えないのに〝ぶいっ〟と言われても困る。それとも見えないからこそだろうか。
絶妙な具合に間延びした声に引きずられて幹耶の思考も鈍る。視線は無意識に通信切断の方法を探していた。
『あれぇ? もしもーし』
『あ、は、はい。ええと、初めまして、千寿幹耶です』
『はぁい。よろしくでーす』
のんびりした声が脳内に反響して眩暈がするなかで、幹耶は頭を振って何とかそれだけを答えた。こればかりは慣れるしかないのだろうか……。
『はーちゃんはこんな感じだけど、超が付くほどの凄腕ハッカーよ』
『へぇ……。それは、なんというか』
『やだもー。やめてくださいよー』
感心したような幹耶の声に、萩村の照れくさそうな声が重なる。
『ちなみに、それでおイタが過ぎて現在懲役二百年の重犯罪人よー。今は減刑のために社会奉仕中ってわけ』
『……それは、何と言うか……』
『マジにやめてくださいー……。もう第一印象最悪じゃないですかぁー……』
困惑したような幹耶の声に、泣きそうな萩村の声が重なる。
『じゃあ挨拶も済んだところで、はーちゃん、状況の説明をお願いできる?』
『はいはーい。推定規模ランクAのポリューションが発生。本体はそこから連絡通路を渡った先の東館中央ロビーと思われるけど、ノイズが酷くて判然としない感じかなぁ。モール内のカメラもなぜか全滅状態で中がどうなっているのか、よく解らないって感じでーす』
異常に立ち直りの早い萩村が楽しそうに、不穏な事を言う。
『避難のほうは進んでいるのかしらね』真斗が言う。『見た限りじゃ避難誘導をする人員もいないみたいだけれど』
『そちらまで手が回らないみたいですねぇ。施設警備隊の報告によれば東館の中は既にデミで溢れかえっているみたいで、その対応に追われているみたいですねー。東館は既に閉鎖済み。取り残された一般市民の救助はほぼ絶望的ですー。西館と東館の連絡通路に防衛ラインが敷かれていますー』
『ふぅん。〝デミ〟ね……。溢れかえるほど数が居るなんて珍しいわね』そういうと、真斗が幹耶に視線を向ける。『そういう事らしいのだけど、解ったかしら』
『いや、まったく』間髪入れずに幹耶が答える。『何か異常事態が起きているのは解りましたが、ポリューション? とかデミですとか……。それらは一体なんですか?』
『では私からざっくりと説明しますねー』間延びした声が幹耶の脳を揺らす。『ポリューションとは一言で表現するなら、ダストによってもたらされる〝公害〟ですー。〝デミ〟はまぁそのおまけ、みたいなものですかねー。ダストについてはもう聞いていますかー?』
『ええ、そちらについても触りだけですけれどね。公害の原因だと聞いています。それに確か、正体不明だとか』火蓮との会話を思い出しながら、幹耶は何が重要かは解らないので思い出せる限りの事を言う。『後は、アイランドに住む人々はみんなダストを浄化するためのフィルター……だと』
『あらあら、結構えげつない言い方しますねぇ。講師は~……火蓮さんですねー?』
『ええまぁ。それより、今一つ理解しかねます。公害と言えば大気汚染や水質汚濁によって健康を害する事を言うのでは? 現在のこの状況はとてもそれらに類するものとは思えませんが』
公害とは経済活動によって引き起された環境破壊によって、人の健康または生活環境に被害を生ずる事を言う。それにてらして言えば、幹耶と真斗の置かれているこの状況は公害によって引き起こされた、というのはあまりに無理があるように思える。
『ま、それについてはそういう物として飲み込んでもらうしかないわね』この質問には真斗が答えた。『アゾットによる電力増幅は立派な経済活動よ。そしてダストが生み出され被害をもたらす。これを公害と呼ばないでなんと呼ぶのかしら』
幹耶は腕を組んで黙り込む。かなり無理やりな気はしたが、とりあえずは納得しておく事にした。
『ポリューションやデミについてはひとまず良いです』もちろん本当は納得も理解もできてはいないが。特に〝デミ〟。公害のおまけって一体何だ。『それで私たちはこれから何をするのですか?』
『そりゃあもちろん、清掃部隊のお仕事、つまり〝クリーニング〟よ』真斗が口端を上げる。『これから混乱の中心と思われる東館中央ロビーに向かいポリューションを除去。事態を収拾させるわ』
『ク、クリーニング?』
『まぁ百聞は一見にしかずというしね。と言う訳で、はーちゃんお願い』
『はーい。本当は本部で色々と手続きしないといけないんですけどー、今回は緊急時の特別措置って事でそのあたりはすっとばしちゃいますー』萩村は相変わらずの調子で言う。『という訳で、千寿幹耶を正式に清掃部隊の隊員に任命、同時に当該地区のクリーニングを要請しますー。武器は適当に現地調達しちゃってください。そこなら色々あるはずですからねー。領収書は忘れずにー』
『この状況で領収書なんて無理よ、はーちゃん……』真斗は困ったように笑う。『幹耶くん、得意な武器は?』
『え、ええ。それならば刃物ですね。片刃長剣があれば最高ですが……』戸惑いながら幹耶が答える。『なんだか、急に大事になってきましたね』
『あら、それは理解不足ってものだわ。アイランドに来た瞬間から君の人生は既に大事よ』真斗はそう答えながらバベルを操作する。『良かったわね。すぐそこに刀剣の専門店があるわよ。流石に丸腰っていうのは、ちょっとね』
言い終わるのが早いか、真斗は壁から背をはなして歩き出す。幹耶は重い足取りでそのあとに続く。
『お気をつけてー。こちらはノイズ除去のほうを頑張ってみますー。何か解ったら連絡しますねぇ』
そういって萩村は通信を切った。幹耶の脳内には緩い残響だけが残される。
幹耶は胸の鼓動が早まっているのを感じた。興奮しているのではない、これから訪れるであろう未知に対して緊張しているのだ。いや、いっそ正直に恐怖していると言い切ってしまおうか。
解らない事だらけの現状でただ一つだけはっきりとしている事。それはいま自分がとんでもない事態に巻き込まれているという事だ。真斗の言葉を借りればその認識では理解不足らしいが。
ともあれ、現状ではただ黙って目の前の小さい背中についていくしかない。
幹耶は真斗に聞こえないように細くため息をつく。そして思う事はただ一つ。
なぜ武器が必要なんだ?