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アゾットシリーズ  作者: 白笹 那智
アゾット ー女神創造計画ー
1/46

序章 -戦闘訓練ー

 崩れ落ちた天井の隙間から、(みどり)色に染まった月光が降り注いでいる。その宝石を溶かしたような光の中で二つの影が作り出す激しい火花と鋭い金属音が、美しい夜をさらに鮮やかに(いろど)る。


「ぐっ……」 


 影の一つは苦しそうな(うめ)き声を漏らす年若き少年ものだ。その髪はまるで墨を垂らしたかの様に黒く、(ひとみ)は海の底のように深く蒼い。そして手に持つ剣は、その鋭さを主張(しゅちょう)するかのように(りん)と輝いていた。


 少年の名は千寿(せんじゅ)幹耶(みきや)、歳は十六歳になる。


 幹耶は傷ついていた。身に着けた衣服は流れ出た少年自身の血液で、その重さを増している。特に右大腿部(だいたいぶ)の傷が深く、その足元に血だまりを作り上げていた。息も荒く、時折(ときおり)(ひざ)が意志に関係なく崩れ落ちそうになる。


「ほら! もっと頑張らないとあっさりやられちゃうわよ!?」


 もう一つの小さな影の主が幹耶に語りかける。十台前半にも見える小柄な体躯(たいく)、鈴を鳴らしたような可愛らしい声、そして柔らかそうな桃色の髪を持つ可憐(かれん)な少女だ。服装は幹耶とは対照的に実に軽装で、そのままショッピングにでも出かけていけそうなほどである。


 獲物に挑む子猫のような少女の両手には、その姿とは実に不釣り合いな、大口径の拳銃と大型ナイフを無理やり融合させたかのような異形の武器が握られていた。右手に持つ武器の刃は緩やかな螺旋を描いており、左手の武器の刃は猛禽類(もうきんるい)の鉤爪の様に鋭く湾曲していた。そしてそれぞれが拳銃としての機能も備える。少女はその伊達(だて)酔狂(すいきょう)悪趣味(あくしゅみ)の結晶の様な異形一対の武器を《ネイル》と呼び、愛用していた。


 少女が滑るように幹耶との間合いを一息(ひといき)に詰める。幹耶は喉元に迫る湾曲した切っ先を身を引いてかろうじて(かわ)し、その動きを読んで胸へ放たれた螺旋状の刃の突きを激しい火花を散らしながらなんとか剣で受け流す。


 予備動作の無い強襲に、幹耶には少女が突然目の前に現れたようにしか感じられなかった。


 少女の攻勢は続く。ネイルの銃口を幹耶の眉間に向け、一瞬だけ視線を誘導し、固定させる。

 瞬間、少女は身を翻して回し蹴りを繰り出した。虚をつかれた幹耶は躱せずに腕で受けてしまう。


 小柄な体格からは想像もできないほど重い攻撃に、肩と骨が激しく(きし)む。さらに少女は受け止められた右脚を軸に身体を巻き上げるように反時計回りに回転しながら持ち上げ、高く振り上げた左脚の(かかと)を幹耶の頭頂部へと打ち込む。しかし幹耶はその踵が届く前に後ろに跳び(とび)退(すさ)り、辛うじてそれをやり過ごす。


