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アゾットシリーズ  作者: 白笹 那智
アゾットⅡ -踊る水銀ー
41/46

ベイビーリップと純白の下衆 後編

 ビルの谷間。白いバイクが路地裏を回り込んで、更に裏に入り込む。

 暗がりにバイクを停め、メットを脱いで箸のように細い青空を振り仰ぐ。真っ白な光線に目を細め、額に浮かんだ汗がこめかみから耳裏へ流れていく。


「っはぁふ……」


 雪鱗は唇を震わせて息をつく。久々の単独戦闘。相手は規格外の機械獣。それに少々無茶もした。流石に疲労で体が重い。


 カウルの内側から高カロリーゼリー飲料を取り出し、喉へ流し込む。胃がせり上がりそうになる程の甘味が堪らない。急速に補給されたカロリーが透けた背中に活力をくれる。


 今度は反対側から小袋を取り出し、中身を口に流し込む。小さな棘のついた、カラフルな半透明の砂糖菓子、金平糖だ。


 冬眠前のリスの様に頬を膨らませ、舌先で転がしながら口内でゆっくりと溶かす。

 血糖値が上昇するのを感じる。頭皮にチリチリとした刺激がはしり、思考の靄が晴れていく。首筋から肩に掛けての血流が改善し、筋肉が盛り上がったような感触がする。まぁ全部気のせいかも知れないが。


 ともあれ、幾分か回復したのは確かだ。雪鱗は緩く頭を振り、バベルに市街地監視カメラの映像を呼び出していく。そのうちのいくつかにベイビーリップの赤い機体が映り込んでいた。忙しなく辺りを見回し、足元にも注意を払いながら低速で街を駆けている。想定外の事態にも足を止めないのは良い判断だ。


「もう一押し……かしらね」


 今はまだ存分に混乱しているようであるが、時間が経てばいずれ落ち着くだろう。そして気が付くはずだ。〝別にここに留まる理由も必要もない〟と言う事に。


 そもそも、この戦いには輸送機のバッテリー残量という時間制限がある。逃げられたら追わなければならないのは、こちらの方なのだ。ベイビーリップは持久戦が得意な機体には見えないが、腰を落ち着けて戦いに臨まれたら勝ち目は薄い。


 もう少し頭に血を昇らせて、絡め取ろう。


 何か使える物は無いか、とカメラの映像を次々に切り替える雪鱗の目に、とある情報が飛び込んできた。


「へぇ。彼らも運が無いね」





『くそっ! 何なの、これはっ!?』


 ベイビーリップの赤い機体から苛立った声が響く。

 先ほどから接近警報が鳴りやまない。しかしいくら確認すれど、カメラに映るのは怯えた一般人ばかりだ。だが油断はできない。その中にピンキーのアンジュたちが紛れ込んでいるはずなのだ。


 立ち止まれば狩られる。隙を見せれば食い破られる。予感では無い。これはもはや確信だ。

 フライクーゲルの華村善次。ファニーボムのキャメロン・ホーク。このベイビーリップに打撃を与える為に、奴らがどこかに潜んでいるはずなのだ。


 それにホワイトスケイルの天白雪鱗だ。あの悪魔のように下劣な女があっさり引いたとは思えない。必ず、まだ何か仕掛けてくる。


 接近警報が一際大きく鳴り響いた。辟易しながらも左腕の無反動砲を向ける。その先には大声を上げてこちらを威嚇している若者の集団が居た。引けた腰を無理やり前に押し出し、怯えを秘めた瞳を燃やしてこちらに石などを投げつけて来る。

 駄目だ。ここは一般人が多すぎる。ベイビーリップは左腕を降ろし、再び駆け出した。


 いっその事この区画から抜け出そうか。……いや、それも駄目だ。戦いの様子は世界中にネット中継されている。一瞬たりともアンジュに背を向ける姿を晒してはならない。


 とはいえ、これ以上一般人を巻き込む訳には行かない。既に、ここに至るまでに多くの人々が犠牲になってしまった。この舞台を仕立てる為に必要な犠牲だったとはいえ、心が痛んで仕方ない。


