ナチュラルキラーと火葬炉の魔女
「せっかくの非番にぃー、テロ対応とかぁー、やってられないよねぇー」
とある病院の駐車場。そこに停められた深緑の高機動装甲車の車中で、雪鱗は気怠そうに頬杖を突いている。その視線は抜けるように青い空に向けられているが、きっとその瞳には何も映されてはいまい。
少し離れた場所では、多くの調査部隊と警備部隊の面々が雪鱗とは対照的な緊張した面持ちで走り回っていた。
アイランドを管理するスピネルには大きく分けて三種類の実働部隊が存在する。
まずチェイサーと呼称される《調査部隊》。
調査部隊は一言で言えばアイランドの警察官だ。事件や事故が発生した際の捜査に調査、被疑者の確保に要人の警護など、その役割は多岐に渡る。一番人数も多い。
次にガードこと、《警備部隊》。
彼らの役割は治安維持……とされてはいるが、その実態は対テロ部隊である。
アイランドではどれだけ監視の目を光らせてもなお、テロの脅威と無縁になる事はできなかった。故に彼らは常にアイランドを巡回、または人の集まる各種施設を警護しテロリストや重犯罪に備え、有事の際にはそれを鎮圧する。つまりは荒事専門部隊だ。故に人員の入れ替わりが最も多い。
ちなみに、施設警備にあたる警備部隊は、そのまま〝施設警備隊〟と呼称される場合が多い。
最後に、真斗や幹耶が所属するスイーパー。つまりは《清掃部隊》。
彼らを一言で表現するのは難しいが、あえて言うなら特殊部隊と言う所だろうか。
スピネルに所属する、または外部からスカウトしたアンジュの中から、特に戦闘向きの能力を持つ者ばかりを集めて編成されている。アンジュは元から数が少ないため部隊は常に十名程度で、アイランド・ワンには清掃部隊そのものも一部隊しか存在しない。
そして、その役割は――
「まぁいいじゃねぇか、どうせ暇だろう。真斗の買い物に付き合って飯でも食うくらいしか予定がない」
「なに言ってるのー。それこそが何よりも大切な予定でしょうがー」
雪鱗のその言葉に火蓮は「わからねぇな」と言わんばかりに肩を竦める。〝買い物なんざ通販で十分だし、飯なんて腹が膨れれば何でも良い〟と言うのが火蓮の持論だった。
「ま、とりあえずそれは良いとしてだな……。今回の件も《ナチュラルキラー》絡みのようだ」
「あぁ。あの妙にオカルトじみた奴らねぇ」
《ナチュラルキラー》とは日本を中心としたアジア圏で活動をする、自らを〝世界の免疫細胞〟とかたる過激派テロ組織である。
莫大な年間予算を充てられているアゾット結晶の研究開発や、アイランドの維持運営を即刻中止せよ。飢えた国民の生活向上にこそ、その資金を活用するべきである。というのが彼らの主張だ。
初めは小規模なデモ隊に過ぎなかった彼らだが、やがてどこからか入手した銃器で武装し始め、それまで抑え込まれていた、無限のエネルギーなどという夢物語を追いかける事ばかりに執着し、国民を蔑ろに国家に対する怒りを銃声という形で訴え始めた。
その主な攻撃対象はアゾット結晶の研究開発を行う研究所、または関係省庁。そしてアイランドと、そこに住まう人々である。彼らはアゾット結晶は人の心を、ひいては世界を惑わす悪性のウィルスだとし、その撲滅を掲げて日々破壊活動にいそしんでいる。
「しかし病院の占拠とは珍しいよな。要求らしい要求もないし、一体何が目的なのか……」
「さってねー。テロリストの考える事なんて解らないよぉ」
「……ま、そりゃそうだがな」火蓮が煙草をくわえる。「今までもあるにはあったが、なんというか、アイランド内でのテロが増えたな」
「どこかの国が支援か手引きをしているか、テロを隠れ蓑にして、誰かが表ざたにできない事をしているのか……。あるいはその両方か」雪鱗が笑いながら金平糖を一粒つまんで口に放り込む。「なんにせよ迷惑な話だよね。ここ最近急に元気になっちゃって。あー。しかし暇だねー」
雪鱗が両腕を前に突き出して伸びをする。待機命令を出されてからもうかれこれ一時間以上も待ちぼうけを食らっていた。
