最強の帰還とミサイルアラート
「おぉー。見えてきたわ」
航空機用エンジンモーターの甲高い駆動音。そして大きなプロペラが大気を叩く騒音に満たされた軍用輸送機の中で、秋織銀子が弾んだ声を上げる。硬いソファーで傷んだ尻に顔を顰めながら、その声につられた柴野友樹が分厚い窓の向こうへ視線を投げる。
無遠慮に降り注ぐ陽光を受ける海面は、まるで自身で発光しているかのように輝いている。
その光の中に、翡翠色に包まれた街並みの輪郭が微かに浮かんでいた。
子供の一人が「わぁ」と声を上げたのをきっかけに、他の子どもたちも我先にと窓ガラスへ額を擦り付けた。その顔に浮かぶ表情は期待と不安、そして少しの恐怖だ。
子供たちの気持ちは友樹にも良く解る。自分も初めてアイランドを訪れたときは、同じような表情をしていたはずだ。ダストの光に包まれたアイランドの威容は、まるで異世界への入口を思わせる。そしてそれは、あながち間違ってもいない。
アイランドの誇る様々な最先端技術と圧倒的な豊かさは、この子供たちにとってはまさに魔法の世界そのものだろう。だがそのアイランドにも悪意は渦巻き、危険に満ち溢れている。そして何より、ポリューションなどと言う未知の脅威が傍らに常に寄り添っているのだ。
あらゆるものに想像が及ばない。その事実は精神に多大な負荷を強いる。そして負荷は恐怖として認識される。尻込みしてしまうのも無理からぬことである。
だが同時に子供たちは理解している。もう、あの異世界にしか自分たちの生きる場所は無いのだと。そして今まで這いつくばってきた外の世界よりは、数倍も人間らしい生活ができる場所だという事を。なればここまで彼らを先導してきた友樹の役目は、無事に彼らを送り届け、その新たな一歩を見届けてやることだ。
とはいえ、もうアイランドは目の前だ。ここまで来れば心配することなど何も無い。貨物室へ荷物当然に押し込められた子供たちの疲労具合が気になるが、あの様子を見る限りでは問題なさそうである。それより尻が痛い。火蓮の愛車ほどまでとは言わないが、もう少しマシな座席は用意できなかったものか。
程なくして、輸送機の機体がダストの幕を通り抜ける。
バベルが起動する際の微かな眩暈を、頭を振って散らす。見れば銀子も同じような仕草をしていた。それを不思議そうに眺める少女の視線と友樹の視線が交差し、微かな気恥ずかしさに小さく唸った。
「なぁ姫ちん。どこに着陸するんだったか」
詰まる息を吐き出すように、友樹は銀子に聞く必要もない質問を投げかける。妙に上機嫌な銀子は、打てば響く鐘のように笑顔でそれに応える。
「忘れた!」
思わず溜息が出る。
友樹は思う。聞いた俺が馬鹿だった、と。失念していた訳では無いが、秋織銀子はこういう奴であった。
彼女の行動原理は全てが〝直感〟だ。それを軌道修正させることができないのは、その直感が妙に正鵠を射ているからだ。
その鋭さは戦場において大きな力である。しかしそれだけでは、日常生活においては欠点でしかない。彼女は考える事と覚える事をしない。それは友樹の役割である。
佇めば月の女神。鉄火の中では戦神。口を開けば残念美人。そして嗜虐的な悪癖を持つ魔女。それが秋織銀子だ。柴野友樹は不本意ながら、その舵取り役の任についている。
直感と言えば、同じ清掃部隊の隊員である華村善次も戦場では感を頼りに行動することが多い。しかしそれは銀子の物とは違い、数々の戦場で培われた経験による感覚だ。戦士としての年期による厚みである。
秋織銀子を天才と称するならば、華村善次は秀才だと友樹は思う。いずれにせよ、敗北する姿が想像もできない強力な兵であった。
そんな事を考え出すと、メンバー一人一人に想いが及びだす。
寂しがりやの隊長様は元気だろうか。真斗マニアの蒼髪変態大食い女は問題を起こしていないだろうな。火蓮の奴はサボらずにちゃんと仕事しているんだろうか。メロンの奴は白兵戦の訓練をきちんとしているのか。あぁ、そういえば新人が入ったんだったな。どんな奴だろう? 気難しい奴でなければ良いが。