 そもそも〝あの人〟のやり方は過激に過ぎるのだ。アンジュがいくら土になろうと気にもならないが、流石に子供を纏めて殺すのは気が引ける。アンジュは憎むべき異物だが、それでも子供たちにはまともな人間に成長する可能性があるのではないだろうか。


『やぁやぁ。良いステップだね、ベイビーリップ。楽しんでるかい?』


 響いてきたのは雪鱗の耳を這うような声だった。隠しきれない、汚物の様な愉悦の香りが漂ってくる。


『ほんっとうに胸糞悪い人ですね、貴方は。これだからアンジュと言うのは……』

『嫌だなぁ。仕掛けて来たのはそちらでしょう?』

『アンジュなどと言う異物がのさばっているのが悪いのです。貴方がたが大人しく滅びていれば、このような手段を取る必要も無いのです』


 思わずといった様子で雪鱗が吹き出し、ベイビーリップのコックピットに泥の様な哄笑が満ちる。


『なに平然とこっちのせいにしちゃってるの? こんなの、あんた達の人種的偏見に基づいたヘイトクライムって奴でしょ? あんまり楽しませないでよね』

『無関係の人々を盾にしているのは貴方でしょう、この卑怯者が!! さっさと姿を見せなさい!』

『は、盾? なんのこっちゃーだね。私はただ、あんたに追い詰められてここに来ただけだよー?』


 くすくすといやらしい笑い声が空気を震わせる。何をぬけぬけとっ……!


