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アゾットシリーズ  作者: 白笹 那智
アゾットⅡ -踊る水銀ー
33/46

都市構造とキッパニャーム

 深緑の高機動装甲車がアイランドを駆け抜けていく。内装に徹底的に手を入れ、ホテルのロビーを思わせる快適さを手に入れた穂積火蓮の愛車だ。その後ろには華村善次の駆る漆黒のオープンカーが低い唸り声を上げて付いていく。自慢のダブルエンジンモーターを持て余した、控えめな音色だった。


『おいユキ。ダンナの店はこっちじゃねぇだろ』


 バベルを介して華村の野性的な声が響く。


『今日は別のお店を予約してあるんだ。ダンナってば、予定があるとかでお店開けてないんだよ。赤ちゃんをお風呂に入れる為の講習を受けるらしいよ』


 しばしの沈黙。一同は岩を削って作った様な大きな手で怖々と赤子を抱え、慣れぬ手つきで風呂に入れてやる石花海の姿を思い浮かべ『似合わねぇ~!』と盛大に噴き出した。


『まぁこんなご時世に、明るいニュースが一つでもあるってのは良い事だな』


 言いながら火蓮がハンドルを切り、華村もそれにならう。


 普段はあまり通らない道に入った……はずだった。しかし幹耶の瞳に映る景色は、先ほどまでと大して変わり映えが無い。

 いや、いつもそうだ。立ち並ぶビルや商店に外見上の違いは多少なりともあるが、まるで一つのルールに従って作られたようにどこかに通っているのだ。


「どしたの? 今更興味深そうに外なんて見つめちゃって」


 食い入るように窓の外に視線を向けている幹耶の肩から、ひょっこりと真斗が首を伸ばす。


「……別に面白い物は無いわね」

「いや、アイランドってどこの通りも何となく似通っているなって……、つっ!?」


 心臓が跳ね上る。


 振り向こうとした幹耶の鼻先数ミリに、真斗の小さい顔があった。風呂上がり特有の仄かな香りが漂ってくる。

 長いまつげ、少し気の強そうなアーモンド形の瞳、桜色の柔らかそうな唇。どう控えめに言っても、美少女である。


 真斗は窓の外を見つめたまま、「似てる? そうかしら」と唇を動かす。その声の響き一つ一つが幹耶の心臓を揺さぶり、鼓動を速めていく。

 後数ミリ、その先に若い桃のように滑らかな真斗の頬がある。流石に唇は誤魔化しようもないが、頬くらいなら車体が揺れたせいにして口づけをしても良いのではないか。そんな思いが幹耶の心中を過った。


