アイランドと金平糖
実験都市 《アイランド》
口に出せば漫画かアニメの話でもしているのかと思われるのだろうが、それは七つ存在する大アゾット結晶を柱として世界五か所に建造された実在する都市だ。そして南アフリカ沖に六番目のアイランドが建造中である。
アイランドは特定の一国が作り出したものではなく、国際連合の主導のもとで大きく分けて二つの目的の為に多数の国家が共同で作り出した。
一つは世界に溢れる孤児や難民などの生活困窮者を効率的に管理、保護するための都市。
そして第二に期待のエネルギー増幅結晶体の研究、そして実験の為の場として世界が本当に初めて手を取り合って作り出された。
「千寿幹耶、男性、一六歳、血液型A、アンジュランクB+、アーツは切断型で能力名《アンサラ―》……ね。へぇ、先天的アンジュなんだ。それでこれだけ高レベルなのは珍しいねぇ」
人通りの全くない寂しい街を場違いな高機動装甲車が走り抜けていく。その車内で雪鱗が後ろを振り返らずに幹耶に話しかける。
「はい。その内容で間違いないです」
「いいなぁ、アンサラ―。〝神剣〟かぁ。洒落た名前つけて貰ったじゃないー。私なんて〝ホワイトスケイル〟だよ? 名前のまんまじゃん? もう少し捻って欲しかったなぁ」
「は、はぁ……」
天白雪鱗。白と鱗。ホワイトスケイル……。なるほど、そのままだと幹耶は思った。ともすれば少々恥ずかしいくらいにストレートだ。決して口にはできないが。
「まぁ、とりあえずはようこそ。君はアイランド・ワンに来るのは初めてだったよね。と言ってもまだ入り口にも着いていないけれど」雪鱗が後部座席に首を向けながら幹耶に語りかける。「街については事前研修とかで聞いていると思うけど、生活に必要以上のものが揃っているよ。そこらの地方都市なんかよりはよっぽど都会だね」
「都会どころじゃねぇだろう」火蓮がハンドルを握って前を見たまま言う。「アイランドは最先端技術の塊で、実験場だ。外より十年は進んでいるだろうな」
「最先端過ぎて危険ばっかりだけどね。安全確認をするためにここで使ってみるんだから。別名〝魔女の釜〟とはよく言ったもんだよ」雪鱗が肩を竦めて笑う。
「魔女の釜、ですか。そういえば〝外〟ではアイランドについていくつか都市伝説めいたものがあるのですが、その一つに〝アイランドには魔女と怪物が居る〟というものがありましたね」
「へぇ、都市伝説……ねぇ。案外、馬鹿にできないものだね」
雪鱗は何かに納得するように小さく何度もうなずく。
「そういえば、アイランドではアゾットの研究をしているんですよね。でもアゾットって発電機みたいなものだと思うのですけど……。こんな大がかりな街まで作って、一体何を研究しているのですか?」
「うん? 研修とかで聞いてない?」
雪鱗が首をかしげる。それに対して幹耶は首を横に振って答えた。
「研修なんて実にあっさりしたものでしたよ。居眠りする暇もありませんでした」
「あっははは。それは難儀な事だね。うーん、一言で言うのは難しいんだけど……」雪鱗は腕を組んで唸る。「まずアゾット結晶は発電機じゃなくて、あらゆるエネルギーを単純に増幅させる結晶体だよ。それ自体が発電している訳じゃないんだよね」
「単純に、増幅」幹耶がそのまま繰り返す。言葉の意味を飲み込もうとするのだか、どうにも巧くいかない。
「うん。簡単に言うと……たとえば電力なら、単三乾電池一本ではおもちゃの車を動かすのが精々だけど、そこに小指の爪程度のアゾット結晶を仕込んでやるだけで、本物の車を走らせることが出来るようになるんだよ」
「……そんな極端な話があるものでしょうか」
「昔、佳賀里誠二って博士が七つの大アゾット結晶――通称 《マザーアゾット》を発表したときは誰もがそんな反応だったらしいよ。ああ、また頭のネジがダース単位で飛んだ奴が出てきたなぁ、って」雪鱗がカップをあおる。あたりに濃密な甘い香りが漂った。「でもそんな馬鹿げた話が本当の事なんだって解った途端に、誰もが獲物を見つけた猫の様に飛びついた。深刻なエネルギー問題を解決する糸口になるってね」
世界は石油でできている。
世界中の経済活動は石油資源を抜きには語れない。そして生活の基本である衣食住の生産、運搬、消費、廃棄の全てに石油が全く関わらないという事はあり得ない。人類は石油無しにその生活を維持する事はできない。
