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アゾットシリーズ  作者: 白笹 那智
アゾット ー女神創造計画ー
4/46

ダストとバベル

 それからほどなくして、幹耶たちを乗せた高機動装甲車が橋を渡り始めた。幹耶は座席の間からフロントガラス越しに車両前方を確認する。橋は長く、太く、目の前にはただ水平線が広がっていた。


「随分と大きな橋ですね」


背を元の位置に戻し、視線を左手側にある窓にやりながら幹耶が言う。その目に映るのは水晶を散りばめたように(かがや)く水面と、いくつかの貨物船(貨物船)のみである。


「正確な長さは忘れたが、まぁフルマラソンができるほどじゃあない」


 運転席の火蓮(かれん)から声が飛んできた。


「何にしても、途方もないスケールですけれどね……」


 幹耶は(ほう)けたように輝く水面を眺めていたが、やがて視界の端に異変(いへん)を感じて視線を上げる。

 見上げた空には光の川があった。自ら発光する(みどり)色をした煙の様な(おび)が空を優雅(ゆうが)に流れている。そしてそれは幾筋(いくすじ)も存在し、空の青さや水面の輝きと相まって、ため息が出そうなほどの幻想的(げんそうてき)な風景を作り出していた。


「あれは……?」


 初めて目にする光景に、幹耶は橋を渡り始めてから早くも二度目の驚きを感じていた。


「あれ? ああ、アレか。あれはアゾット結晶の排気ガスみたいなもの……か? まぁ《ダスト》って呼んでいる」見た目は綺麗なんだけどな、と火蓮が笑う。「昼間も良いが、夜はもっと凄いぞ。街中が翠色に染まるんだ。月と星と街の灯りとダストの光が合わさって、実に綺麗だ」


 幹耶はその光景を想像する。様々な光に染められた街並みは、きっと息を呑むほどの美しさであろう。少し夜を待ち遠しく感じた。


「しかし見た目はご覧のとおりに(うるわ)しいんだが、どうにも厄介な代物でな」


 煙草を咥え、運転席の窓ガラスを降ろしながら()(れん)が言う。いつの間に火をつけたのか、(から)い香りのする煙が(ただよ)ってきた。


「厄介? まさか毒性があったりするのですか?」


 確かにダストは美しいが、見方を変えればあの(みどり)(いろ)が毒々(どくどく)しく見えなくもない。


「お、なかなか鋭いな。一言でいえば、いわゆる公害(こうがい)の原因と考えられている。その公害の後始末があたしたち清掃(スイー)部隊(パー)の主なお仕事だな」火蓮が煙を吐き出すと、空にもう一つの川が生まれた。「ダストについての詳しい事は研究中だ。アゾット結晶が気化したものじゃないかと言われているが……まぁ正体不明だ」


「正体不明?」困惑した表情の幹耶が呟く。


「ダストの正体については諸説ある。プラズマだという学者も居れば、あれはネオンガスのような気体で、電力増幅の際にアゾットにかけられた高電圧によって発光しているのだ、とかな」


 さして興味も無さそうに火蓮が言う。しかし解説役には割と向いている性格の様で、ダストの濃度が高い地域では植物の成長が異常に早い等の事実から、ダストにはアゾット結晶に近い性質があると予想される事。そして大気の流れなど気象の影響を一切受けず、その動きが予測不可能であるという事を淡々と幹耶に伝えた。


「そんなわけで、ダストがどこに飛んでいくのか予想がつかないから監視(かんし)しやすいように、そして極力外に()らさないようにアイランドは砂漠のど真ん中や洋上に作られる」