 それは天使の囁きか。はたまた悪魔の誘惑か。


「こら真斗―。ナイト様が困ってるよ」


 一人葛藤する幹耶。その思考に割り込んだのは目を細めてにやける雪鱗の言葉だった。真斗はその声に「んー?」と答え、あろうことか幹耶の方へ顔を向ける。

 はた、とその動きが止まる。二人の唇は指一本分も離れていない。真斗は状況を理解するまでにたっぷり三秒を要し


「っ――!?」


 そして、声も上げられずにそのまま固まった。


 狭い車内で身体を寄せ合う二人。真斗の細い吐息が幹耶の頬を撫でる。春風の様な暖かな感触に、もう一つ心臓が跳ね上がった。


 その時、高機動装甲車がマンホールに乗り上げた。ほんの少しだけ車体が揺れる。

 普段ならば気にもならないその振動。だが、今の二人にとっては決定的だった。


 二人の唇は車体が浮くのに合わせて少しだけ離れ、そして車輪が接地するのに合わせて引き寄せられるように近づき――


「「うぶっ!?」」


 二人の間に張られた、雪鱗のホワイトスケイルに思い切りぶち当たった。


「唇を同時にゲットだぜー」


 喉を揺らす雪鱗の言葉を遠く聞きながら、真斗と幹耶は口と鼻を押さえ、ツンとした感触に涙を滲ませる。


「ったく、さっきからラブコメしてんじゃねぇよ。昼飯を食う前に腹いっぱいになっちまう」


 火蓮の言葉に我に返った二人がそそくさと離れ、気不味そうに肩を縮こませる。その様子をバックミラーで見遣り、火蓮は小さく鼻を鳴らした。


「さっきの事だがな、似ていて当然だ」


 幹耶が顔を上げ、前方のシートに視線を向ける。それを見とめた火蓮が言葉を続けた。


「このアイランド・ワンはモノリスタワーを中心として十字の形に大通りがある。そしてそれを繋ぐ様にして、円状に細めの道路が幾つも走っている。射的の的を思い浮かべて貰えればいい」


 幹耶は言われたとおりに射撃訓練でいつも見ているターゲットを思い浮かべる。なるほど、イメージは掴めた。


「そうして都市を正確に区分けしている。建造物も特定のルールに沿って建てられている。街並みが一緒なんだ、建物が多少違っても見分けなんてつかないだろうな」


 火蓮の言葉に改めて外を見遣る。なるほど、言われてみれば目印になるような特徴的な建物が無い。高さや外壁の色に多少の違いはあれど、似たようなビルが幾つも折り重なっている。

 その微妙な違いこそが、むしろ他の区画との違いを曖昧にする。まるで建物そのものが都市迷彩のようだ。


「なぜそのような手間を。道路の形にも何が意味が?」

「セキュリティを考えた結果だね。守りに易く、攻めるに難し。路地裏だらけで、右も左も同じに見えるコンクリート・ジャングルはゲリラ戦に向いている」


 人差し指をクルクルと回しながら説明を引き継ぐ。


 雪鱗の言う事は幹耶にも解った。セキュリティとは、モノリスタワー防衛の事を指している。


 都市機能をモノリスタワーに一極集中させたアイランド。確かに管理面で利点も多いが、同時にリスクも大きい。万が一モノリスタワーが陥落するようなことがあれば、それだけでアイランドは機能停止に追いやられる。


 アイランドは主要各国の共同で作られたアゾット結晶の研究都市だ。しかし世界の全てがそのあり方に賛同しているわけではない。日夜繰り返されるテロリズムの脅威に対する警戒に加え、軍事的な攻撃に晒される場合も想定しなければならない。


 仮にアイランドが組織的な軍事攻撃に晒された場合、もっとも回避しなければならないのは、地上部隊による制圧だ。しかし独自の軍隊を持たず、戦力に乏しい〝スピネル〟にアイランド全域を防衛する事はできない。故に、致命的な急所を抱えるというリスクを覚悟で、モノリスタワーに全ての機能を集中させた。


「この都市構造なら、モノリスタワーを守るには四本の主要道路を押さえれば良い。スピネルは喧嘩弱いからね。攻められても、それを跳ね返すなんてできない。だから耐えに耐えて、援軍をひたすら待てるような構造になってるんだよ」


 道路にもちょっとした仕掛けがあるしね、と雪鱗が続け、金平糖を口に放り込む。


 アイランド・ワンは洋上に浮かぶフロートシティだ。陸との連絡は長大な連絡橋が一つのみ。万一敵の上陸を許したとしても、その数は多く無いだろう。敵軍の動きを制限し、尚且つ幾重にも防衛線を張れるこの都市構造は、確かに防衛に特化していると言える。


