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いつになく静かな夜、目の前に立つ波切旋の薄い唇に浮かぶ笑みは、あまりにも穏やかすぎて、悪い夢でもみているようで不安に駆られる。
「夜遅くに突然呼び出してすまないね、こより。どうしても、君にお願いしたいことがあって」
年の割には少し低く、ゆっくりと、語尾のはっきりとした耳障りの良い声。
通信機越しに、毎日聞いていた愛おしい声だ。なのにどうしてか、今宵は肌がぴりぴりとして落ち着かない。
風早こよりは小さく深呼吸をして、嫌な予感に震える心臓を宥めようと胸の前で両手を握りしめた。
が、呼吸は荒くなるばかりでまったく治まらない。
抑えきれない動揺を悟られたくなくて、だまってこよりの返事を待つ旋の琥珀色の目と、油の染みた軍靴を交互に見やった。
言葉が、どうしてもでてこない。
ふくれるばかりの嫌な予感が、喉に支えているのだ。
不安、緊張もあるが、一番の原因は、先の戦いで死んでいった先輩たちのせいだろう。
最期の別れを惜しむ先輩たちと、旋は同じ顔をしていた。
「どうしても、今じゃなきゃダメなの?」
旋は「……うん」と子供っぽく頷いて、軍服のポケットから四角い箱を取り出した。掌に乗る、小型の録音機だ。
「君の歌を、録音させてほしいんだ」
旋の動作はあくまで穏やかだったが、こよりは血管に冷たい水を流し込まれたような衝撃に、思わず後ずさっていた。
同じ台詞。
まったく同じ台詞だった。
戻れない戦いに身を投じていった先輩たちが、愛おしい者に残して残していった最後のメッセージ。涙混じりの歌が、施設のあちこちで響いていたのをよく覚えている。
「いつでも、どこでも。大好きな君の歌を聞いてられるように。お願いだよ、こより」
「やめてよ、旋くん」
差し出された録音機を見ていられなくて、おそらくは困り顔の旋を見たくなくて、こよりは小さな窓へ顔を向けた。
タールのような黒い海、灰色の雲から僅かだが差し込む月光はギラギラと輝き、目をそらすこよりを責め立てているようだ。
「……まるで、死んじゃうみたい」
顔を上げられなくなって、こよりは俯いた。スカートの裾をぎゅっと掴んで、涙が零れないように瞼を硬く閉じる。
「お願い、やめてよ。歌なら、いつでも歌うから。忙しいなら、艦内通信でだっていいじゃない、なんなら、今みたいにベッドを抜け出したっていい。子守歌も歌ってあげられるよ? だから……」
「ごめんね、こより」
驚いて、顔を上げる。
意地の悪そうな、子供っぽい旋の顔。
にやにやと歪む唇に、零れそうになった涙が慌てて引っ込んだ。
「嫌だな、本気にしたかい? 冗談だよ」
ぴん、と。おでこを叩かれる。
「大仕事を終えて緩んでいた気が、少しは引き締まっ――」
「馬鹿!」
少し首を傾けて微笑む旋の頬が弾け、誰もいない、寝静まった艦内に小型録音機が勢いよく転がる硬い音が響いた。