「いつも通り爆弾で吹っ飛んで死体だらけっていうならともかく、病院の中には無傷の人質がたっぷりだからな」火蓮が不味そうに煙草を吸う。「人質に死傷者が出たときに、どこに責任をなすりつけるかで揉めているんだろう。この世には責任逃れをしたがる責任者が多すぎる」
「これじゃ、いつ帰れるか解らないよねぇ。とりあえず真斗には連絡したけど……」
「こうなると持久戦だろうな。今のうちに飯でも食うか?」
雪鱗は回らない頭の代わりのように指を回す。
「あー……。まだ良いかな。お菓子のストックもあるし。それよりさ、中に何人くらい居るの?」
「人質は病院関係者ばかりを中央ロビーに三十名弱。それと動かせない患者たちが取り残されている。女性と子供は先に逃がしているみたいだな。紳士な事だ」火蓮は首を手のひらで押して骨を鳴らす。「えーと、肝心のテロリストは二十名程みたいだな」
「ふぅん……」雪鱗はフロントガラス越しに病院を見遣る。「随分と少人数だね。大規模とまでは行かないけれど、それなりに大きい病院だよ?」
「戦闘用ドローンが多数って話だ。軽機関銃を積んだ四脚タイプもいるらしいぞ」
雪鱗は「うへぇ」と嫌そうな声を漏らす。
ドローンとは、遠隔操作やあらかじめ設定されたプログラムに従って稼働する汎用ロボットである。危険地帯への偵察や人命救助、または施設警備などが主な運用方法だが、武装をさせて戦闘用として使用する事も可能である。
ドローンは人間の子供ほどというサイズに高い機動力、加えて駆動音は小さく各種センサーと連動して行われる攻撃は正確無比という、無人戦闘兵器として申し分のない性能を持ち、下手な人間よりもよほど高い戦闘能力を持っている。しかも訓練はいらず、食糧も休憩も必要なく、どんな過酷な状況でも文句ひとつ言わない。
もちろん値段は相応に高価であり、定期的なメンテナンスも必要であるため、それなりの資金と設備をもつ組織でないと運用はできないはずなのだが、ここ最近になってナチュラルキラーが積極的にテロ活動にドローンを持ち出すようになった。
「なるほどね、警備部隊や調査部隊の戦力じゃ力押しで、と言うのも難しいわけだ……。でもまぁ、私と火蓮なら十分喰えるね」
「しかし、人質の無事までは約束できないだろう」
「じゃあこっそり潜入して人質を助け出す?」
「スニーキングミッションってやつか? どこかのスネークじゃあるまいし、向きじゃねぇよ」
「ま、それもそうね。言ってみただけだよ。私たちはどこまで行っても掃除屋だものねぇ」
そう言って雪鱗は肩を竦める。清掃部隊である彼女らは〝綺麗にする〟ことを最優先とし、人質の安否には頓着しない。通常の手段では解決が困難な状況を力技で清掃するのが彼女たち清掃部隊の役割の一つだ。
「まぁあれだな。あたしらはいつも通り最終手段ってわけだ」
「切り札と言う訳ではない、というのがミソね。ま、どうしたってジョーカーなんだけど」 雪鱗がつまらなそうに唇を歪ませる。「何にせよ、どうするか早く決めてくれないかなー。靴欲しいのよ靴。真斗と見て回る予定だったのに……」
「それだけ奴らにとって人命は重いって事だろう」
「重いのは腰と面子のほうでしょう? 自爆テロとかなら多大な損失の一言で済ませるくせに、人質が居るとなると急に慎重になるんだから」
「いやそれで普通なんだけれどな。お前だって人質になる事もあるかもしれない。その時にハイドラロケットやヘルファイアで建物ごと吹っ飛ばされたら嫌だろう」
「それはまぁ……、そうだけれど、ちょっと極端すぎない?」
そういって雪鱗はバツが悪そうに首を縮める。
「そういやユキ、あの件はどうなった。調べたんだろ」
「アレって……、あぁアレね。幹耶くんの」
そういって雪鱗は足もとにおいていた鞄から書類の束を取り出した。
「あ? いまどき紙媒体とは珍しいな」
「これなら後から細工のしようがないでしょう? 本当は紙に手書きが一番信用できるんだけど、そこまで求めるのは、ちょっとね」
「ふーん? そんなもんかね。あたしにはどっちも変わりが無いように思うが。その情報に最初から手が加えられていたら同じことだろう」