「でも、外周部には高速道路がありますよね」


 昼食前に菓子を口に詰め込む相棒の代わりに、火蓮が幹耶に応える。


「まぁ、アイランドは人が多いからな。物流ラインは重要だ。外周部をぐるりと囲む外環高速道路があって、最終的には的のような形の中央区に繋がっていく」


 再び幹耶は火蓮の言葉を元にイメージを練り上げる。浮かんだ図形は、どこか蜘蛛の巣のようだった。恐らくそう外れてもいまい。


「私は嫌いだなー、この道路。交差点で事故とかあると、すぐにあちこち渋滞するんだもん」


 シートに深く腰掛け、踵がつかない足をぶらぶらと揺らしながら真斗が言う。


「……あぁ、なるほど。事故の起きた交差点の先に行きたい場合、道を戻って大回りしないといけないのですね」


 モノリスタワーを十字に貫く主要道路も、大通りとは名ばかりの四車線道路だ。そしてそれを繋ぐ環状道路の感覚も些か広い。交差点が交通事故などで封鎖された場合、あっという間に全体が目詰まりを起こす。デモ行進により道路を一つ封鎖されただけで、真斗たちの元へ向かう消防隊の到着が大きく遅れたのもそのためだ。


 やがて深緑の高機動装甲車が、一軒の飲食店の前に滑り込むように静かに停まった。中央区のはずれにある、アイランドでは良く見かける作りの背の低い店舗だ。少し小さめの喫茶店、といった印象である。


「こんちゃっすー」


 気安い声を上げながら雪鱗が扉を開ける。それを迎える店員の言葉は歓迎のそれではなく


「き、来たぞ! 戦闘準備!」

「料理の準備はできています! 追加もいつでもいけます!!」

「よし、片っ端から料理をだせ!」


 という、鬼気迫る怒号だった。


「気合い入ってるねぇ。期待しちゃおうかな」

「ほどほどにしとけよ、ユキ。この店を過労で営業停止にするつもりか」


 巣を落とされた蜂のように動き回る店員たちを見て雪鱗は満足そうに頷き、火蓮はしかめ面でそれを(いさ)める。


 絶対防御のアーツ〝不貫(ホワイト)(スケ)(イル)〟を常に発動している雪鱗は、膨大なエネルギーを消費し続けている。故にカロリー摂取は彼女にとって生命線であり、食事は呼吸と同義だった。だが一度戦闘となれば思うように食事をする事はできない。だから、雪鱗は〝食べられるときに目一杯食べる〟。常人の想像を、軽く飛び越えるほどに。


 店中のテーブルを並べて大きな食卓を作り、その上座へお誕生日会の主役のように雪鱗が腰かける。幹耶も続けて店に入ってきた華村たちと共に食卓につく。


 事前に準備してあったのだろう、じっくりと焼き上げられた肉の塊がドンと食卓の中央に陣取り、香辛料の刺激的な香りと旨そうな脂の香りを辺りにまき散らす。その匂いを嗅いだだけで食欲が思い出した様に湧き上がり、幹耶の胃が空腹を訴えた。


 更に様々な料理が食卓に並べられていく。アサリの和風パスタ、マルゲリータピザ、麻婆豆腐、チンジャオロース、タンドリーチキン、パエリア、肉じゃが、とんかつ、冷麺、ビビンバ……。無国籍というか多国籍というか、とにかく品ぞろえが凄い。これこそが、雪鱗がこの店を選んだ理由なのかも知れなかった。


「お、なんだこれ。豆の……グラタン?」


 火蓮が大皿料理の一つへ取り分け用の大きなスプーンを突き入れ、声を上げる。持ち上げられたスプーンの上には、とろけたチーズの下に、茶褐色の豆類と植物の葉の様な物が折り重なった料理が乗せられていた。肉を使わない、グラタンとラザニアの中間といった印象の料理だ。


