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アゾットシリーズ  作者: 白笹 那智
アゾットⅡ -踊る水銀ー
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世界情勢と不器用な優しさ

 人類は石油資源を失った。


 ある日突然に新たな石油資源を手に入れる事ができなくなり、社会の血液を失った人類は、その文明を大きく衰退させる事となった。


 あらゆる経済活動は窒息し、人々は理性を失った。

 頼みの綱の電力も生活の全てを支えるには遠く及ばず、特に石油による火力発電に頼っていた国々は国家機能の維持ですらままならなくなった。

 石油資源。たった一つのピースが外れただけで、いとも容易く世界は終わりを迎えたのだ。


 しかし、救いの光もまた突然にもたらされた。

 とある日本人科学者が見出した、あらゆるエネルギーを膨大に、かつ純粋に増幅する事ができる夢のエネルギー結晶体〝アゾット結晶〟。その解りやすい奇跡に人類は飛びつく。


 だが、アゾット結晶は重大な公害を撒き散らした。


 アゾット結晶によりエネルギーを増幅した時に生み出される、緑に輝く光の靄〝ダスト〟。それに長期間身を晒し、かつ適正を持ち、加えて〝世界に絶望〟した人間を、二つの異形に作り変えてしまうのだった。


 一つは人の姿と理性を失った公害の獣、〝ポリューション〟。

 黒く濁った〝粗製アゾット結晶〟を体内に生成し、人と人外の境界を飛び越え、世に害をなさんとする(こう)害獣(がいじゅう)


 もう一つは人の姿を保ち、異能の能力(アーツ)を手にした存在、〝アンジュ〟。

 様々な色や形のアゾット結晶を身体に宿し、世界を作り替えんと力のイメージを現実世界に上書きする異能力者。


 いずれにせよ、人類を異形の者へ作り変えてしまう魔性の結晶体、アゾット。

 しかし、既にその恩恵に頼り切ってしまっていた人類にはその輝きを捨てる事はできす、苦肉の策として一つの方法を取る事になった。


 大アゾット結晶、《マザーアゾット》を柱として、アゾット技術に関する様々な研究を行う実験島、《アイランド》を世界各地の洋上や砂漠の真ん中に作り上げた。そして、そこで増幅された電力は世界各地に振り分けられる。


 つまり、ただ遠ざけたのだ。


 だがそれで〝ダスト〟の問題が解決するわけではない。その対策として世の権力者たちが選んだ方法とは、生活弱者をダストの〝フィルター〟としてアイランドに押し込める事だった。


 多くの弱者は〝アイランドの外〟に放置され、幾らかの弱者は生活を保障される代わりにフィルターとして利用される。


 世界に絶望しポリューションに成り果てれば、同じ異形であるアンジュにその〝清掃〟をさせ、フィルターの数が減れば、外から別の弱者を引っ張って押し込める。そして、一部の権力者は増幅された電力の恩恵だけを受け取る。



 その歪んだ構図こそが、現在の世界の姿だった。



            ■



 アイランド・ワンの中心にそびえ立つ、この街の象徴である巨大建造物、《モノリスタワー》。その最上階は雲の上。そしてそこには、アイランド・ワンの要石である桃色のマザーアゾットが今日も輝きを放っている。


 モノリスタワー六十三階にある居住スペースは、幹耶たち清掃部隊の専用フロアだ。その中にあるコミュニティルームのソファーに腰かけて、清掃部隊の新人清掃員、千寿幹耶が難しい顔をしている。


 幹耶が目にしているのは、脳を直接ネットワーク接続させるブレインマシン・インターフェイス《バベル》により、直接網膜に映し出されたネットニュース。そして、見出しはこうだ。


〝反アンジュ運動激化〟


 人々がアンジュを迫害するのは今に始まった事ではない。アンジュに対する迫害が先か、アンジュがその〝能力〟を使用して人々から略奪を始めたのが先か、それは定かではない。だが人々はアンジュの力を恐れ、迫害し、または支配しようとした。個々の力は高くとも、圧倒的に数で劣るアンジュたちは人々から逃げ、隠れ、息を潜めて生きる生活を強いられてきた。


 そうして人々に対する憎しみを募らせながら成長したアンジュの多くは、アゾット結晶により強化された身体能力と異能を駆使して略奪行為に走る。 


 その存在に恐怖する人々は、まだ力の弱い子供のうちにその芽を摘んでしまおうと、アンジュの子供達を〝狩る〟。当然、大人のアンジュたちはそれを阻止しようと剣を手に取る。