たいして興味もなさそうに火蓮が答える。
「ま、私が単純に紙の手触りとインクの匂いが好きってだけだね」雪鱗が紙面を手のひらで撫でる。「今時は本も電子書籍ばっかりで悲しい限りだよ。あの重さと暗いと読めないって不便さが堪らないのに」
「はん……、ますます解らねぇな。お前、あれか。物質主義ってやつか」
「物質主義? そんな大層なものじゃないし、言葉の使い方もちょっと違うよ。しいて言うなら蔵の宝と心の宝のどちらも手に入れたいってだけだね。そうだなぁ、欲深いっていうか……」雪鱗は書類に口元を近づけ、その匂いを嗅ぐ。「シンプルに言えばただのフェチズムかなー。うーん、たまらん」
「はぁ……。まぁ、なんだ。お前の奇妙な趣味嗜好は置いておくとして、結果的にはどうなんだ」
「そうだねぇ」書類から顔を離して雪鱗が答える。「彼の居た孤児院が賊に襲われて壊滅。放浪していたところを保護されて基礎訓練を終え、清掃部隊に配属……。特におかしい所はないね。脳波検査もクリアしている。ドリンクの件もある。さほど警戒する必要はないかな。明日には仕込んだアレも定着して、もっと色々解るでしょ」
「おまえ、そういう小道具好きだよな」呆れ半分といった様子で火蓮が肩を竦める。「ところで脳波検査ってあれか? 例の、嘘発見器の強化版みたいな」
「そそ。スパイ多いからねぇー。手間だけど一人ずつ検査しているみたいだよ」
どれほど嘘をつくのが巧い人間でも、真に騙すことができない相手が一人だけ存在する。それは自分自身だ。どれほど巧妙な嘘であっても、それが嘘だと認識している本人の脳波に真実は現れる。大昔からあった技術ではあるが、改良を重ね、絶え間ない努力により高精度を実現させたのが現在の脳波検査である。
「しかしまぁ、気になると言えば幹耶くんの居た孤児院かな。なかなかえげつない事していたみたいでね」
「というと? 子供集めて売り飛ばしてましたーみたいな奴か?」
火蓮は冗談を言ったつもりだった。しかし
「大正解―。色んな手段でアンジュの子供を集めて高値で売りさばいていたみたいだよ。誘拐とか親を殺害して無理やり奪ったりとかね。周りに感づかれないように細々とやっていたみたいだから、懐具合は良くなかったみたいだけど……それでかな」雪鱗は書類を手の甲ではたく。「あるときお金が底をついて進退窮まった時に、ある研究所へまとめて何人か売りさばいたみたいなんだよね。大した偽装もせずに。まぁそれで足が付いて武装勢力に襲われたわけらしいのだけれど」
アンジュは高値で取引される。正確にはその身に宿したアゾット結晶が、だが。
ほぼ全ての生活が電気で賄われている現代では、使用できる電力の大きさがそのまま権力の大きさに繋がっている。故に電力の料金は天井知らずに上がり続け、一部の成功者以外はわずかな電気を使い細々と生きていくしかなかった。しかし、その状況から抜け出す唯一の手段がある。それがアゾット結晶だ。
アゾット結晶の増幅能力は知れ渡っている。しかも電力を増幅させること自体は実に簡単だ。ただ電気を通せば良い。しかしアゾット結晶は国が管理しており、通常一般に出回ることは無い。ただ一つ、アンジュがその身に宿すものを除いては。
「……孤児院の経営者は自業自得だな。不憫なのはその場に居た子供たちの方だが……。それで、その襲撃した賊っていうのは解っているのか」
「さぁね。アゾットは誰もが欲しがる夢の結晶体だしなぁ。だからこそ外じゃ〝アンジュ狩り〟なんて事まで日常的に行われていて、外のアンジュは隠れ怯えて暮らすことを強いられているんだけどね」
アンジュは力のイメージを増幅し、現実に奇跡を起こす。しかし戦闘に使えるようなアーツを持つ者は少ないし、持っていても制約が多かったり代償が大きくてまともに扱えなかったり、そもそも殺傷能力自体をほとんど持たなかったり……と、自らの身を守る事もままならない者の方が多い。銃やナイフに勝る能力など、実に稀なのだ。