 事もなげに火蓮がそんな事を言う。幹耶はちらりと後方を見遣るが、陸地は既に遠く、その輪郭すらも確認できなかった。


 海上実験島アイランド・ワンは、名前の通り海上にあるという事は幹耶も事前に知っていた。しかしこれほど遠洋に作られているとは思わなかった。


 アイランド・ワンは六十万人の人口を抱える大都市だ。当然広さもそれなりであろう。それを陸から影も見えないような遠洋に建造すると言うのは途方(とほう)もない行為だ。


「しかし外へ漏らさないようにと言っても、どこへ行くのか解らないのでは対処(たいしょ)のしようがないのでは?」

「フィルターだ」

「……フィルター、ですか?」


 ああ、と火蓮が頷く。


「アイランドがマザーアゾットを中心に据えて作られている事は知っているな。そしてマザーアゾットにより増幅された膨大な電力で、世界経済が辛うじて支えられている事も」


 今度は幹耶が頷く番だった。

 とうの昔に滅んだ文明の残り香を辛うじて支えているのは大アゾット結晶、マザーアゾットだ。正確にはそれにより増幅された電力が、だが。

 アイランドのような途方もない都市が、世界各地にいくつも造られているのはそれが理由だ。


「重大な公害をもたらすダストを拡散(かくさん)させるわけにはいかない。怖いからな。しかし副産物(ふくさんぶつ)としてダストは次々に生み出される。それでもマザーアゾットにより増幅された電力を各地に送電し、生活(せいかつ)基盤(きばん)を支えている現状ではそれを止めるわけにもいかない。なら、どうする」


 そう。それはとても単純な話だ。コップに水を注げばいずれ満杯になる。その水に逃げ場がないのであれば(あふ)れだす。簡単な話だ。それはつかみどころのない存在であるダストであっても変わらない。ならば、どうするか――


「ダストを極力(きょくりょく)アイランド内で除去、あるいは無毒化する、でしょうか。しかしフィルターと言っても……」


 幹耶は視線を空を流れるダストへ向ける。一度外へ放たれた物をどう浄化しようというのだろうか。


「ダストには後二つほど判明している特性がある。一つは、ダストは人間に引き寄せられ、吸収されるという事」()(れん)は指を立ててみせる。そして、二本目。「二つ目は、人体に吸収されて蓄積(ちくせき)されたダストは、その許容限界量を超えた段階で公害(こうがい)を引き起す……という事だ。限界量は人によって大きく異なるが」


「つまり、ここに集められた人たちは、浄化フィルターのような扱い……と言う事ですか?」


「その通り……ああ、そんな顔をするなよルーキー。彼らだって承知(しょうち)でここに居るんだ」苦虫を噛み潰したような顔をしている幹耶(みきや)に火蓮が言う。「アイランドの外はお前も知っているように荒廃(こうはい)しきっている。安心安全な生活は難しいだろう。特に力の無いアンジュはな。しかしここに居れば少なくとも人間らしい生活は保障されている。ま、常に危険はあるが」


 それはどこでも変わらないだろう? と火蓮はくつくつと肩を揺らす。

 外ではまともに生きられない。それは幹耶にも痛いほど解る。外では食料が常に不足しているし、治安も(ひど)く悪い。肥料も満足に用意できないため作物が思うように育たず、水と塩だけで七日を過ごした時は流石に死をすぐそばに感じた。

 その時はどうやって乗り越えたのだったか……。思い出そうとすると頭が痛くなる。その時に感じた無力感(むりょくかん)だけは、胸の中に重石のような存在感を持って今も幹耶を苦しめている。


 歯を食いしばって自力で生きるか。あるいはパーツ扱いされてまで保護(ほご)を受けるのか。どちらが正しいのかなど幹耶には解らない。だが、この世に無償(むしょう)の救いなど存在しないのだという事はずっと昔から知っていた。


 清掃(スイー)部隊(パー)の仕事は公害の後始末だと火蓮は言った。そして公害は人体に吸収されたダストがもたらすとも。重大な、とも言っていた。公害による死亡もあるうるという事だろうか。という事は……、もしかして清掃部隊の仕事とは、公害で死亡した人間の死体処理、いわゆる特殊(とくしゅ)清掃(せいそう)という事だろうか? という考えが幹耶の脳裏(のうり)をよぎった。