 眼前を暴風が通り過ぎる。冷たい手で心臓を鷲掴(わしづか)みにされたような嫌な感覚が全身を駆け巡る。


「まだまだぁ!」


 少女は更に幹耶(みきや)(おど)り掛かる。一時たりとも休ませるつもりはないらしい。 


「くっ……!」


 何とか少女の動きを止めようと剣を振り下ろし、払い、突きを繰り出す。しかし、少女はまるで煙のように剣をすり抜け、まるでかすりもしない。


「全然だめ! その剣で私をどうしたいの!? 相手を倒す意志の無い攻撃なんてしない方がマシだわひゃあ!?」


 奇声を発し、驚愕(きょうがく)に眼を見開きながら少女の体勢が大きく崩れる。

あちこちに点々と広がる自分の血だまりでスリップしたのだと理解すると同時に、幹耶は攻撃を仕掛けた。このチャンスを逃すわけにはいかない。


「はっ!!」


 面積が広く、かつ骨の無い腹を狙って最速の突きを一歩踏み込んで被せるように繰り出す。いくら少女が常識外れに素早くとも、足が地面から離れてしまえば無意味だ。   

 幹耶の剣が少女の身体を貫き、勝敗が決する――はずだった。

しかし、風に舞う木の葉のように少女はひらりとその切っ先を(かわ)して見せた。そのまま少女は地面に背を付けることなく、軽やかに着地を決める。


軽業師(かるわざし)か何かですか貴方は……!」

「あっははは! 隙あらば急所を狙うその姿勢、悪くないわよ!」


 少女が間置かずに幹耶に襲い掛かる。その姿はまるで狂気をはらんだ突風の様だ。


「くっ!」少女の圧倒的(あっとうてき)な身体能力に幹耶は(うめ)く。「本当に人間か……!?」

「失礼ね! これでも人間よ!」

 犬歯をむき出しにしながら少女が叫ぶ。


 速い――。ともすれば子供にも見えるほどの少女に終始圧倒され、まるでついていけない。いや、幹耶とて身体能力という点ではそこらの一般人とは比べ物にならないほどに高い。


 しかし目の前の少女はその上を行く。小柄(こがら)体躯(たいく)にしなやかな肢体(したい)、見た目からは想像もつかないほどの筋力、そして強靭なバネ。その全身を使いこなし、天も地も無いと言う様にあらゆる方向から幹耶に攻撃を浴びせかける。まるで獲物を(もてあそ)ぶ猫のように幹耶に(まと)わりついて離れない、離せる気配がない。スピードとパワーにトリッキーさを兼ね備えた強敵だ。


 地を這う様な低い姿勢から、少女の左手に持つ螺旋状(らせんじょう)のネイルが突き出される。幹也は肩を浅く切り裂かれながらも、かろうじてそれを(かわ)す――だがその視線は突然宙を舞った。肩の傷に気を取られている間に少女に足払いをかけられたのだ。


「しまっ……!」


 横向きに倒された幹耶は即座に立ち上がろうとするが、それよりも早く螺旋状のネイルの銃口を目の前に突き出され、見事に動きを封じられていた。


「はいここまで。残念だったね、幹耶くん」


 少女がそう言いながら氷の華のように微笑(ほほえ)む。


「……」


 その美しくも冷たく恐ろしい笑顔を受け、幹耶(みきや)は押し黙った。

 決着――。幹耶の完全敗北であった。

 手毬(てまり)のように転がされ、無様(ぶざま)に地面舐める結果を悔しいとも思えないような、実にあっけない内容だ。


 地に伏した状態から頭を抑えられれば立つことは出来ない。第一、少しでも余計な動きをすれば少女は躊躇(ちゅうちょ)なく引き金を引くだろう。

 幹耶が抵抗をあきらめ、剣を手放した瞬間――



 大きな風船が破裂(はれつ)するような音と共に、辺りが眩い光に包まれた。

突然の光の暴力に思わず目を閉じた幹耶が少しずつ瞼を開けると、翡翠(ひすい)のような月明かりに包まれた廃墟(はいきょ)や、頬を削る砂まじりの風も跡形(あとかた)なく消え去っていた。代わりに、一面が真っ白な壁に囲まれた無機質(むきしつ)で巨大な部屋が現れていた。そして幹耶を拘束(こうそく)していた少女はいつの間にか少し離れた場所に立ち、微笑(ほほえ)みながらその驚くさまを眺めている。