柴野友樹は紫の短髪に、頬に傷を持つスカーフェイスという泣く子を更に泣かせる見た目とは裏腹に、清掃部隊でも随一の常識人にして、大変仲間想いの所謂〝良い男〟であった。
だからこそ、秋織銀子というとびきりのキワモノの相方を務められる訳であるが。
暇つぶしがてら、仮に銀子と雪鱗がペアを組んだらどうなるだろう、と友樹は想像を巡らせてみた。浮かんできた結果はまさに悪夢だ。毒をそれ以上の劇毒で無かったことにするような物だろう。
ともあれ、仲間たちの声を恋しく感じる。初めはアイランドや清掃部隊をキワモノ揃いの糞みたいな場所だと思っていたのに、いつの間にかこれである。
人の心は解らないものだ。それが自分の物であったとしても、と友樹は一人自嘲する。
恋しいと言えば、キッパニャームの不思議な味わいとも久しく遠ざかっている。何だか癖になるんだよな、アレ。
仄かな浮遊感に、機体の高度が下がっているのを察した。着陸が近いのだろう。
バベルで周辺地図を呼び出し、位置を確認する。マザーアゾット強奪未遂事件を受けて突貫工事で整備された、米軍が管轄する航空基地の上空だ。
アイランドは元々、アゾット結晶に関する様々な研究を行うための実験都市だ。あらゆる状況に対応するため、街の設計には余裕をもって造られている。
しかし良い事ばかりではない。余裕がある、とは良い所だけをつまみ食いした表現だ。正確には酷いザル勘定である。そのため、廃墟当然の都市区画が放置されて犯罪の温床になっていたりするのだ。
だが当然、利点もある。今回のように後から大がかりな設備を整えようと思えば、土地の確保だけで膨大な時間と予算をつぎ込む羽目になるものだが、アイランドにおいてはその手順を飛び越える事ができたりもする。
とはいえ、眼下に広がるのは僅か一月足らずで作られた、野戦飛行場の様な代物だ。若干の不安はあるが……まぁちょっと軒先を借りるだけだ。特に問題は無いだろう。
友樹は子供たちに向けて席に着くよう指示を出し、自身も腰を落ち着けて着陸に備える。
しかし待てど暮らせど、一向に着陸態勢に入る気配が無い。基地の上空を旋回しているだけである。
『なぜグルグルと回ってばかりいる。バターにでもなりたいのか』
友樹はバベルを使い、輸送機のパイロットへ声をかける。
『先ほどから基地に着陸の許可を要請しているんだが、一向に返事が無い』
今日この時間に友樹たちがやってくるという連絡は、スピネルから事前に行っているはずだ。そうでなくとも、仮にも軍事基地が上空を旋回する航空機に無反応とはどういう訳だ。
『揃ってスプラトゥーンでもやってるのか? おい、姫ちん』
こちらに視線を向けた銀子に対し、友樹は視線と顎先でコックピットを示して席を立つ。首を傾げる銀子を引っ張って立ち入ったコックピットでは、副操縦士が基地に対して懸命の呼びかけを行っていた。
「どんな様子だ」
友樹の声に、中年の機長が口ひげを歪ませながら肩を竦める。
「〈どうした、応答せよ。こちらスピネル所属SC―27 スパークメール。応答せよ〉」
無線機を操る副操縦士が苛立ち交じりにため息をつく。分厚いヘッドフォンを叩きつけるのも時間の問題だ。
「ファック! 誰も応答しやしねぇ!! 奴らバトワイザーの空き瓶でビルでもこさえたのか!?」
まだ若さの残る副操縦士が、乱暴に身体をシートに倒れこませながら吐き捨てる。二十代半ばと言った所か。未成熟さに任せた荒々しい口調だった。
「腐るなよ。呼びかけを続けろ」
「……イエス、ボス」
ふてくされた様な調子で副操縦士が応え、身体を起こして再びコンソールに指を掛ける。
「なになに? どーなってんの?」
「俺だって解んねぇけど、要するに締め出し食らってるって事だろ」
「勝手に着陸しちゃえば?」
「馬鹿言うな。罰金程度じゃすまねぇよ」
めんどくさー、と銀子が顔を歪める。その気持ちは友樹も同じだが、こればかりは致し方ない。自分の家に帰るのに、他人にドアを開けてもらわなければならないとは。まったく、面倒な事この上ない。
「ねぇ、ともちー。基地ってあれだよね? なんかバタバタしているみたいだけれど」