「酷ぇ話だよな……。ただでさえ異能のせいで化けもの扱いだってのに」
「研究材料としても大人気らしいよ。何をされるのかは……考えたくもないね」そういって雪鱗はまだ金平糖の残る口内に、チョコレートをひとかけら放り込んだ。「ただでさえ少ないアンジュがそのせいで更に減っているんだものね。もっと人手が増えればなぁ。清掃部隊は高ランクのアンジュにしか勤まらないし」
「まったくだな。こんな休日出勤をしなきゃならないほどに忙しい状況は、いい加減ご勘弁頂きたいもんだ。人手が増えればそれだけ――うん?」
ポップコーンが弾けるような軽い音がいくつも火蓮の耳に届いた。「なんだ……?」と窓の外に目をやると、甲高い風切音を鳴り響かせながら飛来した何かが、警備部隊の軍用車に命中し――轟音をあげて爆発した。
「迫撃砲だ……!」
そう言うと同時に火蓮は高機動装甲車を急発進させ、次々に飛来する砲弾の嵐の中を広い駐車場の端まで一気に駆け抜けた。
高機動装甲車を反転させ、停車する。眼前には火炎地獄のような光景が広がっていた。
いまだ雨のように降り注ぐ砲弾の中を大勢の人間が逃げ回っている。警備部隊と調査部隊の隊員たちだ。予想外の強襲に誰もかれもが恐慌状態に陥り、もはや部隊としての体をなしていない。
そこへ追い打ちとばかりに病院内に立てこもっていたテロリスト達が銃弾のシャワーを浴びせかける。さらには武装したドローンが病院内からわらわらと湧き出てきて、隊員たちに襲いかかった。
あるものは炎に焼かれ、もだえ苦しみながら地面を転げまわる。
あるものは砲弾の破片を全身に浴び、ぼろ布のような有様になっている。
あるものは哀れにも砲弾の炸裂に巻き込まれ、バラバラに吹き飛んだ。
あるものは唾を吐き捨てるように乱暴に放たれた銃弾に頭を打ち抜かれ、脳髄で大地を汚す。
あるものは心を持たない機械風情に蹂躙され、原型を留めなくなるほど銃弾を浴びせられる。
なんという虐殺。なんという冒涜。なんという地獄。
「最初から、これが目的で……?」
ぎり、と雪鱗が悔しそうに歯ぎしりをする。いつも大事にしている菓子の袋が落ちて中身の金平糖が足元に広がったが、まるで目に入っていなかった。
「くそ! 現場指揮官は何をしている。昼寝でもしてんのか!」
火蓮が短くなった煙草をくわえたまま唸る。
「さっき臨時司令部が、砲撃の直撃を受けて月まで吹っ飛んでいるのを見たよ」
「……異常なほどに狙いが正確だな。テロと迫撃砲はセットみたいなものだが、場末のテロリスト風情がここまでの精度で扱えるものじゃない。これではまるで……」
「応援要請は既に出てるけど、到着までに二十分以上はかかるみたい。それに、何の妨害も無いとは思えないね」
「そうだな。ここまでやるんだ、奴ら念には念を入れているはずだ。さて……ではどうするかな。ここで大人しく最低最悪のバーベキューを眺めているのはご勘弁だ」
「火蓮。病院内の人質、どうなっていると思う?」
「最初からあたしたちを叩くのが目的だったのなら、人質なんてこちらをおびき寄せるエサの役割を果たした後は邪魔ものでしかないな。つまり……」
「そう……。そうだよね。うん。じゃあ、遠慮はいらないか」
雪鱗の目がすうっと細められる。その眼は、狩りに赴くハンターの如き鋭い眼光を放っていた。
「行くか?」
そう言って火蓮は短い煙草を灰皿へ投げ込んだ。
「ほいさ……っと、ちょっと待って。緊急通信だ。なんだろう」
そういうと雪鱗は慣れた様子でバベルを操作する。
「いまさらなんだ。月から司令官殿がご帰還なさったか? 状況最悪だ、好きにやらせてもらうと伝えておけ」
火蓮の軽口にも反応せずに、雪鱗は通信に集中している。その様子に火蓮は訝しげに眉をひそめる。
「おい、なんだよ。どうした。お次はゴジラが現れましたとでも言うつもりじゃないだろうな」
「うーん、気分的にはそれに近いかな。真斗たちの居るさっきのショッピングモールでポリューションが発生。推定規模、ランクA」