 〝正義〟とは〝数〟だ。立場が変われば正義も変わる。世の人々とアンジュのそれぞれに正義があり、どちらが正しいかはそれを唱える数で決定される。

 結果、全ての悪はアンジュに背負わされ、人々の不満の捌け口になっている。


「何を難しい顔をしている。エロサイトでも見てんのか」


 華村が笑いながら、足の短いテーブルを挟んだ向かい側のソファーにどっかりと腰かける。


「どうして難しい顔からそっちに繋がるんですか。ニュースですよ」


 ああ、と華村は眉根を寄せながら苦笑いを零す。


「どのサイトのどのニュースも〝反アンジュ〟関連のニュースばっかだろ。んなもんより、丸くて柔らかいアレを見ている方が為になると思うぜ」

「何の為ですか。何の」

「何って、そりゃおめぇ、アレだよ」


 華村は変わらないにやけ顔で、しかし幹耶の瞳をまっすぐに見つめて言う。


「お前、なーんか遠慮しているように見えてな」

「……遠慮、ですか?」


 短い笑いが華村の口から零れ落ちる。


「自分で気が付いてねぇってか。まぁ染み付いているんだろうな。〝外〟じゃ仕方ないのかも知れねぇが、少なくとも俺達ピンキーの前で、気を使って良い子ちゃんで居る必要なんかねぇんだぜ。こういった共有スペースで、堂々と酒飲みながらエロサイトを見るくらいに自由に振る舞ったって良いんだ」


 何と答えて良いのか解らず、幹耶は押し黙る。その様子を見て、華村は「いきなりは難しいか」ともう一度苦笑いを零す。


 自由に振る舞う。


 今まで他人からは、もしかしたら自分自身ですら、この命を使い捨ての道具としてしか見てこなかった。常に死ぬことと殺す事しか考えてこなかった。

 自分が何を望み、何を求め、何を欲するのか。そしてそれに真っ直ぐに手を伸ばす。それが〝自由〟だという事を言葉の上では理解している。理解しては居るが、どうそれを行って良いのかが解らない。


 だが、目の前の華村は幹耶が自由の行い方を解らないという事を、正しく理解しており、気遣ってくれている。その心遣いが幹耶には素直に有難かった。まぁ、提示した方法はちょっとどうかと思ったが。


「あぁそうだ。自由とは言ってもルールは存在する」

「互いを呼び合うときは、下の名前かあだ名で呼び合う事、ですよね」


 ニュースサイトのウィンドウを最小化しながら、幹耶が言う。


「それもそうだが、もう一つ重要な事がある。言うまでも無い事かも知れんが〝過去の詮索はタブー〟だ。俺たちゃ全員アンジュだからな。わかんだろ?」


 アンジュには大きく分けて二つの種類が居る。先天性と後天性のアンジュだ。

真斗や幹耶は生まれつきの先天的アンジュ、それ以外の清掃部隊のメンバーは全員が後天的のアンジュだ。

 先天的アンジュは能力が弱い物が多く、逆に後天的アンジュは超が付くほど強力な能力を持つ者が多い等の様々な違いはあるが、その身に宿すアゾット結晶の色が体毛や瞳に現れる事と、いずれの場合も〝この世の地獄を見てきた〟という点は共通している。


 このご時世、心安く暮らしている人間などそう居はしないが、 アンジュは例外無くこの世の絶望に頬を撫でられた経験を持つ。


「生まれつきのお前や真斗もそうだろうが、俺達もアンジュなんて異形に成り果てちまう経験をしてここに居る。自分から言う分には構わねぇが、無用な詮索をしたって面白い話なんぞ出てこねぇ」

「そう……ですね」


 実に気軽な口調で華村は言うが、アンジュと付き合っていくにあたって、それは何よりも大切な事だった。


「俺もルーキーが過去にどこで、どんな事をしてきたのかなんて事は聞かねぇ。そして関係もねぇ。だからよ、あんまり遠慮したような態度はよしてくれよ? こっちもどう接して良いのか解らなくなる」

「…………」


 幹耶は思わず華村の黒い瞳から視線を外してしまう。この人は知っているのだろうか。自分が〝マザーアゾット強奪未遂事件〟の主犯グループであるテロリストの一員であった事を。

 その事実を真斗と雪鱗、そしてピンキーのオペレーターである萩村(はぎむら)雲雀(ひばり)には知られている。では、他のメンバーは? 自分がピンキーの、アイランドの敵であった事を知ったうえでこのような言葉を掛けてくれているのだろうか。


 どちらにせよ、と幹耶は思う。この華村には、そんな事は〝どうでも良い〟のだろうと。

 何であろうと気にしないし、受け入れる。だからお前も気にするな。目の前の黒い美丈夫はそう言っているのだ。


 幹耶の沈黙をどう受け取ったのか、華村は「ど、どうした。黙るなよ」と動揺し始めた。その姿に幹耶は華村に〝頼りになるが、どこかちょっと抜けた兄〟という印象を抱く。


「……ありがとう、ございます」


 やがて幹耶は、一杯な胸をどうにか鎮めながらそれだけの言葉を発する。それを聞いた華村は、満足したように微笑むのだった。その暖かな人情味あふれる優しさが、幹耶にはこの上なく有難かった。


