マザーアゾットとミュータントプログラム
一旦自室に戻り準備を整えてから、テロリスト対策のために細かく区切られたエレベーターを何度も乗り継ぎ、急な階段に苦労しながら幹耶と真斗はモノリスタワー八十階へたどり着いた。疲弊した雪鱗はこのまま行ってもかえって足手まといになるから、と言って自ら二人の元を離れ、回復を待って合流する事になっていた。
八十階では相当激しい奪還戦が繰り広げられているのだろうと幹耶は考えていたが、銃撃音は一向に聞こえてこない。超が付くほどの巨大施設であるモノリスタワーからの退去は簡単な事ではなく、最低限の人員だけを残して他の戦力は非戦闘員の避難誘導に回されている様子だった。
しかし人員不足は敵も同じようだ。二人は戦闘用ドローンによる妨害を幾らか受けただけで最上階、つまり八十八階のマザーアゾットが置かれている部屋の手前までたどり着いた。
真斗達がモノリスタワーに突入する少し前、第三、第六、第十三調査部隊がポリューションの殺傷地帯を強行突破し、携行型地対空ミサイルを抱えてモノリスタワーへの接近を試みた。
しかし、その試みも三十六人分の血肉が撒き散らされるだけの結果に終わり、攻めあぐねたスピネル指令本部は沈黙した。
事実上、スピネルはマザーアゾットの防衛を放棄した形だ。
しかしもちろん黙って持ち去られるつもりはない。スクランブル発進した自衛隊機がマザーアゾットを吊った超大型輸送ヘリ、ヘイローをアイランドの外で撃墜し、後日改めて回収するというプランだ。
だが問題もある。敵の増援などがあれば、それに阻まれて作戦が失敗する可能性もあるし、首尾よく撃墜したところでマザーアゾットは海に沈む。その後、誰がどのようにして回収するのかは数年にわたって議論の種になるだろう。
第一〝アイランドからマザーアゾットが奪われた〟という事実は、今後争いの火種になりかねない。傷がつくだけで問題だ。世界中が犯人探しと責任の擦り付け合いであっという間に燃え上がるだろう。もっと言えば、要石を失ったアイランド・ワンはその存在価値を失い、放棄される可能性もある。そしてアジア圏は衰退の一途を辿るだろう。
その最悪のシナリオを防げるのは、二人だけ。
アイランド・ワンの行く末は、今や真斗と幹耶の肩に掛っていた。
「真斗さん。その、本当にやるんですか、そんな作戦」
刃についた機械油を服の裾で拭いながら幹耶が言う。
「ふふん。不死の使い方を見せてやるだけよ」真斗が部屋から持ち出した、緑色の飾りがついたイヤリングを指ではじいて微笑む。「幹耶くんは手筈通りにバックアップをよろしくね」
「お気をつけて……と言うのもおかしいですね。ええと、御武運を」
ひらひらと手を振りながら、散歩でもするような足取りで真斗は大きな扉をくぐる。
「あら、いつの間にか晴れたのね。日差しも暖かいし、春はもうすぐかしら」
高所特有の強風にあおられて目を細める。頭上を仰ぐと空が近かった。若々しい午前中の光と暖かな陽気が全身を撫でる。本来そこにあるはずの天井は足もとに落ちていた。マザーアゾットを運び出す為に攻撃ヘリが破壊したのだろう。
視線を戻すと、小型のビルくらいはあろうかという大きさを誇る規格外のアゾット結晶、マザーアゾットが目に入る。淡く桃色に光るその姿は感動的に美しく、見る者に畏怖の念さえ抱かせる。このような場所に掲げて象徴にしようとする気持ちも理解できるな、と真斗は思った。
前方からガチャリ、と銃口を向ける音がいくつも鳴る。ざっと数えたところではこちらに銃口を向けているのが五人、奥でマザーアゾットに対してなにやら作業をしているのも五人と言ったところか。ドローンは全て警戒に回していたのか、ここには一体も無かった。
「おぉーやぁ? これはこれは清掃部隊、ピンキーの隊長様ではありませんかぁ。お一人ですかなぁ?」
「ふん、どうせ待ち構えていたくせによく言うわよ」真斗はこれでもかと言うほど顔をしかめてみせる。「やっぱりここに居たのね、磯島」