『そもそもさぁ、こんな事して意味あるの?』

『当然です。アンジュは人の世の寄生虫です。淘汰されなければなりません。これは粛清の始まりなのです』

『え、バカなの?』

『……はっ!?』


 反射的に声が出た。しかし威圧の声を受けてもなお、にやけ面が透けて見えそうな声で雪鱗は続ける。


『淘汰? 粛清? 盗んだ力を振りかざして、子供を人質に取って、それでまだ自分の行為が正当な物だとでも?』

『歪んだ世界を正すには、大きな力と痛みが必要なのです。これが正しいかどうかは、後の世が判断してくれます』


 ふーん、と大して興味も無さそうに雪鱗が呟く。


『何とも薄っぺらいねぇ。どっかの本で読んだ言葉を、そのまま引用してない?』

『その様な事は――』

『まぁいいや、ぶっちゃけどうでも良いし。この世は勝った者の総取りだよ。主義も主張も、お子様ランチの旗より価値が無い』


 言い終わるのを待たず、雪鱗が被せ気味に言い放つ。


『それよりさぁ、自分の姿に気が付いてるの? ちょっと右を見てみ』


 言われるままにベイビーリップは機体上半身を旋回させる。視線の先に現れたのはくすんだガラス張りのビルだった。そして、そこには真っ赤な怪物の姿が映り込んでいる。


『それがあんたの姿だよ。大勢の人々を巻き込んで、多数の子供を人質にして、無数の人々に死を迫る。アンジュが化物だって? ご冗談を。あんただって立派に化物だよ』

『ち、違う! わ、わたし……は』


 馬鹿な事を言うな。こんなもの、ただの機械だ。ただの乗り物だ。


 こんなもの、私じゃ――。


『あれぇ、揺れてるの? 所詮はその程度の覚悟って事かな。まぁ化物同士、最後まで楽しく遊びましょ』


 一方的に通信を切られ、後には雪鱗のけたたましい笑い声の残響だけが残された。


 目の前が真っ白になった。塗りつぶしたのは怒りだ。


 胸の奥から黒い感情が湧きあがってくる。抑えきれない衝動に弾けそうになる。 


 私が化物だと。この、私が。


 ではあいつは何だ。あの女は、卑劣を人の形に押し込めた様なあの女は。

 もはや化物ですらない。あの女は悪魔だ。完全に、完璧に。ただ一匹の下種で下劣で、最低の悪魔だ。


 殺す。殺さなければならない。殺すべきだ。


『ころす……。殺す。殺すコロスころす殺す殺す殺す!! 絶対に殺してやる! 撃ち抜いて、磨り潰して、ぐちゃぐちゃにして街頭に吊るしてやる!! 絶対だ!!』





 額に浮かんだ脂汗が気持ち悪い。肌はこんなにも暑さを訴えているのに、背筋は完全に凍り付いたままで寒気が抜けない。


 朽ちたビルの窓から咆哮する赤い機体を見つめ、警備部隊の八番隊隊長、クレイマンは戦慄していた。双眼鏡を持つ手が微かに震えている。


 なぜ、あいつがここに居るのだ。


 外周区南東部の環状道路と周辺施設に取り残された間抜けどもを、この空白都市区画に押し込めて事が終わるまで息を潜める。それだけの簡単な仕事だったはずだ。それが、なぜこうなった。


 近頃、ロクな事が無い。ギャンブルは負け続けだし、妻には浮気されるし、昨日など昼飯を食おうと思ったら清掃部隊の人外共と出くわして、全身に打撲を負う羽目になった。


 苦い表情をするクレイマンのバベルに、部下からの通信が飛び込んでくる。


『隊長! やっぱあの馬鹿でかいのは〝ベイビーリップ〟で間違いねぇみてぇです!』

『馬鹿野郎! んなもんは見りゃ解んだよ。俺が知りたいのは、清掃部隊とやりあってるはずのあいつがなんでここに居るかだ! まさかあいつら、負けたんじゃねぇだろうな』

『説明しよーう!!』


 突然の声にクレイマンは顔を跳ねあげた。目の前で星が散ったように瞳を(しばたた)かせる。


『うあっ!? え、あ? その声、ピンキーの盾女か?』

『やだショックー。私ってば、そんな呼ばれかたをしているのぉ?』


 雪鱗はおどけた様に語尾を伸ばす。


『お前なんか盾女で十分過ぎだろ。んで、なんだ。説明だと?』


 苛立たしげに地面を爪先でつつく。砂の擦れる音が物の無い廃ビルの一室に響き渡る。


『環状道路に放置された車の一台に、子供が取り残されてた』


 クレイマンの足がぴたりと止まる。


『なんだって?』

『子供だよ。多分、避難中にはぐれたんじゃないかな』


 家族を見失い途方に暮れた子供は、良く知らぬ道を行くよりも引き返すことを選んだのだろう。

 災害などの緊急事態に見舞われて車両を放置する場合、基本的にドアに鍵は掛けず、キーも刺したままにするのが決まりだ。これは緊急車両などの通行の妨げになる場合、その移動をスムーズに行うためだが、あの子供はそれを知っていたのだろうか。ともあれ、下手に動き回るよりは、いずれは帰るであろう家族を車の中で待とうという判断だったのだろう。確かに賢明な判断ではあったのだが、今回はそれが良くない方向へ働いた。


『馬鹿な。迷子が居るなんて話は聞いてねぇぞ』

『隊員の誰かが面倒がって報告してないんじゃないの? このコンクリートジャングルの中を、子供一人探して回るのは骨だもんねぇ』


 喉を鳴らし、生唾を飲み込む。凍り付いていた背筋が、今度は焦燥で泡立つ。


『そ、その子供はどうした。保護……してるんだよな?』


 掠れた声でクレイマンが祈るように問う。


『死んだよ。ベイビーリップの攻撃に巻き込まれて、車両ごと吹き飛んだ』


 クレイマンのバベルへとある映像が送られてきた。爆発の瞬間を捉えた雪鱗の視覚映像だ。突然降りかかった災厄に怯える少女の顔が、次の瞬間には爆炎に包まれた。


 情け容赦ない現実に、クレイマンは頭を殴られたような気持ちになった。壁に力なく寄りかかり、手のひらを額に当てる。


『……それで、カニ野郎がここに居る事とどう繋がる』


 クレイマンは一気に老け込んだように、疲れ切った声を吐き出す。


『他にも市民が取り残されている可能性があり、なおかつベイビーリップの攻撃も予想を超えて苛烈であった為に環状道路上での戦闘は危険と判断。私は〝致し方なく〟近くの空白都市区画に逃げ込み、それがたまたまここだった、という事だよ』