 華村に限らず、ピンキーの面々は幹耶に対して何かと優しい。誰もが痛みを知り、この世の深淵を覗いてきた者たちだ。およそ人間というものができている。

 だが、と幹耶は思う。薄青の髪をした防壁のアンジュ、天白雪鱗。幹耶の知る限り、彼女だけは異質だ。目的の為ならば、どれほど残酷な手段であろうとも笑いながら行うだろう。


「こーらハナ。新人イジメをするんじゃないよ」


 キャメロンがそう言いながら二つの紙コップを差し出してきた。芳ばしい香りが鼻孔をくすぐる。


「そんなんじゃねぇよ」

「ど、どうもです」


 幹耶と華村はブラックで、キャメロンはミルクと砂糖をたっぷり入れたコーヒーを啜る。


「そう言えば、お二人はいつも一緒ですよね。ペアを組まれて長いのですか?」


 ふと浮かんだ疑問をそのまま口にする。幹耶の質問に、華村とキャメロンは「あぁ」と息をついた。


「言われてみれば結構長いなぁ。固定ペアみたいになっているよね」

「まぁ腐れ縁だな。アーツの相性って問題もあるし、こいつとだとやり易いのは確かだが」


 華村とキャメロンのアーツは、どちらも遠距離型だ。そして直接視認できなければアーツを発動させられないという共通の弱点を持つ。

 複数での行動を前提としているのはそれぞれの欠点を補いあうためなので、弱点が共通しているというのは(いささ)か問題ではある。しかし、性質の近いアーツ同士は連携が取りやすいのだろう。幹耶はこの二人が別々で清掃作業にあたる姿を見た事が無かった。


「ペアと言えば、雪鱗さんと火蓮さんが見当たりませんね」

「あの二人は仕事中だ」


 華村が指を払って幹耶のバベルにデータを投げる。それはとあるニュース記事であった。


「原因不明の機械トラブルによる火災が頻発……ですか」

「商業、研究、行政に関わらず、いろんな施設で似たような火災が起きているんだよね。使っている機械類なんかも全然違うのに」


 キャメロンが紙コップを両手で包み込みながら言う。


「あまり(おおやけ)にはされていないが、何かしらのテロ、あるいはアンジュによる犯行が疑われる。そこでお手伝いに駆り出されたって訳だ。本来は調査部隊の仕事だな」


 まぁ今更だな、と華村が大げさに肩を竦める。


 アイランドを統括管理する国際機関スピネルの抱える人員不足問題は深刻だ。

 元々アイランドには警備(ガー)部隊()調査(チェイ)部隊(サー)清掃(スイー)部隊(パー)という、三つの実働部隊が居る。しかし慢性的な人員不足により、その境界線は酷く曖昧になっていた。ちなみにピンキーとは、真斗が名づけた清掃部隊の部隊名称だ。


「それと、もう一つ気になっていたんですけれど」


 幹耶はコミュニティルームのほぼ中央に位置する、大きな丸ソファーに目を向ける。


「あれか。俺も気にはなっていたんだが、触れちゃ駄目な気がしてな」


 華村も幹耶の視線を追って丸ソファーを見遣る。そこにはうつ伏せに倒れ込んでピクリとも動かない秋織真斗の姿があった。


「突然、高額な請求書が〝外〟から送られて来たらしくてね。大量の食料品に子供服に玩具」

「なんだそのラインナップ」


 キャメロンの言葉に華村が眉をしかめる。


「さぁねぇ。とにかく何とか経費で落として貰おうとして、経理部と相当やりあったらしいよ」

「恐ろしい話ですね。請求書の差出人は?」

「旧渋谷駐屯地治安維持部隊からの正式な請求書だってさ。どうしようもないね」


 幹耶はいかにも交渉事が苦手そうな真斗が、キリッと眼鏡をかけた経理部と言い合いをする姿を思い描く。うん、勝てそうにないや。


「そうだハナ、メール見てないでしょ。例の試作品ができたからって、こっちに連絡来てたよ」

「ついにか。さっそく拝見しに行くとするかな。メロンも来るか?」


 ソファーから立ち上がり、キャメロンの金髪を見下ろしながら華村が言う。


「久々の非番だし、おいらは留守番しておくよ。なんだか忙しくなりそうな気配もするしねぇ」


 キャメロンが言っているのは、激化の一途を辿る反アンジュ運動の事だろう。先日の小学校立て籠もりと同様の事件が今後も起こる可能性がある。そうなれば昼も夜も無い。


「……非番?」


 桃髪の隊長様が、ピクリと肩を震わせる。


「そっか非番。午前中は私も非番だった。みーくん!」

「はっ、はいっ!?」


 がばり、と起き上がり、真斗が食らいつかんばかりの勢いで幹耶に詰め寄る。


「気晴らしに付きあいなさい!!」


 助けを求める様に幹耶は華村とキャメロンに視線を向ける。そこには、輝く笑顔で親指を立ててみせる二人の姿があった。



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