「ああそれ、キッパニャームって料理らしいよ」

「きっ……、なんだって?」

「ここのオーナーが小さい頃に、おじいちゃんの友達から聞いた料理なんだってさ」


 一体、いかなる仕組みなのだろうか。次から次へと口へ料理を放り込み、それでも平然と雪鱗は会話を続ける。


「どこの料理だろうな。見たことも聞いたことも無い」

「さぁねぇ。教えてくれた人の国籍もはっきりしないみたいだし、解らないな」


 火蓮は自分の皿に取り分けたキッパなんちゃらを興味深そうに見つめ、口に運ぶ。そして片眉を上げ、不思議そうに首を傾げた。旨い、と言えるようなものでは無いらしい。

 キッパニャームの味も気になるが、雪鱗の食べっぷりの方に幹耶は目を奪われていた。


 料理はひっきりなしに運ばれてくる。それでも食卓から溢れ出さないのは、一皿の料理を運んできた店員が、開いた皿を二つか三つ下げていくからだ。まず、全然噛んでいない。雪鱗の口に運ばれた料理は、次の瞬間には消えている。一体どうなっているのだ。あの口の中は暗黒空間だとでも言うのか。


「いつも凄いけれど、今日は特に良く食べるわねぇ」


 真斗の言葉に幹耶は心から同意した。清掃部隊の面々と食事をすることはよくあるし、雪鱗の食べっぷりを目の当たりにするのも初めてでは無い。だが、今日のそれはいつも以上だった。


「最近慌ただしいじゃん? またちょっと荒れるんじゃないかと思ってさ。まぁ、食い溜め?」


 腹の中に食糧庫でも構えるつもりなのだろうか。次々に運ばれてくる大皿料理は、それ以上の速度で雪鱗の胃に納められていく。


 雪鱗は女性にしては身長もある方だし、肉付きだって悪くない。だが身体は全体的に引き締まっているし、きっと腹部にはすっと線が走っている事だろう。いくらホワイトスケイルが過度にエネルギーを消費するという欠点を抱えているとはいえ、あれだけの食糧がどこへ消えているのか、幹耶には不思議でならない。


「ユキが食い溜めをするときは面倒事が起きる前兆だ。ルーキーもしっかり食っておけよ」


 経費で落ちるから遠慮するな、と華村が幹耶に歯を剝いて見せる。しかし前兆って。地震を予知するナマズか何かですか。


「ほら。手をこまねいていると食い損ねるぞ」

「あ、ありがとうございます」


 火蓮が意外な面倒見の良さを見せて、幹耶へパスタを取り分けてやる。魚介とトマトのペスカトーレと言うらしい。魚介のコクと旨み、そしてトマトの酸味が合わさって実に味わい深い。太めのパスタとの相性も良く、幹耶の舌を躍らせる。


 一度食べ始めると止まらなくなるものだ。幸い、様々な料理を選び放題である。雪鱗に食べつくされる前に取り分ける事ができれば、であるが。


 幹耶は初めから気になっていた食卓中央に鎮座する肉の塊を切り分け、自分の皿に盛る。どの料理も魅惑的だが、やはり肉だ。幹耶は食にこだわりを持つタイプでは無いが、滴る肉汁と脂の誘惑に抗う術もまた持っていない。口にする事ができるのであれば優先的にそれを選ぶ。それは当然の様な顔をして隣に腰掛けた真斗も同じようで、先ほどから肉料理ばかりを食べている。というか、肉しか食べていない。真斗の皿には食い尽くされたスペアリブの骨が山積みになっていた。


 真斗が一二本目のスペアリブに齧りついたところで、鐘の音をあげて店の扉が開いた。他の客来店したようだ。


「すみませんお客さーん! 今日の昼は貸し切りになってましてー!」


 慌ただしさの極みと言った様子の厨房から、皿の擦れる音と共に店員が声を上げる。しかし客はその説明では納得がいかなかったようだ。


「あぁ? 貸し切りだぁ? 俺は聞いてねぇぞ」


 入口に立つ男が苛立ちを隠さずに吐き捨てる。どこの誰だか知らないが、高慢な客もいたものだ。


「仕方ないですよ隊長。他所にいきましょ」

「ざっけんじゃねぇ。俺はここのキッパニャームが食いたいんだ!」


 またキッパニャームか。この店の名物なのかもしれない。だが幹耶は〝隊長〟というフレーズの方が気になった。それは真斗も同じだったようで「んむ?」という声を上げて出入り口を見遣る。