 変化は空間だけではない、身を包む血まみれの衣服や手に持っていたはずの剣、そして身体中につけられた傷も綺麗に無くなっていた。とても先ほどまで瀕死(ひんし)状態だったとは思えない。

 突然の状況変化に思考が追い付かず、幹耶はしばらく呆然としていた。


「お疲れ幹耶くん。初めてのダイブコネクト・トレーニングはどうだったかな」目の前の少女が言う。「何か違和感があれば些細(ささい)な事でも直ぐに言ってね? バベルの調整をしないといけないから」


「違和感などは特にありませんが……」手を握ったり開いたりしながら幹耶が答える。「装備の重さや質感、傷の痛みと身体から血が抜けていく感触まで、まるで本物ですね」


 そう答えて幹耶は立ち上がろうとするが、満足に身体に力が入らなかった。まるで(なまり)のように全身が重い。


「あ、れ……? どうしてここまで……」


 疲労しているんだ、という幹耶のつぶやきを少女が(さえぎ)る。


「そりゃあ、あれだけ激しく命の削りあいをしていれば疲れも溜まるわよ。肉体的にはたいしたことないと思っていても、精神的な疲労はその比ではないわ」少女が幹耶に歩み寄り、その手を伸ばす。「戦場は、何もしていなくてもただそこに居るだけで命が削られるような魔窟(まくつ)よ。いつ死ぬかわからない。そう思うだけで、人間の精神なんてすぐに枯れ木のようになってしまうわ。そうならないためには限りなく実践に近い形での訓練が必須なのよ。ま、昨日の疲れも残っているんでしょう」


 幹耶は差し出された小さく細い腕を取り、立ち上がる。いまさらではあるが、見た目と反した膂力(りょりょく)に再度驚く。


「最初は私も軽い運動のつもりで気軽にやっていたのですが、傷が増えていくたびにこれが訓練なのか実践なのか、区別がつかなくなってしまいました。最後は本当に殺されるかと思いましたよ」


 幹耶(みきや)がおどけるように肩を竦めてみせる。


「限りなく実践に近い模擬戦、というのがコンセプトだからね。バベルを通して脳に直接、環境(かんきょう)情報(じょうほう)を入力しているのよ」少女が頭を指で叩く。「ていうか、いくらなんでも仲間殺しなんてしないわよ? 傷つくなぁ」

「いや、結構目が本気でしたよ? 真斗(まと)さん」


 真斗が誤魔化すように笑いながら軽く手を振ると、壁の一面が中央から左右にスライドし、数秒で大きなガラス窓に変わった。幹耶達が居る部屋はモノリスタワーの五十五階にあるので、開けた視界にアイランド・ワンが一望(いちぼう)できる。静かな湖面(こめん)のような青空に、(みどり)色の(おび)がゆったりと流れ、美しく整えられた街並みを優しく包んでいる。その雄大(ゆうだい)な景色に幹耶は息をのむ。


 しかし、どれだけ美しく見えようともこの街が人を実験動物のように押し込める巨大な檻だという事実は変わらない。


 世界五か所に作られた実験都市 《アイランド》

その一番目のアイランド、海上都市アイランド・ワンを管理する《スピネル》の清掃部隊(スイーパー)《ピンキー》、その隊長、秋織真斗(あきおりまと)――、それがつい先ほどまで、幹耶に狂った死神(しにがみ)のごとく襲い掛かっていた少女の名前である。


「それより、肩の傷はだいぶ良いみたいね? 動きにおかしなところも無かったし、人工筋肉はうまく馴染んでいるみたいね」

「言われてみれば……。必死で気にする間もありませんでしたが」


 幹耶は昨日穴が開いたばかりの右肩をゆっくり回し、そして思う。この傷を作った、あの化け物の事を。


「真斗さん。昨日の……。その、〝ポリューション〟でしたか。雲雀(ひばり)さんなどはあれを〝公害〟だとおっしゃっていましたが……。どうにも納得がいきません。あれは結局のところ、何なのですか?」