「あぁ? ……本当だな。何かあったのか」
銀子がコックピット右端の窓ガラスを指で示して声を上げる。まっすぐな滑走路の上には多数の車両が並び、銃器や弾薬やらをせわしなく積み込んでいる。ピクニックの準備という訳でもなさそうだ。
「おいおい、何やってんだ? あいつら。あれじゃ着陸なんてできないじゃ……」
機長が癖のように口ひげを指で撫でながらぼやく。だが、その言葉を言い終わる前に基地で異変が起きた。
飛行場の中で一際背の高い建物、管制塔から突如火の手が上がったのだ。少し遅れて砲撃音の様な重い炸裂音が友樹たちの耳に届く。
火の手は一つでは収まらない。滑走路の脇に並べられた巨大な倉庫の様な場所からも、次々に閃光と炎が溢れ出す。まるで爆撃でも受けているかのようだ。
「なんだ、テロ攻撃でも受けているのか!?」
「いやー、どうだろうねぇ。ともちー、よーく見てみ」
銀子に言われるまま、友樹は眼を細めて燃え盛る基地を睨む。滑走路の上では兵士が何者かに向けて発砲を続けている。その相手は――
「……戦闘用ドローン? いやでも、あれは米軍のヘルホッパーじゃねぇか。どういうわけだ? 内輪揉めって訳でもなさそうだが……」
米軍仕様の戦闘用ドローン〈ヘルホッパー〉は、機体上部に取り付けられた軽機関銃を乱射しながら縦横無尽に駆け巡る。そんな物が炎を上げる倉庫の中から蟻のように湧き出てくるのだ。何が起きているのかは定ではないが、基地の陥落は時間の問題と思われた。
「どうもこうもねぇぜ! 俺はあんなのに巻き込まれるのは御免だ!」
眉を顰める友樹に向けて、副操縦士が荒い声をぶつける。言い方はともかく内容は正しい。友樹は頷き、機長へ指示を出す。
「一旦引き返す。スピネルへは俺から連絡を入れておく」
「了解だ。俺もローストポークになるのは遠慮したいからな」
立派な腹をさすりながら、口ひげの機長が豪快な笑い声を上げる。
すっかりロウソクのようになってしまった管制塔を背に、輸送機は航路を引き返してアイランドの外を目指す。頭の中でこれから取るべき対応をあれこれ考えていた友樹であったが、その思考はあっさり妨害される事となった。
コックピットに鳴り響く警報音。危機を知らせる赤いランプが目に眩しい。
「レーダー照射!? ロックオンされている!」
副操縦士が顔を青くして叫ぶ。
「馬鹿な、アイランドの中だぞ!?」
スピネルに銃口を向ける。それは世界を敵にするという事と同義だ。そんな大がかりな自殺行為をする奴が居るだろうか? 一番あり得るのはテロリストによる攻撃か。
「ミ、ミサイルアラート!!」
失禁寸前といった表情で副操縦士が叫ぶ。無理もない。友樹だって恐ろしい。この足が地についていれば相手が戦車であっても恐れはしないが、航空機の中でミサイル攻撃などを受けてしまえば成す術がない。
「避けられるか!?」
「あちらさんの寝起きの良さ次第だな! 赤外線ジャマーオン! フレア展開!」
機長が慣れた手つきで次々にコンソールを操作していく。輸送機の後方から次々にフレアが射出され、白い翼の様な軌跡を描く。見た目は美しいが、これで惑わせるのは旧式の熱追尾式ミサイルくらいだ。攻撃が予想通りにテロリストの携行ミサイルによるものである事を祈るしかない。
しかし、祈りとは届かないから祈りなのだ。
「ミサイルの軌道が変わらねぇ! 直撃コース!!」
副操縦士の悲痛な叫びが響く。友樹の頬にも冷汗が伝う。
石油資源が失われ、時代の後退した現代の航空機に対空ミサイルを避けられるほどの機動性は無い。高出力エンジンモーターで半ば無理やりにプロペラを回して飛ぶ現代航空機は、航続距離が短く、また速度も遅い。
「うーん、なんかねぇ」
一同がこれから訪れるであろう悲劇に息を吞む中で、銀子が呑気な声を上げる。
「多分、大丈夫な気がするよ?」
男三人が恐怖の張り付いたままの表情で、銀髪の残念美人を見遣る。直後、凄まじい炸裂音と共に機体が大きく揺さぶられた。背後で子供たちが大きな叫び声を上げる。