「……はん。俺は今気分が良い。無礼は特別に許してやるよぉ」磯島がニタニタと笑う。「それよりお供の方がいらっしゃいませんなぁ? 俺の用意したパーティーをお楽しみ中といったところかなぁ?」
「あんたこそ、こんな大それた事を仕掛けた割には随分と小勢じゃない。人手を貸してもらえなかったの? よほど信用されてないのねぇ」
「奴らは、自分たちにつながる可能性のある死体を作ることを極端に嫌がっていてねぇ。貸して貰えたのは非正規部隊がいくらかと、ドローン十数機にAI制御の改造無人戦闘ヘリと、輸送ヘリだけだぁ」磯島がわざとらしく手を広げる。「しかしそれで十分。どいつもこいつも俺に踊らされて舞踏会の真っ最中、邪魔をする者は誰も居なぁい」
「それはどうかしらね。彼らだって一流の兵士よ。すぐに……」
「来ないよぉ。マップを見てみろぉ」
真斗は眉をひそめながらバベルで地図を呼び出す。そしてその眼を見開いた。
確かにポリューションの位置を示す赤い点の数は減っている。しかしモノリスタワーを囲む輪に穴はない。自我を持たないはずのポリューションが、モノリスタワーを守るようにしてその包囲網を縮めているのだ。
「なんで……。ポリューションが移動している? これじゃ、殲滅してしまわないと被害が拡大し続ける……」
「そうだぁ。お優しいスピネル実働部隊の皆さんはそれを見過ごせなぁい。ポリューションがより強い力、たとえばアゾット結晶に群がるのは知っているよなぁ? あれらはその特性を少しばかり強めているんだぁ。そしてここにあるのは、最大級の大きさを誇るマザーアゾットだぁ。後は、解るなぁ?」
「……特性を強める? そんなことが……」真斗が悔しそうに歯ぎしりをする。「万一アイランドを無事に出られても、無事に陸地までたどり着けるかしらね? 海の藻屑と消えるのがオチよ」
「その対策を、何もしていないと思うかぁ?」
磯島が耳障りな笑い声をあげる。真斗は吐き気を抑えながらまっすぐに磯島を見据えた。
「……どうしてこんな事を? 最後にそれくらいは聞かせてもらおうかしら」
「はん。まぁ話す義理もないんだが……妙に遅れているあの作業が終わるまで暇だしなぁ。簡単に言えば――戦争が欲しいんだよ」
「戦争が、欲しい?」
「そう、戦争は人を進化させる! 化学を飛躍させる!! こんな世界平和は偽りだ、ウランの炎で燃え上がれ! マスタードガスでのた打ち回れ!」磯島は大きく両腕を広げ、神の教えを説く聖職者のように高らか宣言する。「俺のミュータントプログラムはそのための力だぁ! 世界はもう一度燃え上がる、いや何度でも! そのたびに人類は、科学は進化する!」
なるほど、狂っている。間違いなく。疑いようもなく。
しかし磯島が狂気に取りつかれた人間だという事は、真斗にとっては殊更取り上げるような事ではない。それよりも、もっと重要な事があった。
「ミュータントプログラム……?」
「ああ。脳髄にまで同化している生体ナノマシン、バベルに感情を制御させるプログラムを組み込んだものだ。しかし加減が難しくてなぁ。大半は発狂死しちまいやがったぁ」磯島は、ほんの軽い失敗を語るような顔でそんな事を言う。「一応、形にすることはできたのだがな。もう少し時間があれば、この街の奴ら全員が化け物に変わるところが見られたのになぁ。まったく、どこの誰か解らんが忌々しい……。残念だが、まぁデモンストレーションとしては、これでも十分だぁ」
そう言って、くつくつと磯島が笑う。
「……よく解らないけれど、あんたが最悪の狂人だって事は良く解ったわ」真斗が唇を噛む。「第一、マザーアゾットなんて持ち出してどうするのよ。電力増幅にでも使うの? ダストの処理はどうするのよ」
「はん。アレをどう使うかなんぞ俺は知らん。それにな、下等生物がどれだけ汚染されようが知った事かぁ」
磯島はマザーアゾットを求めていない。それなのにこうして奪い去ろうとしている。つまり、それを求める何者かがそうさせている、という事だ。真斗たちの予想通りに、磯島の後ろには何かしらの組織が存在するはもはや疑いようもない。