代替エネルギーの開発が一向に進まなかったのも、石油は枯渇する事のない無限の資源だと言う意識が前提にあったからだという事は否定しきれない。それゆえに〝こんな技術を開発しました〟というパフォーマンスにとどまり、採算が取れるほどその技術を突き詰める事も無かった。
太陽光や風力発電などの再生可能エネルギーにしてもそうだ。歴史的な原子力発電所の事故で、原子力は人類にはコントロール不能なエネルギーなのだという事を思い知らされてからしばらくは随分ともてはやされていたが、それもすぐに下火になった。初めから限界が見えていたからだ。家庭レベルの電力を補うには十分だろう。しかし世界の経済活動を支えるとなると、蟻の一押しほどの力もないのだ。
世界は石油でできていた。
だからこそ、その前提が崩れたとき、世界ありかたもまた根底から崩れ去る事になった。
今から約二十年前、世界中のあらゆる油井で原油の採油量が突如大きく減少した。
しかしこの異常事態を前に人類の反応は酷く鈍かった。一度枯渇した油井からもしばらくすれば再び採油が可能なのは知れたこと、だからこの異常事態も一時的なものでいずれ元通りになるだろうと、祈りにも似た希望的観測で目を伏せた。
だが、現実はとてつもなく残酷で過酷だった。
急激に全ての油井が枯渇し、新たな石油資源を手に入れる事ができなくなると世界はあっという間に混沌と混乱の坩堝に成り果てた。
「石油資源が失われ世界経済は窒息し、完全失業率が三十パーセントを超える異常事態に加えて、あらゆる物価が急上昇した。困窮した人たちは何とか生き延びようと犯罪にすら手を染めるようになる」雪鱗が窓ガラスを指で撫でながら言う。「何が切っ掛けだったかは諸説あるけど、ある日不満が爆発して東京で大規模な暴動が起こった。そして水面の波紋のように広がり、やがて大きな波になった。そして日本全土は暴力の津波に飲み込まれた」
雪鱗がどこからか小さい袋を取り出し、中からとげとげした飴玉の様なものを二つ口に放り込んだ。
「だけどねぇ、大災害にみまわれても互いに協力し合って乗り切ろうと頑張る日本人の事さ。通常ならここまでの事にはならないはずだった」口をもごもごとさせながら雪鱗が言う。「世紀末みたいな光景を作り出す羽目になったのは、暴動を抑える力が無かったからだね。なんていうか……希望、って言えば良いのかな。ようするに〝何とかなるだろう〟という気持ちになれなかったんだよね。誰も。まぁ日本はマシなほうなんだけどね。暴力の津波は世界中で猛威を振るった」
暴動を鎮圧させるもの、それは希望である。
今日を生きる糧も無いのに畑に種を蒔く者は居ない。そんなことをするのは明日が約束されている者だけだ。飢え、渇き、地面を這いつくばるものにとって〝明日〟という言葉はあまりに遠い。ゆえに人々は奪い合う。限りある、遠い未来を手にするために。
「そんな世紀末覇者でも現れそうな時代に救世主の如く現れたのが、アゾット結晶と言う訳だよ」こほん、と一つ咳払いをして雪鱗が間を整える。「世界規模で広がった暴動を抑えるためには人々に希望を示す必要があった。そこへ担ぎ出されたのが突如として現れたエネルギー増幅結晶体 《アゾット》。普通ならこんな疑わしい物は鼻で笑われておしまいなんだけれど、その解りやすい奇跡は人々の心を引き付けるのには十分だったし、実際に力もあった。世の権力者たちはこのアゾットを使って経済の立て直しを図った。エネルギーの生産。電力の増幅さ」
「巧くいっている、とはお世辞にも思えないですけれどね……」
「まぁ……ね。君も知っていると思うけれど、電力だけあっても流石に元通りって訳には行かなかった。それでも一部の富裕層の生活は安定して雇用が生まれ、経済は上向き始めた」雪鱗が肩を竦める。「そうなると次に国が目指すのが国家の権力、低下した軍事力の回復と言うわけで、そこでもう一度注目を集めたのが」
雪鱗が少し体を回して幹耶に目を向ける。教師役にでもなったつもりなのか、幹耶に質問の答えを言わせようということらしい。
「……アゾット結晶、ですか?」
会話の流れから推察するに答えは明らかなのだが、それがどう繋がるのが理解できなかった故に自信なさげに幹耶が答える。