「げっ」


 真斗の口からそんな言葉が漏れ出る。見れば、店の出入り口で気炎を上げる男は都市迷彩の野戦服に身を包み、その肩には三本の爪痕が走る盾の部隊章が縫い付けられていた。スピネル実働部隊の一つ、警備部隊のものだ。


「……清掃部隊の奴らじゃねぇか。おい! 人外どもに出す餌はあんのに、俺たちが入れねぇとはどういう了見だ!!」

「ど、どういうと言われましても……」


 真斗と幹耶たちの姿を見とめた男が声を張り上げる。駆けてきた店員に今にも掴みかかりそうな勢いだ。後ろで見ている部下たちもニヤニヤと笑うだけで、止めようともしない。


 そんな喧噪の中にあっても雪鱗は構わずに食事を胃に流し込んでいるし、華村も「おら、メロンも肉食って少しは筋肉つけろ」と、嫌がるキャメロンの口にフォークを突っ込んでいる。火蓮などは昼間からビールをジョッキで吞んでいた。いつの間に注文したのだろう。


 反アンジュ運動など無くとも、元よりアンジュは嫌われ者だ。この程度の嫌味は日常茶飯事である。特に警備部隊は施設への被害を顧みずに目的遂行を最優先させる清掃部隊を敵視している者が多く、そりが合わない。

 好きなように言われてもちろん良い気はしないが、いちいち相手にしていてもキリがない。それを清掃部隊の面々は十分に理解していた。


 だが、真斗だけは納得が行かないと言った様子でぶすくれている。真斗も嫌味を言われることは慣れっこであり、毎度ご丁寧にそれを相手にするつもりもない。しかし、家族当然に大切に思っている清掃部隊の仲間たちを小馬鹿にされる事は看過できないようだ。


 とはいえ、相手も直接突っかかって来る訳では無いし、仲間たちも気にしていない。そこへ自分一人が怒りを露わにするのは憚れる、という事らしかった。その理性は隊長としての矜持であるが、直情的なきらいのある真斗には辛い試練であるだろう。苛立ちを手元のスペアリブにぶつけるように、思い切りかぶりついた。


 なおも男は店の入り口で騒いでいる。そんな(やく)(だね)を座らせるわけにはいかない、と店員は懸命に対応を続けているが、どうも埒が明ないようだった。


 食事を運ぶ店員の手が止まったことで、食卓には空になった皿が目立ち始めた。そうなれば、雪鱗の食事も滞る。手持無沙汰になった雪鱗が口元を紙ナプキンで拭いながら、店先で騒音を上げ続ける警備部隊の五人をちらりと見遣り――


 スッ、と目を細めた。


 食卓に冷えた緊張感が走る。雪鱗は食事の邪魔をされることを何よりも嫌う。猛獣も真っ青なほどに。幹耶も、それは良く知っている。


 丁度一週間前の事だ。早朝、アイランドが早起きなテロリストから攻撃を受け、商業区の一角で銃撃戦が始まった。とはいえ、市街地でのテロリスト掃討は警備部隊と調査部隊の管轄である。普段なら幹耶たちには関係のない事であった。


 しかし、その時は銃撃戦の起きた場所がまずかった。雪鱗と火蓮が軽い朝食をとっていた飲食店の目の前だったのだ。


 雪鱗と火蓮がテロリストと交戦を開始した、という報告を受けた真斗と幹耶は応援として現場に向かい――そこで、地獄を見た。


 血と脂と臓物で赤黒く塗りつぶされ、朝日を受けて怪しくぎらつく街並みが記憶の片隅から顔を覗かせた所で、幹耶は頭を強く振ってそれを打ち消した。思い出してしまえば食事どころではなくなる。