 もちろん大嘘だ。しかし一部は真実でもある。少なくとも、言葉の真偽をクレイマンに判断することは叶わず、またそのような精神状態では無かった。


 重い沈黙を好機とみて、雪鱗は追い討ちを仕掛ける。


『大失態だね、クレイマン隊長。これはあんたが招いた事態だ。責任追及は免れない』

『こ、ここに奴を連れ込んだのはお前だろうが!』


 クレイマンの足掻きを鼻であしらい、雪鱗は続ける。


『あんた達がきちんと確認をしていれば防げた事態だよ。もちろん私にも責任はあるのだろうけど、それがあんたの首が繋がる理由にはならない』


 魂を吐き出すように深く息を吐き、クレイマンは俯く。


『……俺に何をさせる気だ。わざわざバットニュースを伝える為に連絡してきたわけじゃねぇんだろ』

『おぉ、話が解るねぇ』


 明るい声がドロリと弾む。クレイマンは思わず胸を抑えた。


『なに、そう悪い話じゃ無いよ。ちょっとばかし貸してくれれば良いんだ』

『……何をだ』


 獲物をゆっくりと締め上げる蛇のように、雪鱗の声がクレイマンの脳内に絡みつく。


『決まってるじゃない。警備部隊八番隊、全員の命だよ』





「下衆いな」

「下衆いねぇ」


 漆黒のスポーツカーが一陣の黒い突風となって吹き抜ける。雪鱗の会話をモニターしていた華村とキャメロンが声を揃えた。


「普段からネジの飛んだ奴だが、今日はまた一段とやばいな」

「真斗が近くに居れば大人しくしているんだろうけど、残念ながら今は別行動だしね。ブレーキ役の火蓮も居ないし、やりたい放題だ」


 華村は緩く首を振り、雪鱗へ通信を繋げる。


『程々にしておけよ、ユキ。月の無い晩に出歩けなくなるぞ』


 しばしの沈黙。ややあって返事が返って来た。


『ああ、ハナか。おっつかれー』

『なんだ。流石に疲れたか?』

『いやぁ、舞台も手駒も揃ったけど、後はどうしようかと思ってねぇ』


 困ったような、それでいてゲームを楽しむ子供のような、邪気に満ちた無邪気な声だった。


『無駄に死体は増やさないでよ? 管理部に叱られるのはごめんだ』

『大丈夫だよメロン。死ぬのも叱られるのも、警備部隊の連中だけになるはずだよ』

『一つ教えてやる。それは大丈夫とは言わないんだ』


 ため息交じりに華村が言う。雪鱗は気の利いたジョークを聞いたように噴き出した。


『んで、作戦なんだけどさ。無人ヘリはどうなってる?』

『最初の狙撃ポイントの近くに置いてきたけど、呼べば五分で持ってこれるよ』


 キャメロンが応える。


『そりゃ良かった。じゃあこの作戦で行けるかな。ハナ、狙撃ポイントはどうする?』


 華村は空白都市区画の地図を呼び出し、ベイビーリップと警備部隊の配置を確認し、赤丸を加える。


『ここと……ここだな。まぁ〝カン〟でしがないが』

『ハナのカンなら問題ないね。で、作戦の内容だけど――』

『まてユキ。それは始末書を何枚書く羽目になる作戦なんだ?』


 雪鱗が喉を鳴らす。吊り上がる口端が見えるようだった。


『大丈夫だよハナ。いつも通りに〝誤魔化し、揉み消し、金で解決〟さ』


 深く息を吐き、華村は苦笑する。


『もう一つ教えてやる。それも大丈夫とは言わないんだ』





 雪鱗がゆっくりと首を回して凝りを解す。口に出しているわけではないとはいえ、芝居がかった口調を続けるのは些か疲れる。


 遠くで鳴り響いた銃声に雪鱗は目を細める。第二幕の開始を告げるファンファーレだ。


 一つの銃声を切っ掛けにいくつもの銃撃音が沸き起こり、ビルの谷間に反射してたちまちに溢れ出した。警備部隊をいえば引きこもるばかりの腰抜けと思っていたが、中々どうして、物怖じしない連中だ。


