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右手が疼くように痛むのは、罪悪感が棘となって深く皮膚に刺さっているからか。
いつまで経っても、理性よりも感情が先行しがちな子供っぽさに肩をすくめ、こよりは動力音が煩く唸る艦内に、旋の姿を探し歩いていた。
足音がやけに響くように感じるのは、そこかしこに漂う空虚感のせいだろう。心細くなるばかりの胸中を叱るよう、こよりは声を張り上げる。
「旋くんが、悪いんだ。あんな、死ぬなんて冗談で済ませられるわけないじゃない。思いっきりひっぱたいちゃったのは、すこしだけ悪いとは思っているけど……やっぱり、旋くんのせいなんだから」
世界は今、一方的な死に怯えていた。
突如現れた、西洋で不吉の象徴とされる竜の姿をした生物――怪異。
現状ある兵器を一つとして寄せ付けない化け物がもたらす殺戮は、人の間に起こった大戦など可愛く思えるほどに残酷だった。
九州・四国が、音信を絶って十数年。確認こそできていないが、おそらくは怪異の巣となっているのだろう。状況を確認するために送り込まれた調査隊からの連絡は、耐えたままになっている。
北海道へ移された帝都と共に、絶えず襲いかかってくる怪異と奮闘していた横濱戦区も、祖父の時代より怪異を退けていた結界が破壊され、一夜にして壊滅した。
炎の海から逃げ出して、三日になる。
早いのか遅いのか、時間の感覚はまだ麻痺したままで分からない。生き残ったという実感すら、まだ薄かった。
「無事に帝都にたどり着けたとして、怪異がまた結界を越えてきたらどうしよう」
幸いにも、横濱戦区外で結界を越えられる新種が発見されたとの報告はない。
が、時間の問題なのだろう。誰もはっきりとは言わないが、的外れな推測ではない。戦いが激しくなればなるほど、怪異は強く、理性的に進化していった。結果が、横濱戦区の結界破壊だ。
「……まずは、旋くんに謝ろう」
目を閉じ、呼吸を整えたこよりは、顔を引き締めて再び歩き出した。
横濱撤退作戦で戦死した老兵達に押し出されるように昇格し、数日前に中尉の位を与えられた二つ上の幼なじみ。
故郷も実家も、両親も兄弟も亡くしたこよりを支えてくれる愛おしい存在。それが、波切旋だ。
(顔が、見たい。旋くんの顔を見たいよ!)
明日には死ぬかもしれない時代なのに、嫌な別れ方をした。
多くの人間が、怪異との戦争で死んだ。
亡くした友人が、どれほどいるか。弔いの言葉を口にしたくないほど、沢山失った。
叩かれた頬をさすり「また、明日」と言い残して去って行く大人びた旋の背中を、何故あの時、追いかけなかったのか。
明日また生きて会える保証など、どこにもない。そういう時代を生きていると、と知っていたはずだ。
晴れない胸中は、良くない事柄を示唆しているようで、いてもたってもいられなくなる。
足取りだけでもつかめないかと、仕事を放りだして艦内を歩き回ってはいるものの、こよりが入れる区画は少ないうえ、艦は広い。
胸騒ぎが治まらないのは、気のせいだろうか?
戦闘空域は抜けた。
帝都までの航路を怪異に発見されないように、密かに進むだけのはずだ。なのになぜ、こんなにも心がざわつくのだろうか。
喉のつまる息苦しさに喘ぐこよりを、足下を攫うほどの大きな揺れが襲った。波ではない、もっと、確かな衝撃だ。
『風早こより一等歌師。至急、甲板まで来られたし。至急――』
耳をつんざく、警報音。怪異の襲来とともに打ち鳴らされた不吉な鐘の音が、手すりにしがみつくこよりを激しく呼び立てた。