「火蓮さん。その公害というのは一体どういう……」


 しかし幹耶のその言葉は、被せられた火蓮の声に打ち消された。


「お、見えてきたな。あのゲートを(くぐ)れば 《バベル》が使えるようになる。もう注射は受けていたよな?」


 火蓮のその言葉に幹耶が再び前方へ目を向けると、フロントガラス越しに大きなアーチが見えた。


「はい、ここに来る前に。詳しくは解りませんが……、バベルとは脳と融合(ゆうごう)して、その働きを補助したり直接ネットワークに接続できるようにするための生体ナノマシン群、でしたか」


「大正解だ。いわゆるブレインマシン・インタフェースってやつだな。元々は医療用(いりょうよう)に開発されたものだ」火蓮が煙草を深く吸い込み、細く長く吐きだす。「まだアイランド内で限定して実験をしている段階だが、これが普及(ふきゅう)すれば声を失った人が会話をするように意思の疎通ができるようになるし、眼の光を失った人にも、外部の映像を脳内に直接送り込む事で疑似的(ぎじてき)にだが〝()る〟ことができるようになる」


「それは素晴らしいですね」

 幹耶は素直に感心した。


「日常生活も大きく変わるぞ。まず、言葉の壁がなくなる。目や耳で見聞きした言葉をバベルが自動でネットワーク上のデータと照合して翻訳する。するとほぼタイムラグなしに脳で認識できるという仕組みだ」

「なんとも、凄いですね……」


幹耶(みきや)感嘆(かんたん)の声を上げる。バベルとはいったいどれほどの可能性を秘めているのか。


「元々は軍用に開発された代物でな。最前線へ迅速(じんそく)かつ正確に、あらゆる情報を即座に伝達できる。他の兵隊が見ている視界情報をそのまま部隊全体に送ることも可能だ。戦争が変わるぞ」

「……。結局そちらに行くんですね……」

「そりゃそうだ。アイランドはもとからそういう事を研究するための街だし、新しい技術を色々なことに使ってみようというのは当然の事だろう?」


 ()(れん)は肩を(すく)めてみせる。


「確かに理解はできますが、なんというか、殺伐(さつばつ)としていますね。全体的に」

「仲良しこよしで丸く収まるならそれもアリなんだがな。残念ながらイエス様がご健在(けんざい)のころから世に争いは絶えたことがない。今現在もだ。それでも目立った戦争ができない今の状況は、有史(ゆうし)以来で最も平和な状況と言えると思うがね」


 灰皿へ煙草が放り込まれ、蓋が閉められた。


「それよりゲートを越えるぞ。気をつけろよ?」

「気を付ける?」


 幹耶がそのまま聞き返すと同時に、世界がぐるりと回転した。

平衡感覚は失われ、身体が洗濯機にでも放り込まれたのでは無いかと錯覚してしまうほどだ。(ひど)い吐き気を覚え幹耶は口元を(おさ)える。


「うおぉーい!? だめだぞ! リバースは勘弁してくれ!」

 火蓮の視線が何度も前方と後方を往復する。


「あっれー? おかしいな、さっきの酔い止め薬入りの金平(こんぺい)(とう)じゃ足りなかったかな」

 幹耶を眺める(せつ)(りん)が不思議そうにしている。


 菓子に何を入れているんだ。そもそも、そんなにすぐに効果が出るものかと幹耶は胃と口元を抑えながら思った。脳はまだ脱水中の洗濯漕のようなありさまだ。まずい、このままでは配属初日から伝説を作ってしまう。


 幹耶は必死に呼吸を整える。きつく目を(つむ)り意識を固定する。それでも吐き気が収まるまでに数分を(よう)した。


「お、落ち着いたか? 落ち着いたな?」火蓮がルームミラー越しに幹耶と車内の無事を確認する。「いやー、驚いたな。誰でも初めはぐらりと来るもんだが、そこまでになるとはな」

「す、みません……。いったい、何が……」


 息も絶え絶えに幹耶が呟く。まだ目は閉じたままだ。


「脳をネットワークに接続したんだよ。バベルはアイランド内でしか起動しないからね、さっきのゲートが切り替えスイッチみたいなものなんだよ。……大丈夫? 水飲む?」雪鱗が幹耶へ水が入ったボトルを手渡す。「普通は、軽い乗り物酔いみたいな症状で収まる物なんだけどね。まさか他に脳を(いじ)るような真似、してないよねぇ?」