「実にあんたらしいわ。自分の目的のためには誰が犠牲になっても構わないと言う訳ね」真斗は大げさに肩を竦める。「ま、私だって夢見る少女ってわけじゃないから、それが正しいだの間違っているだのと言うつもりはないわ」
「はん、別にお前なんかの理解なんて求めてないよぉ。しかし物わかりの良い奴も少しは居る。ミュータントプログラムはそいつの協力で作り出したぁ。協力者の名前を聞いたらお前、きっと驚くぞぉ」
「……誰にそそのかされたのか知らないけれど、それであんな酷い研究を?」
「俺がなんでこんな街にぶち込まれているのか。お前ならよーく知っているよなぁ?」
「違法薬物の使用、非人道的な人体実験、そして解剖。私にした以外にも、散々好き放題していたみたいねぇ?」
真斗は黒い憎悪の炎を瞳に宿らせて磯島を睨む。しかし当の磯島は全く気にした風もなく、薄ら笑いを浮かべていた。
「それが何だ? それがどうしたぁ。偉大な研究の前には多少の犠牲は付き物だろうが。俺の研究が実を結べばどれだけの利益を人類にもたらすと思ってるんだぁ?」
真斗は鋭い目つきで、しかし何も言わずに磯島の話を聞いている。確かにこの男は天才だ。頭に〝悪魔のような〟という言葉が付くが。
「だと言うのに、倫理がどうだとうるさくてなぁ。こんなクソみたいな街で監視されながら、お利口さんな研究を続ける日々、俺はもう嫌で嫌で仕方なくてなぁ。そこに大量のポリューションコア、粗製アゾットを持って〝アイツ〟が現れ、俺に言った。好きな事を好きなだけ楽しまないか、となぁ」恍惚とした表情で磯島が言う。「それからは夢のような日々だったぁ。アイツは役に立ったなぁ、どうちょろまかしているのかは知らんが、今まで思う様に手に入らなかった粗製アゾットを難なく手に入れた。公害事故の被害者数を改竄して、実験動物の提供までしてくれたぁ。やりたい研究がやりたいだけできたぁ。その結果生まれたのが、ミュータントプログラムだぁ」
「そう。それだけ聞ければもういいわ。後はこちらで調べる」真斗がゆっくりと歩き出す。「ちなみに、他のバルミダ研究員はどうしているの?」
「さぁなぁ。まだ残っていれば、タワーを囲むポリューションのどれかだなぁ」
「流石の下衆っぷりね……。あんたは拘束なんてしない。ここで仕留める!」
そういうと真斗はネイルを手にし、弾かれたように駆け出した。
しかし磯島は特に慌てることもなく、手にした無線機で何かを指示すると、真斗の足は無数の銃弾に撃ち抜かれてその機能を果たさなくなった。は鮮血をまき散らしながら床に転がされる。
「はぁーははは! 無様だなぁ! いくら不死と言っても所詮はそれしか能のないただの小娘だぁ」
「つっ……!」
頬で床の冷たさを感じながら真斗が呻く。
「おい、やっぱり子供だぞ」
「ああ、しかも女だ。しかしこの髪の色……アンジュか?」
駆け寄ってきた二人の兵隊が、真斗を見下ろしながら戸惑う様な声を上げる。そこへ胸元の無線機から泥水のような声が響いた。
『そのまま引きずって連れてこぉい。油断するなよ、そいつは不死身だからなぁ』
「聞いたかよ。こいつ死なねぇらしいぞ」
「まだ餓鬼だが、顔も上等じゃねぇか。金持ちの変態どもに高く売れそうだな。俺にくれねぇかなぁ」
いやらしい笑い声をあげる兵隊達が、床に赤い軌跡を描きながら真斗の髪を掴んで引きずってく。この者どもも磯島に負けず劣らずの下衆らしい。
「お前は類似する者のいない貴重な実験動物だからなぁ。そのうち回収しようと思っていたが、ここで手に入るなら僥倖だぁ」
奈落の底のような笑みを浮かべて磯島が真斗の顔を覗き込む。しかし真斗は嫌がるどころか、花のつぼみがほころぶように微笑んで見せた。
「そう、それは素敵なプロポーズね。あんたならきっとそう言って私を欲しがると思っていたわ。だけど――」真斗は耳からイヤリングを外し、頭上高くに放り投げた。「お断りよ。くたばれ、下衆野郎」
イヤリングにつけられた緑色の飾りがみるみる膨張し――やがて果物のメロンの形になった。
「これは――《ファニーボム》!?」
驚愕に眼を見開く磯島の表情は、紅蓮の爆炎に塗りつぶされた。