『クレイマン、様子はどう?』

『カニ野郎は想定したルートを順調に進行中。だが、本当に必要な事なのか』

『何がよ?』

『一般人を盾にする事がだ! なぜ避難を優先しない!?』


 雪鱗は肩を竦めて金平糖を一粒口に放り込む。


『説明したでしょ、あいつは一般人に危害を加える事を恐れている。実際に反撃飛んでこないでしょ?』

『た、確かにそうだが。万が一被害が出たら』

『不幸な事故で片が付くからへーきへーき』

『俺は命の話をしているんだ!!』


 クレイマンは歯を剥いて叫んだ。先日の真斗との喧嘩で痛めた首が鈍く痛む。


『まだ解っていないみたいだね』


 氷の様な声だった。底冷えのする声に息を呑む。クレイマンは背に氷柱を差し込まれたような錯覚を抱く。


『戦って勝つ。それが絶対なんだよ。敗者は死すのみ、後には何も残らない。悪魔と呼ばれようとも、何を犠牲にしようとも、勝たなければ終わりなんだ。綺麗な勝利? そんなものは、そこらの野良犬にでもくれてやると良いよ』

『ぐ……』

『それに良く考えてみなよ、これは汚名を返上するチャンスだよ? 市民を背に戦い、盾になっているのは警備部隊の方……なんて事にもできるんだ。もちろん、勝ちさえすれば、だけど』


 勝った者が正義。それは今も昔も変わらない。敗者に全ての汚名を被せ、勝利の美酒を呷る。それが勝者の特権だ。

 戦いに勝ちさえすれば、後はどうとでもなる。


『……貴様は、人外の中でもとびっきりだな』


 握りしめたアサルトライフルのグリップがギシリ、と鳴いた。クレイマンは「それは違う」と言えない自分に激しく腹を立てていた。


『そりゃあどうも。さ、励みな戦争屋。幕を降ろすのはこちらに任せなよ』





 ベイビーリップは戦慄していた。無理もない。ただの避難民と思っていた生体反応の中から、銃弾を放つ者が現れたのだ。

 対人用の銃弾が赤い装甲を貫く事は無いが、攻撃を受けているという事が問題なのだ。いつあの黒い弾丸が飛んでくるか解った物ではない。


 不意にロックオンアラートが鳴り響く。ぎくりとして振り向くと、朽ちたビルの窓からハンドミサイルを構える兵士がカメラに映し出された。肩に付けた部隊章は、三本の爪痕が走った盾のエンブレム。


『警備部隊……? 大人しくしていればいい物を!』


 右腕のチェーンガンを向け、しかしベイビーリップは躊躇った。兵士の背後に多数の反応があるのだ。部屋の隅で身を寄せ合うその姿は、紛れも無く一般人だ。攻撃をすれば間違いなく巻き込んでしまう。


『チッ――』


 舌打をし、ベイビーリップはビルを回り込んでミサイルロックをやり過ごす。見れば他の兵士達の背後にも一般市民の反応がある。これでは迂闊に反撃ができない。攻撃を避け、ビルの隙間を縫って移動していくしかない。


 誘われているのではないか。そんな予感が過る。アスファルトから草が覗く道路を駆けながら周囲をセンサーで走査するが、ぱらぱらと人の反応があるだけだった。敵と一般人の区別など付けようもない。