「イエース、その通りだよ」雪鱗が冗談めかして言う。「自家用車や運送トラックくらいなら電気でも動かせるし、電気航空機なんてものまで開発されたけど、兵器はどうしても電気では動かせないんだよね」
「そうですかね……」首をひねりながら幹耶が答える。「空を飛べるほど大出力なら、戦車くらいでも動かせそうですけれど」
「確かに、走らせるだけならそれでも良いんだけどね。でもアゾット結晶の数には限りがある」雪鱗が飴玉の様なものを再度口に放り込む。「戦地で補給をするときにガソリンなら補充するだけで良いのだけど、バッテリーの充電となると時間がかかるし、そもそも部隊の展開先に電気がある保証もない。だから充電したバッテリーを持ち込んで、次に交換するまでに再充電して使いまわす――と言うのは限度も不安もある。まさかソーラーパネル担いでいくわけにも行かないしね。あてにできないし、良い的だよ」
「自然エネルギーを使って現地で発電しようにも、気象に影響されるので不確定要素が多すぎる、と言うわけですね? くわえてバッテリーは重量がある上に扱いも慎重にしないと使えなくなってしまいますからね……」幹耶が腕組みをしながら答える。
「そうそう。それに替えが効かないから、失われればそこから動けなくなっちゃうしね。だから小型軽量で充電の必要がないほど大容量、尚且つ空も飛べるほど大出力なバッテリーが求められた。そのためにはどうしてもアゾット結晶の増産が不可欠だった」
雪鱗がくるりと体の向きを変え、助手席のシートを抱きかかえるようにして幹耶の方を向いた。火蓮の「きちんと座れ。危ねぇぞ」と言う声にもお構いなしだ。
幹耶は違和感のようなものを覚えて考え込む。口の中で食物を丁寧に噛み砕き、舌で異物を選り分けるように雪鱗の言葉を反芻する。そして
「……そこまで面倒なら、別に電気に拘らなくても良いのではないですか?」ぽつりとそういった。「そんな空想じみたものを追いかけるよりも、液化天然ガスなどをより安全で効率的に運搬する方法を探った方がよほど良さそうですけど」
幹耶のその言葉に雪鱗は頷いて見せる。
「もちろんそういった研究も捨ててないよ。だけど、それでもアゾットの研究は止めなかった。それどころか世界中が手を取り合って、莫大な費用をかけてアイランドなんてものまで作り出した。なぜか解るかな?」
「それは……」
幹耶は視線を落として考え込む。雪鱗はその様子を楽しげに見つめていたが、やがて時間切れと言わんばかりに、刺々(とげとげ)しい形をした飴玉を幹耶の口に押し入れた。
「んぐっ!?」
突然の行為に幹耶は目を丸くする。白く細い指が自分の唇に当てられたままなのに気が付くとさらに動揺し、頬がかっと熱くなった。
慌てふためく幹耶を、雪鱗は悪戯に成功した子供の様な無邪気な笑顔で見つめている。そして
「それは〝夢〟だよ」
「……ゆ、夢?」
顔を逸らして唇を解放した幹耶が聞き返す。早まった胸の鼓動は収まらない。
「アゾットには可能性がある、未来がある、未知が詰まっている。たとえそれがパンドラの箱だったとしても。考えても見てよ。現状、人類は自らの力でエネルギー生み出すことにはただの一度も成功していない。今あるエネルギーは全て自然から取り出したものだよ。だけどもし、僅かなエネルギーでも実用レベルにまで増幅する事ができるアゾット結晶の実用化に成功すれば――、人は地球から自立できる。それは人類の夢だよ」
「(夢……ね。酷い言い方もあったもんだ)」
幹耶は心の中でぼそりと呟いた。富める者たちがその夢を追いかけるその足元で、弱者は踏みにじられ続けている。天へ伸ばした両の腕を、片方でも足もとに差し向ければ救える命がいくらでもあろうに。
「とまぁ色々言ったけれど、根本的な問題が一つある。それは幹耶くんも知っていると思うけど……」
「アゾット結晶は、人の手で作り出せない」
今度は間をおかず幹耶が答える。
「そうなんだよ。唯一製造法を知っていた佳賀里博士は、それを誰にも言わないままにアゾット結晶の増幅限界実験中の事故で死んじゃったしね。もし製造法を遺してくれていたら、あらゆる問題が一気に解決したのに……」
「なぜ誰にも言わなかったんでしょうね。金も名誉も思いのままだったでしょうに」