 雪鱗は欧米人の様に大げさな笑い声をあげる。どうやら気の利いたジョークのつもりのようだったが、幹耶(みきや)にリアクションを返すような余裕はない。


 幹耶は水を一口飲み、ゆっくりと目を開ける。目の前に〝ようこそ〟という文字が浮かんでいた。おや、と思い右に視線を向けると、ぼんやりと視界の端に浮かんでいた丸いものがアナログ時計になり、その下に日めくりカレンダーがあらわれた。今度は左に目だけを動かすと、さまざまフォルダが整然(せいぜん)と並んでいた。中央の文字や左端の時計などは、半透明になり気にならなくなった。


 一言で言ってしまえば、それはパソコンのデスクトップ画面そのものだった。


「なかなか面白いでしょう? ブレインマシンってこういう事だよ」


 微笑(ほほえ)む雪鱗の顔に意識を向けるとフォルダも半透明になり、目に(うつ)るものは通常とほぼ変わらなくなる。

 再度意識をフォルダに向けると、再びはっきりと浮かび上がって来た。そのうちの一つであるマニュアルと書かれたフォルダに特に意識を向けるとするりと開き、視界一杯に長大な文章が突然現れた。


「うわっ!?」

予想していなかった事態に幹耶は情けなくも声を上げる。それを見ていた雪鱗は(こら)えきれないと言う様子で吹き出し、くつくつと笑いをもらす。


「く、詳しいつ、使い方は、マニュアルでも見て勉強すれば、ふふっ、いいよ。あー。解らない事とかあればいくらでも教えるし。必要ないとは、お、思うけどね。くっ、ふふ。くーっ、あーもう、可愛いなぁ」


 笑い声と半々で雪鱗が言う。そうたいして年の変わらなそうな少女に〝可愛い〟などと言われてしまった気恥ずかしさで幹耶は首を(ちぢ)める。


 幹耶は誰にも聞かれないように意識して小さくため息をついた。まだ何も始まっていないと言うのにこの疲労感である。これでは先が思いやられる。しかしそれも無理もない。環境変化が激しすぎる。水瓶のメダカが突然池に放流されたようなものだ。いや、もっと巨大か。


 幹耶は指の腹で目頭を揉み、意識して深く細く息をついた。既に吐き気は完全に収まり、思考はクリアになっていた。せき止められていた水が少しずつ染み出て行くように、靄がかかっていた様々な思考や記憶が胸にするりと落ちてきた。すっかり目の覚めた気分だ。


 高機動装甲車がついに長大な橋を渡りきる。検問所の様な場所でチェックを受け、ついに幹耶はアイランド入りを果たす。


 何気なくフロントガラス越しに外の様子を見てみると、天に突き刺さる円錐状の巨大な黒い建物が目に映った。アイランドの象徴、モノリスタワーだ。

 その輪郭は(かす)んでおり、まだ相当に距離が離れていると思われる。しかしそれでも世界を二分する壁のようにそびえ立っていた。


 白く霞むモノリスタワーの最上部。薄い雲の向こうから、僅かに桃色の光が溢れている。

 その光の正体は、アイランド・ワンの要石である桃色のマザーアゾットによる、電力増幅に伴う発光現象によるものだ。


 巨大な板ガラスのように透き通った青空に掛る薄い雲。その大空を二つに分かつ、世界の心臓の一つを天高く掲げる人類の黒い腕、モノリスタワー。


 その存在感は圧倒的で、人類にあのようなものが建造可能なのかと疑いたくなるほどだった。ここは神話の世界で、あの天に手をかける黒い腕は神の作り出したものだ。などと言われたらうっかり信じてしまうかも知れない。


 やはり今いるこの場所は自分の狭い常識を大きく超えるものだという事を、幹耶(みきや)(あらた)めて理解した。


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