 また銃弾が飛んできた。装甲から火花が散り、甲高い音が廃ビル街に反響している。銃弾の飛んでくる方へ眼を向けると、その背後にはまたもや一般人の気配があった。

 一般人の数が多すぎる。恐らくは周辺の研究施設や増電、蓄電施設から避難してきた人たちが殆どだろう。なんにせよ、うっとおしい。


 とにかく、機体に取り付かれでもしたら厄介だ。なるべく広い道を行かなければならない。


 道の先に十字路が見えてきた。左右の道路に何か潜んでいないか、と警戒をしながらベイビーリップは進んでいく。


 不意に一つの異変が起きた。コックピットに甲高い電子音が響く。ミサイルロックではない。


 一体なんだ、と訝しむ声が凍りついた。


『なっ――!? そんな馬鹿な! どうしてっ!?』


 それは僚機であるナースホルンのシグナル消失を知らせる警告音だった。つまり、撃破されたという事である。


 何が起きた。あの陸上戦艦の様な巨体が、たった数人のアンジュに敗北したと言うのか。

 突然の衝撃に茫然自失となったベイビーリップが、そのままの状態で十字路へ差し掛かる。


 雪鱗はその様子をモニターしていた。ベイビーリップの機体から緊張が立ち昇り、身を固くするのを見て取った。


 何というタイミングだろう。これは天恵か。


『やっぱり真斗は私の女神様だね。ハナ、メロン。仕事だよ』


 ベイビーリップが自分を見失っていたのはほんの一瞬の出来事であったが、その一瞬で十分であった。


 赤い機体が十字路に立ち入った瞬間、右側上空から一機の攻撃ヘリが斜めにまっすぐに飛び込んできた。振り下ろすようなその軌道。ビルやその合間の平面ばかりを警戒し、さらに気が反れていたベイビーリップの反応は遅れた。


『くっ!?』


 それでも赤い機体の動きは鋭かった。弾かれた様に上半身を旋回させ、左腕の九十㎜無反動砲が展開される。そして即座に砲弾を放った。直撃を受けたハヴォックが爆炎に包まれる。


『――はっ! これですか? この程度が貴方がたの策ですか!』


 勝利を確信し、ベイビーリップが高らかに声を上げる。


 あの攻撃ヘリには華村とキャメロンが乗り込んでいたに違いない。射線の通りにくい市街地では、狙撃手自身が積極的に陣地転換をする必要がある。そしてこの機体の機動力に対応するには車では足りない。そのためのヘリだったのだろう。


 機動戦闘になる以上、華村のサードアーム、デア・ドゥンケル・リッターは使えない。あまりに巨大で重すぎるからだ。コックピットの装甲を通常のフライクーゲルで撃ち抜くには、ある程度距離を詰める必要があったのだ。


 しかし、その目論みは打ち砕かれた。そう思っていた。


 炎に包まれたハヴォックのコックピット。無人機化され、空っぽなはずのその場所にあらぬ物が詰め込まれているのをベイビーリップのカメラが捉えた。


『はっ!?』


 それは、はち切れんばかりに押し込まれた緑色の巨大な果物、メロンだった。もちろん本物ではない。キャメロンのアーツ、ファニーボムによって作り出された冗談のようなメロン爆弾だった。それがいつの間にか現れ、パイロンにも冗談のように吊り下げられている。


 緑色の閃光と共にメロン爆弾が炸裂する。ファニーボムは爆発の威力や爆風の向かう方向までも自在に操る事ができる、自在指向性爆弾である。その破壊力は余すことなくベイビーリップに襲い掛かり、降り注いだハヴォックの残骸がその名の通りに大損害をもたらした。