 もはやのんびりしている場合ではない。そして、それは他の面々も同じ思いだったようだ。火蓮と華村が腰を浮かせ、キャメロンは雪鱗の前に自分の食事を並べて理性を求めた。餌付け、という言葉が幹耶の脳裏に浮かぶ。


「おぉい!! おめぇらも澄ましてんじゃねぇぞ! 好き勝手暴れるだけのバケモンが人間様の振りしてんじゃねぇ!!」


 どこにでも空気の読めない奴というのは居るものだ。そして、それが危機を招くこともある。


 筋違いの怒りで顔を真っ赤に染めた警備部隊の隊長が、店員の制止も聞かずに食卓の前に歩み出て、その上を腕で払った。

 フォークや皿がぶつかり合う甲高い音を上げながら、料理が宙を舞う。そして耳を劈く轟音と共に、床の上で砕け散った。


 あわわ、とキャメロンが顔を真っ青にし、火蓮と華村は額に手を当てて大きくため息をついた。自分の仕出かしたことを理解していない警備部隊の愚か者たちは腹を抱えて笑っている。


 雪鱗は俯き加減のまま、口に運びかけていたステーキの切れ端をゆっくり咥え、時間をかけて咀嚼する。普段は見せないその行動が、幹耶の恐怖を駆り立てる。


 やがてごくり、と音を立てて肉を飲み込み、雪鱗がゆっくりと顔を上げる。


「せ、雪鱗さん落ち着いて! ここじゃ迷惑が掛かりますから、とりあえず店を出ま……」

「どわっせぇぇぇぇい!!」

「ぶげぇほぉ!?」


 雪鱗の眼前を暴力の突風が吹き抜ける。真斗に蹴り飛ばされた警備部隊の隊長は無様に吹き飛び、店の入り口でにやけ面を晒していた隊員たちに突っ込んだ。


 真斗は小柄だが、そのアゾット結晶により増幅された膂力は常人では及びもつかないほどだ。そんな真斗に思い切り腹を蹴り飛ばされた男は、膝をついたまま俯いてえずいている。


「ふざっけんじゃないわよ! 食事の邪魔だけでも頭に来てたのに、人にパスタぶちまけやがってー!! こちとらシャワー浴びたばっかなのよ!? 真っ黒の次は真っ赤かコノヤロー!!」


 握り拳を震わせながら真斗が叫ぶ。呆けた様子でそれを見ていた雪鱗が、堪らないといった様子で噴き出した。華村たちも壁に顔を向けているが、その肩は小刻みに震えている。


 真斗の頭の上には、大盛りのミートソースパスタが乗っかっていた。弾き飛ばされた料理をまともに頂戴したらしい。


「な、何しやがんだこのちびっ子!」

「うっっっさ――――い!!」


 駆け出した真斗が、そのままの勢いで跳び蹴りを繰り出す。コンクリートの壁をも破壊する威力を秘めたその跳び蹴りは、店の入り口で固まっていた警備部隊の隊員達をまとめて外へ吹き飛ばした。


「こっのっミートソース野郎!! もう容赦しねぇぞ!!」

「上等よ! かかってこい三下ども!!」


 火蓮と華村は首を振って肩を竦め、雪鱗とキャメロンは床に転がらんばかりの勢いで大笑いしている。幹耶は困惑する店員たちに頭を深々と下げ、外で大立ち回りを演じる真斗を見て大きくため息をついた。


 とりあえず惨事は避けられたようだが、平和とは程遠い。まったく、清掃部隊に入隊してから向こう、ずっとこんな調子だ。


「まったく。退屈する暇もありませんね」


 困ったような笑顔を浮かべ、幹耶は口の中で小さく呟く。


 ふと、食卓の端で生き残った一枚の皿に目が留まる。火蓮が取り分けたキッパニャームの残りだ。都合の良い事にスプーンもある。


 幹耶はそれに手を伸ばし、どんなものかと口に運ぶ。

 そしてその不思議な味わいに、深く大きく首を傾げる事となった。


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