爆発の残響が収まるのを待って、友樹はゆっくりと目を開ける。果たして、そこは死後の世界では無く、変わらず赤い光で満たされた輸送機のコックピットの中だった。
「外……れた?」
茫然とした様子で友樹が呟く。
輸送機を目指して真っ直ぐに飛来したミサイルは、しかし直撃の直前に軌道を逸らし、機体へギリギリ被害が及ばない距離で爆散した。意図的な自爆だ。
「飛翔距離を設定し間違えたのか……? ともあれ、助かった」
まるでそうしないと痩せてしまうとでも言うように、機長は両手でふくよかな腹を撫でて息をつく。だが、安心するのはまだ早い。ロックオン警報は解除されていない。
「次弾来たぞ! 真っ直ぐ向かってくる!!」
血走る瞳で副操縦士が見つめるのは、コックピットに配置された戦術電子戦システムの表示ユニットだ。丸い表示パネルの中央がこの輸送機で、その後方から近づいてくる光点がミサイルという事だろう。プロペラとジェット推進では速度差が歴然だ。直撃までの時間はいかほどか。
「どうする? 神様の気まぐれは二度も続かねぇぞ」
レストランでメニューを聞くような気軽さで、機長が友樹に言う。この状況で胆の据わった男だ。そのおかげで、友樹もいくらか心を落ち着かせる事ができた。
「おい姫ちん。何でも良い、案は無いか」
「そうだねぇ。アイランドから出ようとしたら撃たれたんだから、Uターンしてみたら?」
実に気軽な様子でそんな事を言う。あまりに馬鹿げた提案に副操縦士の理性が限界を迎えた。
「ざっけんじゃねぇ! 状況解ってんのかおめぇよ!! 頭湧いてるんじゃねぇのか!?」
「頭湧いているのはお前の方だよ。どうせこのままじゃ花火になるだけだろ。Uターンだ」
「はぁ!? 何だてめぇまで! 大体なんだよその紫の髪は! 時代錯誤なパンク野郎が――」
「黙れ!!」
なおも声を荒げる副操縦士を一喝したのは機長だった。
「情けない声を上げるな。やれることは全てやれ。神に祈るのは遺された者がする事だ。そう教えたはずだな?」
「…………。すいません」
「反省は基地に帰ってからだ。急旋回! 後ろの二人、何かに掴まれ!」
機長が操縦桿を操作し、機体が大きく傾く。強烈な負荷に胃が裏返る様な思いをしながら友樹は必死に耐える。
再び背後で子供たちの大きな悲鳴が聞こえた。背後、なのだと思う。もはや友樹には前後と天地の区別が付いていなかった。
友樹は視界の端で丸い表示パネルを見遣る。ミサイルは正確に輸送機を追尾し、光点は変わらず機体の背後につけている。
「(駄目、か……?)」
掻き混ぜられてぼやける思考で友樹はそう考えた。
ちらり、と隣で同じように高Gに耐える銀子を見る。その表情は信じがたいものだった。
「(……笑ってやがる……)」
まるで遊園地のアトラクションにでも乗っているかのように、銀子はこの状況を楽しんでいた。嬉しそうに声を上げて笑っているのだ。自身に危機が迫っていることなど、微塵も気にした様子が無い。
ならば、と友樹は思う。銀子が大丈夫と思うなら、それは大丈夫なのだ。普段から銀子の破天荒な行動には頭を悩まされている友樹ではあるが、銀子の直感には全幅の信頼を寄せていた。
やがて輸送機の機首が百二十度ほど転進し終えた所で、パネルの光点に変化が現れた。今までぴったりと友樹たちを付けていたミサイルが、ほんの少しずれたのだ。
そのままミサイルを示す光点は機体から逸れていく。いや、違う。もう追尾していないのだ。
急旋回を終え、機長が機体を水平に戻した辺りで、遠方で爆発音が轟いた。ミサイルが自爆した音だろう。ロックオンアラートもぴたりと鳴りやんだ。
「た、すかっ、た……?」
全力疾走をした直後のように息を弾ませて副操縦士が呟く。
「とりあえずな。だが、これは――」
「そう、だな。考えたくもない事だが……」
額に浮かんだ脂汗を拭いながら機長が口元を歪め、友樹もまた渋面を崩さず呟く。
その通りだ。危機は〝とりあえず〟過ぎ去っただけだ。
輸送機がアイランドから出ようとした直後に攻撃を受け、アイランドの上空に航路を戻すと同時にその手が止んだ。これは、つまり――。
「俺たちは、空に閉じ込められたんだ」