「……。なんというか、あっちもこっちも面倒な事になってんな」軽い頭痛を覚え火蓮は頭に手を当て、新しい煙草をくわえる。「ランクA……か。まずいな、真斗の奴はともかく、ルーキーは……」
「うん、真斗と二人じゃ初陣としては重すぎるよ。とはいえ放置もできないし」
「くそ、厄介だな。周辺に他の清掃部隊は居ないのか」
「タイミングの悪い事に」
そう言って雪鱗は肩を竦める。
「……ユキ、お前今日の運勢最悪だろう」
「なーんか癪だけど、その通りだよ。そういう火蓮はどうなのさ」
「はん、あたしか? ランキング一位だ。だが二度と朝の占いコーナーなんて信用しねぇ」
「なんだか言っていることがめちゃくちゃだよ……」雪鱗が嘆息する。「とりあえず、真斗たちのほうはハナとメロンに応援をお願いしておいたよ。間に合うか解らないけれどね。まぁさしあたっては、目の前の火炎地獄をなんとかしないと」
「ああ。ああ……そうだな。調子に乗って好き勝手やってくれた愚か者どもを、同じ目にあわせてやらないとな。舌を噛むなよ?」
そう言って、火蓮がアクセルを踏み込み高機動装甲車を急発進させる。みるみる速度を上げる鉄の塊は味方を蹂躙していたドローンたちを次々に弾き飛ばしながら、そのまま破壊的な音を鳴り響かせて病院の正面玄関へと突撃した。
「な、なんだ!? なんなんだ!」
間一髪で地面に転がり、高機動装甲車との激突を避けたテロリストの一人が顔をあげて叫ぶ。
火蓮はゆっくりと車外へ出てその身を晒す。ざっと見たところではこのフロアにはテロリストは五人。しかし一人は、突撃の際にはじけ飛んだドローンの残骸と病院の柱に身体を挟まれていた。だらりと下がった首からは一切の生気を感じない。これで四人。
「……はん。やっぱりかよ」
車外へ出てそう独りごちる火蓮の視線の先には、土嚢の様に乱暴に積まれた死体があった。
その多くは一目で病院関係者と解る服装で、情報にあった人質の特徴と一致する。その死の山からは赤い河がとめどなく流れ出ていた。
「お、おい女ぁ! なんだ貴様!」
黒い目だし帽を被った男たちが火蓮に銃口を突き付け、怯えたように怒鳴り声をあげる。
「あぁ? あたしが何者かだって? おい、いまさら何を眠たいこと言ってやがるんだ」呆れたような目つきで、火蓮は目の前に扇の形に並んだ男たちを見遣る。「敵だよ。あたしはお前たちの首を狩る死神だ。終末のラッパを吹き鳴らす天使だ。見りゃ解るだろうそんなこと」
「ふっ……、ふふ、ふざけるなぁー!」
火蓮を取り囲んだ男の一人が緊張に耐えきれずに発砲し、それにつられて他の男たちも引き金を引いた。
銃弾の嵐が火蓮を襲う。激しい銃撃音がロビーに反響し、まるで建物そのものが楽器になったかのように共鳴する。
人々を惑わし魂をさらう悪魔ですら千千にちぎれ、億万の破片となって風に溶けてしまいそうなほどの銃弾を浴びた火蓮は、しかし、何事も無かったかのように変わらずそこに立っていた。
「なんだ、なんだあれは!」「くそっ! くそくそくそっ、化け物か!?」「弾が全部弾かれてやがる!」
男たちが恐怖に引きつった顔で口々に叫ぶ。目の前の光景が信じられないと言う様に。
火蓮に降り注ぐ弾丸は、その全てが不可視の防壁によって弾かれていた。金属のぶつかり合う様な甲高い音と火花をあげて、跳弾が周囲の壁、床、天井までもを穿つ。
「ま、弾を防いでるのはあたしじゃないけどな」
しばらく男たちの様子を退屈そうに眺めていた火蓮だったが、やがて我慢の限界だと言う様に吸いかけの煙草を指ではじき捨てて、一歩踏み出した。じゃり、と足もとに散らばった鉛玉が音を立てる。
「やっぱこの程度だよな。武器が通用しねぇとなると急に何もできなくなる。その程度で世界を作り替えようだなんざ、甘すぎるんだよお前ら」
火蓮は更に一歩踏み出す。その足元から炎が巻き上がり、太ももを伝い、やがて全身を包み込んだ。しかしその炎が火蓮の身体を焼くことは無い。
その紅蓮こそが、火蓮自身なのだから。
「よ、よるな化け物!」