 それは巨大な散弾だった。大小の破片が関節に刺さり、各種センサーを機能不全に追い込む。


『ワイヤーランチャー!』


 クレイマンの号令と共に、十字路の四隅にあるビルから何本もの太いワイヤーが射出され、見る間にベイビーリップを取り囲んでいく。災害救助用具も使いようである。


 もちろんその程度でベイビーリップの動きを止められる訳ではない。しかし、一時その場に留める。それこそが重要だった。


『ご注文通りにリングは拵えたぞ! やれ! 盾女!!』

『その呼び名、やめてよね。私には天白雪鱗ってスペシャルキュートな名前あるの!』


 一陣の白い突風が吹き荒れる。バイクに跨った雪鱗がホワイトスケイルを全力展開して前面に押し出し、巨大な槍となって疾走してく。可視化されるほどに分厚くホワイトスケイルを重ね、砂塵を巻き上げながら駆けて行く。その姿は城門を打ち砕く攻城兵器の様だった。


「よっしゃー! 真打登場だよ!」

『ぐっ……、次から次へと! 上等です!!』


 ベイビーリップの右手首が引っ込み、代わりに長い白刃が姿を現した。腕部内蔵型の近接格闘兵器だ。白刃が微かに震えだし、たちまち頭痛を引き起すような高周波となった。


「わぁお、なにあれ? 高周波ブレード?」

『おい盾女! あれはまずいんじゃないのか!?』


 目を剥く雪鱗に、クレイマンの切羽詰まったような声が届く。しかし雪鱗は楽しそうに唇を歪める。


「最高じゃない。真っ向勝負だ!」


 巨大な突撃槍が更に加速する。ベイビーリップは腰を捻って腕を降ろし、長い刃でアスファルトに切れ込みを入れながら、掬い上げるようにそれを迎え撃った。


 激突する槍と刃。地上で花火が炸裂したかの様な閃光と爆風が、灰色の廃ビル群を撫でる。


『せぇぇぇぇい!!』

『でぁぁぁぁあ!!』


 咆哮する白い悪魔と赤い獣。火花は噴水の様に吹き上がり、悲鳴のような金切音の華が咲く。


『なっ……!?』


 先に限界を迎えたのは雪鱗の方だった。白い突撃槍にひびが走る。


 当然だ、とベイビーリップは思った。アンジュがどれだけ異能の力を持っていようとも、所詮は人の形をした化物だ。より効率良く戦うための英知を結集させたこの機体に敵うわけがないのだ。


 このまま突撃槍と化したホワイトスケイルを切り裂き、あの悪魔女が真っ二つになる。そうなるはずだ。そう思った。

 金属の塊が砕け散るような破砕音が鳴り響いた。そしてベイビーリップのカメラに映し出された光景は――。


 真っ青な、色の濃い夏の空だった。


 自分の身に何が起きているのか、ベイビーリップには理解できなかった。

 なぜ、自分は空などを見ているのか。

 ホイップクリームのように膨れ上がった夏雲が覆いかぶさるように迫ってくる。なぜ。


 不意に、白い雲の中に赤い影が映り込んだ。それは腕であった。手首から振動する長い白刃を伸ばしており、その関節は肘の部分が砕けていた。


 スローモーションになったかのように、ゆっくりと流れる光景の中でようやく理解した。

 ダメージを負っていた関節がせめぎ合いに堪えられなくなり、押し負けて砕け散ったのだ。そして脚部に激突したホワイトスケイルに跳ね飛ばされた。機体はバランスを失い、今まさに倒れ込んでいる真っ最中なのだ。


 やがて轟音と共に赤い機体は地に伏した。舌打をし、残された左腕を杖代わりに何とか機体を立て直そうと試みる。


 各種センサーと火器管制装置が停止している。脚部を更に失ったことにより、一時的な電力不足に陥ったのだろう。復旧に要する時間は数秒だが、その隙を見逃す奴らではあるまい。


 一秒でも早く立て直そうと無理矢理に上半身を起し、顔を上げたベイビーリップのカメラにある物が映り込んだ。それは黒い光であった。大きく、力強く、必中必殺の意気を込めて迫ってくる、黒い彗星であった。


『化物どもめっ……!!』


 その呻きごと呑みこむように、デア・ドゥンケル・リッターの黒い弾丸が、ベイビーリップのコックピットを撃ち抜いた。


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