「さぁ、ね。研究者の性って奴なんじゃない? よく知らないけれど」雪鱗はつまらなそうに唇をゆがめる。「現在は佳賀里博士が存命中に作り出した小さなアゾット結晶を世界で分け合う事で均衡を保っているけれど、すぐに足りなくなるって事でアイランド・ワンではアゾットの製造方法を中心に研究しているってわけ。後は軍事利用とか」
「ちなみに、全部でいくつくらいあるのですか?」
「ん? 一億くらい? もっとかな」
「めちゃくちゃ多いじゃないですか!」
幹耶は思わず突っ込みを入れるが、対する雪鱗の反応は冷ややかなものだった。
「何言っているの。世界中であらゆる事に使おうって言うんだよ? 全然たりないよー。大きさも増幅限界もまちまちだし」雪鱗がため息をつく。「と言う訳で注目しているのが、これ」
雪鱗はそう言って右手首を幹耶に向ける。そこには純白の美しい宝石のような結晶が埋め込まれていた。
「何が言いたいか解るよね。人の手では作り出せないアゾット結晶を身に宿す存在。つまり、アンジュの研究だよ」
幹耶は首の下、鎖骨の間辺りに指を這わせる。そこには雪鱗の物とは違った、透き通った蒼い結晶が輝いている。
「アンジュを研究って、一体何をしているんですか?」
戸惑うように幹耶が返す。口の中に溶けだした飴玉の甘味で喉が焼ける様だった。
「一言で言えば、アンジュが生み出されるプロセスを解明して意図的に生み出そう! という事らしいけれど、アゾットの研究自体が進んでいないからねぇ。難航しているみたいだよ。そもそもアンジュがどういった存在か、幹耶くんは言葉で説明できる?」
「そ、それは――」
幹耶は言葉を詰まらせる。自分自身の事ではあるが、改めて説明しろと言われてもとっさにできるものではない。
「アゾット結晶が増幅するのは何も電力だけじゃない。火力、水力、光量……条件さえ揃えばあらゆるものを増幅する。極めつけに、不安定で形が無くて、それでいて誰もが当たり前に持っている物まで増幅してみせる」雪鱗は拳を作って胸を叩く。「人の想い、だよ。意志って言った方が正しいのかな、この場合。君なら〝斬る〟私なら〝防ぐ〟。そういった個人の中で最も強い特定の意志を増幅して現実に奇跡を起こす。それがアンジュだよ」
「じゃあ、もしアゾット結晶を人に埋め込んだとしたら、どうなりますか?」
「んー? 適応性が無いのに体内に埋め込んだりすると、色々と無駄に増幅されちゃって大変な事になるらしいよ」
「色々、ですか?」
「そう、色々。血流とか新陳代謝とか何かそんなの? ともかく原型を留めないような有様になるらしいよ」雪鱗がパッと両手を広げる。その動作が何を意味するのか幹耶は考えたくなかった。「適応性がある人間自体が少ないし、アゾット結晶を宿すほど適応性が高いのは一握りらしいねぇ。今居るアンジュは、全員が自然発生的な存在だよ。生み出す事には成功していない」
「……」
「ようするに、アゾット結晶を体内に宿し、奇跡を起こす存在を《アンジュ》と呼ぶと言った所だね。アイランドでも人類のアウトサイダーな立場だけど、外ほどの酷い扱いは受けない……と思うから安心して良いよ。と、そうだ。話は変わるけれど、市街地についたら――ん? なに火蓮、仕事?」
雪鱗は「後でね」と言い、火蓮から渡されたタブレットパソコンの画面を難しい顔をして見つめ始めた。急に会話を打ち切られた幹耶は戸惑ったが、なすすべもないので黙っている。
なんとなくすっきりしない。幹耶はそう感じていた。アイランドについて一応の知識は得たが、解った事と言えば、よく解らないという事くらいである。
しかし、幹耶には、そもそも何を知らなくて、何を知りたいのかという事すら判然としないのだ。解らないという事が解ったと言うだけでも、ある意味では前進したのだろうか。あるいは幹耶の口の中で転がる飴玉のように、雪鱗はただ会話を転がして楽しみたかっただけで、自分はそれに付き合わされただけかも知れない。
いずれにせよ特別焦る事も無い。そう幹耶は考える。たとえこれから向かう街がどんな所であろうとそこから逃げる事はできないし、そのような気もない。そもそも他に行くあてもない。
「アイランド・ワン。〝魔女の釜〟か……」
幹耶はそうつぶやくと、細くため息をついた。
ルームミラー越しの雪鱗の鋭い視線には、気が付いていなかった。