完全に戦意を失った男たちが狼狽えながら後ずさる。その背中へ「どけ! お前ら!」と声がかかった。異変に気が付き上階から様子を見に来た別のテロリストだ。その手は対戦車ロケットを構えていた。
ロケットモーターにより投射され、ブースターにより推進力を得た成形炸薬弾が逃げる男たちの間を直進して火蓮へ向かい、不可視の防壁に激突して激しい爆炎を上げる。
「イーッハァ! 見たか化け物! 粉々だぜ!」
爆発の余波で目だし帽を焦がしながらテロリストの一人が両手を突き上げる。しかしその歓声もほんの数秒で再び凍りついた。
「……RPGか。まぁテロリストのお決まりって奴だな」
黒煙を腕で払いながら火蓮が現れる。その姿はそれが当たり前だと言う様に、変わらずに無傷だった。
「あ……ぐ……」
目を見開き、恐怖で身がすくみ動けなくなった男の一人へ火蓮が歩み寄り、その頭をつかむ。次の瞬間、男は全身を炎に包まれ、絶叫を上げながら激しく燃え上がった。
火蓮が手を離すまでも無く焦げた皮膚がずるりと剥け落ち、その下の紅い肉を晒しながら男がどさりと床に倒れこむ。その様子を周りのテロリストたちはただ茫然と眺める事しかできなかった。その中でいち早く我に返った男が叫ぶ。
「こ、こいつ本物の化け物だ! 逃げ――」
「――られると、思うか?」
爆発するように火蓮の身体が一層大きく燃え上がり、その炎が背を向けた男たちを呑み込み、焼き尽くす。ロビーに収まりきれない炎が外にまであふれ出て空までもを焦がした。
超高熱の突風に男たちは声を上げる事も、のたうちまわる事さえも叶わずに黒い塊へと成り果てていく。その様子を火蓮は無感動な瞳でただ見つめていた。
「はっ。まぁこんなもんか」火蓮を包んでいた炎が掻き消え、ロビーに広がる火の海も幻のように消え失せた。「しかしまぁ何と言うか、判子で押したようにどいつもこいつも同じような反応をしやがる。もうちっと骨のある奴はいないもんかね……」
ガチャリ、と音を立てて高機動装甲車の中から雪鱗が降りてきた。使い古したオーブンの様な有様のロビーに眉をひそめる。
「暑っ!? これはまた――。派手にやったねぇ」つつけば崩れ落ちそうなほどに真っ黒になったテロリスト達を眺めながら雪鱗が言う。「うーん、人の焼ける匂いってのはどうも慣れないね。人質の死体は……無事か。器用なものだね」
火蓮の炎は病院一階部分をほぼ焼き尽くしたが、高機動装甲車の周辺と人質の死体が積み上げられた一角だけは切り取られたように元の姿を保っていた。
「あたしが勝手に火葬しちまう訳にはいかないからな」火蓮はシガレットケースから煙草を取り出して唇の端にはさむ。煙草の先端から小さく炎が上がった。「アイツらにも家族がいるだろう。最後に一目だけでも対面できないと、つけられる区切りもつけられないからな」
「はぁ。お優しいねぇ」雪鱗が炭のようになった別の死体を見つめながら答える。
「それよりさ、なにを撃たれたの? すっごい消耗したんだけど」
「ああ、奴ら対戦車ロケット持ち込んでやがった」
「どうりで……」雪鱗は嘆息する。「人に向けてロケットを撃ってはいけません! ってママンに教わらなかったのかねぇ」
「そんなママが居てたまるか。って言うかお前出てくるの遅ぇよ」
「包み紙が取れなくてねぇ。仕事中はコレがないと」雪鱗が手に持った棒付きキャンディを一舐めする。「火蓮こそ弾受けすぎ! 結構体力を消耗するんだからね」
「はっ、あれくらいなら余裕のくせしてよく言うな。《不貫白楯》さんよ」火蓮が肩を竦める。「ま、ともあれさっさと済ませるか。真斗達のほうが気になる」
「心配なのは幹耶くんのほうだね。真斗の事だからどうせまたピクニックにでも行くような軽い気持ちでポリューションに向かっていくだろうし、幹耶くんはそれに付き合わされるだろうしね」
「仕事熱心なのは結構な事なんだがな……。真斗は、その、アレだからな」
「そうだねぇ……。アレだもんねぇ」
火蓮と雪鱗がほぼ同じ動作で困ったように腕を組む。
アイランド・ワン清掃部隊隊長、秋織真斗。
その特筆すべき特徴は――
〝部隊内最弱〟だった。