 黒い炎のように揺らめく、狼のような姿をした多数の〝デミ〟。そしてその本体であるというデミと同じ姿をした、しかし全長五メートルは越えているであろう巨体に、驚異(きょうい)の再生力を持ち合わせた規格外の化け物〝ポリューション〟。幹耶はそれらの存在をその名の通りに公害だ、と聞かされたが微塵(みじん)も納得などできなかった。あれらは公害という言葉の範疇(はんちゅう)に収まるような存在ではない。


「あれはね、言ってみれば……絶望(ぜつぼう)、かしらね」

「ぜ、絶望……?」


普通ならば笑い飛ばすだろう。絶望が形を持ち、人を襲う。そんなものは(ひど)妄想(もうそう)だと誰もが思うはずだ。


 しかし現実にその地獄を目の当たりにし、自身も死の淵に立たされた幹耶(みきや)としては、その世迷(よまい)(ごと)を真剣に受け止めざるを得なかった。


「怖い苦しい悔しい(ねたま)ましい……。そんな負の感情がダストの影響を受けて現実に形を持って現れたもの、という事らしいわよ。私たちアンジュのアーツが、現実を捻じ曲げて顕現(けんげん)するのと同じね」真斗(まと)は外に向けていた視線を幹耶に戻す。「それよりも、ごめんね? 勝手に〝死んじゃって〟……。後でハナから聞いたんだけど、かなり危なかったみたいね」

「い、いやそれは」


 幹耶は言葉を詰まらせる。しかしそれも当然だ。死んでごめんなさい、などと謝られた経験がある人間など、どれほど居るだろうか。テレビゲームの話ではないのだ。


「まぁでもよかったわ。最近増えてきているとはいえポリューション自体が珍しいのに、昨日のはさらに珍しくてね。あんなの相手に良く生き残ってくれたわ」


 私には無理だったけれど。と楽しそうに笑う真斗に幹耶は乾いた笑いを返すので精いっぱいだった。


「さて、ストレス解消もできたしそろそろお昼ごはんを食べに行きましょうよ」

「今なんと? ストレス解消ですって?」

「あっははは、冗談よー。ここを出てすぐ左にシャワールームがあるから、汗を流したら()(れん)たちと合流しましょう」


 そういって鈴が鳴るような可愛らしい笑い声をあげながら立ち去る小さな背中を、幹耶は難しそうな顔をして見送っていた。


 昨日、吐き気をもよおすような地獄で幹耶は生き残った。だからこそ、こうしてここに立っている。しかし真斗は違う。ポリューションに首を千切(ちぎ)られ絶命(ぜつめい)した。確実に、絶対に。それでもなおこうして存在し、普通の生活を送っている。


 あの時、勝利が拾えたのはただの幸運に他ならない。ポリューションと呼ばれる黒い獣には生半可な攻撃は通用せず、普通の生物であれば致命傷と思われるような損傷(そんしょう)即座(そくざ)に回復してしまうのだ。まるで、実態のない影のように。


 そのような超常(ちょうじょう)の存在に対抗できるのは、それに立ち向かう清掃(スイー)部隊(パー)も超常の存在だからに他ならない。その中でも清掃部隊隊長、秋織真斗(あきおりまと)能力(アーツ)特出(とくしゅつ)している。


「不死性の体現者(たいげんしゃ)……、《不滅(イモータル)蝋燭(キャンドル)》か……」


 幹耶は無意識に首筋(くびすじ)()れ、真斗の通り名を呼ぶ。異能(いのう)の中にあってなお異常性の際立つそのアーツから、畏怖(いふ)嫌悪(けんお)と、時には尊敬(そんけい)崇拝(すうはい)の念すら込められて呼ばれるその名を。


 そしてゆっくりと思い出す。全ての始まりとなった、昨日の出来事を――


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